めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

オリンピックと戦争

2018-02-14 14:54:14 | 戦争

今回の冬季オリンピックは、非常に政治色が強い物と言えます。
表向きには、素晴らしいスポーツの祭典と成っていますが、
大会が始まるまでも、実際の準備以上に、近隣諸国との水面下の
駆け引きが盛んにされて、下手をすれば、戦争の引き金にも
成りかねない、緊迫した状態での開催と成っています。

関係者達の不安を他所に、今や、様々な冬の競技で、各国の
マスコミは、各選手の奮闘を伝えていますが、この間にも、
政治的には、次なる事態に備えて、様々な対策が講じられています。
例え、オリンピックが開催されたとしても、現実には、東アジアの
軍事的緊張は無くなった訳ではなく、更なる非常事態の前の静けさ
とも言えるのです。

開会式に参列した各国代表の表情を見ても、誰もが、喜びの表情と
言う訳ではなく、其々の国の立場が如実に表れ、緊張の当事者同士は
まるで、戦場で休戦の為に歩み寄ったとしか思えない様な雰囲気です。
当然、オリンピック開催に対して、前向きの人達だけでなく、明らかに
異を唱え行動に移す人たちもいて、祭典とは言え、会場外の至る所で
双方の小競り合いが頻発しています。

昔から、平和は、戦争の合間と言われています。
誰もが、平和な世界を望んではいますが、現実には、平和は長続きせず
次なる争いがやってくるのです。
人の欲望は限りなく、個人的だけでなく、国家間に於いても、常に自国を
有利な状態に置こうとする運動が行われ、次第に大きくなると、やがれ
平和のバランスが崩れ、新たなる争いが起こるのです。

我が国も、前回の戦争から、早くも半世紀以上、何処とも争わないと言うのは
非常に珍しい事で、完全に幕府の統治下で強大なる権力で平和を保った
江戸時代以来の平和な時が続いていると言えます。
その為、国民の多くは、戦争を知らず、他国と争う事を知らずに生活しています。
今にも、ミサイルが飛んできて、我が国が火の海になると言っても、その様な
夢物語を信じる人はいません。

ただ、現実問題として、過去の広島長崎の惨状、第一次世界大戦の悲惨さを
知識として知っている為、目に見えない不安は隠せません。
かつて、近い将来、大地震が日本を襲って、大惨事となるとする、恐ろしい
日本の将来が語られたり番組として取り上げられた頃が有りました。
当時の日本人の多くは、実際に体験していなくても、知識として、
関東大震災の恐ろしさを知ってはいましたが、誰もが、怖いと思っても
自らが体験するとは思ってはいませんでした。

しかし、その予想は現実となり、東日本大震災が起こったのです。
いまだに多くの行方不明者がいて、日本中がその惨状に震えました。
大自然の恐ろしさが、連日テレビ画面に映されると、その悪夢の様な映像に
日本中が身を縮める思いでした。
今では、今後数十年の間に、プレート型大地震が再び日本を襲う事を
否定する人はいません。
地球の大地が変動する時間からすると、次なる地震は、ほんの数分後とも
言えるほどの間近に控えているのです。

私たち日本人は、常に揺れ動く大地に住んでいるのです。
日本人の一生に一度は、確実に大震災に見舞われると言う計算に成ります。
日本中どこに居ても、生まれて死ぬまでの間に、命に係わる大震災を経験するのが
この火の国に住む日本人の宿命とも言えるのです。

とは言え、大自然の脅威に依る災害は諦める事が出来ても、人間が起こす不幸は
決して有っては成らないのです。
人類は、お互いに協力し知恵を出し合って、文化を築き上げて来ました。
地球の富を利用し、自分達の生活をより豊かにしてきたのです。
そのお互いが傷つけあう事は、人間にとって最大の不幸と言わざるを得ません。
オリンピックは、人類の英知と友好友情の象徴でも有るのです。
その素晴らしい夢の祭典が、政治に利用されたり、一部の人達の利益に利用される
と言うのは、オリンピックの意義も価値も無くなってしまうのです。

これまでの戦争の時も、クリスマスなどには、休戦協定が結ばれて、戦火を交えない
という歴史が有ります。
お互いに骨肉の争いをしている時であっても、人々は、生きている事への感謝であり
近隣の人達への優しい思いを感じたいとするのです。
なのに、何故、多くの人々が苦しみ憎しみを抱くだけの戦争を行うのでしょう。

そう、そこには、莫大なる利益が有るからなのです。
人間が争うところには、必ず、双方の利益の目論見が有るのです。
もちろん、平和の祭典であるオリンピックに於いても同じ事が言えて
お互いに、全く相反しているように見えて、その裏には、莫大なる利益を求める
人達の存在が有るのです。

オリンピックが、国内景気を上げる大きな力と成る事は、前回の東京オリンピックを見ても
これまで行われた大会を見ても解ります。
しかし、人々が憎み強く否定する戦争は、更なる莫大なる利益が生れるのです。
かつて、日本とアメリカの間で緊張が走り、日本は、現在の北朝鮮の様に、物資を絶たれ
兵糧攻めに遭った時、逃げ場も生きる方法も見いだせなくなった日本は、遂に、
真珠湾攻撃に打って出ました。

この事は、戦後、アメリカに奇襲攻撃を掛けた野蛮な日本人として、アメリカ国民は
怒りと共に報復ののろしを上げたとしていますが、実際は、国内経済が低迷していた
多くのアメリカ人は、日本が奇襲攻撃を掛けた事に諸手を挙げて喜んだのです。
つまり、戦争で、国内景気が上昇すると考えたのです。
戦争は、国内景気を手っ取り早く上げる最良の手段ともいえるのです。
明治以降の日清戦争、日露戦争、さらには、朝鮮動乱と、これらの戦争によって
日本はどれだけ国内景気を高めたか、歴史を紐解けば一目瞭然です。

日清日露戦争に勝利した日本が得た広大な大陸の領土、更には資源や食料は、
文明開化以来、世界の強国へと進路を向けていた日本にとって、願っても無い
結果であり、当時、莫大なる利益を得た企業や商社が、現代に於いても
日本の中核と成っている事は明らかです。
国家の発展は、経済的な発展とも言えますが、その大きな起爆剤となるのが
戦争に勝つことで有ると言うのは、歴史が教えています。

しかしながら、かと言って、戦争を肯定するものでは有りません。
前回の戦争で、我が国は負けたとはいえ、国民だけでなく、近隣の多くの人々に
多大なる損害を与えたことを忘れては成りません。
我が国が、東アジア諸国と、スムーズな連携をとれない大きな原因は、
かつての苦い思い出がアジアの人々に残っていて、例え、平和な世の中と成っても
心から信頼関係を築く事は出来ないのです。

つまり、私達が恐れる北朝鮮の軍国化、ミサイル問題も、元を正せば、
我が国がかつて行った様々な侵略行為が原因となっているのです。
それらの賠償問題は、既に終わっていると日本政府は主張しますが、
心と身体に大きな傷を負った近隣諸国の人達の怒りは収まらず、
いまだに、様々な国家間の関わりに支障を来たす事と成っているのです。

既に、半世紀以上に成っているとはいえ、戦争の傷跡は無くならず、
国民の受けた苦しみの思いは、次なる世代に受け継がれ、今では
その頃の状況を全く知らない若い世代さえも、日本に対する大きな憎しみを
抱く様に成っているのです。
オリンピックは、人々の心に、生きる喜び、人種を問わない人と人との
関わり合いの大切さを教えてくれます。
その思いは、未来への夢と成り、平和への礎として人々に生きる幸せとして
受け継がれていくのですが、戦争は、全く逆の、憎しみと悲しみしか生まず、
多くの人々の心を長きに渡って苦しめるのです。

とは言え、この両極端の人間の行いは、その裏に、多くの人々を利用した
膨大なる利益を狙う商人が蠢いているのが問題です。
しかも、彼らは、世界の経済を動かしている場合が多く、平和も戦争も
彼らの胸三寸で決まると言っても過言ではないのです。

日本のリーダーも、アメリカ大統領も、その後ろには、常に利益を求める
多くの人々を利用する事しか考えない商人がいるのです。
戦争が始まると、世界中の武器を戦地に集め売りさばく死の商人だけでなく
戦争によって必要となる様々な物資を大量生産し、平和な時には、決して
手にできない莫大なる利益を得る商人も多いのです。

私達は、一般的に、世界の人々は、平和を望んでいると思いがちですが、
その平和を壊す事で利益を得ようとしている人がどこの国にもいるのです。
戦争を憎む以上に、それらの争いから利益をえようとする人達を
この世から減らして行く事も大切なのです。
世界中の人々が、オリンピックに熱狂した後、その興奮に水を差す様な
不幸な事態が訪れない事を心から願いたいものです。


オリンピックと戦争

2018-01-30 15:58:56 | 戦争

人は、憎しみを持つと、それまでの思いが一変し
如何に相手を苦しめ傷つけるかに心を向けます。
この事は、様々なトラブルが、より親密な関係
例えば、親友、家族と言った、最も親しい関係で 
より一層熾烈を極めることからもわかります。
親子間の諍い、家族の中の遺産を巡る争い等
以前の幸せな関係を知っている人からすると
その豹変ぶりに愕然となります。

多くの諍いやトラブルが、親しい間柄で起こると
その収拾は非常に難しく、相手に対する愛情が
深ければ深いほど憎しみが深くなる傾向が有ります。 
南北に分かれて争う朝鮮人民の長年の諍いは
同胞であり、かつては、同じ国民として歴史を
築き上げてきた仲であることも有って、お互いに
相手の事が解っているからゆえ、解決の糸が
一向に見出せません。

平和の祭典として、世界中の人々が楽しみにする
オリンピックの前日に、軍事演習を行うということは
常識ではとても考えられない蛮行と言えます。
この事は、二国間の立場が、顕著な形で現れたもので
同じ同胞でありながら、方や世界中の人々から恐れられ
憎まれているのに、平和の祭典を開くことができる同胞への
嫉妬ともいえる怒りでもあるのです。

世界に認められないことによる苦しみ悲しみが、
軍事力をもって注目させると言う手段となっているのですが、
彼らとて、世界中から恐れられてまで、国の復興をしたい
とは思っていなかったはずです。
幾度となく争っている間に、お互いを理解する術を見失い
やむなく、やっていはいけない道を選んでしまったと言えます。

自国の苦境を訴えたとて、世界は振り向かず、むしろ
世界中が敵に回ってしまった状態では、どんなに苦しくとも
援助の手は差し伸べられず、今では、様々な規制をもって
兵糧攻めにあっていると言えるのです。
かつて日本が第二次世界大戦に突入せざるを得なくなった
苦しい状況が今の北朝鮮と言えます。
しかし、当時と大きく違うのは、例え国力は衰えても
軍事力においては、世界中の国々に、未曾有の被害を
与えかねないことです。

この恐怖は、大国ですらしり込みをするほどの恐ろしさで
世界中の人々が、人質に捕られている様なものです。
韓国、日本の立場も同じく、標的とみなされていて
ひとたび戦争となれば、両国に点在する米軍基地は
真っ先に標的となり、当然、国民の被害は免れず
遂に、平和な日々は終焉を迎えるのです。

かつて日本が連合国に対して取った態度は、
真珠湾への奇襲攻撃でした。
勢いに任せて、東アジアや南太平洋に進出し
日本国内では、勝利を称える提灯行列が
毎日行われたのですが、そんな勢いも
大国の軍事力を持ってすれば時間の問題で
その後の我が国の劣勢、更には、日本本土への
連日の爆撃により、日本の歴史が始まって以来の
悲惨な結果を迎える事と成ってしまいました。
国土が狭められ、多くの都市が焼き払われ
沢山の国民が犠牲に成りました。
その記憶は、年々薄れて行くとは言え、
当時のリーダー達が行った判断は、
どれ程多くの犠牲をもたらす事になったか
戦争は、起こす前には想像もできない程
悲惨な結果を生む物なのです。

如何なる国に於いても、国を代表する人たちの
判断と行動は、国民にとって幸不幸を決める
最も重要な項目であり、国民は、その判断に
委ねなけれならないと言う事を、リーダー達は
心に銘記しなければならないのです。

間違いなく、国民の殆どは、戦争を望みません。
他国と争う事で、何の得にもならず、下手をすれば
親しい人を失ったり、生きる術を失ってしまうのです。
多くの戦争には、必ず、それによって莫大なる利益を
目論む人達がいるものです。
かつて、国内景気を良くするために行った戦争は多く
リーダー達の無能さを、戦争によって賄おうとする
安直で、身勝手な行動と言えます。

国民は、リスクが大きい戦争で、自分達が幸せになる
とは全く考えて居ないのです。
近代戦争の多くは、国民を利用して、生活が豊かな
我儘な人達によって起こされる事が多いのです。
戦争を恐れ嫌うのは、多くが一般の庶民と言えます。
戦争による莫大なる利益を考える人達は、既に
豊かな生活をしている人達と言えるのです。

戦争を人間同士の醜い殺し合いとして忌み嫌うのは
犠牲になりがちな一般庶民なのです。
戦争には、必ず、それに伴う莫大なる利益を考え
その日を待ち望んでいる人達も多いのです。
武器を作る企業、戦争で使われるあらゆる物資に
関わる人達、勝利した時の、新たなるビジネス
多くの死の商人たちが、手ぐすねを引いて
待っているのです。

世の中には、平和な日々を望んでいる人ばかりでなく
人の争いを商売としている人も多いのです。
しかし、そんな人達とて、戦争の犠牲には成りたくない
と思われます。
何はともあれ、いかなる理由が有ろうと、戦争は行って
成らないのです。

現在の東アジアの緊張は、前回の第二次世界大戦から
糸を引いているのは明らかであり、更なる戦いが始まれば
それこそ、人類は戦いに明け暮れなければならないかも知れず
近い将来には、核戦争で、人類が絶滅しかねないのです。
人類が築き上げて来た歴史の中で、戦争の歴史をいかに絶つか
今や、戦争は、人類自体の存亡に関わっているのです。

しかし、人類の憎しみの感情に身を委ねてしまった人達には
人の喜びは最も嫌うものです。
オリンピックが平和の祭典であれば、当然、その反対は
世界が恐れる軍事パレードと成るのかもしれませんが、
その事で、世界は、決してその行為を称えたり納得する事は
有りません。自分達が望む事とは、全く逆の方向へ事態は進み
益々窮地に立たされる可能性が高いのです。

北朝鮮の国民も韓国民も日本国民も、殆どが戦争を望まず、
一日でも平和な時が早く訪れる事を願っているのです。
リーダー達の思いが国民の暮らしを汲々とさせてはならず、
本当に心から慕われるリーダーになる為の英断を下す事が
未来の地球にとっても一番の解決策であると思われます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


戦争をしない勇気

2017-09-22 16:08:19 | 戦争

国連でのトランプ大統領の北朝鮮への強い批判の言葉は、
北朝鮮の金正恩委員長に非常に強い怒りと苛立ちを生み
言葉の応酬としては、極めて究極的な表現を発するまでに
成りました。

武力行動に移さないために、何とか話し合いの場で解決を

図りたいとするものの、いつの間にか、両者は同じ土俵に立ち
今にもぶつかり合うかのような状態です。
感情を顕わにする事に依ってののしり合っている場合はまだいいのですが、
何かのはずみで、どちらかが実力行使に移った時、極東の平和は、一気に
地獄の様相を呈してきます。

今や、正に、日本が第二次世界大戦に突入して行く時と全く同じで

その後の未曾有の被害を両者とも実感していません。
当然、自分達は、直接戦いの先頭に立つ訳でなく、極めて安全な場所で
敵味方の多くの兵士、そして一般の人々が傷つき殺されて行くのを
傍観して行くだけなのです。

戦争を起こす本人は、自分の感情のはけ口を武力で示す事で頭が一杯なのですが、

実際に戦う兵士や、被害を受ける人々は、想像を絶する地獄を体験するのです。
日本軍が、真珠湾を奇襲した時、日本中がお祭り騒ぎとなり、新聞やメディアは
我が国の勝利と褒め称えました。
当然、国民も、日本の大勝利を信じて、沸き立ちました。
しかし、その後の惨憺たる日々は、如何に日本が、間違った選択をしたか
後悔しても後悔しきれない悲しみと憤りを国民に感じさせる事になったのです。

もし、この切羽詰まった状況に業を煮やし、戦争が始まったとしたら、

同じように、北朝鮮の国民は、悲しい未来を背負う事と成るのです。
更に、今度は、かつての戦争とは内容が大きく違います。
兵器の開発は、核ミサイルによる今までの戦争では考えられない程多くの人々の
殺戮が想像されるのです。

戦争が終わった時、我が国や韓国の人的物的な被害は想定外の物と成る可能性が

考えられるのです。
報復に次ぐ報復は、短期間で膨大なる被害をもたらし、数十万数百万の人命が
あっと言う間に失われる事も考えられます。

どちらかの執行機能が失われるまで、あらゆる兵器が投入され、徹底的に

破壊された国土は、戦後復興するまで、どれほど長きの期間が必要とされるか
極東だけに止まらず、世界経済にとっても大きな痛手となり、地球全体に及ぶ
経済危機が訪れる可能性も高いのです。

今や世界は、ネットで繋がれ、主要国は、あらゆる物流の起点と成っている事が多く

もし日本経済が戦争によって機能不全となると、世界中の物流が停止し、
人類全体の危機と成るかもしれないのです。
ただでさえ、異常気象で、世界中の食料が不足し、資源不足で経済が滞っているのに
世界の流通機構を止めてしまう程の戦争が起こり、しかも、放射能による大気汚染を
引き起こす事と成れば、急速に人類絶滅の危機が早まる事も考えられるのです。

いずれにせよ、人類の未来の為にも、絶対に戦争を起こしてはならないのです。

北朝鮮も、核ミサイル開発により、多くの被害を与える事が出来るかもしれませんが、
その事は、決して勝利に繋がるものでは無く、必ず、報復を受け、国としての機能
のみならず、現政権の根絶にも繋がる事を考える事が大切です。
どんなに兵器を開発しても、世界中がその行為を否定している限り、戦えば、
国を失いかねないのです。

食料や燃料を手に入れられず、何年も苦しみ続ける国民が、更なる苦境に立たされる

その可能性が高いのに、あえて戦争に踏み切ると言うならば、少なくとも国民が
心から慕う人物ではなく、国の長として称えられる器では有りません。
インタビューに答える国民の熱狂的なリーダー愛が、本心からの物とする為にも、
まずは国民の事を考えて、国が未来永劫生き残るには、どうしたら良いかを
考える事がリーダーとしての役割であると思われます。

 

 

 

 

 

 

 


トランプ大統領の国連演説

2017-09-20 15:27:17 | 戦争

今、国連の場で、アメリカ大統領トランプの演説が注目を浴びています。
世界各国が集まり、最も大きな影響を与えるとも言える議場に立つトランプが
如何なる弁舌を行うか、世界中の人々が注目しました。
当然、北朝鮮に対する強烈なアンチテーゼであり、内容も語調も、想像通り
かなり強烈な内容と言えます。

いつものパフォーマンス的な要素も多分に見受けられましたが、そんな中で、

日本人の拉致問題に触れ、個人的に拉致された少女を取り上げた事は、
彼の巧みな演出なのかも知れませんが、現実に行われた北朝鮮の野蛮な行為を
とりあげた事にいささか驚かされました。
理由はとも角、日本人の中でも忘れられている拉致問題を、世界の人々に
提議した事は、喜ばしい事と言えます。

直接的な力の関係だけでなく、民間に於ける様々な問題があり、拉致問題は

多くの国々にとっても非常にショッキングな問題ともいえます。
この卑劣な行為は、今に始まった事ではなく、世界の歴史に於いては、
戦争の原因とも成る事も有りましたが、人質として確保する事に依り、
体制を維持する大きな力と成っていた事も事実です。

しかしながら、現代社会に於いても、この問題は無くなる事無く、様々な理由で

拘置されたり拘束されたりしている人たちが存在しているのです。
日本人も、近年、中国などで、スパイとして拘束される事が増えていて、
不当な逮捕拘束が、国家間のトラブルとなる場合も少なくないのです。

様々な方法を使って、自国の安全を図るのですが、その最大の防衛策は、

やはり、強力な軍事力を持って、周辺国を威圧する事です。
つまり、人質を取らないまでも、軍事力で脅しをかける事で、対象国の
国民の命を盾に、交渉を有利に進めようとします。

この最悪の方法が、核ミサイルによる威圧です。

北朝鮮が、これほどまでに核に拘るのは、核ミサイルで、世界中の人々を
人質として獲れるからと言えます。
一機に数百万の人々をも殺傷できる兵器を持つことで、あらゆる交渉を、自分達に
有利にする事を目的としていて、人の弱みに付け込む、最も卑劣な行為と言えます。

しかしながら、この核ミサイルは、使われない事が前提であり、もし使われれば、

使った国は破滅する事を理解していなければなりません。
それ程にも大きな破壊力と殺傷力を持つと言う事は、被害を受けた国は、少なくとも
同等以上の報復を行います。
北朝鮮が、如何に核ミサイルを開発したとはいえ、その数は、アメリカが保持している
核ミサイルには遠く及びません。

しかも、軍事力としても、とても対等に戦う力は無く、韓国や日本を核で攻めたとしても

それこそ、トランプ大統領が演説した様に、最後は、国自体が消滅するまで報復を受け
幹部や軍事関係のみならず、北朝鮮自体の国としての機能が無くなってしまうのです。
猫とライオンが戦う様な戦争は、当然結果は見えているのですが、その戦争は、人類や
地球上のあらゆる生き物達にとって、何の得にもならないのです。

核戦争の後は、戦地と成った国だけでなく、世界中に放射能がまき散らされ、世界経済は

急速に減速を強いられ、下手をすると、人類の進化は、この時点で止まってしまうかも
知れないのです。
食料は全て放射能で汚染され、ただでさえ地球温暖化による食糧不足は、地球全体を
死の世界へと導くかもしれないのです。

放射能を逃れる術を持つ僅かな人々は居ても、数十億人の人間たちは、何年も放射能に

汚染され、健康な日常生活を営む事さえできなくなるかも知れないのです。
戦争に勝っても負けても、核戦争と成れば、地球全体が取り返しがつかない被害を受け
命を生む惑星が、地獄の惑星と成るかもしれないのです。

私達大人の勝手な判断で、地球の自然を破壊し、人類の生活を破綻させてしまった時、

今の子供たちの未来はどうなるのでしょう。
大自然の糧を得て、生き物達に囲まれれて育てられて行く人間の道を、彼らは奪われ、
残り少ない食料を奪い合って生きて行かなければならないのです。

進化して文明を生み、新たなる豊かな社会を築き上げたものの、私達は、数多くの

過ちを繰り返してきました。その事が、自分達だけでなく、地球全体に命に対して
多大なる悪影響を与えて来た事に気が付き、ようやく、その過ちを改めることにより
少しでも元の様な地球に戻す事を考えられる様に成って来たのに、止めを刺すかのように
核戦争を起こしてしまったら、地球は、もう生き物のオアシスではなくなってしまうのです。

あまた多くの天体の中で、地球は、奇跡的に命を生んだ惑星です。

ほんの少し軌道がズレていただけでも、地球には命が生れなかったと言われます。
そんな奇跡的に生まれた命を、自らの手で葬り去る事は、生き物として地球に存在する
価値も意味もないのです。その行為は、人類として最も恥ずべきものと言えるのです。

どんなん人類が進化したとしても、これまで数百万年の間、人類の争いは、地球に住む

生き物全てに影響を与えるほどの物では有りませんでした。
東日本大震災の津波で破壊された福島第二原発から拡散した放射能は、近隣諸国に
いまだ大きな影響を与え、日本からの農林水産物輸入を辞めたり、制限している国が
幾つも有ります。様々な風評は、日本全体が放射能で汚染されて危険だとする
間違った情報を世界に広めている現実も有ります。

もし、日本や韓国に核ミサイルが落とされ、更には、北朝鮮を消滅させる程の核ミサイルを

アメリカが使用した時、世界の国々は、食料をどこから得ようとするのでしょう。
大気の循環によって世界中にばらまかれた放射能物質は、地球の裏側の国々も汚染します。
その半減期は、数年の短い物から、数十万年の長い年月を有する物も有ります。

この事は、今、福島近郊の人々が衣食住に於ける最大の悩みとして感じている事であり、

復興に費やされる日々が、我々人間の尺度で考えられない程長く苦しい事を物語っています。
しかも、破壊兵器として使われた核は、出来るだけ多くの殺傷能力が有る様に設計され
広範囲に渡って影響がある様に作られています。

そんな悪魔の様な核兵器が、極東で多数使用されるとなったら、その影響は、世界中に広がり

人類全体、更には、生き物全体の絶滅に繋がる可能性すらあるのです。
核兵器を使用した時のデメリットを拳を振り上げた人たちは理解しているのでしょうか。
自分の身の回りの大切な人達が、どれだけ苦しみ、命すら落とす可能性が有るのが
解っているのでしょうか。

もし核戦争と成れば、最終的に、自分も自分の身の回りの人達も殺される事を承知で

こんな危険な賭けに手を出そうとしているのでしょうか。
核兵器を振り回して、世界中が思い通り動くとでも思っているのでしょうか。
人はそれほど単純では有りません。思い通りに動くどころか、核兵器を振り回す危険な
国や人物を抹殺する事を考えます。

自分が誰かの手によって、無残に殺される事を良しとしているのでしょうか。

数多くの独裁者の最後は悲惨です。あれ程にも権力を誇っていた独裁者が、
埃に塗れ、虫けらの様に死んでいった歴史は数多く有ります。
人は、人に守られ育てられて、最後には惜しまれてこの世を去るのが理想です。
憎まれ、追いかけられ、追い詰められ、惨殺される惨めさは、悲しいと言えます。

世界を敵に回すより、世界の人々から称えられて生きるのがリーダーの資質と言えます。

人の上に立つと言う事は、自分を支えてくれている人たちの幸せを生み出し、
自分が関わる様々な人の気持ちに触れ、お互いが幸せに成る策を考える事が大切です。
戦争は、その真逆の行為と言えます。
今の自分の地位が有るのも、自分が思い通りの生活が出来るのも、多くの人々の
絶え間ない努力と支えが在ったからこそであり、その人達を不幸にしては成らないのです。

この事は、世界の中のリーダー、元首に言える事であり、近年、この期待に応えられない

我欲に満ちたリーダーが余りにも多いのです。
人類の進化と共に、莫大なる増殖を遂げた人類を平和で幸せにするには、人類全体を
考えたリーダー達の人間としての良識が必要です。
自分の身の回り、自分の欲を満たしてくれる人達、自国民だけ、と言った、限られた
人達だけの幸せを考えている様では、世界中の平和は保てないだけでなく、自分の愛する
身内に人達すら幸せに出来ないのです。

人類は、あらゆる生物の中で長足の進歩を遂げ、地球上に長く君臨してきました。

私達に都合の良いものを作り、経済的に豊かな生活が出来る様進歩してきました。
しかしながら、自分達の欲望を叶える事には頭が働くものの、自分達を生かしている
地球環境に関して、更には、様々な人種民族に対しての相互理解に心が進化できず、
欲望が先行する文明を築いて来たことが、地球規模の危機を迎える羽目となったのです。

自分の欲望を叶え、便利で豊かな生活をする為の進化から、地球環境を考え、全ての

生き物の事を考え、私達が如何に他の生き物達によって生かされているかを深く理解し、
より豊かな生活をするには、今の人間社会をどの様に変えて行かなければならないかに
頭を働かせる社会に成る事が、私達の子供たちを幸せにする未来を創るカギとなるのでは
ないでしょうか。
文明も戦争も、人類の我欲の強さが生み出したものと言えます。
自分を生かすための努力から、自分を生かしているものを生かす努力に変えられたら
未来に続く文明が生み出され、戦争の悲劇が次第に癒えて行くのではないでしょうか。

 

 

 

 

 


戦争を回避するために

2017-09-14 17:41:03 | 戦争

国連の安全保障理事会による対北朝鮮制裁決議に対する
北朝鮮の日本へ向けた挑発的発言は、もしかしてという
恐怖よりも、如何に、彼らが追い詰められているかが解ります。
もし、日本を核によって破壊したとすれば、その行為は、そのまま
未来の自国民の苦しみと成って返って来ることを知らなければ
成りません。

膨大なる日本国民の犠牲者が出る事になってはならないのですが、

そのような事態を引き起こしたとき、例え戦争に勝ったとしても、
未来の北朝鮮に平和は有りません。
何故なら、憎しみは憎しみを呼び、不幸は不幸を生むからです。
子供たちの未来、子孫たちの生きる世界で、彼らの置かれる立場が
世界中からどの様に見られるか、更には、惨禍を受けた日本国民は
どの様な思いを抱くのか、日本人の心が鬼と化さない事を
願わざるを得ないのです。

戦争は、国民に何の利益も生まず、一部の人達の欲望が、多くの人の

心を変えてしまうのです。
第二次世界大戦の後、多くの東アジアの国々で、反日構想が生れました。
人々は、日本を敵国とみなし、子供の頃から人を憎む事を教えられます。
しかし、この憎しみを育てる教育は、新たなる悲しみと不幸を呼ぶのです。

北朝鮮の子供たちの反日反米教育は、子供から大人への、他人に対する

思いやりや慈しみの心を失わせ、人を信頼する気持ちを薄れさせます。
自分達の欲望の為には、人を殺める事も辞さないと言う考え方は
新たなる争いを生む事と成り、いつまでも平和な心は育たないのです。

戦争の悲しい部分は、その時々に生じる多くの犠牲だけでなく、

その犠牲を被ったことによる戦争の無い時代でさえ続く憎しみの歴史です。
社会は、報復の為の軍事態勢が強化され、更なる威力を持って敵を
苦しめる為の策が講じられます。

第二次世界大戦後、日本人が、敗戦国でありながら、戦争放棄を謳い、

対戦国に憎しみを抱かない教育を行って来た事で、人々は、平和の喜びと
幸せを感じる人生を送る事が出来たのです。
日本を訪れる多くの海外の方を心からもてなす気持ちを育てられたのも
戦争を放棄し、日本国民の平和への心を育てたからに他なりません。

しかしながら、もし、日本に核ミサイルが撃ちこまれ、多くの国民が

犠牲となった時、何の非も無い多くの人々が犠牲になった時、
日本人の心が、今までの様な寛大な気持ちでいられる事は
考えられないのです。


日本人は非常に勤勉な人種であると同時に、一度目的を持つと、何でも

成し得るまで、徹底的に努力する人種でも有ります。
これが文化や芸術、経済と言った方向に向けば、素晴らしい進歩を生み
世界でもトップクラスの実績を生むのですが、その一方、この力が
憎しみとして働いたとき、その代価は、いまの挑発的な言葉より遥かに
重く厳しく科せられる可能性が高いのです。

それこそ、言葉だけでなく、実際に朝鮮民族を地上から葬るほど残虐で

止めようがない程の長きに渡っての殺戮行為となるかもしれません。
日本人は、最も平和的な民族にもなる一方、最も残虐な民族に変わる事も
否定できなのです。

日本人は、核ミサイルを撃ち込まれた位で、ひれ伏す様な軟弱な民族でなく

片時の欲望で思い通りとなると思ったら大間違いで、一度憎しみの火が
点けば、その炎は、挑発的な言葉ではなく、将来の現実となるのです。
簡単に日本を火の海にするとか、日本列島を核爆弾で沈めると言う言葉を
使うのは、日本人を本当に理解していない人の考えであり、実際にその様な
行為を行った時、どれだけ多くの代償を払わなければならないかを
考えられない、国の代表とは言えない人の軽率な言葉と言えます。

また、この様な非人道的な行動に否定的な世界中の国々からは、

今以上の制裁処置が向けられる事と成るのです。
更には、人間だけでなく地球の生き物にとっても危険な存在とみなされれば
世界中から抹殺される事も考えられるのです。
例え、どれだけ核ミサイルを作ったとしても、国として消滅させられるかも
知れないのです。

それ程のリスクが想定されるにもかかわらず、世界を恐怖に陥れ、挑発行為を

行うと言う事は、残念ながら、全ての人類を敵にまわし、自滅への道を
辿らざるを得ないと言えます。
もちろん、日本とて、憎しみを抱く民族とはなりたくないものです。
世界中の人々と平和に暮らし、お互いお幸せを願う民族でいたいのです。
人は、人の悲しみ憎しみを願う様になったら、人としての存在価値はありません。

人類が、これまで進化できたのも、お互いに協力し合い、お互いの立場を考え

助け合って来たからに他なりません。
未来に向かって進歩を望むのか、滅亡を望むのかは、リーダーに科せられた
選択と言えます。
今や滅亡のボタンを押さんとしているのが、北朝鮮と米国です。
彼らの考え如何で、未来の世界が決まります。
一時の欲望と感情で未来の幸せや夢を失って良いものか、ボタンを押さない術を
どれだけ時間が掛かっても見つける事が重要と思われます。