めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

新たなる感動を得る為に

2018-01-31 16:03:33 | 新生活

過去10年程、毎日日記を書いています。
日記と言っても、日々の出来事をメモっている程度のものなのですが、
読み返してみると、毎年毎月、殆ど同じような生活を繰り返していて
冠婚葬祭や旅行など、時々、日常と違う事が有るものの、基本的に
同じ生活パターンを続けているだけと言えます。

自分の周囲はともかく、社会は日々大きく変わっているのに、自分自身は
何年と言わず、何十年も変わる事が無いのは、喜んで良いのか悲しんで良いのか
結果的に今の自分が有るから良しとしなければならないのかも知れません。
しかしながら、若い頃から、常に、自分の生活や環境を変えて、より豊かな
人間的にも優れた者となるべきと考えてきているにもかかわらず、一向に
この年になるまで達成されない事に、心から腹立たしく思うと共に、
何と無能なのかと苛立ちます。

しかし、こんな人生とて、他人から見れば、豊かに楽しそうに見えるのですから
人の気持ちは解らないものです。
とは言え、生きて行くと言う事は、自分以外の人と生きて行かなければならず、
例え家族であっても、自分とは違った考えの持ち主であると考えなければならず
自分の一方的な考えで判断できるものでは有りません。

この事は、社会の様々な方と関わり合いを持つと、更なる問題と難解さが伴い
誰もが生きて行く事の難しさを噛みしめるものです。
人間は、しょせん一人では生きて行けないのですが、自我を持って、自らの
心を育てる一方、全く考えの違う他人の気持ちをも理解しなければなりません。

私達人間は、多くの人と一緒に生きて行かなければならない為、如何にこの
他人との関わり合いをスムーズにするかが大きな問題と言えます。
家庭に於いても学校に於いても、様々な事を学びますが、それも、結局
社会に出て如何に周囲の人達と上手く関わって行くかの為の道具であり、
どんなに知識が有っても、経時的に豊かな生活が出来たとしても、自己満足で
人生は楽しくないのです。

この世に生きている意味、存在価値を感じる為にも、周囲の人達が如何に自分を
評価するかにかかっています。
より良い評価を得る為に、社会的地位を上げたり、経済的に豊かな生活を求めると
言えるのでしょうが、自分が満足できる為の努力が、他人いとって満足と成るか
と言えば、むしろ、不快感を与える方が増えるのが現状です。

お互いに利益を得ると言うのが理想ですが、世の中は、一方的な利益で
多くの人々が苦しんでいるのです。
誰もが幸せに成ると言うのが理想と言えますが、現実は、一部の人達が
多くの利益を得る様に出来ています。
つまり、大多数の人の働きは、一部の人の満足の為に在るとも言えるのです。
しかし、誰もが、自分の利益を得るため、自分が満足する為、日々努力をし
切磋琢磨していると思われます。

ところが、自分の人生をより豊かに思い通りにしているのはほんの一部の人であり
殆どの人が、私と同じ、同じ日々の繰り返しと成っているのです。
啓発本を見ると、どれもが、自分を変える必要性を説いていますが、殆どの人が
そんな本を幾つ読んでも、思い通り自身を変える事が出来ないのです。

では、一体、何故変えられないのでしょうか。

この問いを、どれ程長くして来たでしょうか。今年こそはと思う気持ちは、
年が改まる度に沸き上がって来てはいるのですが、その年の師走ともなると
毎年同じ後悔と諦めがため息と共に繰り返されます。
世の中のほんの一部の豊かな人達はともかく、自分自身の納得できる人生を
見つけるには、次の手は、後悔しない手は、と考えてみました。

反省するに、過去何十年も自分を変えようとしても変えられないには、
明らかに自分には変える能力が無いと言う事です。もしあれば、とうの昔に
理想的な生活と成っているはずです。
こうなれば、人の力に頼るしか有りません。
つまり、対策はこうです。
全ての判断をこれまでの考えと真反対に考えて見ると言う事です。
この方法は、かつて、高度成長期によく使われた人生の解決策の一つです。

何故、いつも同じ事を行い、同じ結果を生んでいるかと言えば、
反応パターンが同じだからと言えます。以前と同じ事を行えば
トラブルを生む事は少なく、確実な利益を得られると言えるのですが、
決してそれ以上の結果は生みません。
自分の得意分野は、それ相応の結果を生むとは言え、それ以上の
自分の力は発揮できないのです。

逆に、自分が最も選ばない手段は、リスクがあるかもしれませんが、
それに対応する能力は遥かに残されていると言えるのです。
若い人達が様々な能力を発揮するのは、彼らには、全ての事に対し
チャレンジする余地があり、経験を積む事も、知識を身に付ける事も
無限にあるからです。
例え、大手企業の社長と言えど、その地位に達した瞬間から、それ以上の
地位を期待する事も、それ以上の生産性を期待することも出来ないのです。
そう、誰もが目的を達成した途端、無能に成ってしまうともいえるのです。

能力は、何かを獲得するまで、頑張る事が出来る力と言えるのです。
毎年同じ行いしか出来ないと言う事は、この分野に於いて、私はすでに
無能と成っていて、これ以上進化する事が出来ないのです。
能力を発揮する為には、自分が知らない分野であり、避けていた分野に
あえて自らを晒す事が大切と考えます。

しかしながら、解っていても、リスクが大きかったり、予想が付かなかったりと
未知の分野に飛び込む事はとても勇気が要ります。
この点が、若者や事を成す成功者との違いと言えるのでしょう。
そう、こう考えて来ると、私にとって最大の問題は、新たな事に対する
勇気が足りないと言う事に成ります。

長い人生で身に付けた穏便な生活が、自らの心の躍動感を失わせています。
しかし、沢山の知識と経験は、若者よりも遥かに何をしたらいいかが解ります。
若者のリスクより遥かに小さいのです。
それでも、石橋を叩いてしまう自分がいるのです。
もし、もう一人の第三者である私がいたら、間違いなく、橋を叩かないで、
対岸に飛び移れ!というでしょう。

私たちは、小さいころから勉強を重ね、より社会に貢献出来
経済的に豊かな生活ができれば、人生は素晴らしいものとなると
信じていますが、どんなに豊かな生活が出来ていると言え
その生活が変わらず続くに連れて、次第に心の躍動感は
失われてしまうのです。

誰もが、第三者として考えると、人の人生の良しあしを
自分の生活に照らし合わせて勝手に判断しがちですが、
人の思う優劣に関係なく、誰もが自分の人生に不満を持ち
もっと別の生き方があったのではと思うのです。
その為、経済的な豊かさの有る無いで、人の人生を
判断は出来ないのです。

つまり、いかなる生活をしようと、本人の思いとは
全く関係なく、社会の人たちにとってはどうでもよく
どんなに貧しくとも豊かであろうと、他人の生活には
全く関係ないのです。
勇気をもって行わなければならないというより、
なんのためらいも心配もなく、思うが儘に行えば
その変化に周囲が付いてくるともいえるのです。

結論は、一つ。
何でも、結果はともかく、考えるよりも
動き出す事が、長年経験を積んだ大人には
必要と言う事です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


思い描く人生を生きるために

2017-01-25 16:48:22 | 新生活

久し振りに風邪を引いたみたいで、喉は痛いし、鼻水は出るし
頭の中は、ボーッとして考えがまとまらない。
食べ物の味もおかしい、見ているものに長く集中できず、更には
音楽を聴いても、耳の外で流れている様で、心から遠く感じる。

これらの思いは、当然風邪の兆候なのでしょうが、一番の問題は、
ただ同じ所に座っているだけで、見える物に何も心が動かない。
何だかの理由で買い求めた物、生活必需品が至る所にあるが、
目に映るだけで、そこにあり続けるのを見ているだけな事です。

世の中には、分刻みでスケジュールが決まっていて、一日中
有無を言わさず、専念しなければならない人も多くいる中で、
何の拘束も無く、ただ、時が経つのを、目の届く範囲で眺めている
これこそ病と言えるのでしょう。

風邪なのだからしょうがないと言われればそれまでなのですが、例え
回復していつもの生活を取り戻したとして、果たして、どれだけ
自分の行動が変わったかと言えば、第三者的に見れば、具合が
悪かろうがよかろうが、殆ど同じと言っても良いのです。

世の中にとって、一人の人間が、何をしようと、どんな考えを持とうと
自分に関わらなければ、まるで空気の様なもの、ただ時と共に流れる
風景の様なものです。
誰もが、この風景となって流れて行くのですが、本人にしてみれば
何とか、自分の現状を変えたいとか、もっと豊かな生活をしたいとか
少なからず思っているのです。

しかし、思っていても、現実には、ほとんど変えられず、ただ時が経ち
年を重ねて行くのが、殆どの方の人生ともいえるのです。
自分にとって、風邪を引くと言う事は、一大事であるのですが、
身内にとっては、心配をする事は有っても、しばらくすれば治り
やはり、一過性のものぐらいにしか感じられないのです。

つまり、殆どの人達にとって、日頃の生活も、病に伏した日々も、単に
人生の1ページに過ぎず、その事で、自分の生活は変わるものではなく
風邪を引いた私の人生も変わるものではないのです。

多くの人達にとって、自分の人生は、如何に幸せで変化に富んだもので
在りたいと望ものの、殆どの人は、思いとはかけ離れた、ごく当たり前の
一生を送るものなのです。
何故、望むような人生を送れないのか、後悔は有っても、満足とする人生は
中々送れないのでしょうか。

より優れた学校に通うのも、有名企業就職を目指すのも、根底には、
豊かな人生を歩むためという思いが有るのです。
では、そんなエリートの人生ともいえる路線を辿った人たちは、自らの人生に
満足できたかと言えば、中々自覚する事は難しく、あえて言うなら、その歩みを
認めて湛えてくれる人がいると納得するぐらいです。

私達の人生は、何事においても自己判断が難しく、常に比較対照でしか
良し悪しが決められないのです。
自分が生きている喜びは、何かと比較する事に依って自覚するのであって、
その対照物によって、幸せにも不幸にもなりやすいのです。

その為、比較するものが無くなると、途端に、自分の心は不安定となり、
ただ、時が過ぎるのを傍観するのみとなってしまうのです。
つまり、風邪を引いて、五感が感じづらくなった状態とおなじであり、
心が躍動しなくなってしまうのです。

この比較対象物が、自分の置かれている立場や地位を、どの様に変えるかを
決定し、人生の有り方を決めて行くのです。
風邪を引いたときの様に、感覚が鈍くなってくると、自分が何をすべきか、
判断する事が難しくなってしまうのです。

人生が豊かになるか、幸せな毎日を送れるかは、自分自身のメンタルが
如何に敏感に周囲に対して反応できるかにかかっているのです。
置かれている環境から、自らを動かすためにには、あらゆるものに対する
豊かなセンスが有って初めて具体性が出てくるものであり、どんなに
道具がそろっても、地位や財産が有ったとしても、反応する力を失うと
それらの道具は何の価値もなくなり、自らも動きを止めてしまうのです。

どん底の生活を送ろうが、何でも手に入る豊かな生活をしようが、

自分の周囲に対する反応が無くなった時、自分の人生は滞り、生きる意味や
自分の存在価値を見失ってしまうのです。
年齢、環境に関係なく、本人の身体から五感が消え失せて行くと、人生は終わり
それ以上の新たなる道は開けないのです。




 


五月病に負けないで

2014-04-30 15:20:34 | 新生活

朝からすこし冷たい雨が降っています。
すっかり緑に変わった桜並木も、華やかに咲き誇ったツツジの花も
薄暗い雨雲の下で色を失っています。
狭い日本とは言え、行楽地で天候に恵まれるかどうかは、休み後の
仕事にも影響を及ぼします。
しっかりと遊べて食べて楽しめれば、行き帰りの渋滞が有ろうとも
翌日からは仕事に頑張れると言うものです。

とは言うものの、私の様にこの時期仕事をする者にとっては、この時期は
休めると言うより、仕事相手の休みにより何となく間が抜けてしまって
身体は習慣で働いても、頭はオフといった状態です。
普通どうり日曜日は休んで都内や周辺の観光施設に行ったりするのですが、
連休の日曜日はやはり大混雑に見舞われ、楽しめず早々に帰宅する事も
珍しくありません。

ところで、5月ともなれば、新入社員や新入生がそろそろ新しい環境に慣れて
新たに頑張ろうとする時期でもあるのですが、残念ながらこの時期、夢破れ
戦線離脱してしまう新人も出てきます。
五月病としてニュースにもなるのですが、若い人だけでなく、ベテランや上司も
実は疲れ果ててしまう事も多いのです。

つまり、若い人も先輩たちも、同じ問題を抱えてしまうのです。
様々な理由で精神的に参ってしまうのですが、なかでも、一番多いのが
自分の想像、思いと現実が違っている事に気づいたときに起こりがちです。

学生の時の想像と実際社会に出た時のギャップ、ベテランたちの新人への
過剰の期待が落胆に変わる時、お互いに大きな挫折感を覚えます。

今の社会は自由競争社会であり、より高度で優秀な人材が求められます。
それゆえ、誰もが爪先立ちになりがちで、ちょっと風が吹けばふらふらします。
誰よりも大きく見せようと頑張るが故足をすくわれがちとなります。
新人はそれまで横になってゴロゴロしているような生活をしていて
突然つま先立ちはしょせん無理なのです。

一番理想は、大地にしっかりと足の裏を着けて立っている状態です。
つまり、何処にでも動いていけて、何にでも対処できるのです。
新入社員は時に背伸びしなければならない様な会社を選ぶことがあります。
また、会社側も背伸びした学生を選んでしまう事が多々あります。
おたがいに、五月病の原因となりやすいものです。

もし、不安になったり、ストレスが溜まってきたら、
一度カカトを下して等身大で頑張ってみましょう。
また、先輩方も、過度な要求をしないで、新人の許容量を見極めて
アドバイスしてみましょう。お互いに歩ける高さで頑張りましょう。

それでもダメなときは、膝をまげて身の丈をグッと低くして構えましょう。
同じ身の丈の連中を少し下から眺めると、自分の不安定感が良く解ります。
しばらくすると、足腰のバネで大きくジャンプする事も出来ますよ。