めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

平和な都内散歩

2015-11-30 18:06:20 | 日本

早朝に目黒河畔を歩いていると、様々な風景に出くわし、
都会の中にも多くの生き物が息づいているのに気が付きます。
先日、いつもの様に遊歩道で足を進めていると、川に浮かぶ
鴨たちが、盛んに水の中に頭を突っ込んでいます。

何気なく見下すと、水面に、灰色の影が無数蠢いています。
ちょうど満潮を迎える時刻とあって、目黒川の水位が上がっていて
薄緑色の川面に、数羽のカモが頻繁に動き回っています。

よく見ると、どうやら数百匹のボラの子が群れています。
それを狙って鴨たちが追いかける姿だったのです。
最近、生命反応を感じない目黒川ですが、こういった光景を見ると
少し安心すると共に、本当ならば、もっとたくさんの生き物が
生活しているのが当たり前な事を思い、複雑な気持ちと成りました。

お天気が良い事も有って、都会であっても、更に自然が豊かな
新宿御苑に出かける事と成りました。
ちょうど晩秋と成り、イチョウをはじめとして様々な落葉樹の色が
より一層増している事と思いました。、

渋谷から山手線に乗り、3つ目が新宿駅です。
日本一乗降客が有るとあって、日曜と言えど物凄い人並です。
改札を出ると、地上に出る階段は人で溢れています。

地上を進もうと思ったのですが、急きょ地下街にエスケープ、
少しでも人の少ない所を歩きたいものです。
土地勘は十分なので、地下を歩いていても、地上の情景は
頭の中を進んで行きます。

ちょうど伊勢丹の所で地上に上がると、新宿御苑はもうすぐです。
すると、デパートの側面に何やら面白い絵が沢山描いてあります。
その後をたどって行くと、どうやらビルの中も外もそのシリーズで
埋め尽くされています。

新宿御苑とは全く逆のコースです。
しばらく進むと、大きな通りに出ました。
すると、正面に神社らしきものが目に飛び込んで来ました
名前こそ知っていましたが、東京では有名な花園神社です。
この日は、三の酉のお祭りが行なわれていました。

入り口はとても狭いのですが、中に入って行くと四方に参道が広がり
どの道筋にもご利益を約束する熊手が多く売られていて、沢山の人が
幸せを求めて大小買い求めています。

昼間の状態でもかなりの参拝客ですが、これが夜ともなると、
動く事もままならない程の混み様となるそうです。
せっかくなので参拝を済まし、夜の準備に忙しい屋台を見学です。

私の住む近くにある大鳥神社も、この日は三の酉で賑わうのですが、
最近屋台の数もぐっと減り、寂しいものが有ったのですが、
この神社の規模は、遥かに凌いで活気が有ります。
ブラブラと屋台を覗き込み、幼い頃よく遊んだ金魚すくいに
懐かしい思い出が浮かんで来ます。

いつもよりゆっくりとした足取りで一軒一軒回って行くと、
懐かしい唐辛子の量り売りのお店が在りました。
今でこそ、唐辛子や山椒といった薬味は、何処のスーパーでも
簡単に手に入るのですが、昔は、お祭りの屋台で買ったものです。
七味、一味、と言った基本的な薬味に、様々な薬味を加えて
オリジナルの唐辛子を作ってもらいます。
小さく刻んだミカンの皮を入れると少し甘みが増し、山椒を入れると
ピリリと辛さが増します。
最近では、ユズの皮を入れるのが好まれる様で、次から次へと
懐かしさもあって、何人もの参拝客が並びました。

一時間ほど楽しんだ後、すっかりお腹が空いてしまい、
何を食べようかお店を探すも、あまりにも多すぎて決まりません。
ふと見上げると、ビルの一角に、いつも行くカラオケのチェーン店の
大きな看板が目に付きました。
どうせ決まらないなら、カラオケついでに食事という事と成り
新宿御苑に行くのもすっかり忘れ、3時間も歌ってしまいました。

何やら当初の計画とは全く違ったこの日のぶらり旅?
渋谷まで帰って来ると、夕飯までまだ時間が有る事も有って
先日ネットで見つけた美味しいパン屋さんに立ち寄る事と成りました。
今流行のパンを幾つか買って家に帰りつくと、この日は休みという事で
息子がテレビの前で大の字で寛いでいました。
早速、私が買い求めたパンが彼のおやつに消えて行きました。

朝のウォーキングから始まったこの日の何でもない都内散歩。
日本がいかに幸せな国であるか、失ってから気が付かない様に
しっかりと未来を見据えて生きて行きたいと思います。


何やら、動く小さな影が


花園神社参道


本殿に参拝


幸せな朝を迎えて

2015-11-28 15:14:13 | 平和

寒さの所為か、朝少し遅く起きると、窓の外に青い空が広がって
久し振りのいい天気です。
ここ数日、目が覚めると、まだ夜中なのかと思わせる程暗く
お天気の悪さに、朝から多少テンションが落ち気味でしたが、
今日は、窓を開けると、青い空と共に、少し冷たいものの
気持のいい風が心良い目覚めに導いてくれました。

家族はまだ夢の中、そっと玄関のドアを閉めると、
眩しい朝日が差し込む遊歩道に足を進めました。
朝の光を背中に浴びながら、川の上流に向かって歩きます。
斜めの光が、赤く紅葉した桜の葉に反射して、キラキラと輝き
青空をバックに揺れています。

師走を前にして、目黒河畔の景色も、一段と冬色を増しています。
勢いよくすれ違う若者の口元が白く光ります。
しっかりと着込んだ高齢者も、足早に朝に光の中に消えて行きます。
澄んだ朝の空気と、斜めに差し込む光の中で、人も自然も生き生きと
活動している事を感じます。

この時期になると、並木の桜も、次第に衣を脱ぎ捨て、真っ黒の枝に変わり
常緑樹を除いて、多くの植物が冬模様となって行きます。
しかしながら、今年は、まだ、耐えられない様な寒さでは有りません。
北海道や東北は、早くも雪模様が見られますが、東京は、未だ色が消えず
晩秋を彩る植物が私達の目を楽しませてくれます。

一時間ほど歩いて、少し高くなった陽の光を浴びながら、家までたどり着くと
すでに妻が朝食の準備をしていました。
そんなに頑張って歩いたのではないのですが、下着はしっかりと汗ばみ
少し息が荒くなっています。
テーブルの上に置かれた味噌汁から白い湯気がふわりと舞い上がり
食べる前から美味しさが伝わって来ます。

何の事も無い、早朝からのいつもの我が家ですが、これこそ幸せと言えるでしょう。
今や世界中がキナ臭くなり、例え日本とて例外では有りません。
何十年と続いてきた、私達の何でもない朝が、これからも続く事を
願わずにはいられません。

               晩秋の色模様

                 

朝日に輝くススキの穂      色づくミズキ     鮮やかな山茶花  

 

                 

黄色く熟した             朝陽に輝く桜        紅葉した桜葉
カリンの実  


何が有っても見捨てない気持ちがペットを幸せにする

2015-11-27 17:29:21 | ペット

日本におけるペットの数が、子供の数を超えたと言うニュースが
報じられました。確かに、何処に行っても、多くのペットを見かけますし
各家庭に飼われるペット数も多くなっているとは思っていましたが、
これ程にも多くの方にとってペット存在が大きくなっているのは
単に、ペットが可愛いからと言うだけではなく、ペットが家族と同じ
いえ、家族以上の存在となって来たとも言えるのです。

特に、中高年の方々は、自分の子供が巣立ってしまったり、

身近に家族が減ってしまったりすると、自分の心の支えとして
ペットが大きな存在となる可能性があると思えます。
また、結婚をしない若い人たちにとって、ペットが果たす役割は
異性以上に大きい事も有ります。

つまり、ペットを飼う人々の心理は、飼うという、人と動物の

関係から、対等の立場として、飼い主の心に深く関わり合い
共に生きて行く為になくてはならない存在であると言えます。

しかしながら、ペット飼うということは、命を守り育てる義務が

生じるものです。
素晴らしい癒しを得られるならば、やはり同じ立場として
ペットを守り育て慈しむ事が大切です。
単に可愛いからと言っても、それは、あくまで人間側の
勝手な考えであり、エゴでもあるのです。
物言えぬペットゆえ、より、深く察して、ペットからの気持を
常に察する事が必要です。

自分の都合や思い込みで飼っていると、ペットは必ず

具体的な仕草行動として、いつもと違う態度や姿を見せます。
外見的な可愛さに気を取られて、いつも自分のペットは可愛いと
オモチャの様に扱っていると、突然病気になったり死んでしまったりと
思いもよらない結果を生みます。

今やペット産業は、膨大なる種類のペットグッズや食品を生み

その流通は、全国に及びます。
その為、自分の飼っているペットに必要な生活用品や食品が
売り手側のペースで生まれています。
毎月新たな商品が生まれ、そのコマーシャルを受けて
多くの飼い主が、様々な商品を自分のペットに買い与えています。
ファッション的にも、飼い主に合わせて、様々な衣類が作られたり
栄養面を考えた、数えきれないほどの食品が売り出されています。

しかしながら、その流れに乗って、多くのペットたちが苦しんでいる事

更には、ペットすら商品として消費されている事実を知らなければ
成りません。
人間の生活状況に合わせ、簡単に捨てられるペットの数は
年々増えて、毎年悲惨な生涯をおくる犬猫の数は増えつつあります。

買い求めた当初は、家族の一員として接したペットも、月日が経つと

年老いたり、病気になったり、はたまた、新しいペットを手に入れると
まるで、オモチャを捨てるかの様に、簡単に捨ててしまう人もいます。
ペットを買い求める事は良いのですが、飼い主のマナーが問題の
ケースも増えている様です。

とは言え、犬や猫などのペットは、本当に可愛いものです。

しかし、彼等とて私達と同じ生き物です。
年老いたり、思いもしない様々なトラブルを生んだりするものです。
彼らが、私達の全てを受け入れてくれるように、私達人間も
死ぬまでしっかりと面倒を見る覚悟で臨むことが大切と思われます。


不安だらけの日本人

2015-11-26 17:23:25 | 日本人

街中を歩くと、早くも、ジングルベルの調べが流れてきて、商店や街角に
煌びやかに飾られたクリスマスのオブジェやディスプレイが心を踊らせます。
年間を通して、様々な祭りが催される我が国においても、海外から渡って来た
行事が、毎年人々の気持ちをかき立てるのは、世界の誰もが、御互いの幸せと笑顔を
願っているからなのかも知れません。

しかしながら、この思いも空しく、世界の情勢は、次第にキナ臭くなり、いつ何時

大きな戦いに発展するかもしれない不穏な状況にに有ります。
更には、頻繁に起こるテロの惨状は、世界中に恐怖と不安を生んでいます。
戦後半世紀以上平和な日本が続いてきたとはいえ、近年は、様々な事件が起こり、
内外ともに、私たちの生活が決して安心できない、むしろ、身の危険を感じながら
生活する時代に変わってきた様にも思えます。

それにしても、人間は、これ程にも、争いをしたがるのでしょう。

御互いの思いが優先し、他を認められない欲望の延長が悲しい事態を
引き起こしています。

誰もが、わざわざ苦しみや悲しみを得ようとしている訳ではないのですが、
例え、良かれと思ってした事でさえ、相手にとっては、苦痛であったり、苦しみであったり
思いもしない様に受け取られることは、単に人間同士の間で起こる事だけでなく
国と国、地域と地域、宗教と宗教と言う間で、常に生じている大きな問題です。

自分の事は簡単に主張できても、他人の事を認める事はなかかな出来ないのが

欲に駆られた人間の状況でもあります。
個人的な小さな争いから、国同士の戦いまで、自分たちの主張を貫こうと争います。
しかし、強大な力を持ってして、自分たちの思いを遂げたとしても、その後の世界は
様々な苦しみや悲しみ、怒り、憤りを生むものです。

戦いに勝ったとしても、必ずや多くの人々が長く苦しむのが戦争の不幸です。

そんな繰り返しが人類の歴史であるならば、いかに人類は愚かで下種な生物でしょう。
平和は、次の争いの息抜きの様に、世界中で繰り返される争いは、多くの人々を傷つけ
沢山の幸せを奪ってしまいます。
こんなにも明確な愚行を、何故、私達は繰り返すのでしょう。
また、その可能性のあることに、頭を突っ込むのでしょう。

君子危うくに近づかず、と言いますが、君子は、危うい事に国民を近づけない筈です。

争いがそれぞれの欲望で生まれる様に、政治も欲望で作られていく様では、
日本の平和も期待できないのは明らかです。
バブルの後、日本経済は低迷し、人々の暮らしは汲汲となりました。
しかし、今や、それ以上に、人々の心には悲しみと諦めが広まり、
心からの笑顔が見られない事に、どれだけの政治家が気づいているでしょう。

多くの人々が、彼らに期待しないだけでなく、自分たちの未来に夢を持たなく
なっています。

それ程までに日本国民の心を苦しめている今の日本の現状を、
沢山の支持を得て当選した永田町のお偉方は解っているのでしょうか。

日本丸の船長や船員たちは、日本国民をどこに連れて行きたいのでしょうか。

嵐が渦巻く海域、多くの浅瀬が有る直ぐにでも座礁してしまいそうな海域をわざわざ選び
もし、難破したら誰が助けてくれるのでしょう。

すぐさま大型船が救助してくれると思っている様だったら、本当に甘~い考えです。

自分たちも嵐の中で翻弄されているのに、小さな日本丸を助ける術は無いのです。
何時になったら、日本の誇りを持って、国民すべてが心から支持する国家を
作ろうとするのでしょう。

私達日本人は、本当に私達日本人を生かす事を考えられるリーダーが欲しいのです。


テロは他山の石ではない!

2015-11-25 16:18:02 | 戦争

世界の争いが、大国間の戦争から、テロと言う、新たな脅威が加わり、
紛争国のみならず、世界中の国々が不安に包まれる時代と成りました。
平和主義を貫いている国家であれば、紛争に巻き込まれたりする事無く、
被害を受ける事から免れると言う時代は過去のものになりました。

いつ何時何処で起こるかもわからないテロの脅威は、日本に於いても
けっして他人事ではなく、かつての地下鉄サリン事件の様に、突然
身に降りかかっても不思議ではないのです。

かつて、アメリカのは、その強大な軍事力を持って、世界のポリスと
言われてきましたが、近年、何処の紛争地に於いてもその力は影を潜め
結果的には、より問題を複雑にし、多くのテロ支援国家を作ることにも成りました。

軍事介入によって、その国の経済のイニシアチブを握り、国力をより高めていた
アメリカの海外派兵は、すでに泥沼の中で多くの兵士を失い、自分たちの力を
誇示するどころか、アメリカ自体の国力を弱体化させる原因ともなっています。

そんな中、我が国の対外政策は、法律を変えてまで大きくその内容を変え
あえて嵐の波風が逆巻く太洋に舳先を向ける事と成りました。
当然、この新しい方針に賛同した人々は、リスクよりも経済的、国際的な
メリットを多く掲げているのですが、日本が、世界の紛争に巻き込まれたり
テロの標的となる事は無いと否定的です。

しかし、そんな想定が簡単に崩れるのが世界の現状でも有るのです。
想像もしない最悪の事態が発生する可能性は、十分に有るのです。
そんな時、当然、国を守るために、多くの自衛隊員が戦地や紛争地におもむき
日本の新たなる方針により、様々な支援をする事になります。

でも、この日本の行動を、善意を持って感じるのは日本人だけであって、
世界の人々や、テロリストは、明らかに参戦とみなすのが普通です。
当然、戦いですから、多くの死傷者が出るのは明らかです。

自衛隊員は、使命ですから、当然、そういった事態を想定していますが、
日本に残された家族や友人、知り合いの人々は、どれ程の悲しみを抱くでしょう。
更には、日本中の人々が幾度となく深い悲しみと憤りに打ちひしがれ
国全体の大きな怒りとなって新たなる行動を起こす可能性もあります。

第一次世界大戦から近年の多くの戦いに兵士を送り込んできたアメリカが、
今や、世界の紛争から手を引くことも出来ず、多くの犠牲を強いられている事を
私達はどの様に受け取ったら良いのでしょう。

政治は、その時その時の情勢に応じて、方針を決めて行けばいいのかも知れませんが、
目先の利益を得る事を優先して、将来の事を考えなくなってしまったら、
国益も国民の幸せも、全て奪ってしまう事にもなりかねません。
何年か勤め上げ、その後は、後進に問題を先送りしてしまう様な、自分達の事しか
考えられない政治は、いずれ国民を不幸にし、また、多くの悲しみを生むのです。

饒舌な政治家は、口先ではもっともらしい事を言っても、現実の世界では
想定外で逃げるのがオチです。
日本の未来に責任を取れる政治家は、もういないのでしょうか。
芸能界の二世タレントの様な、温室育ちの様な政治家が何と多い事か、、
日本の将来は混沌たる状態と言えます。