めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

東京は、春一番!

2014-03-18 13:07:32 | 春一番

朝から風の音が凄いです。
ニュースを見ると、東京地方は春一番だそうです。
例年より遅れているそうですが、それにしても大風です。
電線のヒューヒューと言う音、窓をがたがたと揺する突風。
秋ならば台風の訪れなのでしょうが、この風は暖かい
春の季節を伝える風です。

目黒川の川面を、いっぱいに蕾を付けた桜の枝が大きく揺れて
今にも折れそうです。
妻と外出しようとすると、凄まじい横風に髪の毛が踊ります。

大通りに出ると、何やら騒がしい。警察の人達が多数います。
立ち入り禁止のテープが張られ、道路は大渋滞。
次々に現れる警察車両。いったい何があってのか。
テープの先は郵便局もあり、何やら物騒な雰囲気が漂っています。
しばらくすると、テレビ局のクルーもやって来ました。
我々は仕事でその場を去らなければならないので、やむなく
反対方向から来たバスに飛び乗りました。

それにしても、最近この手の事件は、緊迫感が有りません。
決して楽しんでいるのでは有りませんが、実際に事件があっても
テレビのワンシーンを見ているようで、何の感情の高鳴りもなく
通り過ぎてしまいます。

特に、我が家の近くは頻繁に撮影も行われ、様々な配役が
演ずる姿を、間近で見る事も珍しくありません。
本物なのかフェイクなのかはあまり気にならず、事件であろうが
番組であろうがその日の話題として変わらなくなっているのです。

この事は今の日本社会に共通の現象と思われ、あらゆる事が
画面上で伝えられる現状は、我々に、無意識のうちに無感動
無関心の気持ちを植え付けている様に思えます。

ネット社会になって、世界の紛争地の凄惨な場面も、美しい大自然の
営みも、お茶の間で同じく冷静に観察する事ができる様になりました。
更には、あらゆるニュースが自分に関係なければ一過性の物であり
チャンネルを変えるだけで簡単に場面を変えられる様になっています。

そんな事から、大人も子供も自分の興味ある事には反応しても
自分に関係ない事には無表情となりがちになってきていると思います。
現在の日本社会はあらゆるニュースがメディアやネットによって流され
居ながらにして世界を知ることが出来る様になりました。

その結果、その場にいない事により臨場感が生まれにくく、大きく
感情が揺さぶられることが無くなって来ました。
子どもたちの動向を見ても極めて冷静で、まるで昔だったら大人の様な
幼い子供達も増えてきました。

子どもたちの間でも、大人の間でも、今一番最悪のいじめがシカトです。
これは、表面に出にくく気が付くころには事件となっている事も珍しくありません。
つまり、シカトという相手の存在を無視することによって、いじめを受ける側に
存在する意味を消し去るのです。直接暴力を振うことはいけませんが、
相手の存在に対する直接の否定ですから、外部からも良くわかります。
しかし、シカトは全く手も出さず、直接目に見えませんから非常に陰湿です。

人は、あらゆるものに生かされて存在しています。
特に、家族や友達からの影響は多大です。
一番の暴力は、その存在を否定され、無視されることなのです。
この事は映像にしたりできず、世間に表ざたとなることが難しく
今の子供達や社会に深く暗い闇を作っています。

春一番が吹いたからと言って、自分たちの生活が変わる訳ではありません。
しかし、風は私たちを生かしている空気の存在を教えてくれます。
いつも自分たちの周囲に有って我々の命を支えてくれているのです。

もし、そんなにも大切なものが、突然無くなってしまったら。
直ぐに地上の命はすべて失われ、この命の惑星は、月の様に
無生物の荒れた世界となるでしょう。

私達の生活がどんなに便利で何でも手にはいろうとも、
お互いを感じられなくなったり、自然から生かされている事を忘れてしまうと、
自分も自然も失われてしまうことを、いつも心している事が大切と思われます。

なお、昼に見かけ多数の警察官による規制は、郵便局強盗があったからでした。
でも、その後逮捕されて、誰も怪我をせずに済んだようです。