めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

日本人とおもてなし

2015-02-28 14:01:09 | 日本人

私達日本人は、本音と建前をごく当たり前に使い分ける民族です。
イエスがノーであったり、ノーがイエスであったりする事は当たり前で、
その都度、時と場合によって猫の目の様に次々に変わったりします。
そのことが、欧米社会の人達から、何を考えているか解からなかったり
ミステリアスに感じられる場合も多かったのです。

しかしながら、日本中が次第に国際化してくると、このような曖昧な体質が

マイナスととらえられ、教育のみならず社会一般からして、イエス、ノーを
ハッキリとする傾向が強くなってきました。
メディアの発達と共に、情報を提供するマスコミやテレビなどでは、
ハッキリと主張する事が求められ、いつしか、欧米人の様に自分の意見を
しっかり言える人が優れているような風潮が生まれて来ました。

では、誰もがはっきりと自分の意見を言える社会は素晴らしい社会でしょうか。

確かに、様々な意見が平等に取り上げられ、物事や政治がとり行われる事は
人々の暮らしにとって理想的と言えます。
しかし、自分の意見を主張する事を中心に据えた社会は、本当に進歩的で
近代的な社会なのでしょうか。

合理主義が社会のシステムとなっている欧米社会にとっては良いかも知れませんが

日本人にとって優れた方法と言えるのでしょうか。
我が国は長い歴史上、他の国に占領されたりすることも無く、同じ国土で
限られた資源を無駄なく利用しながら生きて来ました。
その為、争いを避けるためにも、お互いに相手を察して、全体のバランスを感じ
自分の立場を決めてきました。

その体質が今でも、自分の主張を直ぐに出しにくい民族となっているのです。

領地を取りあいながら争いの中で国家を築いてきた欧米人にとって、
自分の領地をしっかり認識できることが幸せであり、どちらとも言えない曖昧な
態度は、直ぐに敵国に略奪される運命に在ったのです。
戦争ともいえるビジネスの世界では、このはっきりとした主張は非常に有力で
味方に対しても敵に対しても自分の立場を安全にできたのです。

日本人は、昔から何かを行なう時、多くの意見を取り入れる傾向が有りました。

その意見も、自分の考えと言うより、皆の為になると言う考えからのものでした。
この事が、責任の所在が分からなかったり、中々審議が進まない原因でもありました。
しかし、この優柔不断な性格が、ビジネスにおいてはマイナスであるかもしれませんが、
対人的、個人的には非常に有効な潤滑油の役目をしているのです。

数年後に予定される東京オリンピックの売り言葉、おもてなし、とは

日本人の一番得意な分野でもあるのです。
世界のグローバル化に伴い、日本も欧米の先進国の様に変わりつつありますが、
日本人に多く見られるこの精神が、実は、欧米人にとっては逆に憧れでもあります。
先祖から受け継いできた、素晴らしい日本人の精神が、実は世界が注目しています。

でも、私達日本人は、いまだ、イエス、ノーの社会を崇拝しようとしています。

おもてなしの精神は、オリンピックだけでなく、本当は、日常的に、友達や
家族の間でもう一度考え直す大切なジャパニーズスピリットでもあるのです。


ネットに頼る前に自分を信じよう!

2015-02-27 13:12:16 | ネット社会

最近、新聞を見ない、テレビを見ないと言う人たちが、若者たちに中に
増えています。彼らは、情報を必要といしていないかと言えば、
全く逆で、様々なメディアに対し、敏感に反応し、行動に移しています。
ただ、その情報源がテレビや新聞で無くなって来たのです。
今やSNSの時代であり、人々の情報収集の方法が、テレビや新聞から
ネットの世界になったのです。

しかも、携帯から更に高機能のスマホに移った事により、常に瞬時に

求める情報を探し出す事が出来るようになったことが最大の変化と言えます。
その為、自分の周囲に対する情報模索と言う行為が必要でなくなり、
特に若い人達は、自分の興味のある事と無い事への関心が極端に
大きくなって、自分とネットの世界が創られる様になったのです。

最近の若者を見ると、友と語る時は屈託のないにこやかな表情ですが、

一人でいる時は、常にネットの世界に浸り、自分の周囲に対する感情が
全く読み取れません。頭の中は自分の世界で一杯なのでしょうが、
周囲に対する目に見えた配慮や気配りが感じられません。

特に、自分より上の世代に対する感覚は、昔の様に若者と中高年との

世代のギャップと言ったことではなく、すでに、自分達とは全く異なった
別の人種の様な感覚で対処しています。
会社内に於いて、上司に対する若い人たちの接し方も、たとえ不満があっても
意見の違いを戦わせたりするよりも、自分達とは違った世界の人々と理解し
不平不満はネット内の不特定多数の人達に訴える傾向が有ります。

この事は、今の若い世代が、様々なトラブルを解決すると言うのではなく

自分の生活を維持する為に、一見温和で従順に感じさせつつも、
その不満のはけ口をネットにぶちまけている事からも解ります。

ネット社会がどんどん発達してくると、様々な事が合理的でスマートになり

人々の生活もより豊かになって行くように思われますが、
世界中から一瞬にして情報を得られる半目に、目の前の人や周囲の人からの
情報を得る事に疎くなりがちで、沢山の知識や情報が有りながら、身近な情報が
全く理解できない人も多くなっているのです。

恋人同士でデートしていても、2人の展開を常時ネットで調べたり、

どの様に付き合って行ったら適切かと言う、2人の問題をネットで調べながら
関係を続けている若者も多いと言います。
どんなに素敵な人と巡り合えても、結婚しても、2人の未来を、ネットの情報から
創りあげて行けば、多くの意見や統計的な確率で上手くいくと思うかも知れません。
しかし、目の前の人から常に伝わってくる大切な情報は、ネットを利用して得た
情報とは違うものです。

結婚に対するメリット、デメリット、様々な情報がネットには溢れています。

自分の相手に情報をあてはめても、2人の幸せには繋がりません。
仕事に於いても、情報から得られた自分の演出をしても、いい仕事は出来ません。
ネット社会の問題は、現実に置かれている自分がその時その瞬間
どの様な状況に置かれていて一体何をしたらいいのかを判断する
センスが無くなる事です。

情報はあくまで資料であり手段で材料です。

先ず、今自分が置かれている状況を、五感を屈指して感じ取り
様々な知識を使って判断する事です。
ネットで瞬時に調べられると思っているかもしれませんが、
自分が置かれた場所で瞬時に考える感じる力はもっと早くて的確です。
社会においても家庭においても、自分がその場で必要な人材と
感じさせるには、そのセンスと判断力が一番大切なのです。


自然を観る力を養いましょう!

2015-02-26 15:48:33 | 環境問題

最近、妻がフェイスブックで桜の蕾が膨らんできたと書いたところ、
何人かの観た人から、蕾はまだ膨らんでいないと言うクレームがきました。
そこで、妻は、スマホで蕾をズームして、もう一度説明を加えアップしました。

普段、桜に興味が無い人からすると、蕾が膨らむと言うと、蕾の先から

白い花びらが見え始める頃の情景を思うのでしょうが、私達の様に
いつも目の前に桜の並木道が有り、毎日眺めながら外出していと、
今年の初めから、最近までの桜の変化が良くわかるのです。

外から見ると、黒っぽい粒の様な蕾がいつも同じ状態に見えるかもしれません。

しかし、よく観察すると、大きさだけでなく、少しずつ、蕾も枝も色が変化して
全く冬眠しているかのように見える桜の木も、極寒の一月二月であっても
成長しているのです。

ところで、最近気になる事に、川や海が綺麗という事が、ただ透明度が上って
ゴミが無くなくなる事だと思っている方が多い事です。
確かに、日本が高度成長期に汚した河川や海は、見るからにゴミが溢れ
水質が極端に悪くなりました。その為、多くの水生生物が絶滅し、川の周囲の
様々な生態系が悪くなりました。

その為、長年に渡って、国を挙げて河川や海の浄化運動を続けてきました。

少しでも透明度が上がるよう、ゴミが流れない様に自治体や地域団体も協力し、
浄化運動を進めてきました。
その努力の甲斐もあって、最近では、海も川も綺麗になって来ました。

でも、ここ10年程、海も川も生物が汚染される以前の様に豊かになったとは言えず、

多少復活したと言う報告が殆どです。
一体何故生物は戻ってこないのでしょう。
それは、この自然浄化運動が、私達人間の一方的な思い込みで続けられているからです。
汚れを綺麗いして、ゴミを無くせば、見た目綺麗になって、生物達は増えるだろうと言う
極めて人間目線で考えていたからです。

例えば海にしても、多くの方が透明度の良い、南のリゾートの様な海を理想と思いますが、

日本の海は多種多様の生物が生活し、彼らの生きる環境は、決してプールの様な
いつ行って透明度の良いものでは有りません。

季節や時間、天候によって様々な色に変わり、透明度も、繁殖する生物や季節によって、

その海に流れ込む山からの栄養素によって一年中変わっていくものです。
特に、これから春になると、水温の上昇により、様々な生物が繁殖し、海の色は濁ります。
これは、悪い汚れではなく、生命の健全な営みなのです。

私達が自然に対した時、大切なことは、そこに生きている生物の環境を正確に読み取ることです。

生き物の生きる環境と言うのは、人が良かれと思う事とは程遠い事が多いのです。
私達が生きる事に都合の良い環境は、生物達にとっては苦痛である場合も多いのです。

どんなに文明が進歩しても、私達人間は、他の生物の命を頂いて生きて行かねばなりません。

私達以外の生物が生きづらい環境は、私達の理想の環境とは言えないのです。
これからの自然に対する環境運動は、私達以外の生物と対等のレベルで考えられるよう、
個々の生き物の生活をしっかりと理解していく事が大切と思われます。


最新スギ花粉アレルギー治療法

2015-02-25 16:17:25 | 花粉症

いよいよ招かざる客がやって来ました。
今年は随分遅かった様に思えますが、ここ数日で我が家の
ティッシュ消費量がいっきに上がりました。

私は少し目がかゆくなり、喉が腫れぼったくなる程度なのですが、

この時期になると、私以外の家族は本当にかわいそうな状況となります。
息子と娘は鼻炎カプセルが常時必要となり、妻は、薬は飲まないものの
目や鼻、顔全体がかゆくなり、思わず掻いてしまう事により
まるで結膜炎に罹ったかの様な赤い目になってしまいます。

いつもの年は、2月早々にはマスクを利用しているのですが、

今年は、忘れた頃に一気にやって来ました。
これから、杉花粉の後のヒノキ花粉が終わるまで家族の苦しみが続きます。

そんな中、花粉に関して朗報がもたらされました。

舌下免疫療法と言われる治療法が開発されました。
スギ花粉のアレルギー物質を少しづつ取り込む事により、花粉に対する
強い反応を抑えるという療法です。

一年以上かかりそうですが、これで完全にい治る可能性も高いと言われています。

このニュースを聞いて、私は思わず叫びました。
この治療法、ずっと以前にやってたよ!!
そうそう、と軽く受け流すように妻が微笑みましたが、私のやった事と趣旨は一緒です。

もう20年程前になりますが、私もいつの間にか花粉症になり、毎年家族ともども

春先になると嫌な思いをしていました。
そこで、考えたのは、杉のエキスを体内に取り込んで、花粉アレルギーを直そうと考えました。
花粉が終わった5月頃、奥多摩の山にハイキングに行った時、若い杉の葉を沢山集め
ビニール袋にいっぱい詰めて帰りました。

この発案は、松葉をアルコールに付けて、その抽出液で病気を治すと言う漢方から

花粉症も同じような効果があるのではと思いついたのです。
山から大量の杉の葉を持ち帰り、大瓶に焼酎漬けしました。
それから3か月程して、瓶の色が変わってきた頃から、少しずつ一日一回
スプーンですくって半年ほど飲み続けました。

そして翌年、やはり、杉花粉の時期となると、家族は皆鼻水クシャミで苦しみ始めました。

しかし、私は、目はかゆくなるものの、前年程の苦しみが有りません。
殆ど鼻をかむことも無く、マスクも必要ありませんでした。
これは、今思えば最新の舌下免疫療法と同じではないかと思っています。

あれからもう20年になりますが、家族で一番アレルギーが出ないのです。

もちろん、時々鼻水は出ますし、喉が腫れたりしますが、日常生活には支障ありません。
この事については、家族は懐疑的ですが、私としては、効果があったと思っています。

とは言え、怪しげな民間療法と同じですから、何の医学的根拠も有りません。

スギ花粉を使ったのと杉の葉では効果が違うかもしれません。
しかし、症状が軽くなったことは事実ですから、将来的に専門家に
その真偽を確かめて欲しいものです。


魚を釣らずに自分を釣った

2015-02-24 14:06:50 | アクシデント

私が長年楽しんでいる趣味の中の一つに釣りが有ります。
釣りをされる方は結構多くて、最近では釣りガールと呼ばれる
ファッショナブルな出で立ちの女性も目立って来ました。
レジャーな中でも、直接自然の産物を、自分自身で捕獲して
更には食べると言う、基本的な本能を満たしてくれることから
何もかも近代化している都会にあって、格好のリラックスタイムになります。

しかしながら冬場は魚達の活性が落ち、なかなか釣果が上らないのです。
それでも、私の様な、何十年も釣りをしてきた、釣りバカ?は、寒さをついてでも
せっせと出かけるものです。

先日そんな最中、久し振りに獲物をゲットしました。
大ぶりのカサゴを2匹釣りました。
カサゴは、見てくれは悪いものの味は最高で、最近では高級魚として
高級料理店では引っ張りだことなっています。

そんな訳で、大型のものは滅多に釣れず、寒い釣果の減る冬場で
思いがけない獲物に歓喜しました。
翌日は、夫婦で美味しい尾頭付きのカサゴの煮つけを食べました。
新鮮でプリブリとした食感は脂が乗ってとても美味しく、東京湾の海の幸を
十分に味わう事が出来ました。

昨日は、また近いうちに、柳の下のドジョウを狙って釣りに出かけようと
釣る為の仕掛けを作っていました。
そんな時、またアクシデントが起こりました。

痛たっ! 痛たた、アア~~!!

深夜に釣り針が指に刺さったのです。
何でと思われるかもしれませんが、釣り人は次の釣りに出かける前に
仕掛けを準備するのです。
針と糸が一緒になった簡単なのは量販店に数多く打っていますが、
長年釣っていると、自分のオリジナルの仕掛けを作る様になるのです。

深く刺さった釣針は返しが着いていて、そのままでは抜けない様になっています。
こうなると病院に行って抜いてもらうしかありません。
早速近所の総合病院の夜間外来病棟に出かけて行きました。

幸い、麻酔を打って直ぐに抜く事が出来ました。
二三日分の痛み止めと抗生物質を頂いたのですが、
今朝目が覚めると、傷口も塞がって何の痛みも有りません。

しかしながら、最近アクシデントが連続しています。
妻曰く、今度厄払いをしてもらったら、と
でも、要は、私の不注意が原因ですから、
神頼みより、これから自分の行動を十分注意して
妻や息子にブログネタを提供しない様に気を付けることとなりました。