トランプが世界の同盟国との調整を図り、安倍政権が、選挙に向け
日本中を奔走している間にも、北朝鮮は、着々と実戦配備の為の
軍事行動に移しています。
何とか、北朝鮮を世界の交渉の場に引きずり出したいとするトランプや
周辺の多くの国々の思惑如何に関わらず、もし恐れている事態となった時
自分達の生き残る準備を着々としているのが北朝鮮の現状です。
様々な評論家や政治家が、番組でその真意を知ろと頭を寄せ合ったところで、
彼らの意図は、周辺国が望む方向には全く向いていないのです。
例え、どんな強力な制裁処置を行ったとて、現実に、危険なミサイルが
周辺国のみならず、アメリまでも照準に入れている事は間違いなく、
何だかの理由で、どちらかが戦いの意思を無くさない限り、突発的に
近い将来確実に有事となると言ってもいい状態なのです。
日本国内においては、その危険性を感じつつも、常に、事が収まる可能性を
議題の答えとして論議されている事が多く、何処かで誰かが助けてくれる
と言った甘い考えの方が多いです。
その為、全ての事が、有事とはならないと言う前提条件の元に動いていて、
今回の衆議院議員選挙が行われるのも、国際情勢の悪化の心配よりも
自分達の地位の確保が一番なのです。
東日本大震災の数年前には、将来的にプーレート境界面で、巨大地震が起こり
関東大震災並みの被害が生じると、日本人の誰もが知っていたのですが、
その時は突然、予想もしない形で襲ってきました。
数十年以内には起こると予想するも、準備するまでもなく、その日は訪れました。
この大地震は日本の太平洋側で起こるとは知っていても、専門家も政府関係者も
その日を予想する事は出来ませんでした。
巨大津波を伴った未曽有うの被害は、時のリーダー達に、想定外、と言う
責任逃れの言葉に成って、如何に彼らが無能であったかを国民に教えました。
しかし、あの時の状況がまたもや再現される可能性が高いのです。
日本国民は、まるで人質となって、首元に包丁が付きつけられていると言えます。
所が、助けるべく政府や関係官庁の役人たちは、犯人が、縄をほどき、包丁を
投げ捨てるはずだと言って、安全な所で、拡声器を使って訴えます。
今にも殺されんと恐怖におののく国民を、見てみぬふりをして、自分達の新たなる
仕事の場を確保しようとしています。
つまり、彼らは、危険から逃れられミサイルが及ばない所に避難できる確信があり
国民を見捨てていると言っても過言ではありません。
しかも、内輪もめをしながら、お互いに自分のテリトリーの確保に躍起です。
思わず、政治家って、一体何なんだろうと自問自答してしまいます。
少なくとも、彼らは、私達国民の税金によって生かされているのです。
今回の総選挙に使われる費用も莫大なるものです。
それらの血税を使って、どれだけ私達国民の安全と安心を生むことが出来るのでしょう。
多くの政治家の弁舌持論を聞いていても、確かに専門的に多くの知識を持ち合わせ、
有能な人材と思われますが、彼らの言葉に、全く国民からの思いが入っていないと
感じるのは私だけでしょうか。
多くの時間を掛け、激論を交わした後、爽やかに、肩を組みながらお互いを称え
合う姿はスポーツマンであり、政治家の態度では有りません。
単に、お互いの政治家としての能力を称え合っているだけで、それらの激論が、
単なる評論であり批判であり中傷であり、少しも、国民の為に成っていないのです。
国会に於ける様々な審議決議は、確かに国民が健康で幸せに生活する為の方法として
大切なのですが、多くの場合、恒例の討論会と成っていて、政治家としての、国会での
仕事のノルマを果たしているだけで、国民が彼らのお陰で、自分達の生活が豊かに
成ったと実感できることは有りません。
今や、政治家も、タレントの様に、パフォーマンスは非常に上手になったのですが、
まるで、自分をアピールする番組作りをしている様で、国民は、視聴者として
テレビ画面の外で傍観しているだけと言えます。
国会審議に於いても、テレビ討論会においても、最初は、其々の分野からの意見を
出し合っているだけで、相手の主張を聞き流し、自分との考えの違いを確認し
自分の考えを正当化する事に躍起になっているだけで、討論を楽しむディベートを
している様にしか見えません。
さらに、自分の考えが通らなくなると、次は、お互いのミスや問題点を掘り出し、
罵り合うと言う、お決まりの国会審議に成ってしまいます。
この彼らの言葉の多くは、それまでに培った知識や経験を述べているだけで、
一体何のために話し合っているかの論点が消えています。
当然、国民は蚊帳の外であり、終わって見れば、自分達の世界を称え合うだけなの
ほんとに何の実にもならないトーク番組に成ってしまっているのです。
国民は、今や、安心安全を求めているのです。
自分達の生活が豊かにならない不安以上に、戦争の恐怖を感じ始めているのです。
国民の期待に応えるのが政治家の義務であり使命なのです。
政治家の仕事として国民に応えることが出来ず、自分達の無能さに加えて
数々の不祥事、疑惑行動、失言、暴言ばかりがメディアに捉えれれている様では
政治家としての価値は無いと言えるのです。
にもかかわらず、反省するまでもなく、更に自分達の地位の確保を求める選挙を
一体誰が求めていると言えるのでしょう。
選挙をして政治家としての地位を認められるとしたら、またもや同じ蹉跌を踏む事が
目に見えていて、選挙の時だけ国民の方に顔を向けていると言われても
仕方がないのです。
こんな国民を守れない人たちが政治を行っていれば、おのずと不祥事が増え、
国の運営が滞るのは仕方のない事なのかもしれませんが、今の問題は、
またもやつまらない人達を選んでいる間にも、世界の情勢は最悪の状態へと
変わって行くかも知れないのです。
私たち日本人が、決して望まない状態になるかもしれない時に、何の対策も出来ない
現政権の情けなさに、国民は憤りを感じているのです。
自分達は国民の為に努力しているという言い逃れの言葉のレパートリーは数知れず、
自分の主張はしても、都合が悪くなると往生際の悪い駄々っ子の様な政治家ばかりです。
国民も周囲も見えず、自分の欲望だけが突っ走り、その非を問いただされれば、
だらだらとした言い訳をして保身に走るのが最近の政治家のパターンとも言えます。
とも角、日常生活においても、国際情勢に於いても、国民を安心させてくれる
心の広い国民に気配りが出来る大人の政治家が欲しいものです。
年ばかりを重ねても、自分の事しか考えられない子供の様な爺婆が日本を動かす事は
しょせん無理な事であり、何度も失敗を重ねて見苦しい姿を見せる前に、選挙と言わず
政界から辞退される事を願いたいものです。