めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

オリンピック開催で揉める人々

2016-11-30 17:07:32 | 日本人

東京オリンピックに向けて、多くの人が、夢を抱き、
数十年ぶりの祭典に、心躍らせていたものですが、
いよいよ準備となった途端、次々に問題が発覚し
本当に開催できるのかと、危ぶまれるほどに揉めています。

一番のショックを受けているのは、この大会を目指している選手と
素晴らしい大会を心待ちにしている多くの国民です。
東京開催となった時、その瞬間をテレビで見ていた多くの日本国民は
誰もが小躍りしたものです。
私が、いまだ鮮明に覚えている前回のオリンピック、国立競技場を歩く
世界の選手たち、そして、ファンファーレと共に、聖火が点される瞬間。
今回初めて体験する若い世代も、かつての感動を知っている私達も
4年後の東京オリンピックは、手放しで喜べる国民の祭典と言えます。

しかしながら、予想はしていたものの、その開催までの道筋は、
急に騒がしく、どろどろとしたものとなって来ました。
確かに、莫大なる資金が必要な事は解っています。
これまで、多くの国で、オリンピックが国の経済に負の影響を与え
終わった後も、無駄な施設となって、経済を圧迫している場合も有ります。

前回の東京オリンッピクの様に、その後の日本経済に良い影響を与えた事で

今回も、国も企業も、その恩恵を期待しているのでしょうが、その為に
国民が不在の所で、巨大資本が動き、国民の血税が使われようとしている事に
繰り返される一部の人たちの欲望と目論見が見え隠れしています。

政治家同士、開催関係者同士のオリンピックをより素晴らしいものとする為の

考えの違いから、様々な部分で激論が交わされている様に見受けられますが、
そのもっともらしい言葉の裏に、開催関連企業からの思いが感じられます。
企業や資本家の影がちらついているのが、言葉の端々に見て取れます。

オリンピックともなると、国を代表する企業が関わって来る事は当然ですが、

それら一部の大企業や関連企業の収益は解りますが、国民の殆どは、
オリンピックを見る事も、施設を利用する事も、ことごとく、利益を得ると
言うよりも、散財するばかりとなのです。
巨大施設を作り、それらを利用する事はあっても、国民が、オリンピックによって
生活が潤うと言う事は考えられないのでしょうか。

国民の生活が年々苦しさを増していく中、社会は益々二極化を成し、

全ての資本は、一部の富裕層に流れる構造になりつつあります。
大手関連企業は生き残りを果たし、個人や中小企業は、一向に先が見えず、
日本全国の企業商業は、大手の傘下にならないと営業が成り立たない様な
とても民主主義国家とは言えない、商業的独裁国家の様相です。

オリンピックは、一人でも多くの国民が楽しみ、国民全てに、娯楽的価値

のみならず、経済的な見返りがある事が大切です。
一部の人たちの金儲けの場であってはならないのです。

今、何故、オリンピックに向けて、一向に歩調がそろわないのか

それは、国民不在の、巨大収益を目論む人達の、我欲によって
揉めているのです。

すでに、オリンピックは、商業的な巨大エンターテインメントと言っても
過言では有りません。

オリンピック施設に掛かる費用とは比べ物にならない程の巨額資金が
動いていて、
多くの金の亡者が取り付いている事は、今に始まった事では
有りません。

オリンピック関連事業に参加できれば、どれ程の利益を期待できるか、
富裕層の欲望は尽きる事が有りません。

とは言え、やはり、選手の感動的なパフォーマンスは、誰に対しても

多くの喜びと幸せを与えるものです。
この、人類に、夢と多くの希望を与えるスポーツの祭典を、一部の人たちの
欲望の対称として欲しくはないものです。

彼らとて、国民の一人であり、国民の殆どが苦しむ社会で、自分達だけが

裕福であることに喜びを感じてはいないはずです。
もし自分の喜びしか関心がないとしたら、残念ながら、裸の王様と同じで
中身は何の価値もない、外見だけの金の亡者としか認められません。

オリンピックに限らず、高度成長期から、この手の日本人が、日本の国を

破壊し、国民を不幸にして来ました。
自由主義国家とは言え、美しい日本の自然も、心優しき日本人も踏みにじり
見せかけの先進国とした彼らの我欲は、これからも、人々の幸せには程遠い
多くの無駄な施設を作って行くのでしょう。

政治家と企業の癒着の結果は、現在の韓国の騒動だけでなく、どれだけ多く

日本国内で問題となって来たでしょう。
しかしながら、その都度、その悪習は絶えることなく、今に続いている事が
多くの日本人にとって、最大の不幸と言わざるを得ません。

毎日、息も出来ない程の通勤電車のラッシュアワーを体験し、殆ど金にならない

残業に心も身体もボロボロになっても、家族を養う為に働かなければならない
多くの国民の思いを、彼らは、全く理解できないでしょう。
世界でもトップクラスの経済大国になったというのは、外見だけであり、
多くの庶民は、この消費経済国家に生きるために、どれ程苦しい生活を強いられ
骨の髄まで身銭を吸い取られている事でしょう。

経済的に便利で豊かな生活が、どれ程、国民を幸せにしているのでしょう。

そんな生活を維持するために、どれ程、多くの国民が苦しんでいるのか
オリンピックで儲けようと思っている輩たちには、スズメの涙ほども感じられ
無いと思えます。

日本は、決して豊かで幸せな国では有りません。

むしろ、国民が苦しみの渦中でもがいているのが現状と言えます。
私達日本国民は、周囲の人たちの事を非常によく考える国民です。
何しろ、如何に、迷惑を掛けないかを、いつも考えている優しい国民です。
例え、火の車であり、一家心中を考えている過程であっても、周囲に対し
その日まで、笑顔を絶やさない国民なのです。

街を歩く人、公共機関を利用して、仕事に学校に出かける人々、そのずべてが

心から叫びたい苦しみを抱えているのです。
そんな、国民の苦しみを癒し、より未来に夢と希望を示すのが、世の中を動かす
リーダーたちの役割なのです。
表情に出す事もためらう程、日本国民は、歯を食いしばり、無表情で耐えています。

私達庶民が、本当に、心の底から笑顔で日本の輝ける未来を語れる時、

日本の社会は、世界でトップクラスの先進国として、胸を張れるのです。
経済力で築き上げた巨大都市、莫大な利益を求めて作られる巨大施設や
オリンピック関連施設は、日本人にとって、張りぼての様に無意味なものです。
地に足の着いた、日本人らしい、豊かな感性を持った幸せな国にするには
いったいどうしたら良いのか、国民の側に顔を向けた政治や事業を行う事が
日本人を、本当に幸せにすると言えるのです。


予想もできない時代が、すぐそこに

2016-11-29 15:39:48 | 日本人

今の子供たちは、本当に、大人になりたいと思って
いるのだろうか。
現実の大人社会を見て、自分が憧れる仕事が有るのだろうか。
テレビのドラマやタレントたちの華やかな生活を見て、
同じような仕事に就きたいと言う夢は有っても、
周囲の大人たちの様な職業には関わりたくないと言うのが、
今の国情を考えれば、正直なところかもしれません。

親とか誰かの傘の下で、生活の事を考えずに生きられたら
それが一番楽で安心と思う子供たちも多いのではないでしょうか。
今の子供たちは、私達大人が思っているよりはるかに敏感に
社会の状況を把握しています。

自分たちが直接加担していないだけに、自由にあらゆる情報を入手し
日本の現状を、大人以上に憂いでいるのです。
しかしながら、これから、生きて来た人生の何倍も生き続けるとなると
如何に現状に上手く取り入って行かないと、今の大人と同じような
失敗を繰り返す事と成ってしまう事も解っています。

その為、無駄な争いは避け、如何に穏便に豊かな生活を生み出していくか、
特別に秀でなくとも、好んで人との関わり合いを望まない現代っ子にとって
自分の生活が守られる事が、最大の幸せと言えるのです。
ネットを通じて情報交換すれば、周囲の人たちと関わらなくても生きて行けて
沢山の人と必ずしも交流しなくても生きて行く術を知っているのです。

その為、アナログの大人たちの、共通の望みや憧れを持つ必要もなく
極めて個人的な欲求を満たす事で、自分だけの世界を築いていく事で
満足をすると言う、全く新しい考えの時代が世界中に生まれているのです。

彼らの頭には、すでに、人間の作る組織、集団、会社、地域、国と言った
区別が全くなく、全て、平面上に置かれた同等の価値観として存在しています。
年齢、学歴、地位、財産と言った、アナログ社会が自分達の生きる目標として
考えていたことが、彼らにとっては、無意味にすら感じるのです。

とは言え、自分達の力で現状を変えようとまでは考えず、自分達と、どうしても
関わらなければならない時には、豊富な情報知識を利用して、上手く対処する
巧みな術を持っています。
形を持たないネット上の会社、従業員が一緒に仕事をしない会社、
役職、経験、地位によって分けられない、一人一人の能力によって
流動的にリーダーが変わる会社と言う様に、従来の社会を創る組織の形が
根本から否定される、これまでにない世界的、革新的な社会が生まれつつ
あると言ってもいいのです。

子供たちは、すでに、自分達の才能を生かす社会が無い事を感じていて、
いまや、ネットを通じて、世界が大きく変わっている時代に生きているのを
実感しているのです。
ちょうど過渡期であって、アナログの世代と、新たなるネットの世代が
新しい時代に向かってせめぎ合っているが現代であり、近い将来、
まるで産業革命の様に世の中が変わってしまうのを感じているのです。

多くの大人が、これまで築きあげられて来た社会が、このまま更に
発展していき、持てる人と持てざる人に分かれていくと考えますが、
どちらの人達も過去のものとなる、まったく新しい、世界を牛耳る
人類の未来をまったく変えてしまう時代がやって来るのです。

今や、時代でいうと、江戸時代から明治に入る事の様なもの。
強烈なカルチャーショックを伴う時代が、もうそこまでやって来て
いるのです。
ひょっとすると、人工頭脳に世界中の人々が支配されてしまうかも
知れません。
また、何かのはずみで、新たなる第三次世界大戦が勃発して、
世界は、またもや地獄の日々を迎えるのかも知れません。
更には、科学者が予想するように、異常気象がついに人類を滅ぼし
地球上の生命を一掃してしまうかも知れません。

いずれにせよ、私達の多くは、すでに、過去の時代の人間であり、

歴史の中の旧世代に位置付けられているのかも知れないのです。
今や、日本においても、世界においても、過去の予想が、全く
覆された時代に生きています。

巨大地震も、原発事故も、異常気象も、予想を遥かに超えて

しかも、頻繁に起こっているのが恐ろしい事です。
20世紀は、ある程度予想が付く時代でした。
しかし、21世紀となって、私たち人間の予想外、想定外の
様々な出来事が、次々に起こって、今後、何が起こっても
不思議ではない程の、人知を超えた時代となっています。

とは言え、私達と全く違う時代となっても、子供たちが
心から納得して幸せを感じる時代が訪れて欲しいものであり、
少なくとも、人間と自然が共存できる時代となって欲しいと
旧世代の人間として思うものです。

 


弱者が幸せと感じる社会

2016-11-28 16:07:28 | 日本人

果たして、今の高齢者は、幸せなのでしょうか。
確かに、年金をもらい、それまでに働いた財が有ったとして、
日本の高齢者は、満足した生活をしているのでしょうか。
経済優先の日本社会い於いて、生活が守られ、経済的に豊かで
有り際すれば、幸せと言えるのでしょうか。

多くの高齢者が、暇な時間を利用して、観光旅行に出かけたり、
美味しい物を食べに出向いたりと、一見、悠々自適の生活を
謳歌している様に見えますが、経済的に満たされているからと言って
本当に幸せと言えるのでしょうか。

人生を長く過ごして来た高齢者が、世界中を旅行したし、なんでも
食べたいものは食べて来たし、欲しいものは手に入れたと言いながら、
虚無感に包まれている方が少なく有りません。
死ぬまで、衣食住に関して何の問題もないのに、今は幸せでないとは、
いったいどういう事でしょう。

見たことのない物を見たり、食べたことのない物を食べたり、
行った事のない土地を旅する事は、誰にとっても楽しく夢の様な
生活です。
しかし、実際に、その様な生活が出来る方は、全て幸せかと言うと
むしろ空しさの方が大きいと言う方がいます。

殆どの庶民は、経済的に豊かな生活が出来て、将来を不安視する事無く、
何でも手に入る生活は憧れです。
それ故、より豊かな生活を望むのでしょうが、豊かな生活をする事で
幸せになれないとなったら、一体何のために苦しい生活をしているのか
解らなくなってしまいます。

しかしながら、それ程にも豊かでないとしても、仕事をリタイアして、
老後の生活を謳歌している高齢者たちは、想像していたよりもはるかに
退屈で、おもしろくない生活を送っている方々が多いのです。
日本の経済が上向けば、世の中は良くなるはずと、息を荒げるリーダーは
何をもって幸せとしているのでしょうか。

高齢者の一番の不満は、一体なんでしょうか。
と言うより、今の日本人の不満は何なのでしょうか。
より経済的豊かな生活を幸せと思っていても、もっと豊かな人がいると
自分の幸せはすぐに色あせ、さらなる幸せを求めて、あくせく働く。
そんな人生の末路には、豊かになっても幸せに感じない日本がある事が
一番の問題なのです。

私達日本人は、世界で最も感性が発達している民族と言っても過言では
有りません。
対人関係に於いても、自然環境に対しても、様々な環境に対して、
非常に敏感に反応し、その感覚の中で、日本人としての心を育て、
家族を育ててきました。

欧米人が、虫の音や草木の風に揺れる音を雑音としか感じないのに
日本人は、あらゆる生物、無生物に魂を感じ、心を時めかせます。
食に関しても、自然の風物をそのまま料理に取り込んだことは、
如何に私達日本人の感覚が多岐に渡って豊かなのかが解ります。

この感覚は、日本列島に古代人が住み着いたころから、数千年に渡って
大自然と共に育てられて来たものであり、ここ100年そこそこの
欧米からの経済思想とは、比べ物にならない程の、心の奥深く
刻まれた日本人のルーツとも言えるものです。

更に、私達日本人は、他人にたいする感性も非常に豊かであり、
自らの感覚以上に、相手の思いを察し、如何にお互いが幸せに
豊かに暮らせるかを考えて生活してきました。
誰かに勝る事を良しとせず、お互いの立場をしっかりと理解して、
和をもって尊しという理念が根付いているのです。

しかし、近年の日本は、明らかに、日本人の心と逆行した、
荒っぽい、外見のみを重視した社会となってしまいました。
人々は、国策に応じて、生活を豊かにする事、地位、財産を高め
人より秀でる事を良しとする社会に苦しむ事と成ったのです。

生きて行く為には、日本社会のルール、社会システムに則って
小さい頃から誰よりも秀でる様、蹴落としても上を目指す事を求められ
周囲がどの様に思おうが、結果を出せば認められると言う、日本人には
馴染めない社会に従わなければなりません。
その為、様々な所で対人的トラブルが生まれ、そのことが、人々の
心と身体を傷つける事と成ったのです。

高齢となって、何もかも手に入ったとしても、手に入れられなかったもの
それは、日本人らしい人間関係です。
もちろん、生活に苦しむ高齢者とて例外ではなく、世の中の厳しさを、
対人関係に感じるのです。
高齢になっても、人と競う事しか幸せを得られず、より豊かな生活で
幸せな余生が得られると思っても、実際は、寂しい毎日を過ごしている
日本人が実に多いのです。

高齢になると、若い人に憧れ、更には、自分の孫となると、可愛さが

一層増すものです。
特に、まだ、自我の形成がない幼子は、目に入れても痛くないと
言われる程に感じるのは、純粋無垢な感情が、年寄りの思いをそのまま
受け入れてくれて、高齢者の癒されない心を満たしてくれるからです。

また、空前のペットブームも、同じような理由でもあるのです。

高齢者は、自らの気持ちを受け入れてくれる対象を求めているのです。
損得勘定を抜きにして触れ合ってくれる存在が欲しいのです。

お金が有れば、何でも手に入り、どんなことでも融通を付けてくれる社会は

裏を返せば、お金がなければ、見向きもしてもらえません。
現代社会は、すべからず、経済的なやり取りでしか動かず、地位や名誉や
財産を抜きにして人々がやり取りをする環境が少ないのです。

ほんの数百年前まで、私たちは、大自然に、万物に神が宿ると言う生活を

していました。
そして、対人的には、人間関係を最も重視した、心豊かな生活を目的とした
人生を送っていたのです。
今の時代より、はるかに不便で物のない時代であっても、人々の心は、清く
美しく、何事においても、心から深く感じる事で喜びと幸せを感じていたのです。

いったい、今の老後に、この心豊かな生活が有るのでしょうか。

便利な製品に囲まれ、何でも手に入れられ、何処にでも好きな所は行ける
経済的に豊かな生活は、本当に、人々を幸せにしているのでしょうか。

平和な社会とは、高齢者や幼子、身体の不自由な人たちが幸せで在る社会と

言われています。
しかし、年を取っているから、幼いから、身体が不自由だから不幸なのではなく、
彼らが、健常者たちや若い人達より劣っているから不幸とする社会が
不幸なのです。
経済力がない事を不幸とする社会が不幸なのです。

人は、生きている間、様々な環境にあって、それぞれが、特異な人生を送って

人生の終末を迎えます。
まだ、社会に貢献できない子供のころから、家庭を持ち仕事を持ち、働くことで
貢献できる時代を経て、老後を迎えます。

しかし、どの時代においても、一人の人間は、変わることなく、心と身体を育て

様々な感情を持って生きて行くのです。
健康な時も病める時もありますが、生きている限り、心は変わらず成長して
人々の間で生きて行くのです。
その為に、勉学が有り、仕事が有り、人生が有るのです。

経済性は、あくまで手段に過ぎません。何をもって目的とするかによって、

その人の価値が決まって来るのです。
少なくとも、人として、人と関わり、人の中で生きて死んでいくのです。
そんな中で、最も大切な事は、人の中に居る事の幸せを感じる事です。
現代は、人から感じる幸せを得られ難い時代なのです。

物をもって変えようとしても、しょせん手段では、心は満たされず、

高齢ともなれば、人生の空しさを感じてしまうのです。
問題は、高齢になった時ではなく、若い頃から、人の中で育てられる環境が
日本から失われている事です。
人と競って勝つ事を求められる人生を送っていれば、いずれ、社会に居ても
人を感じることが出来ず、大都会に住んでいても、独りぼっちであることを
自覚してしまうだけなのです。

今や、日本は、空前の清潔潔癖ブームです。

あらゆる商品が無菌状態を求められ、除菌製品が飛ぶように売れています。
それに伴い、人々の生活の中で潔癖症の人々が増えていて、何も触れられない
生活の中にストレスを溜め続ける若者も増えています。
更に、問題は、対人恐怖症の人も多く、人と接する事が苦手な若者も
少なく有りません。

社会のシステムが、益々経済性を求める中で、人々は、自分以外の物に

感性を育てる事が出来なくなっているのです。
日本人は、人だけでなく、あらゆる自然物に五感で触れる事に依って
心を育てて来ました。
様々な気持ちや仕組みを身体で触れて感じる事に依って、心の安静を図り
日本人らしい繊細で豊かな感情を育てて来たのです。
しかし、今や、あらゆる事が、日本人とは逆行しています。
日本人としての本当の幸せは何なのか、その答えが見いだせる社会を創れるかが
今のリーダーに求められる最大の能力とも言えます。


日本人の幸せ

2016-11-26 13:34:11 | 日本人

今や世界は、ネットを通じて、誰もが簡単に繋がり
ありとあらゆる情報が手に入ります。
街を歩けば、人々が欲する魅力的な商品があふれ、
望む物が何でも手に入る時代となりました。
もちろん、それなりのお金は必要となるのですが、
現代社会は、欲望を満たす様々な物で、人々は包まれ
生きているのです。

これ程魅力的な時代に生まれて、さぞや、人々は、幸せで

未来に夢を持つ生活をしているかと思われるのですが、
実際は、何もなかった時代よりも、はるかに、心が渇き
満たされない気持ちで苦しんでいる人々が多いのです。

なぜなら、多くの人々が、自分が望む物が手に入らないで

常に、羨望の気持ちだけ膨らませているだけなのですから。
すると、この原因は、生活が苦しく、望む物を手に入れられない
経済的に苦しい状態だからと考えがちですが、現実は、
経済的に豊かになった人々ですら、いつも心が満たされず、
餌を求める金魚の様に、常に、水面に向かって口をパクパク
動かしているのです。

つまり、経済的に豊かでないから、貧乏だから、心が満たされず

苦しい生活をしているというのではなく、自分自身の心を
満たすものを見失っているから、いつまで経っても落ち着かず、
自らの姿すら見えなくなっているのです。

この原因は、もちろん本人にもありますが、やはり、現代社会が

消費経済国家であり、常に、経済性と新たなる欲望を満たす事を
目標とさせる様に仕向けられているからです。
テレビやマスコミのコマーシャルは、常に新製品と効能を謳い
人々に新製品に対する欲求を促します。
その結果、常に満足する事無く、新たな物を購入し消費すると言う
消費経済が成り立っているからです。

確かに、日々進歩する社会は、豊かで便利であると思いがちですが、

常に、物によって心を満たしていく生活は、社会の発展には良くとも
個人の心は、一向に成長せず、自分自身の心を深く満足させると
言う訳には行かないのです。

自分の満足の対象が、社会的経済的な部分に在れば、いくら素晴らしい

便利なもの、高価で誰もが望む物であろうと、沢山の豪華な衣類を
着込んでいる様なもので、本人の価値ではなく、自分自身も外見も
不自然さを感じるものなのです。

今や、日本人は、先進国の便利で豊かな生活に浸っているものの、

心の中は、全く成長せず、世界からは、物欲、金銭欲が目立つ、下世話な
国民と見らているかもしれないのです。
どんなに経済的に豊かな国になったとしても、札束でほっぺたを叩く様な
成金的な日本人にはなりたくないものです。

ネットの発達により、今や、若者達は、ほぼ100%が携帯電話やスマホを

持っていて、多くの人との繋がりを持っています。
中には、数百件のネットで知り合った人がいて、その繋がりは
驚くほどですが、さらなる驚きは、この99%が親友と呼べる人では無い
という事実です。
ただのメール、ライン友達であり、ほとんどすべてが心の内を話し合うと言う
間柄ではないのです。

では、社会人であったり、中高年であったりすれば、それなりの深い繋がりの

友人がいるかと言えば、その数は、同じく非常に限られるのです。
お互いが、自分の欲を満たす時の対称であっても、お互いに本音で語れる相手
と言える人は殆どいないのです。

つまり、今や、日本人は、非常に狭い国の中で、様々な環境で肩を触れ合いながら

密接した生活をしていても、心の中は、いつも、孤独とも言えるのです。
その孤独を癒すために、華やかな都会や生活を求めるのでしょうが、一時的に
楽しむだけの相手と集う事が有っても、終われば、まるで祭りの後の様に
寂しい孤独な毎日を送っている人が実に多いのです。

特に問題は、高齢者の孤立化です。

社会的にリタイアした後、社会や家庭における存在が懸念されてくると、
次第に心の闇が広がり、ただでさえ先が短い人生、多くの高齢者が
深い孤独に陥っているのです。
例え、老人福祉、医療を国が完備したとしても、心の中の闇を取り去らない限り
高齢者は、死ぬまで幸せを感じることは無いのです。

日本人は、持ち前の勤勉さまじめさによって、世界でも稀なほどの近代国家に

成長しました。
しかしながら、その華やかさとは裏腹に、人々の心の闇は広がり、
多くの日本人が、自分の存在価値や意味を認められず、常に、排他的社会に
怯えながら、必至に生きているのです。

私達は、そもそも、物の豊かさと心の豊かさを、しっかりと分けて考え

人との関わり合いを大切にして生きて来た民族です。
如何に、心が豊かで他人を幸せに出来るかに価値観を見出して来たのです。
我欲を満たすことを目的とした人生を否定する歴史がありました。
より人間として大人として成長する事に、人としての価値を感じて育って
来たものです。

しかし、そんな私達の心を荒げる社会構造が、日本人を不幸にしてしまったのです。

経済的に豊かになるならば、それ以上に、日本人の心を豊かに幸せにする政策を
考えられなかった近年のリーダーたちの失態は、大きく負の遺産として今後も
未来の日本人を苦しめて行くのです。
そもそも、経済性だけを重んじるリーダーを選んできた私達日本国民の甘さが、
根底の問題でもあるのですが、日本人が、今後、本当に幸せな民族となる為には
国民すべてが、本当の幸せとは何かを、もう一度自らに問いかける事が
一番重要な事と思えます。


トラブルを避ける、本音の付き合い

2016-11-25 16:16:11 | 日本人

私たちが、対人的にトラブルを起こす時は、ほとんどの場合、
相手の事を考えないで、自分の考えだけで物事を決めようと
する場合です。
この事は、家族間においても、学校の中でも、仕事をしていても、
お互いの気持ちを考えないで行動をしたり言動を行う事で、
様々なトラブルが生じます。

この背景には、もちろん、人間の我欲があるものですが、
より自分にとって楽しい豊かな生活を送ろうとすると、
周囲の人々の状況や気持ちい配慮が足りず、欲望のままに
行動する事で、思いがけない争いになったりします。
この事は、人類が生まれてこれまで、どの時代においても
人の生活に付いて回るものであり、国々の戦争で在れ、
個人的な諍いで在れ、原因の根本を成すものです。

しかしながら、この人類の悪癖が、今や、地球規模なトラブルを生み
地球上の多くの生き物に多大なる悪影響を与えているのです。
人類が生きて行く為に、地球の資源を利用してきたのですが、
その際、私たちが生み出した様々な汚染物質が、地球の環境を変え
私達人類の将来すら不安な状況となっています。

とは言え、私達人類が、地球で最も栄えた生物となり得たのも、
この絶えることない欲望が有ったからでもあります。
様々な文化、科学技術の発展は、人類が生きていく上で、
より豊かな生活をする為に考えられて来た事であり、
その思いの強さが、人類の繁栄に繋がって来たのです。

しかしながら、近年の世界情勢は、欲望の達成の仕方が
いささか荒っぽくなって来ているのが問題です。
一方的な考えで、多くのテロが起こり、様々な国や地域で
多くの人々が殺戮の渦中にあります。
お互いに理解し合い、トラブルを防ぐと言うより、
力を持って自分の考えを押し通す、極めて、野蛮な
非人道的な行為が行われています。

テロとまでも行かないまでも、国家間の力関係も、
対話による友好的な解決と言うより、軍事力を持って
威嚇するような、きな臭いいざこざが多くなっています。

世界的に資源が不足し、多くの人々が生活苦に見舞われ
異常気象による凶作が世界的に起こっている事で、
多くの国と地域で食糧危機となっています。
この事は、日本とて例外ではなく、食料自給率の低さが
いつ食料不足で国民を苦しめる事態となっても、不思議では
無いと言えるのです。

かつて、日本の海は、豊かな漁場が広がり、芳醇の海として
世界的な漁獲高を誇っていました。
しかしながら、それ程にも豊かな海も、沿岸は工業化により
海洋汚染が広がり、漁場は、乱獲による漁獲高減少と
成りました。

資源が有れば、有るだけ取り尽くすと言うのが人類の地球に対する
長い間の行為でした。
しかしながら、今や、あらゆる資源が不足し、私達が生きて行く為の
食料すら不足する事態となっているのです。

この事は、対人的なトラブル原因と同じく、私達人類が犯して来た
地球に対する強欲の表れでもあります。
対人関係と同じく、地球の事を考えないで、自分達の欲望のままに
資源を取り尽くし、枯渇を招いてしまったのです。

私達人類は、地球を支配する程優れている様で、実は、自分の欲望すら
コントロールできない、地球にとっては、相応しくない生物と言えます。
捕食動物は、自分のお腹が一杯になれば、それ以上は、無駄な殺生は
しないのが普通です。
地球のあらゆる生き物が、食物バランスを保つように生きているのです。
そのバランスを壊してしまったのが、人類なのです。

食べると言う、基本的な本能で在れ、食料を食べつくす事の意味を
いまだに解っていないのが、人類が、決して、地球上でもっとも
優秀な生物とは言えない理由でもあるのです。

私たちが、日常的に起こすトラブルも、動物達にはほとんど起こらない、
必要以上の欲望から生まれています。
求める事はあっても、与える事を考えない、エゴイズムの塊の様な感覚が
人類の未熟な部分でもあるのです。

私達人類の不幸は、必要以上に欲望を満たしたことから始まっています。
多くの搾取は、沢山の怒りを買い、一方的な利益は、憎しみと妬みを生み
家庭においても社会に於いても、人々に悲しみと苦しみしか感じさせません。

現在、日本中で起こっているトラブルも、お隣韓国で起こっている問題も
その根っこは、人の心に巣くう欲望という我欲が原因なのです。
何故、日本国内は、なかなか不況から脱しないのか。
人々の生活は豊かにならず、苦しみばかりが募っているのか。

この原因は、まず、この国を動かしている人々や政治家たちの
一方的な欲望を満たす政策が続いているからです。
どんなに税金を徴収しようと、経済を活発にさせようと、
目的の第一に、現在の日本を動かしている人々の生活を豊かにする事を
前提にしている政策が成されているからです。

表向きは、国民の生活を豊かにすると言う文言が並べられようと

その前に、一部の富裕層の生活を豊かにするための基本方針が
政治家との間にあるからです。
この事は、戦後、全く変わらない日本経済の基盤であり、国民は
生活が豊かな人を守るために在ると言っても過言では有りません。
もし、そんなことは無いと言うなら、庶民はずっと以前から
笑顔の生活を続けているはずです。

この社会構造の一例が、今、国中が大騒ぎをしている韓国の状況です。

大統領と言わず、リーダーたちの大手企業との癒着は、
今に始まった事ではなく、この事は、日本社会に於いても
何だ変わりは無いのです。

ただ、発覚していないだけであり、豊洲市場の地下の有害物質と同じで

東京湾に有る干拓地の、何処を掘り返しても出て来るものなのです。
政治と言う物は、本来、多くの国民を幸せにする為に、国民の代表が
民意を反映させ、自分達の欲望を抑え、まずは、国民の生活を向上させて
行うことが目的でした。

しかし、その地位を利用して、甘い汁を吸う輩が後を絶ちません。

自分達の生活を豊かにしてもらおうと選んだ政治家が、私欲に走るのは
私たち国民の見る目がなかったと言うより、人と言う生き物の、
完成度の低さが伺われるものです。

裸にしてしまえば、哺乳類の中でも、稀に見る貧弱さと醜さであるのに、

その醜さを隠す、地位や名誉、財産を身に付けた途端、その衣の価値を
自分の価値とする愚かな生き物となってしまうのです。
今や、アメリカの新大統領と如何に渡り合い利益を得るか、国民の為
というより、自分達の立場を考えているお偉い輩も多いでしょう。

しかし、欲望を持って政治にあたれば、いずれ、より大きな欲望に

取り込まれるか見捨てられるか、足元を簡単にすくわれる事になるのです。
人の欲望の強さは、弱さの表れでも有ります。
身ぐるみを剥がれれば、大自然で生きていけないのが人類です。
一人で生きていけないのも人類です。

それ程にも弱いから故、外敵から守る様々な衣を欲しがると言えるのです。

しかし、その弱さ故、その弱さを理解されると、心を開くものです。
お互いの心を満たす関係を築けるかが、個人的にも国同士であっても
最も大切な関係と言えるのです。