めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

えっ!この暑さで冷蔵庫が使えない!?

2018-07-25 14:11:42 | 帰省

久し振りの帰省は、様々な発見をするものです。
都会にいると見えなかった星空に驚き、手が届くところに様々な種類のセミが
声を競っています。暑さで、蜃気楼の様に揺らぐ砂利道の上を、トンボが行き交います。
明らかに、特別の時間が流れている様で、当たり前の様に思えている都会の喧騒が
決して私達の身体を癒してくれないものだと感じさせられました。

正月に帰省した時に比べ、庭の草花は深い緑の中にあり、早朝からの気温の上昇で
折角の庭の風情も、あえて足を踏み入れる事をためらわせます。
広い田舎の部屋の作りは、クーラーで冷やすのは効率的とは言えず、家族はいつも
6畳ほどの部屋に集まり、身体を落ち着かせています。
とは言え、いつもその部屋にいるわけにもいかず、別の部屋へ行ったり、トイレに行ったり
家事をしようとすると、一気に熱帯の熱い風に晒される程の暑さです。

所で、今回は、父が、少し元気がないから顔を見に帰ろうと言う事で急遽帰省と成ったのですが、
思いの外元気で一安心しました。
しかし、二人共90を超えた高齢者とあって、普段の何でもない様な作業でも身体が思う様に
動いてくれない様で、二人で協力をし合っているとはいえ、家の隅々まで注意が行くわけもいかず
何か月も入らない部屋が有ったり、掃除が行き届かない場所は、まるで廃墟の様に汚れたままです。

冷房の入った部屋は過ごしやすくとも、一歩外に出れば、たとえ部屋の中でも32度を超えていて
こんな環境でよく頑張っているものだと感心させられますが、二日ほど滞在している間、思いがけない
事件が発覚して、帰る間際まで、その処置で大変でした。

帰省した当初から、何となく気づいていたのですが、冷蔵庫があまり冷たく有りません。
扉を開けば、暑い台所に置いてあることから、冷気が感じられるはずなのですが、二日目になって
妻が異変を感じました。
冷凍庫の氷が解けていて、冷蔵品が全て解凍状態と成っているのです。

慌てて、全ての引き出しや扉を開けてみても、冷蔵庫から流れ出るはずの冷気が感じられず、
まるで、氷の塊を入れて冷やしていた昭和初期の冷蔵庫の様な状態です。
しかし、両親は、のんびりとしたもので、この状態でも冷蔵庫は大丈夫だと言います。
タナの奥の食品の食べ残しなどをすべて出してみると、その多くが変質し、中には、見事に
カビで覆われている異物も出て来ました。
いつからこの状態であったのかは解りませんが、この異変に気付く事無く、この暑い夏を
過ごして来たと思うと、ゾッ!としてしまいます。

早速、新しい冷蔵庫を手配しながらも、東京に帰る時間が迫って、本当に慌ただしい帰省と
成りましたが、それでも、久し振りに両親の元気な顔を見られてホッ!としました。
しかしながら、我が家だけでなく、今や日本中で、こんな老後を送っている人がどれ程居るか
大家族で見守られている高齢者もいるでしょうが、高齢者同士、また、一人で老後を過ごす方は
どれ程居るかと思うと胸が詰まる思いです。

高齢者福祉対策を講じているとはいえ、日本全国の高齢者が、安心して健康な毎日を送れる日は
まだ先の事と思われます。
例え身近に誰かが付いていると言え、身体だけでなく心のケアまで行き届いた福祉政策が
一日も早く充実する事を望まざるを得ません。
高齢者だけでなく、日本に於いては、若い人達を含めて、弱者対策の遅れが目立ちます。
見た目の豊かさや外見的な対策だけでなく、一人一人が自分の未来に希望と夢が持てる
本当に豊かな日本になる日が来ることを心から願いたいと思います。

帰り際の、両親の切ない表情は、今の日本が高齢者だけでなく、全ての国民に対して
安住の地に成っていない事を感じさせます。
働く若い人達も、家族を持ちたくとも、様々な障害に阻まれ、新たなる一歩が踏めず、
苦しんでいます。幸せな家庭を築く夢が当たり前に持て、一生を通じて、家族と
親しい人達と絆を深める事が出来る社会が本当の幸せに繋がると思えます。

 

 


心の絆を確かめられない日本人

2016-01-05 14:47:08 | 帰省

昨年末、慌ただしく仕事を終え、夜行バスに揺られ田舎に変えると、
そこには、年老いた両親に、一年ぶりに帰って来た子供の姿を見て、
喜びと共に、長く離れて暮らしていた寂しさがにじみ出ていました。

子供達は全員故郷を離れ、それぞれが遠い地で生活を営む事は

決して珍しい事ではなく、私の両親と同じ様に、田舎で年寄り同士
または、たった一人で、余生を暮しているケースはかなり多いと
思われます。

確かに、福祉政策が進み、日本の高齢者に対する援助の手は

確実に伸びていて、田舎と言えど、様々な設備が整っていて、
高齢者たちは、身内の世話を受けることなく、それらを利用する事で
老後の生活を営む事が出来る様になったのですが、どんなに素晴らしい
施設やサービスが整ったとしても、身内による介護や、見守りからしたら
高齢者たちの心の安心感は程遠いと言えます。

今の社会、就労者も引退した高齢者も、どちらも、不安な生活を送り、

未来に夢を持てない時代となっています。
若者たちは、刹那な喜びに興じ、つかの間の喜びに心を癒す事を
強いられ、未来を夢見、しっかりとした将来の設計を心に描く事を
許されない、本当に辛い時代となっています。

表向きは、一部の成功者や高額所得者の築く社会を見せ付けられ、実際は

殆どの人が、ただ毎日の生活に明け暮れているのが現状です。
アメリカに於ける経済を支配する人々の数は、全人口のほんの数%で
殆どの人々が低所得者となっている事実は、日本が置かれている現状が
その後を追随している様で、これからの日本が、本当に豊かになるとは
言い難い事が心配です。

東京には比べものにもならない私の田舎も、都会で見られる大手資本が

次々にオープンし、土地の人々は、その関連会社に就職する事が
多くなっています。
また、その反面、昔ながらの商店は殆ど消えてしまい、田畑を耕す農家と
昔ながらの住居、そして、新興住宅地に、都会と全く同じコンビニが並ぶ
一体何処の街かと思ってしまう程の変貌ぶりです。

今や、日本中の街が、長年培われたその土地々の個性が無くなり、

単に、都会の大手資本のアンテナショップ化しているに過ぎません。
また、マスコミによる情報は、それらの店舗類を利用する事を頭に焼き付け
同じ町内にあっても、他の商店からの購入を控えさせる原因ともなって
増々、町の衰退化を助長しています。

本来ならば、家族は一か所で生活をし、各世代が助け合って生活してこそ

家族の絆や思いやりが生まれ、子供達も、高齢者に対する接し方を学び
社会全体の世代間の交流が生まれるのですが、一緒にいたくてもいられない
家族を作ることが難しい環境が多くの日本人の心を重くしているのです。

福祉を充実し、年金を確保して、お年寄りが楽に生活できる様にとする

今の日本の政策は、一見、高齢者たちにとっては素晴らしい様に思えますが、
人として一生を生きて行く事に大切な心の絆を育てる環境を無視した、
極めて一方的なお役所仕事としか思えません。

人は、本来、集団で生き、集団でお互いの気持ちを察し成長していくものです。

社会の機能性の為に、家族が分断され、その後、分裂した同士がなかなか
近づく事が出来ず、御互いの環境ばかりを良くしていくだけでは、いずれ
この様な問題が多く生まれるのは、少し考えれば解かったはずです。
しかしながら、日本を動かして行く方々は、残念ながら、自分のエゴにしか
目も心も動かず、結局は、多くの人々を見捨てる様な社会を作ってしまったのです。

日本人は、世界的に見ても、御互いの事を考え、人の気持ちを察する民族です。

それは、集団で生きる時に、いかに、御互いに幸せになる為にはどうしたら良いか
長い歴史の中で培われた、礼儀であり作法であったのです。

今や、人々の生活は分断し、そんな気持ちを持つまでも無く、自分の生活にしか

目を向けない、自己中心的な人々が多くなりました。
本来なら、学校で教えなくてもいい、家庭内での教育がなされず、子供たちの心も
殺伐とした乾いたものと成りやすく、様々な事件を生む要因ともなっているのです。

日本人は、家族のみならず、周囲の人とも接触を嫌い、情報により多くを判断し

直接的に人の心を察する能力が無くなってきているのが心配です。
どんなに、ネットにより世界の情報が瞬時に手に入っても、直接五感で感じて、
得られる情報は、ネットや人から得た情報より遥かに的確で、人々の心を繋げ
御互いの結束力を増すものです。

一部の超高額所得者の様でなく、誰もが、家族と一緒に生活が出来、

周囲の人達と暖かい交流が出来る生活を庶民は求めているのです。
本当の福祉対策は、高齢者に対するだけでなく、全ての世代の人々に
幸せを与えるものでなければなりません。

新年と言え、直ぐに桜の季節もやって来ます。そして、暑い夏も。

また、年末になれば、その速さに改めて驚くとは思いますが、
少しずつでも、日本人の心に、かつてのような思いやりが育つ一年となって、
多くの人々に笑顔が絶えない様な出来事が起こる事を期待したいものです。


あっと言う間の帰省

2015-01-05 13:18:52 | 帰省

あっと言う間の帰省でした。
先月30日に故郷への高速バスに乗って、
久し振りの両親とゆっくりと年末と三が日を過ごしました。
それにしても、時間の経つのは早いもので、すでに今日は
出勤して机に付いています。

私達が上京して30年を超えました。
結婚して、子供が生まれ、その後社会へ育って行くまで
今思えば、正に、光陰矢の如し、です。

沢山の事が有ったのですが、殆ど思い出す事が出来ず、
断片的な記憶で月日が経つ速さを感じてしまうのでしょう。
幸い、長年書いてきた日記が有ります。
どのページを開いても、その時の状況がたちまち浮かんで
笑ったり、冷や汗をかいたりしてしまいます。

私達もそうですが、両親の高齢化は、仕方がない事とはいえ
姿かたちの変貌ぶりに驚きと共に悲しみが沸いてきます。
しかしながら、私の年代の時は、2人共まだ元気で。
家族全員で北アルプスを登っていたのが懐かしく思われます。

相変わらず都会の街角は多くの人達で溢れています。
田舎では考えられない程の数と華やかさです。
私達に関係なく時代は続いていくのだと考えると、
この一時に出会う人との運命を感じざるを得ません。

私達は現代に生きていると思いがちですが、
その時代時代で生きている人たちは同じ思いだったでしょう。
平均寿命が長くなったとは言え、殆どの人が100歳を待たずして
この世から去る運命にあります。
どの時代に生きていようと、そこで起こる事、出会う人々はすべて
自分の人生を作りあげて行きます。
短いとはいえ、納得できる一生を終えられる様にしたいものです。