めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

人類の未来は明るい?

2011-10-26 16:58:39 | 日記
最近日本の四季がおかしい。
季節の移り変わりがあまり感じられず、自然のみならず
我々の生活も季節感が薄らいでいる。
一年中欲しいものは手に入り、自然の移り変わりで生活する
リズムがなくなりつつある。

かつての日本らしい優しい四季の移り変わりがなくなり
荒っぽい天気が人々の心を不安がらせている。
何でも手に入ることが待つことや見守ることの大切さを
失わせている。

文明社会が多様化高度化するにしたがい、あらゆる事が
スピードをもとめられる。
我々はそのスピードに追い付くため様々な努力を強いられ
その程度に応じてピラミッドの社会を作ってきた。
しかしそのバランスは非常に微妙であり脆いものだ。
長い人類の歴史の中で人類が築いてきたそのピラミッドの
歴史は、地球の圧倒的な自然のリズムに包まれてきたからこそ
成り立ってきたのだ。

今われわれはその母なる地球を痛めつけている。
その苦しみはあらゆる自然現象となって我々に警告する。
我々の営みの不自然さが本当の異常事態であることを。
自然は全ての生き物を包み込み育ててきた。
人類だけが自分たちの欲望のみのために繁栄してきた。
我々を包み育んでくれた地球はもう助けてはくれない。
神は自ら助けるものを助けるという古い言葉があるが
我らは何を助けねばならないか、もう一度考える時期
なのかもしれない。

どうすりゃいいの?

2011-10-25 19:49:37 | 日記
原発事故で放射性セシウムが降り注いだ関東一円の汚染地区が発表された。
思ったよりも広範囲でその地域にあたる人々は目に見えない恐怖に
恐れ慄いている。
やっぱりという反面、いまさらどうすればいいのかと未来に不安を感じる。

今年の夏は私事ではあるが、八ヶ岳と南アルプスに行ってきた。
この区域は山梨や長野の県境にあって、連なる山々を縦走する素晴らしさは
筆舌に尽くしがたい。
だが、今度の汚染地図の発表、山梨静岡長野のことが全く書かれてない。
そうか、山の尾根の山梨側は汚染されて長野側は安全なんだ!・・・
なんて事は全くない。誰が見ても考えても絶対ない。
本当に腹が立つ。今やこの区域の人たちは戦々恐々としているに違いない。
日本中が不安になり、ただ数字だけ示す今のやり方に腹が立つ。
人々の心のケアは人々の物的人的な被害は誰が保障するのか。
社会不安を増すだけの短絡的な数字発表はやめてほしい。

本当に知りたい事

2011-10-24 16:00:17 | 日記
放射性セシウム、一年前だったらいったい何人の人が知っていただろう。
この言葉が今やあらゆるメディアから目に見えない恐怖となって報じられる。

しかしながら、その恐ろしさがどんなに報じられようと全く感じられないのは
私だけだろうか。正直なところ政府が科学者がどんなにその危険性を唱えようとも
私の生活はあの時から全く変わっていない。
長い目で見ればいずれ国民の多くに多大な被害が及ぶのかも知れないし、後遺症で
苦しむ人たちが出てくるのかも知れない。

危険な地域から避難させることや生活を制限する事によって放射能の被害を免れるのが
本当に人々を幸せにするのだろうか。
地震、津波、原発事故に遭った人々はすでにこの事実はしっかりと受け止めているのでは
ないだろうか。
彼らが今不幸なのは恐ろしい目に遭ったことではなく、その後の心のよりどころを見つけ
られないことではないだろうか。
見えない恐怖をいくら発表しても誰も幸せにならない。
なぜならそんな環境に生きていかなければならない事実は変わらないのだから。
直接恐ろしい経験をした人たちも情報でしか感じられない多くの日本人も同じ
時間が流れていく。毎日生活をして生きていかねばならない事には変わりない。
誰もが死ぬまで多くの荷物を背負い続けなければならない。
しかしどんなに重い荷物でも、背負って生きていく意味が解っていればどんな人も
耐えていけるものだ。

地震の大きさ、被害の大きさ、原発事故の恐ろしさが人々を不幸にしているのではない。
被災した多くの人々やそれを知って悲しむ多くの日本人の心をただ不安にさせるだけの
政府や報道機関の短絡的報道にあるのだ。

国民を恐怖に陥れて、人々が本当に望んでいる事に気が付かないリーダーはいずれ葬り去られる。
今こそ国民の本当の声を聴くことができる真のリーダーが望まれる。

本当は幸せなんだよ!

2011-10-12 18:10:01 | 日記
今見えているものは誰もが同じように見えているとは言えない。
目で見ているのではなく脳で見ている。
今聞こえているものは誰でも同じように聞こえているとは言えない。
耳で聞いているのではなく脳で聞いている。
今触っているものは誰でも同じように感じているとは言えない。
手で感じているのではなく脳で感じている。

自分の五感で感じているすべてのものが脳で感じている。
毎日生きている実感はすべてが脳の中で感じている。

一人一人の個性は脳の中で生まれている個性。
一人一人の思いは脳の中で創られたイメージ。
一人一人の顔が違うように脳のなかも違っている。

皆と同じ考えや行動が本当は不自然なんだ。
皆と同じ行動をすることは自分にとっては不可解なんだ。
  
でも皆と平和に生きていくためには本当の自分を出さない様に
思ったことを隠さねばならない。
大人になる事立派な社会人になるには自分にも他人にも沢山の
嘘をつかなければならない。

自分の五感で感じる爽快感満足感を知ってるかい?
人は年を重ねると自分の脳の感覚が解らなくなってくる。
だんだん自分がつまらないものに感じたり、もうこの世に
必要ないように感じたりしてくる。
いままで大切と思った目に見えるもの感じるものそのすべてが
無意味にさえ思えてくる。
自分が信じられなくなって何もかも捨ててしまったり、宗教に走ったり
一生懸命すがるものを見つけようとする。

そんなものどこにも無いよ。どんなにお金を積んでも手に入らないし
世界中探したって見つからないよ。

もう一度言うよ。
自分の五感で感じる爽快感を知ってるかい?
探し求めているものは自分の中にあるよ。
皆持っているよ。
生まれて物心つくまでは幸せも不幸も無かったよ。
皆自分の脳で感じていたからだよ。