めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

弱き者、汝の名は女でなく、男なり

2014-07-30 20:43:20 | 男女同権

男と女はどちらが優れているかという問いに、
様々な見解が語られてきましたが、我が家においては
間違いなく女が優れています。

何か問題が生じると、その問題をいかに処置したらいいかと
あれやこれやと考え、中々前に進まない間に、いつの間にか
スタートしています。

いつも計画性を持って、先の事を考えて、最適なプランをイメージ、
更には、実行する為に、時間と予算、更には人的物的な事まで
全て考えている時、さらに先を走っています。

ひょっとしたらその先は断崖になっているかも知れない。
もしかしたら、大きな川があって渡れないかも知れない。
突発的なアクシデントに見舞われるかも知れない。
そんな事を考えていると、すでに問題は片付いて、その先を歩いている。
いつもうまくいっている訳ではなく、ときおり壁にぶつかって
泣きを見る事もあります。

しかし、振り返ってみると、処理した数は断然女に軍配が上がります。
今回、父が倒れて、兄弟全員が様々な行動を示しました。

お互いの意見の食い違いから、いさかいが生じたり、嫌な思いをしたり
簡単に協力し合えると思ったことが、お互いの主張が壁となって
思いがけなく時間がかかったりしました。

短期間でさまざまな事が次々に起こり、思い返すと、どっと疲れてしまいます。
でも、そんなトラブルの最中も、女たちは確実に前に進んでいます。
石橋を叩いて渡るかと思いきや、対岸に飛び越えたり、
川に落ちて、大変な思いをしたと思いきや、何事も無かったかのように
対岸に泳ぎ着き次の目的に向かっています。

考えると、小さい頃から私達男に見せる、弱くて何もできない様な、
男が助けなければ何もできない様な素振りや身振りは、明らかに
男をしのぐ逞しさや強靭さを隠すカモフラージュではないかと思います。

男女同権とは言え、実際は男が社会の中心となって動いていて、
女性からの不満の声が聞こえてきます。
でも、その前に出て自分を主張し会社を動かし、家族を守っていると
信じている男の後ろで、しっかりと手のひらで転がしているのは
間違いなく女であると思われます。


介護の意味

2014-07-29 15:48:24 | 高齢化社会

今日の早朝、妻は私達の制止を振り切って
私の故郷へ向かいました。

父の介護に向かったのですが、私の父を

助けてくれるのに、何故、止めなければならないか、
事情を知らなければ理解できないでしょう。

老人介護の問題が様々なメディアで取り上げられて
その難しさと悲惨さが注目されています。

高齢者を高齢者が介護する老々介護が社会問題と
なっていますが、その内容は各家庭において複雑です。

我が家も、父の介護に兄弟の代表として妻が
父が倒れた時から私の兄弟と交代して介護しています。

でも、妻は、実は難病を患っていて、そのことを私の
兄弟は知りません。
家にいる時も、疲れやすく、ほとんど一日中寝ている事も有り、
私達も妻の健康にいつも不安を抱いています。

しかしながら、普段、外では決して病人の姿は見せず、
私の兄弟は、妻が健康優良児の様に思っています。

とは言うものの、時たま会う正月などでは、妻の奮闘で
誰もが妻に仕事を任せます。

実家から帰ってくると、その反動ははなはだしく、
数日は殆ど寝た状態です。

そんな中、今回父が倒れました。
親戚が集まり、兄弟が看病することとなりました。

何日間かをローテーションして父と母を見る事になり
妻も私の代わりに行く事となりました。

しかし、一か月も経つ頃、妻の疲れはピーク達し
看護で見せる気遣いもままならない状態となりました。

あまり、動かなくなった妻を、私の姉はなじり責めました。
何と悲しい事か。妻からは実情を口外しない様に言われて
いましたが、妻の姿を察する事が出来ず、傷付ける
我兄弟に怒りと情けなさが募りました。

誰もが父を助けようとしているのですが、そのことから
いがみ合いや罵りが生ずる悲しさは、思いもしませんでした。

今朝、口止めを約束して、また妻は出かけました。
それまでして、命を削ってする介護とは何でしょう。

兄弟が行なった情けない行為に妻の身内の方への
申し訳なさが頭の中を駆け巡ります。

ともかく父が回復するまで我慢をすればと言う
妻の気持ちを胸にしまい込むのは不可能です。

介護という兄弟に課された大きな問題が、
更に兄弟の間の軋轢となるとは思ってもいませんでした。


故郷への父の思い

2014-07-28 15:11:52 | 家族

介護される父も、長い間ベッドに拘束されていると
元気にはなっているものの、我も強くなって来ます。
何かと周囲の者に対して注文が多くなり、病院食への
不満も相変わらずです。

そして、日増しに募るのは故郷の家に帰る思いです。
病院の何の飾り気のない白い壁に不満が増して、
目が覚めると実家の庭の草木が見えない事にさらなる
望郷を訴えます。

自分が思う様に動けない情けなさと挫折感が
これ以上の看護を望まない気持ちにもさせています。
末路は自分の生まれ育った家でという強い気持ちが
新たに立ち上がる気力を失わせ、看護の拒否という
思いがけない言葉となって現れます。

すこし気分がめいってきた事もあって、思い切って
車椅子に乗せて病院の屋上へ連れて行きました。
最初は嫌がっていたものの、屋上から遠く見える故郷の景色に
自ら説明を始めました。

息をするのも苦しげなのですが、私達に、一生懸命伝えようとします。
筋力の衰えで上げづらい手を差し伸べて、遠く青くかすむ山を
懐かしげに語ります。私が、初めて父と登った山を指さし
遠い記憶に口元が微笑みます。
川面から少し冷えた風が流れると、すっかり白くなった髪が
顔をなぜると気持ちよさげです。

故郷はずいぶんかわってしまいました。
でも、ゆったりと流れる大河と山並みは昔のままです。
そんな景色を眺めて満足したのか、父の顔に苦しみの表情が消え
誰もを包み込むような優しい表情となりました。

生まれたからには最後を迎えるのが運命とはいえ、
間近に感ずるようになると、様々な考えが苦しめます。
父も、こんなにも苦しいとは思っていなかったと訴えます。
それまで考えもしなかった体中の不全症状。
どうしたら良いのか訴えますが、早く元気になってと励ますにも
その苦しみは私達の想像を超えたものであり、どうしたらいいか
正直な所解りません。

アクシデントで死ぬように、苦しみがない末期を迎えたいと
多くの高齢者は言います。
しかし、苦しまないで死ぬことが幸せか、本当のところは
死んだ人に聞いてみなければ解りません。
生まれる時も自分の両親や家庭を選ぶことが出来ない様に
死ぬこともこちらの思い通りにはいかない様です。

私達家族は50年以上前に一度全滅する所でした。
家族を救ってくれた父が最後のステージを迎えようとしています。
命を救われた私達は父をいかに救えるか悪戦苦闘しています。
運命とはいえ、残る人生をいかに楽しく過ごさせてあげるか
残される者たちの課題はいつになく深いものです。


ベッドの上の父と会う

2014-07-27 00:02:08 | 高齢化社会

父が倒れてから一カ月近くになって、何とか仕事が一段落、兄弟や妻が
代わる代わる看病を続けてくれたのですが、ようやく私も会うことが出来ました。
入院当初は、明日にも危ないという状態でしたが、病院の処置と、家族の看護で
かなりの回復が見られ、近々退院できるのではと思える程でした。

とは言うものの、一日の様子を見てみると、高齢とあって、長くベッドに寝ていたため
下半身の力はかなり衰えて、一人では歩けない状態でした。
ここ数年下半身の衰えから、外出もままならない日が多く、家に一日籠ってしまう事も
多かった様です。
ほとんど病気をしない元気な夫婦でしたが、二人とも、年を重ねるごとに急激に
老化し始めています。

世界的な長寿国となったといえ、高齢者が増えることによる様々な問題が
国の行く末を暗いものにしているのも事実です。
若い働き手が両親の介護のために職を辞し、年老いた両親の介護で自分自身の
生活が成り立たず、共倒れとなっているケースも目立っています。

この事は他人事ではなく、私たちにもその可能性があるのです。
今の仕事は、とても田舎では成り立たず、もし、年老いた両親の面倒を見るとなると、
全くの未経験の仕事を地元で探さなければなりません。

私が何十年も築きあげてきたスキルもすべて役に立たなくなってしまいます。
今の社会事情で自分の年齢を考えると、ほとんど収入は期待できません。
しかしながら、兄弟は私たちが故郷に帰ることを望んでいます。

長く仕事をしていると、関連した多くの方々との絆もあり、それをすべて捨てて
人生の後半を新たに作り上げることは非常に難しく思えます。
突然の難題に一体どうしたらいいのか、いざわが身のこととなると
本当に決断が難しいものです。

今日は故郷の夏祭りでした。
いつも正月にしか帰ったことがなく、小学校以来の祭囃子に興奮しました。
鐘や太鼓のリズムはいまだにしっかりと覚えていて、太鼓のバチを持つと
ひとりでに体が動いてしまいました。
体に響く重量感のある音と耳に突き刺さる鐘の音は、遠い昔の風景を
走馬灯のように呼び起こしました。

故郷に残った当時の遊び友達も今では孫の手を引いています。
あの時、勇壮に太鼓を叩く大人たちに自分の未来を思い、祭り足袋を
履いた足をグッと踏ん張ったことを思い出しました。

逞しく力強く見えた大人が今では自分の子供の世代となりました。
あっと言う間に年をとるといいますが、父を見ると、自分もすぐにあの年になり
子供達の世話になるのかと思うと、これからの月日がいかに大切であり
自分の選択により末路での気持ちが大きく変わってしまうのではと
何かにドンと胸を突かれる思いでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


猛暑の夏を乗り切る

2014-07-25 12:53:06 | 猛暑

今日も暑い!!
毎年の事ながら、梅雨が明けると日本中が蒸し風呂のような暑さです。
海外から日本を訪れる人々の印象も、自国よりも蒸し暑いと言います。
昔から夏は暑いのが当たり前でしたが、ヒートアイランド現象や温暖化で
地球全体が年々熱くなっているのを実感します。

しかしながら、四季がはっきりしていた昔の日本は、たとえ暑いとはいえ

その移り変わりを楽しんだものでした。
季節季節の風景の移り変わり、その時期に一番おいしくなる旬の食べ物、
日本の四季は人々の心に安らぎと感動を与えてきました。

季節変りがはっきりせず、極端な気候が目立ってきた昨今、私達の生活も

四季にとらわれない変化のない生活を求める様になりました。
セントラルヒーティングが浸透するにつれ、四季の変化に対応する私達
日本人の身体にも変化が見られ、増々抵抗力の無い民族になっています。
様々な難病が増え、精神的にも肉体的にもひ弱な子供達も増えています。

私の仕事場も、クーラーがフル回転していて、窓のガラスに触れると、

外気との気温差にビックリします。
しかしながら、この室温に何時間も慣れて帰宅すると、急に熱帯の国に
要った様で、寝苦しい毎日です。

もう何年クーラーを使っていないでしょうか。節電という目的でもなく

ずっと以前から夏は窓や玄関を開けて風を通し過ごしてきましたが、
さすがに、猛暑が続くと、扇風機を当て続けなければ汗が流れてきます。

中東出身の外国人は、日本の夏は自国の暑さよりも暑いと言います。

自国の暑さは普通に40度を超え、時には50度を超えると言うのに
東京の35度ほどの気温に閉口しているそうです。
いかに、湿度が高いと人の体調を狂わせるか良くわかります。
熱中症が心配される暑さがこれから何日も続きます。

暑さからいかに逃れるかという事も大切ですが、多少の暑さには動じない

身体作りを考えていかねばと思っています。
暑さ寒さも彼岸までと言った時代は過去の事、10月の声を聴くまでは
油断しないで暑さ対策を講じていく必要を感じます。