めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

年の初めの言い訳

2015-01-09 13:20:16 | 一年の計

正月が明けて、またいつもの毎日が始まりました。
目黒川の桜の蕾は、先月から変わらず、寒さに耐える様に
黒く丸まって、まだまだ春は遠いのを感じさせます。

しかしながら、少し暖かい伊豆からのニュースでは、
そろそろ梅の花のつぼみが膨らみ始め、もうすぐ
香しい季節が近づいているようです。
また、ところによっては水仙の花が咲き始めた様で、
私が幼い頃に見た、長良川の河川敷に一面に広がった野水仙の
風景を思い出させます。

新年を迎えると、寒さは変わらないものの、早速、各地から
早春の便りが伝えられ、今年も新たなる気持ちで
心が引き締まる思いです。

とは言うものの、毎年同じ気持ちを抱いて、早何十年になるでしょう。
一年の計は元旦に在りと言いますが、毎年新たなる決意と計画で
充実した一年を思うのですが、年が押し詰まって来ると、いつもながら
その曖昧さと、年明けの思いとは裏腹の至る所で行き詰った計画に
反省の仕様も有りません。

その、今年こそは、の時期が今なのですが、同じパターンでまた一年、
達成できない目的と計画に挫折感を味わうのでしょうか。
私はなんて無能な人間なのか、と思うべきなのかもしれませんが、
毎度繰り返しているという事は、私はそれ程しっかりとした人間ではない
という事です。

そこで、言い訳が始まるのです。
しょせん人間は、だらしなくできていて、何をしてもやり遂げられなくて、
直ぐに飽きやすく出来ているのだと思うのです。
それ故、一生懸命努力できる人や仕事や勉強が出来る人を褒め称え
そのように生きるべきとする社会の仕組みが出来ているのです。

努力をして目的を達成できると、自分に自信が生まれ、その行いを
自分の生きる術として確立していきます。
様々な人が様々な生き方をするのは、やはり自分の行いに従い
各自の生き方で社会に存在するからなのでしょう。

一見素晴らしい事の様ですが、各人が自分の生き方を主張し始めると
その結果、今の発展した近代社会が生まれてくるのですが、
その主張が人々の諍い、会社間、国と国との争いにもなっているのです。

ちょっと大げさになりましたが、これ位の言い訳を並べればいいのでしょうか。
一個人の我儘な言い訳に、大義名分が幾つも並べば、人が何と言おうと
年末の反省に苦しむことは無いのかも知れません。

しかしながら、やっぱり、一年の計は立てて、ちょっとだけでも安心したいものです。
計画を立てた時点で、半分以上テンションは落ちていて、可能性が低くなるという
かつての反省もありますが。 

長々と言い訳を見て頂いて、申し訳ありません。
今年も、多少なりとも興味がありましたら、このブログを覗いて見てください。




年の初めの言い訳

2015-01-09 13:20:16 | 一年の計

正月が明けて、またいつもの毎日が始まりました。
目黒川の桜の蕾は、先月から変わらず、寒さに耐える様に
黒く丸まって、まだまだ春は遠いのを感じさせます。

しかしながら、少し暖かい伊豆からのニュースでは、
そろそろ梅の花のつぼみが膨らみ始め、もうすぐ
香しい季節が近づいているようです。
また、ところによっては水仙の花が咲き始めた様で、
私が幼い頃に見た、長良川の河川敷に一面に広がった野水仙の
風景を思い出させます。

新年を迎えると、寒さは変わらないものの、早速、各地から
早春の便りが伝えられ、今年も新たなる気持ちで
心が引き締まる思いです。

とは言うものの、毎年同じ気持ちを抱いて、早何十年になるでしょう。
一年の計は元旦に在りと言いますが、毎年新たなる決意と計画で
充実した一年を思うのですが、年が押し詰まって来ると、いつもながら
その曖昧さと、年明けの思いとは裏腹の至る所で行き詰った計画に
反省の仕様も有りません。

その、今年こそは、の時期が今なのですが、同じパターンでまた一年、
達成できない目的と計画に挫折感を味わうのでしょうか。
私はなんて無能な人間なのか、と思うべきなのかもしれませんが、
毎度繰り返しているという事は、私はそれ程しっかりとした人間ではない
という事です。

そこで、言い訳が始まるのです。
しょせん人間は、だらしなくできていて、何をしてもやり遂げられなくて、
直ぐに飽きやすく出来ているのだと思うのです。
それ故、一生懸命努力できる人や仕事や勉強が出来る人を褒め称え
そのように生きるべきとする社会の仕組みが出来ているのです。

努力をして目的を達成できると、自分に自信が生まれ、その行いを
自分の生きる術として確立していきます。
様々な人が様々な生き方をするのは、やはり自分の行いに従い
各自の生き方で社会に存在するからなのでしょう。

一見素晴らしい事の様ですが、各人が自分の生き方を主張し始めると
その結果、今の発展した近代社会が生まれてくるのですが、
その主張が人々の諍い、会社間、国と国との争いにもなっているのです。

ちょっと大げさになりましたが、これ位の言い訳を並べればいいのでしょうか。
一個人の我儘な言い訳に、大義名分が幾つも並べば、人が何と言おうと
年末の反省に苦しむことは無いのかも知れません。

しかしながら、やっぱり、一年の計は立てて、ちょっとだけでも安心したいものです。
計画を立てた時点で、半分以上テンションは落ちていて、可能性が低くなるという
かつての反省もありますが。 

長々と言い訳を見て頂いて、申し訳ありません。
今年も、多少なりとも興味がありましたら、このブログを覗いて見てください。