肌に爽やかな風が吹いています。
暑さと湿度でまとわりついていた汗がいつの間にか消えて、
肌着と身体の間に乾いた空気が流れ込みます。
体温と変わらない気温に、うるさいほど朝から騒音の様に
鳴いていたアブラゼミ、そして、信じられない様な土砂降り、
今日の穏やかな天気を感じると、あれは一体何だったのだろう、
と思ってしまいます。
喉元過ぎれば熱さ忘れるといいますが、日本の天気は
一体どうなってしまったのだろうと嘆いていたのが夢の様です。
暑苦しい蝉の声が、コオロギのもの悲しい鳴き声に変わり、
開け放たれた窓から近所の声が聞こえてきます。
暑さや豪雨で街角でおしゃべりする人を見ることが無かったのに、
ようやく静けさを取り戻したようです。
いつも秋となると少し物思いにふけり、身も心も浄化されていく様です。
それと共に、周囲の喧騒に振り回されていた自分が落ち着きを取り戻し
やっと、周りをゆっくりと見渡し、自分の存在を確認するようになります。
一年中自分は何にも変わっていないのに、気温が少し変わっただけで、
大雨や大風が吹いただけで、全く自分が変わってしまったかのように思い
一喜一憂をしてしまう。
少し気温が下がり、爽やかな風と、青い空が感じられる様になると、
途端に自分の心の小ささ浅さを感じてしまいす。
年頭の覚悟は一体なんだったのでしょう。
簡単に周囲の状況に振り回され、自らの冷静な判断が無くなってしまいます。
子どもの時は、大人になれば何でもできると思い、社会人になれば
いつか何事にも動じない大きな人間に成れると信じ、沢山の書物を読み
様々な職業の方に会い、沢山の経験を積んで来ました。
あの時からから何十年が経ったでしょうか。
どんなことにも動じない立派な人間に成れたのでしょうか。
いえ、いえ、残念ながらそれは幻想に過ぎなかったようです。
澄み渡る秋の空を眺め、頬をなでる爽やかな風に心を洗われ、
今年の暑い夏と記録的な豪雨を感慨深げに思っている姿は、
子供の頃、いたずらをして母にこっぴどく叱られて、
裸足のまんま飛び出して、ふと見上げた秋の空を見上げている、
あの幼い頃の心境と全く変わっていないのに気が付きました。
沢山の人生経験を積み、社会で生きて行く術を学び、家庭を築き
人生の後半を迎えました。
他人から見れば、社会におけるそれなりの位置づけを持って
私を評価するのでしょうが、それは社会的な姿であり
本当の私では有りません。
大きな自然に対峙すれば、一個の生物にすぎないのです。
しかし、こんなにも弱くてめんどくさくて扱いにくい生物を
あたかも特別の物として感じるのは、あくまでも周囲の環境との
関わりに過ぎません。
社会の大きな流れの中で生きていると、本当の自分を失って
社会的評価を自分と勘違いしてしまう様に思えます。
爽やかな秋の風に、ふと、本当の自分を感じる様に、
いつも自分の身の丈を感じる人生を送って行きたいものです。