めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

新東京都知事に期待

2016-07-30 17:37:40 | 東京

明日は、いよいよ東京都都知事選挙です。
不祥事が続いた過去の都知事に変わって、
一体どれ程都民の信頼をかち得る事が出来るのか、
未知数と言うものの、あまり期待できないのも
正直なところではないでしょうか。

今の立候補者が、かつての都知事たちをはるかに

上回る実行力行動力の持ち主であると言えれば
何の問題もなく、すぐに託すことができるのですが、
過去の都知事の不祥事はともかく、都政の中で行った
業績をはるかに上回る期待を持てる人はいません。
と言うより、今の日本に、日本の政治を国民が
納得できる、手放しで応援できる程の能力の持ち主は
存在していないのです。

どの政治家も、国民の声を聴き、私たちの為に

全身全霊を尽くすと言いつつも、独自の、私たちを
未来の幸せに導く強いリーダーシップを伴った
理論を持っている方は無く、いつも、国民の目を
気にして、保身に走る為の言い訳を用意しているような
粒の小さい政治屋ばかりです。
マスコミを通し、様々な自己主張を行うも、私たち
都民の心を掴むまでは至らず、単に、テレビなどの
番組の一部として利用されているに過ぎません。

日本は、戦後、圧倒的な経済成長を遂げ、世界のトップクラスの

先進国となったものの、人々の先進国としての意識は低く
単に、己の欲望を求めるだけのエコノミックアニマルと
言われた頃となんだ進歩していないのです。
国民に便利で経済的に豊かな生活を与える事が、人々の
幸せにつながると言う、発展途上の頃の感覚が消えず、
いまだに、経済力が幸せを呼ぶと言いう妄想から
逃れない政治家が多くいます。

今、人々は、何を求めているのか。

経済を主体に考え、便利で豊かな生活を幸せと考える
政治家がいる限り、この国の民は幸せになれないのです。
何もない生活から数十年を経て、何でも手に入る世の中になり
どうして、人々の心はいつも余裕がなく癒されないのでしょう。

何でも手に入る東京、世界中からあらゆるものが集まり、

お金さえ払えば、欲しいものは何でも手に入ります。
現に、巨万の富を築き、ありとあらゆる物を手に入れた人が
心からの笑顔を手に入れられないのは何故でしょう。

手に入れた莫大な財産をに囲まれ、毎日眺めていても

それ以上の喜びは手に入らず、尽きる事のない財宝集めに
少なからず疲れている高額所得者も多いのです。

経済的に豊かになれば幸せになると思うのは、妄想であり

危険薬物と同じく、果てしの無い焦燥感を味わうだけなのです。
家族、友人、仕事仲間と、あらゆる人間関係に於いて、日々
感動と喜びを感じている方がどれほどいるでしょう。

人も物もただそこにあり、毎日時間が過ぎていくだけの人が

どれ程多いか、都民のリーダーにならんとしている人たちは
解っていないのです。
社会的な改善改革には積極的であっても、そこに生きる人々の
心の中の思いに対しては鈍感なのです。

もし、経済的に多少なりとも豊かになったとして、生活の中の

心の満足度は変わるでしょうか。
日本人の心の豊かさ安らぎは変えられるでしょうか。
外見と思い込みで政治を行っても、国民の不満は変わらず、
単に、ひとりの偉い先生が増えたに過ぎません。

東京の生活は、かつて、生き馬の目を抜くがごとし、と言われ、

その厳しさが語られたものですが、、今でも、その事は同じです。
しかし、その反面、安らぎの癒される時が無ければ、人は生けては
いけないのです。

経済のハード面ばかりを考え、数字のみを並べても

人々を本当に幸せにすることはできません。
東京都都民は、日本国民は、本当は何を求めているのかを
国民の心を通して感じられる政治家が現れ無い限り、
政治不信も政治家の不祥事も無くならないのです。


日本人の心が育たない日本

2016-07-29 16:09:57 | 日本

子供の頃、梅雨が明けて夏休みともなると、
一日中、海や川に出かけて、自然の中で
朝から日が暮れるまで遊んでいたのを
思い出します。

もちろん、夏休みの宿題もあったのですが、

そのページを開くのも、初めの数日間と
終わる数日間でした。

大人になれば、一年がことごとく短く感じられ

光陰矢の如しなのですが、子供の頃は、一年が
今の何倍にも長く、夏休みは、何をするか迷うほど
永遠に続けばと思う素敵な期間でした。

今と大きく違うのは、人々の生活と自然が身近であり、

どちらかと言えば、自然の中に抱かれて生活している
という実感でした。

今の子供たちは、管理されたプールや遊園地での水遊びが

一般的ですが、当時は、生活の延長戦には常に自然が有り
子供たちの遊びも、その都度自分たちで工夫し、自然を
利用したものが多かったものです。

携帯もスマホも無く、娯楽と言えばテレビやラジオ、時に

ステレオプレーヤー位であり、大人も子供も、お互いに
接触する機会が多く、親子の関係も自然と保たれていました。

私たちは、便利な生活をする事に依って、豊かな気分になり

先進国の一つと成ることを夢見て、日本中を改造しました。
そして、今や、世界でも有数の生活環境を持ち、何でも
手に入る国となりました。
そう、お金さえあれば、何でも手に入ると思える国に
なったのです。

子供たちの教育も、社会の構造も、家庭環境すら、すべてが

より多くの所得を得られることが前提になり、さらなる便利さと
豊かさを求め働くこととなりました。

しかし、日本人は、世界でもトップクラスの便利な生活をして

有り余る食料を手に入れ、お金さえあれば、何でも手に入る国と
なったことで、本当に幸せになったのでしょうか。
家庭においても、周囲の環境、仕事の上でも、誰もが心から
満足できているのでしょうか。

家族として同じ屋根の下にいても、同じ仕事をしていても、

一体何の為に生きているのでしょうか。
やはり、豊かな生活をして、欲しいものを手に入れる為でしょうか。

でも、欲しいものを次々に手に入れていても、本当に幸せな人は

果たしてどれだけいるのでしょうか。
自分は十分満足しているという自己評価はあっても、その豊かさと
満足度をどれほどの人が認めているでしょうか。
更には、そんな頑張っている自分を認めてくれる人が、自分の周囲に
どれ程いるでしょうか。

より便利で豊かなものを求める今の社会、一時満足しても、誰かが

自分より勝るものを持っていると、途端に、自分の持ち物が色あせます。
そんな時、新たに満足を得るために、より上のものを所持することを
目指すのでしょうか。

しかし、そんな、イタチごっこのような、比較の社会が広がっているのが

我が国日本でもあるのです。
何をしても満たされない、いつも他人のことが気になり、他の人と同じことか
それ以上のものを持たないと満足できない、物に支配された生活が
いかに貧しく悲しい事であるか、多くの日本人が気づいていません。

なぜなら、マスコミもネットも、あらゆる情報が、私たちに、より豊かな

生活を要求し、さらなる欲望を搔き立てる様にしているからです。
戦後数十年に渡り、私たち日本人は、そんな社会風潮におだてられ
必至に生きて来たのですが、それも、限界を迎えているのも事実です。

日本人は今や疲れ果てています。

心の余裕も安らぎも得られなくなり、ただ、闇雲に、社会の流れに
付いて行くことで、毎日の生活が苦痛となっている人が増えているのです。
これは、所得の有る無ではなく、日本人の生活そのものが、負担となって
私たちの心を疲弊させているのです。

いまだに経済的に豊かになれば、国民は幸せになれると思い込んでいる

リーダーたちは、残念ながら自分たちの生活が恵まれた環境に有ったことから
国民の心が読めなくなっているのです。

たとえ、所得が倍増しようと、それで満足するはずはありません。

お金はいくらあっても人は満足できない様にできているのです。
それより、心がどうやったら豊かになり、本来の思いやりのある日本人の
生活に戻せるかを考えなければなりません。

私たち日本人は、太古の昔から、自然と共に生きてきました。

大自然の恩恵を深く受け、大自然と共に生き、生けるもの全てに感謝し
お互いに協力し合って生きてきました。
この豊かな自然に育てられたことで、日本人独特の心が出来上がったのです。

この心は、現代人の多くが忘れてしまったり、育てる事が出来なくなったことで

様々な苦しみを生むようになったのです。
西洋から入って来た資本主義経済は、確かに、人々の生活を便利に豊かにしました。
しかし、そのことで、日本人は心から満足はしていないのです。

数千年の長い歴史の中で、何が大切で何が心を満足させ、人々を幸せにするか

解っているからです。
その大切な気持ちを育てるのが、他ならない日本の美しい自然なのです。
私たちの祖先が大切にしてきた日本の宝を破壊しただ利用して作り上げたのが
現代社会なのです。

経済的に豊かで便利な事が幸せと思わせたことが、日本人の不幸を作ったのです。

どれ程経済的に豊かになれば国民は幸せになるのでしょうか。
答えは、どれ程豊かになっても、私たち日本人の心は決して癒されないのです。
道路を街路樹で飾り、海辺に街を作り、町中に沢山の花を植えても、
そんな小手先の美しさで人々の心が本当に満たされると思っているのでしょうか。

人間が外見だけで取り繕った自然は、すぐに朽ちて用をなさないのが現状です。

都会が次々に作り替えられて行くように、私たちの周囲の環境は変わっていきます。
殆どの場合が未来へつなぐことはできません。
何百年何千年と繋いできたものを、数年数十年で壊れてしまうものに置き換えて
果たして、私たち日本人の素敵な未来はあるのでしょうか。

無くなれば新たに作ればいいと言うのは、人間の横暴であり、そのことが地球の

環境を大きく変えてしまった原因でもあるのです。
現代の日本に、将来に繋げるようなものがどれほどあるでしょう。
多くが、歴史的建造物であったり、一部の文化遺産でしかありません。

私たちの周囲の環境は、一時の生活の為にあるに過ぎず、私たちが守り育て

未来に繋ぐものは殆どありません。
私たち日本人は、未来に繋ぐ大切な自然を守って生きて来ました。
その為に、多くの人々が協力して、大切に育ててきました。

しかし、今や、人々が協力して守るものが無くなり、刹那的な建物や日常品で

包まれた生活をしています。
こんな環境で、日本人のやさしい気持ちが育つわけが有りません。
家庭環境、教育問題、社会情勢、すべてが、自分だけを守る事しか考えない
日本人を多く生む事と成っているのです。

近年、多く発生する凶悪犯罪、様々な事件が起こるたびに、人々は眉を顰めます。

しかし、自分に関係ない事であり、誰もが、一過性のニュースとしか捉えません。
日本人の多くが、自分に関わらなければ関心を持たないのです。

こんな殺伐とした国を誰が喜び、好んで守ろうとするでしょう。

私たちの住む日本が、本当に私たち日本人が求める国となるには、
もう一度日本人の原点に立ち返り、何が私たちを育てて来たのかを
考える事が大切と思われます。


爪先立ちは、日本を崩壊させる

2016-07-28 17:30:08 | 日本人

ようやく、関東地方も梅雨が明けました。
今まででも数少ない長い梅雨でしたが、その中身は
殆ど雨らしい雨が降らず、関東は水不足が心配されます。
私たち都会に住む者にとって、雨と言うのは、どちらかと言うと
厄介であり、持ち歩く道具が増える事もあって、あまり嬉しくないと
思う方々が多いものです。

この事は、人口が集中する所に住む人たちの共通の感覚とも言えます。

しかし、雨が必要量降らないと言う事は、私たちの未来にとっては
非常に由々しき事態と言えます。
雨が降らないと、私たちにとって不可欠な飲料水、生活必需水が
制限されると言うだけでなく、私たちの食を支える第一次産業の基盤が
損なわれると言う事です。

この事は誰もが解り切っている事なのですが、実際は、何でも手に入る

飽食日本においては、身に迫る事態とは誰も感じないのです。
昔から、無いものは他から手に入れればいいと言う安易な考えで
あらゆる日用必需品が海外からの輸入によって支えられてきた歴史が有り
いまだに、日本人の多くが、日本が世界的に見ても、自立できない国とは
思ってもみないのです。

日本における流通機構は、世界的に見てもトップクラスであり、国内のみ

ならず、世界中から不足分を集める技術に長けています。
そのお陰で、私たちは、何不自由ない生活を送ってこれたのですが、
今の世界に於いて、これほどにも満たされている国は非常に少ないのです。

しかも、この満たし方が、自国の生産性が高い事に依る事ではなく、

多くの部分が他国からの輸入によって賄われている現状が有ります。
これまで、世界には、日本にない様々な資源が多く存在し、その資源を
輸入する事に依って、私たち日本人の生活が成り立ってきたのです。

しかし、近年、世界的な異常気象や資源の枯渇で、この経済形態を維持し

これからずっと未来へつなげる事は不可能となって来ているのです。
それまで、有り余る資源を輸出してきた国々が、乱獲や過剰増産で
輸入する事が難しくなりつつあるのです。

当然、我が国も、手を尽くし、新たにその地に変わる国へ矛先を向け

不足分を補を補おうと考えるも、我が国と同じように資源を必要とする
多くの国々が進出し始め、日本の海外政策はピンチを迎えています。

昔から、国内自給率を上げる事が議題として取り上げられてはいても

実際の増産はままならず、国内外で苦戦を強いられているのが現状です。
いまだ、高度成長期の日本を夢見ている政府関係者や企業は多いのですが、
実は、今や、日本は、実質的には食料資源の無い、ほんの少し世界が
変わってしまえば、一気に生活が変わってしまう国でもあるのです。

この事は、政府関係者のみならず、多くの国民も解っているのですが、

これまで海外からの進出を受けていない、歴史的にも、一国の中の
狭い国情ばかりを考えて来た日本人には、到底実感がないのです。

しかしながら、その非常事態はひたひたと忍び寄ってきているのです。

私たち日本人の多くの危機感は、近年立て続けに発生する大地震に有り
近い将来襲ってくる大地震に関心が強いのですが、地震よりもはるかに
私たちの未来を変えてしまう、経済危機が訪れる可能性が高いのです。

国内での借金は、途方もないものとなっていて、海外への借金は少なくとも

自爆する可能性が高いのが日本経済なのです。
今、日本人の多くは、一生懸命爪先立って、外見的に豊かに見える様に
必至で頑張っているのです。

せめて踵を下し、自分の足で大地を踏みしめ、日本の置かれている立場を

しっかりと認識することが大切です。
この不安定な状態で、更に、高度成長をもくろむ日本の政治は、
いつか下半身から音を立てて崩れないかと、本当に心配になります。


人工頭脳が支配する世界

2016-07-27 17:35:05 | 選挙

もうすぐ都知事選挙です。
はっきり言って、誰がなってもいいのですが、
当選した後、任期の間、どれだけ都民のために
業績が残せ、少なくとも、惜しまれて次の人に
席を譲れることを期待したいものです。

ここ数回の東京都知事に対する期待はずれと

茶番は、どんなに立派な公約を立てようと、
どれ程著名であろうと、何の意味をなさないのです。

今や世界は大きく変わってきているのです。

頂点を極めたリーダーが、民衆を引っ張て行く時代でなく
更には、縦割り社会が物事を決めていく時代ではないのです。
人類の長い歴史の中で、優秀な人材が物事を決め、それを
末端に繋いでいくようなピラミッド社会は、過去のものに
なってきているのです。

選挙で選ばれる人と、それを選ぶ人の差はなく、誰かが

まとめて国政を行って行く時代では無くなって来ているのです。
ネットの発達により、意思の疎通は一瞬にして行われ、あえて
特別な長を作る意味がなくなってきているのです。

多くの人をまとめるのもリードしていくのも、特定の選ばれた

方々でなくとも、全体の意思が瞬時にまとめられる社会が
生まれつつあるのです。
国民を動かすのは、強いリーダーや強い企業ではなく、
人々の思いに答えられる人であれば、誰でもいいのです。

これまで、どれ程の優秀な政治家が国民を幸せにしたでしょうか。

具体的に、国民の期待に応えられた政治家があったでしょうか。
多くの国民から不平不満を受け、しぶしぶ当たり前のことをした
政治家は多くいますが、期待以上の働きをした政治家はいません。

なぜなら、多くの政治家が、口先とは裏腹に、私欲に走るからです。

たまたま、社会的な地位と名誉を勝ち得ただけで、当選した途端
無能になってしまう政治家がいかに多い事か。

強力な独裁者や有能な政治家が生まれたのは、庶民のレベルが低く

彼らに付いて行かざるを得ない状態だから成り立ったに過ぎません。
今や、世界の状況情勢は、瞬時に世界中の人々に伝わり、
どんな出来事も何十億と言う人々が共有でき、知ることが出来るのです。

それまで、強力なリーダーシップや組織がなければ成しえなかった

多くの人々を一気に同じ考えにさせる事が出来る時代となったのです。
つまり、優秀な判断と伝達力が有りさえすれば、世界中を牛耳る事が
出来る時代となって来たのです。

今、一番世界中の人々を興奮させているのが、ポケモンGOという

ゲームです。
世界中に配信されることで、老いも若きも、いかなる国情が有ろうと
いかに争う仲であろうと、同じ気持ちで遊ばせることが出来るのです。
これは、非常に素晴らしい事であり恐ろしい事でもあるのです。

世界中の人々を喜ばせる素晴らしい人材が作り出したものなのですが、

遊びのみならず、世界中の人々が従うシステムを作り上げる程の
人材が生まれたら、その瞬間に世界は変わってしまい、その人たちの
手のひらで転がされる事と成るのです。

この、荒唐無稽の様な事を実際に心配している学者も多いのです。

実は、近年長足の進歩を遂げている人工頭脳がその役目を担う可能性が
あるのです。
今や、人類が考えるはるか先まで考える人工頭脳が作られています。
ゲームとして、チェスなどで戦おうも、世界一のチャンピオンが挑んでも
勝てなくなっています。

数年後には、人工頭脳自らが考え、新たなる行動を自ら取れるようになると

学者たちは断言します。
つまり、私たちよりも優れた人工頭脳が、私たち人類の未来を決めてしまう
という、映画の世界の様な事が現実味を帯びてきているのです。
人類よりも優れた頭脳で、あらゆる分野を進歩される可能性がある反面
無能な人類を破滅させる可能性も無きにしも有らずと言われます。

ここ数年においても、あらゆる企業で機械化が進み、産業ロボットが

殆どの仕事を行っている会社も多くなりました。
全てコンピューターで動かされ、人間がほとんどいない状態で、
様々な製品が高速で作られています。

このコンピューター制御は、人間が行っているのですが、この事さえ

人工頭脳がより的確にスピーディに行う時代が来ると言うのです。
つまり、これまで人によって支えられていた社会的生産が、すべて
機械で行われ、その管理が人工頭頭脳で行われれば、人間の必要性は
無くなってくるのです。

ただでさえ働くところが少なくなって、若者たちの働き口が減っているのに

未来は、とんでもなく人々が働けない時代となってしまうかもしれないのです。
ならば、仕事は機械と人工頭脳にさせて、人間は遊んで暮らせると思うのは
楽観的であり、究極の生産性を求め、無駄を排除する人工頭脳が
私たち人類を無駄と決めたら、その時こそ、私たち人間の未来は無くなるのです。

せっかく選挙で選ばれた人たちが、民意を反映しない、いや出来ないと言うなら

すでに政治家は必要でないとも言えるのです。
人々は、遠く離れていても、瞬時に意思の疎通が出来る世の中です。
何をするか、リーダーを決めなくてもできる時代がやって来るのです。
この、究極に便利な時代が、私たち人類にもたらすのは、一つ間違えば
私たち人類を滅ぼしかねない事も考えていないといけない時代なのです。


現代社会が生む凶悪な犯罪

2016-07-26 16:50:24 | 社会

神奈川県の相模原で、日本の犯罪史上でも類を見ない程の
凶悪な事件が起こりました。
多くの方々が亡くなり傷つき、一体何故、と言う言葉と共に
この事件の背景に、今の世の中の闇の部分を伺わせました。

単独犯の行いとは言え、この事は、今、世界で頻発している
テロ事件と基本的には変わりません。
社会からの抑圧、自己の焦燥感、憎しみ、怒りが個人的であろうと
集団的であろうと、その矛先を弱いものに向けている事に、
変わりはありません。

自分の思いが、人を傷つける事で癒されるとは、到底言えませんが、
私たち人類が、お互いに相手を理解できず、自分の欲望のみに
まい進する社会が作り出した歪とも言えます。

犯罪を犯したり、テロを起こした人たちは、当然許されるものではなく

行ったことに対する裁きを受けるべきなのですが、こういった
犯罪を生み出している原因が、世の中を動かしている人たちにも
ある事を忘れてはならないのです。

特に自由主義社会に於いては、極端な生活の両極化が起こっていて

富める者と貧しい者との差が開き続けていて、繁栄の一方で
深刻な貧困が世界中で起こっているのです。

更には、戦争がこの状況に拍車をかけていて、戦争がもたらした

多くの難民の増大は著しく、彼らの不満が、富める人や国に向けられ
さらなる問題を引き起こしています。

今の日本においても、大手企業における独占が益々広がって

日本中の中小企業がその傘下で苦しみ喘いでいるのが現状です。
豊かで便利な生活を提供するとあって、誰もが幸せになると言えそうですが、
実際は、その見返りとして、膨大なる個人資産が吸い上げられ、
商業的な独裁が行われていると言っても過言ではありません。

テレビやマスコミ、ネット情報は、人々を確実に消費者とし位置づけ

豊かになるどころか、ほとんどの人が日々散財している状態です。
外見的に豊かな生活をしている様に見えて、一生を通じてローンに
苦しめられ、日々の生活に教育に、その支出は収入を上回る状態で
一家の主の所得だけでは賄う事が出来ないのが現状です。

若者は殆ど貯蓄がなく、日々の暮らしもままならず、将来の生活を

考えられないと言う人が多くなっています。
未来の生活も結婚も保証されない中で、ただ増え続ける高齢者を支え
自分の夢さえ持つことが出来なくなれば、日本を支える若者たちは
一体何を目指して生きて行けばいいのでしょう。

いくら働いても楽にならず、自分の存在意味を感じられなくなったとき

多くの争いが起こり犯罪が起こりやすくなるのです。
テロや恐慌のニュースをただ見せられて、多くの人々は眉を顰め
その行為を否定します。
しかし、この原因が今の社会にあり、人々の心の中にある事を
知っていなければなりません。

心を育てる事が出来ない社会、外見的なものや地位名誉でしか

自分を評価できない社会。
煌びやかな都会の実際の姿は、多くの悩み苦しむ人たちが集まり
一時の心の癒しを求めているにすぎないのです。

同じような刹那の喜び笑顔で作ろう事でしか喜びが得られない大都会は

それこそ砂上の楼閣と言ってもいいのです。
人の心が便利なものや経済的豊かな生活に追いついて行かない現代社会は
人の心の中に潜むほんの小さな怒り苛立ちで多くの人々を傷つけるのです。