めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

日本は、平等な社会でなく階級格差社会

2018-03-03 15:53:32 | 社会

人間社会は、人の数だけ生き方が有り、多種多様な世界に満ちています。
私達が知り得ない仕事は、無限と言うほどあり、それに携わる人達の考えは
自分自身の理解力では到底及ばない程無限と言えます。
しかしながら、人間は、この異なった考えを持っていたからこそ、これ程まで
進化し、進歩したと言えるのです。

十人十色と言う言葉が有る様に、身近な人達を見ても、全く同じ考えや行動を
常に行うと言う事は、殆ど無く、不可能と言えます。
誰しもが、自分だけの思いを行動に移し、自らの心と身体を育てているのです。

とは言え、もし、数十億もの人達が、自分勝手に行動したとしたら、当然
人類の存在は危うくなるでしょう。
そこで、それ程にも多岐に渡る考えをまとめ単一化する事に依って、
人々の混乱を避け、出来るだけ、多くの人が利益を得られる様に社会が
作られて来たのです。
家庭教育も学校教育も社会教育も、全てが、分散しがちな人々の思いを
統一する事に依り、安心と安全を確保できたのです。

文明の進歩は、すべからく、人類の生き方の進歩であり、人々の心の
在り方の進歩だったのです。
社会の様々なルールによって、個人的な考えでトラブルが起こらない様にし
人々が協力し合う事で、より、豊かな社会を目指して来たのが、人類の
長い歴史と言えます。

更に、現代社会は、多くの人々の考えを一括し、組織化する事で
豊かな生活が出来る様に考えられて来たのですが、全ての人達に
利益が与えられず、一部の人達の考えで、利益配分の格差が生じ
本来の、人類全体の豊かな社会を目指すと言うのが、一部の人達の
豊かさに限定されているのが大きな問題と言えます。

具体的には、食料やエネルギーが支配者たちに優先的に流れている
と言う事が有りますが、更なる問題は、その他の、恵まれない人達や
隷属的に従っている人達の行動言動が、常に、豊かな人達の生活を
より安全に経済的に豊かにする様に仕向けられている事です。
つまり、大多数の人達の生活は、一部の人達の生活を支える様に
社会が作れている事です。

メディアを使い、一日中、どの様な生き方、生活の仕方をすれば
幸せに成るか、何を食べれば健康で幸せに成るかを提案します。
つまり、消費者としての役割を果たす様に、テレビなどのメディアを
通じて、生き方の洗脳をしていると言っても良いのです。

世の中の流通をスムーズにする為に、何を手に入れたら良いのか
何を食べたら良いのか、様々な手を使って、消費を促します。
テレビを見ても雑誌を見ても、如何に国民に消費を促すか
お金の流れを豊かな人達に常に向けるかが主体と成っています。

子供たちに対する教育も、より、経済的に現体制を維持するかが
目的であり、将来の生活や夢は、結果的に、消費経済国家を維持する
1つの歯車の生産に過ぎません。

しかしながら、経済社会を維持する為の国民の負担は、年々高まり
自らの豊かな生活を作る為と言うより、経済社会を維持するために
国民は、必至に働かなければならない様に成っています。
求められる理想の生活をする為には、提案された有形無形の商品を
求め続けなければならず、豊かな生活とは、多くの商品を買い求める
終わること無い消費生活に他なりません。

国民どうし競わせる事に依り、より多くの消費を促し、その結果は
莫大なる国民の身銭が、連日吸い上げられているのです。
私達の生活は、消費社会を助ける為に在るのではありません。
個人個人の心と身体を豊かに成長させ、納得できる人生を送る為に
この人間社会に存在しているのです。

太古の昔から、多くの人と協力し合って、社会を大きくし、
文化を発展させてきたのは、自分自身の豊かさを増す為であり
協力し合うのも、自分自身を満足させる為に在ったのです。
しかし、いつの間にか、消費経済社会は、一部の人達の利益を
生む為に国民があくせく働かなければならなくなってしまったのです。

様々な商品を多く買い求め、より高価な物を手に入れる事が目的とされ
多くの日本人が、社会的に羨ましがられるものに囲まれて生活しています。
しかし、それらは、ただ、社会的に価値が有るとされているだけであって
決して持ち主の、人間的価値ではなく、どんなに経済的に豊かに成っても
多くの方々からは、妬まれる事は有っても、称賛される事は無いのです。

つまり、便利で、人がその持ち物を羨む様な生活をしても、人々の心は
決して満足は出来ないのです。
となると、更なる高価な物を手に入れなければなりません。
同じような生活をする周囲の人達と競う事が日常の事と成り
より豊かで高価な物を手に入れなければ、ストレスが溜まる事と成り
そのいつまでも欲求不満の生活が人生と成ってしまうのです。

当然、その様な生活が幸せであるはずが有りません。
生活レベルの高い低いに関係無く、消費生活を目的とした人達は
いつまで経っても満足は得られず、幸せを感じる事は無いのです。
そう、日本人の大多数が、欲求不満の生活を強いられているのです。

しかし、この、国民が欲求不満であることが、豊かな人達にとっては
願っても無い条件であり、常に、空腹のコイが口を開けて待っている
そんな状況で多くの商品を売り続ける事が出来るのです。
常に目新しい餌を巻き、消費し続けさせるのが今の日本社会であり
このストレスのたまる生活を更に求めているのがリーダー達と言えます。

経済的に豊かな人達は、有り余るか資金を使って、自分達の欲求を満たし
庶民たちの上に胡坐をかく生活に甘んじます。
ただ、大金を稼ぐ事は良く無いと言っているのでは無く、金持ちであろうと
貧乏人であろうと、自分の欲を満たす事で生きている事に
変わりはないのです。

自分の自由になる金が多いか少ないかだけの事であり、自分を満足させ
欲望を叶えられる事に心を注ぐのは人間の性と言えるのです。
問題は、生活レベルの差ではなく、どんな生活をしていても
自分自身にお金を使える生活が大切なのです。

日本社会が混とんとして、人々が苦しい思いをしているのは、
身銭が全て他の人を豊かにしたり、国の持ち物と成ってしまう事です。
納税は、国民の義務であり、そのお金が私達の生活を豊かにする為に
使われると説明されても、国民の多くは、豊かになると言うのではなく
生きる為の基本的なお金すら搾取されて行く事に不満を感じるのです。

つまり、基本的人権が守られ、生きて行く為の生活が国によって守られず
生きる為の最低レベルの部分を個人で賄わなければならないのです。
個人的な生活レベルの差ではなく、個人の生活レベルが国によって
守られていない事が問題なのです。
生きて行くに有り余る資産が有る人と、生きて行く事すら苦しい人が
多く居る事です。

衣食住を充実させる為の資金が少ないのが国民の多くの実情です。
メディアは、国民に常に上を見させ、豊かな生活をすれば
幸せに成ると言い続けます。
例え、足元がぐらついていても、上を見ていれば幸せに成るとします。
テレビは、連日、豊かな生活をしている人や社会成功者を華やかに紹介します。
何をしたらいいか、一体何を求めたら、その様な生活を手に入れられるかを
繰り返し画面に映し出します。

視聴者は、その豊かな暮らしをする日本人が、自分達の求める姿と思い込み
なけなしの生活費から、外見を取り繕う出費を行います。
街を歩けは、誰もが幸せそうな顔をして歩いています。
美しく着飾り、自分の求める世界に生きていると錯覚します。
しかし、多くの人達は、お互いにその様に思っているのです。

近年、週末や日曜祭日に都会に集まって来る若い人達の財布の中は、
惨憺たるものである事をネットニュースは伝えています。
月賦で買った少し背伸びした洋服と靴で着飾り、大都会を闊歩します。
目に飛び込んでくるブランド店の商品に声を上げながらのぞき込みます。
しかし、何も買う事は出来ません。
友と安い食事をしたら、もう何も買わず、都会の街を歩き回って帰ります。

そう、多くの若者たちの財布の中は、交通費と、食費しか入っていなことが多く
学生に至っては、交通費とペットボトル一本で過ごす者もいると言います。
中には、裕福な生活をしている若者もいるでしょうが、最近の若者や
サラリーマンの懐具合は今年の寒波どころではない様です。

彼らの使うお金で一番多いのは、殆どがスマホ代とも言われます。
社会の流れに付いて行く、友との繋がりを持つ為に、食費を削っても
電子機器に使うと言うのが現状です。

最近、大きな問題となっているのが、子供たちの貧富の差です。
親が経済的に苦しければ、そのあおりを食うのは子供達です。
学校に行く事も友達と遊びに行く事も出来ず、子供のうちから
格差社会の犠牲を強いられているのです。
高級車で送り迎えをしてもらっている子供がいれば、
給食費も払えない子供も多いのです。

しかし、社会の現状をメディアは伝えたがりません。
国も、国民を不安に陥れる様な情報は、出来るだけ控える様にします。
テレビを見れば、いつも幸せな人達ばかりが映し出され、
日本は豊かな国で在ると言う印象を与え続けています。

しかし、今や、日本社会は、家庭レベル、学校レベルから崩壊が始まっていて
大人も子供も未来に夢を抱けない状態と成っているのです。
余りの酷さに、政府すら対策を考える事が出来ず、唯、経済的に豊かに成れば
国民は幸せに成ると、責任放棄の様な発言を繰り返すばかりです。
レンガ作りの立派な建物の中で、口先論議を繰り返している人達は
本当の街の姿を見る事はほとんど有りません。

繁華街から一歩離れれば、都会から少し離れた市町村に行けば、
日本の殆どの街が、死んだように静かであり、人影もまばらで
活気がないのです。
メディアで紹介する観光地を少し離れれば、何処に行っても閑古鳥が鳴く
ゴーストタウンばかりです。これが、日本の現状なのです。
そんな、貧しい生活の中から、生きる為の生活費から大量の出費を
強いられているのです。

多くのリーダー達は、選挙の時だけ国民の方を向いているのですが、
当選してしまうと、豊かな人とにこやかに顔を向ける毎日です。
単に、政治家としてのノルマを果たしていても、本当に苦しんでいる
多くの国民と面と向かい合っていないのが問題です。

リーダー達や社会を牛耳っている企業家の方々が、国民は一人一人
個人的な幸せを願っているのであり、お金持ちが願っている様な
幸せを願っていない事を知る事が大切です。
国民は、単なる消費者ではなく、同等の権利を持った日本国民である事を
しっかりと認識して、自分達の立場で何を成すべきかを考えて欲しいと
かねがね思っています。