めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

人類の幸せも地球の未来も、ほんの限られた人達によって決まる

2019-09-26 15:50:27 | 東京

私達は誰しも、自分自身の考えで毎日を生きていると思っていますが、
自分の行動も考えも全て誰かの考えによって左右されているのです。
人類が地球の支配者と成って全ての生き物達の頂点に立っていると
言われていますが、実際に頂点に立っているのはほんの一部のごく
限られた人達なのです。
そして、その他の絶対多数の人間は、彼らの考える社会の一部と成って
何をするにしても思い通り動かされていると言っても過言では有りません。
20世紀になって、世界的な民主活動が高まり、人類は平等であると言う
考えが広がりましたが、自分の考える様に自由に行動が出来る社会となった
とは言え、自由と思って生活をしていても、社会で生きる事は常に誰かに
管理し続けられるという事なのです。

この世の中は権力を有するごく一部の人達の我儘によって成り立っていて
多くの人達に様々な権限を持たせると言っても、その背景には必ず
支配者たちの利益と成るシステムが組み込まれているのです。
最新のファッションを纏って都会の街を闊歩する若者達も、その姿は
既に何年も前から計画されていて、最も収益が得られる様にメディアを使い
人々に公表しているに過ぎないのです。
毎年メディアに登場する最新のファッションや流行も、殆どが仕組まれた
意図的な考えのもとにごく一部の人達が考え出したものなのです。

とかくこの世は全てが社会を支配する様々な分野の人達の目論見で出来ていて
便利で豊かな暮らしと言っても、それは、人々が想像もできない程の利益を
得る為の一部の方々の策略と言えるのです。
確かに有識者で有ったり様々な分野に長けた人達が考える事は、多くの人々の
生活を豊かに便利にすると言えるのですが、提案される方法以外にも、
数知れずのもっと楽しく豊かな生活が出来る方法があるのです。
アイデアと言うのは人の数以上あるものであり、ほんの一部の人達の考えに
盲目的に従うと言う事は、大多数の人類にとって良くない事であるだけでなく
莫大なる利益を得ている人達にとっても決して良い事では無いのです。

人類の歴史を見ても、いつの世も支配者と大多数の隷属する人達で社会は成り立ち
人々の生活はほんの一部の人達の我儘によって翻弄されてきました。
支配する立場と成れば何でも思うが儘に出来ると言う事実が、歴史上何度も
世界中の人々を苦しめ、人々の欲望は、如何に支配する側になるかが夢であり
生きる事の目的であるかのように思われて来たのです。
戦争をして武力によって支配するだけでなく、日常的にも如何に他人の上に立って
権力を誇示できるかが求められ、いかなる場に於いても人々の争いは尽きる事無く
人類の歴史は人間の欲望の歴史とも言えるのです。

しかしながら、これ程までにも文明が発達し、人々の生活は究極の豊かさと便利さを
手に入れられる様に成ったにもかかわらず、いつまで経っても心が満足することなく
常に欲求不満の状態が続いているのは如何なものでしょうか。
次々に欲しいものを手に入れてもその終わりは無く、多くの物を手に入れるにつれて
益々自らの存在価値が薄れてい行く方が多く成っています。
一部の支配者層によって作られた近代国家は、人々に夢の様な生活を提供したのですが
その価値観は決して多くの人達を満足させるものではなく、より経済的に豊かな生活を
求め続ける事しか喜びを感じられない人々を多く生んでしまったのです。

今や日本人の家庭の中を覗けば、溢れんばかりの便利グッズに溢れ、人が幸せに生活
する空間と言うより、手に入れた様々な欲望の品物の置き場所と成っているのです。
手に入れた喜びは一瞬で色あせ、更なる欲望の品物を手にする事に心は移って行きます。
まさに消費経済社会を作った人々の思うが儘の生活を強いられる事と成り、消費者として
彼らを豊かにする為の一生を送る事を強いられます。
目先の喜びにしか幸せを感じない大衆は、支配者たちの思うが儘に動く打ち出の小槌であり
日々膨大なる利益が彼らの元に流れ込みます。
この仕組みは、人類の歴史に於いては、いつの時代にあっても同じ様な仕組みであり、
人間が人間を支配する構図は人類の生き方の象徴とも言えるのです。

所が、近年、我々の生活に貧富の有る無いに関わらず、人類全体にとって大きな問題が
生じている事が気になります。
例えごく一部の人達の支配であっても進化して来た人類の歴史が、今や未来を描けない様な
深刻な事態と成っているのです。
先日、国連の場で子供達が自分達の未来を愁い、涙ながらに訴えていましたが、私達が
思っている以上に地球の大自然は破壊され、この先人類の豊かな暮らしが保障されない事態が
起って来ているのです。

最も問題と言えるのは、もちろん地球温暖化が挙げられますが、この事は子供達が訴える
までもなく、解決の糸も見つけられない状態と言えます。
何故一向に問題が解決される事無く悪化の一途を辿っているかと言えば、この原因の殆どが
地球を支配する一部の富裕層によって作られているからに他なりません。
子供達の未来が保障されず、今生きている支配者的な大人たちの我儘が地球全体の生き物に
更には人類にも破滅的な危機を齎していると入れるのです。
この問題に対し、アメリカを代表とする温室効果ガスの大量放出を行っている国々は、
本当に解決する意思はなく、より経済の発展を望む発言が多くの人達の心を逆なでしています。

このままでは、明かに人類だけでなく、地球上に住むあらゆる生き物が絶滅の危機に瀕して
しまう事は否定できません。
可哀想なのは、まだ幼い子供達がこれから生きて行く将来に夢も希望も持てない事です。
国連で訴えた子供達の声は、世界中の子供達の声であり環境の悪化に晒されている多くの
人類の声と言えるのです。
最早、議論をするまでもなく事態は悪化している事を世界を支配している一部の人達は
理解し、早々に英断を下さなければ成りません。

経済的発展が滞っても、人類と地球の未来を守るために何をすべきか、考えるまでもなく
実行に移さなければ、今や全くの猶予も無いのです。
また、支配されている殆どの人類も、自分達の未来を考えるならば、消費を主体とした生活を
大きく改める必要が有るのです。
地球環境を破壊したのが人類であるならば、元に戻すのも人類でしか出来ないのです。
今現在豊かな生活を行っている人達も、本当の豊かさは何なのか、もう一度よく考えて
子供達の為にも、新たなる生き方を選択する事が必要と言えます。