めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

健康の秘訣は上半身のセンス

2011-09-29 14:17:37 | 日記
私の母はここ数年酷い腰痛に悩まされている。
もう八十を超える人生を送っているから
多少の痛みはしょうがないのかもしれないが
少しでも和らいでくれればと思っている。

母に限らず腰の痛みや足腰の痛みに苦しんでいる
人たちが数多くいる。自分もまだ母に比べれば
ずっと若いが、今までに何度となく関節痛筋肉痛に
悩まされてきた。
仕事柄運動を通じて多くの人たちに健康な生活を
提案してきた。だから健康優良児のような体で
あろうと思うのは観客や生徒達だけであって、
実際体中はぼろぼろの状態といってもいい。
多くのスポーツ選手が引退するとき、彼らの体は
人に言えない痛み苦しみを抱えている。
自分が係わったスポーツ特有の障害が多く
その後の人生に大きな影を落とすこととなる。

特にプロスポーツ選手は限界まで筋肉を使うため
怪我が絶えない。
健康な人生を目指すには体に合った適度な運動が
本当は一番なのだ。

しかしながらスポーツをしなくても年を重ねると
体の至る所が痛んでくる。
特に二本足歩行の我々人類は足腰に大きな負担を
掛け続け、いずれ痛みとなって晩年の人生を苦し
める。

私も30年以上激しい運動で体を痛めつけてきた。
多くの怪我が古傷となって今も苦しめる。
何を基準にしてスポーツを続ければいいのか悩み
最近一つの健康基準が出来上がった。

それは脊髄バランスを作り上げる事。
地上で行うあらゆるスポーツの基準は脊髄にある。
どのように作り上げるかは沢山の要素があり
短い文面では書けないが、簡単に言うと、
掌に少し曲がった柄の雨傘を広げてバランスを
取っているようなもの。
倒れないようにするには開いた傘を見つめながら
掌を小刻みに動かす。
もうお分かりですね。
掌が腰、柄が脊髄、傘が上体と頭です。
傘が倒れると反射的に下半身が動くのです。
傘をどの方向に動かすかは意志の力、反射的に
それを動かすのが下半身です。

一生懸命走っても体を鍛えても上体から来る
センスがないと健康にもならないし運動も
上手になりません。
 

我々の行き先

2011-09-22 15:06:00 | 日記
自然の猛威にさらされる日本、地球温暖化による自然環境の変化は
ここ何年もマスコミに取り上げられてきたが、今年は少し違っている。
去年までは不況であっても異常気象であっても、それは繰り返す歴史の
流れであって、また何時かは楽しい年がやって来ると心のどこかにまだ
余裕があった。遠い昔から自然と共存してきた日本人の心の中には
季節が変わるごとに、必ず新しい未来がやってくるという前向きの気持ちが
在ったものだ。

しかし、自然だけでなく最近の日本人の心の居所がかわりつつある。
本能からくるものか、日本人にある日本人的心の自然が失われつつある。
ひょっとしたら既にもう誰もが感じ始めているのかも知れない。
かつては日本の自然が破壊されていくのに誰もが心を痛め、それを
阻止すべくあらゆる人的物的戦いをしてきた。
だが、その戦いはかつての美しい自然を知っている美しい日本人の
心を知ってる人たちの叫びだった。もう一度美しい日本を取り戻そ
うと言う自分たちの心の日本への郷愁だったように思える。

しかしながら、今年になって長い不況の世の中に圧倒的な大自然の
猛威が襲いかかてきた。ずっと耐えてきた人々の心に言いようのない
やるせなさが生まれてきた。
日本中が災害に見舞われている現実に対し、迷い苦しんでいる人々を
導くリーダーがいない、次々に入れ替わる船頭が船を操れない。

何故、彼らが悪いのではなく今や日本人の心が変わってきているからかも
知れない。誰が先頭に立っても全く同じ様に思えるのは同じ心の持ち方
だからかもしれない。

先が見えない日本じゃなく、先が見えない感じられない日本人が
多くなってしまったからかも知れない。
豊かな幸せな日本になるにはいったいどうしたらいいのか。
以前の生活に戻ってもけして幸せになるとは思えない。
今が辛いから少なくとも前の様になれば幸せになるとはいえない。
前も苦しかったはず、言いようのない心の苦しみがあったはずだ。
前に戻るのではなく、以前よりももっと幸せになることを考え
どうしたら日本人が日本人であることを幸せに誇りに思えるか
考える時になったのではないだろうか。
経済的にはともかく、全ての日本人が幸せに思う新しい歴史を
刻んでいくことしかないのではないだろうか。

カエルスコール

2011-09-17 20:46:54 | 日記
最近夜の11時頃ナイトウォーキングに出かける。
今の時期、朝も昼も暑くてとても歩く気にはならなくて
昨日もあたりが静まり返った頃を見計らって家を出た。

川沿いの桜並木に沿ってしばらく歩くと、昼間なら多くの
人たちで賑わう公園に着いた。
この時間となるとさすがに人影はまばらで、周回道路を
少し大げさに腕を振って歩くとなかなか気持ちがいい。

芝生の丘を廻り歩いていると、目の前のコンクリートの上に
何やら蠢く握りこぶし程の物体があった。
よく見ると大きなガマガエルだ。
先ほど少しにわか雨が降ったから、草むらの中から出てきたの
だろう。
またしばらくすると2匹目の塊が道のど真ん中でゆっくり
手足を動かしている。
雨が降ったとはいえ、少し道路が濡れた程度のこと、ガマが
這い出てくる程ではないのに、都会のど真ん中では珍しい。

ちょうど公園を一周する頃またもや目の前にちょっと大振りの
奴が現れた。一度に三匹も出会うとは驚きである。
こいつらちょっとの雨で道にでてくるとは、このまま晴れれば
皮膚が乾いてしまってかわいそうに、と思った時だった。

首筋になにか冷たいものが。
あれ!?雨????
ほんの数秒であった。
近年経験したことのないような土砂降りの雨が降ってきた。
家まではまだ遠い。
歩けども歩けども桜の葉に打ち付ける雨音は静まらない。
迎えに来てもらったが全身濡れ鼠、目も開けられない。

あの時の三匹のガマたちの高笑いが聞こえてきそうだ。

幸せって、何!

2011-09-16 19:11:45 | 日記
相変わらずの暑さにうんざりの毎日だけど、夕方になると突然ハッとする冷たい風が
吹き抜けていく。

窓を開けると、ジリジリとした暑い日差しとアスファルトの道路で温められた熱波が
節電で温まった部屋に入り込む。何か月もそんな日々にうんざりしていたのに。

夏枯れでくしゃくしゃなったプラタナスの葉が乾ききった道路にカラカラと音を立てて
ころがっている。車が走りぬけるたびに道端に吹き寄せられる。

ふと見上げるとあんなにギラギラしていた夏雲が、白い筋の流れになってゆっくり
ゆっくり広がっていく。

自然の移り変わりは楽しくもあり悲しくもある。
遠い昔から自然は変わりなく続いてきたのに、それに意味を持たせていたのは
我々人間だったのかもしれない。
生きている間の幸不幸も自分たちが勝手に決めていたのかもしれない。
すべてを受け入れられる様になるには長い修行がいるのかもしれない。

一人の生活

2011-09-15 20:08:08 | 日記
数日一人で過ごすことになった。
我が家はいつも散らかっている。
生活感が在る家庭なのかもかも知れないが
家中が片付いているのは月に一二度かも。
 
家族が旅行に出てしばらく一人住まい。
音を立てるのは自分と電化製品だけだ。
一日経ってすべての物がそこにあった。
掃除すれば見た目は全く変わらない。

仕事から帰ると、そこには朝と変わらず
それらが在った。
冷蔵庫の音、水槽のポンプの音、そして
自分が動く音。

汚れない片付いた部屋、整理された台所。
いつもはやたらに目につく散らかった
生活用品、洗濯物、ゴミの山が無い。
うるさい声も聞こえない。

これが本来の理想の生活だった。
部屋はいつも綺麗に片付き、台所は汚れ物が
全く無く、ショウルームの様に美しい。

時間が確実に一定のスピードで過ぎていく。
焦りもなく心の中は穏やかな湖の様。

大地に吸い込まれていくように感情が消えていく。
ただ何もせず部屋の中をずっと眺めている。
幸せって何!自分て何だろう。
沢山の考えが頭の中から湧き上がってくる。

慌ただしく生活している毎日は、幸せと
不幸せを考える暇もない。だだひたすら
家族と今日を生きている。

生活が豊かになり何でも手に入る様になれば
幸せになれると思うのは望んでいる時の妄想か。
幸せをめざして毎日をあくせくしている時が
本当の幸せの時なのか。
自分で勝手に何でもできる時は意外にも
つまらない。