私達は、親を選んで生まれて来る事は出来ませんが、同じように
環境を選んで生まれて来ることはできません。
生まれた時から、何不自由ない生活が出来る環境にある方も有れば
食べる事にも事欠く家庭に生まれたり、戦地の中で生まれる事すらあり
私達がこの世に生まれる事は、時の運としか言いようがないのです。
しかしながら、人は、知識を持ち感情を持ち欲望を持つようになると、
自然に、より良い環境を求める様に成るものです。
豊かで安心安全の環境を目指し、様々な環境を克服し、自らの目標を
求め努力をして行くのです。
人生は、求める自分の理想を実現すべく生きて行くものと言っても良く、
其々の思いや価値観によって生まれる目標を成し遂げる為に、自分の
生活環境をより良くする努力をするのです。
しかし、誰もが違った目的を持つならば良いのですが、人間の欲望の本質は
あまり変わるものではなく、理想を達成しようとすると、同じように望む
多くの方々と競い合う事と成るのです。
この人生の競争に勝つ事で、自分の理想を達成できる様に成る為、誰もが
より豊かな生活を目指し、他人よりより上の地位を目指すのです。
つまり、自分のより豊かな生活を勝ち得るには、多くの人を押し退け
人生の勝者と成る事が必要なのです。
子供の頃から、社会人と成っても、この、常に勝者と成る事を求められ
人々と競い合う事が人生の生き方と成っているのが多くの日本人と言えます。
正に、生きると言う事は、誰かと常に戦っていると言うのが現状なのです。
所が、スポーツと同じく、勝者は少なく敗者が絶対的に多いのです。
いや、社会的地位を考えれば、世の中は敗者で満ちていると言っても
過言ではなく、究極の勝利となれば、本当の勝者はいないとも言えるのです。
上には上が有り、どんなに豊かな生活をしても、それ以上の生活をする人は
世界中に居るものであり、その道は、一生続くとも言えるのです。
しかしながら、先の見えない道で、自分自身の勝利を噛みしめる事は難しく
誰もが戦う事に疲れてしまうのです。
その為、常に、自分の生活が豊かであり、自分の能力が優れていると言う
実感を得る事が、自分の心を癒す方法とも言え、多くの人が、それまで勝ち得た
経済的な豊かさや地位の高さを強調しがちなのです。
人と競って社会的地位を得て来た事から、当然、負けた人達は、勝者に対して
心から賛辞を贈ると言うより、悔しさ、妬み、嫉妬がどこかに生まれて来るのです。
多くの社会的地位を得ている人達が、恐れている事が、これらの敗者たちが抱く
自分に対するマイナスのイメージでなのです。
世の中は、基本的に、多くの敗者で溢れていると言えます。
しかし、世の中を動かしているのは、遥かに少ない勝者達なのです。
様々な生活条件、環境によって、努力しても勝者の道を見つけられなかった多くの人が
自分達の境遇に不満を感じ、日常生活を送る事さえ苦労しているのが現実です。
勝者達は、世の中を支配し、自分達をより豊かにする為に敗者たちを利用する
と言う社会構図が有り、いつまで経っても庶民は満足の出来る生活を送れないのです。
一部の勝者達が得た膨大なる富が社会に還元される事が無ければ、いずれ、国民の生活は
破綻する事と成り、そこから利益を得ている富裕層の生活すら末路が見えて来るのです。
私達が地球で生きて行く為には、食物連鎖が健全に行われている大切で有ると同じように
人間社会も、全ての人間がお互いに利益を分かち合い、命の糧を繋いでいく事が
大切なのです。
一匹の小魚が成魚に成って、それを私達人間が食料とするにも、卵から生まれた小魚が
膨大なるプランクトンを食べ、更には、海の中に多く生息する様々な生き物を食べ、
健康に育つことが重要です。
人間社会も、多くの人々が作り上げた命の糧をお互いに与え合う事に依り、
全体の繋がりが生れます。一部に多くの富が集まり、多くの人達に還元されなければ
当然バランスが失われ、多くのトラブルを呼ぶことと成るのです。
今や、国民は、常に消費を促され、より出費を強いられる社会に生きています。
にもかかわらず、社会が要求する消費を熟すには、余りにも収入が低く、支出が優先し
多くの国民が生きて行く事であくせくしている状態です。
益々巨大化する消費社会は、一見華やかに見えて、そこに生きて行くには、膨大なる
支出を覚悟しなければ成らないのです。
その支出の中でも、生きて行く為の最低限度の衣食住の基本的な部分を保証できない
日本政府の不甲斐なさが大きな問題なのです。
今の日本に於いて、高齢者のみならず、ぴんぴんころり、という標語が全国民に当てはまり
誰もが、病に伏せば生活が破綻してしまう程、経済的に行き詰まっていると言えるのです。
高齢者や弱者にとって、外見的に豊かに見えて、日本は、本当に生き辛い国なのです。
安全安心の人生を送ろうとしても、そこには、膨大なる経済的余裕が無ければならず、
全ての事に身銭を用意しなければ、安心した生活を望めないのです。
競争し合う人生を送って来た事から、お互いに協力し合う事が苦手であり、まして
利益が得られなければ、自ら手を下す事は無く、社会的に認められる事としない限り、
公共の利益に関して興味が無い方が多いのです。
その為、自分の生活には非常に関心が有るのですが、他人の事になると殆ど関心がなく
例え豊かな生活を送る様に成ったとしても、自分よりも下の地位とする人達に対しては
まったく気を配る事が無いのです。
つまり、豊かな人達は、自分達の事やそれ以上の生活をする人達に対しては関心が有っても
一般的な日常生活に四苦八苦している様な人には全く関心がなく、たとえ国の代表として
選出されたと言っても、内心ではその地位から得られる多くの特権には興味を持っても
自分を選出してくれた多くの庶民の現実の生活にはほとんど関心がなく、だだ、
経済的に豊かに成れば、自分達の様な豊かな生活が出来ると、常に上から目線の態度を
変えないのです。なぜ、何十年経っても、庶民の生活は豊かに成らないのかと言えば、
豊かな人達は、自分達の生活が豊かであればそれで満足だからなのです。
民主主義国家、自由主義国家、と言った肩書きを見せても、戦後変わらない格差社会が
無くならない限り、子供達の頃から、本当に対人的に平等である事を学ばない限り
現体制に於ける日本社会の在り方は、日本国民を便利な消費者にしたとしても、
安心した生活を営める幸せな国民には成し得ないのです。