めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

流行と言う名の経済トラップ

2018-07-18 14:39:58 | 流行

ここ一週間、日本列島は真夏にストーブを焚いている様な酷暑です。
家の中も、仕事場も、はたまた、公共機関もすべて、クーラーが
フル稼働していると言うのに、それでも、涼しさが感じられません。
道を歩けば、照り返しの暑さも有って、まるで熱く焼けた鉄板の上に
立たされている様で、熱気で身体の水分が搾り取られて行く様です。

それにしてもこの暑さは、長い人生の中でも、殆ど体験が無く
夏の暑さとは言え、かつての日本の夏とは全く質が違っています。
夏と冬が両極端に温度差が広がり、その間の季節の移り変わりが
殆ど感じられません。
我が国の気象の特徴である、春夏秋冬の美しい季節の移り変わりは
最早遠い昔の物語に過ぎません。
ゆっくりと移り変わる季節の色や音に、日本人は繊細な心を育て
自分の人生の移り変りの様に、大自然の変化を楽しんで来ました。

しかしながら、最近の季節もお天気も、私たち日本人が馴染んできた
生き物に対する優しさが全く感じられず、とても、地球に住む
膨大なる生き物たちを育てる環境とは言えません。
異常気象、地球温暖化とその変貌する自然の脅威に驚きますが、
原因は、明らかに私達人類である事は言うまでも有りません。

このままでは、近い将来、地球上の多くの生き物と共に
人類も生きてはいけないと思われているにも関わらず
いまだ、人類は反省する事無く、更なる危機を高める
経済活動を推し進めています。
この傾向は、日本を含め、先進国家と言われる国々が
地球資源の多くを消費し続けている事に起因しています。
生活を豊かに便利にする為、消費経済を推進して来た事で
地球環境は益々生き物達にとって劣悪の状態と成り、
我々食物連鎖の頂点に立つ人類ですら、例外とは言えず
自らの所業によって、未来を断たれる可能性が高いのです。


しかし、何故、私達は、この蛮行を止められないのでしょう。
例え太古の昔から行われて来た人類の生きたとは言え、
現代社会に於いて、既に、人類が地球から得られる富は
限界を超えているのです。
人口増加に伴う需要の増加とは言え、地球資源や食料を
枯渇させかねない消費は、明らかに、恐ろしい未来を
予想させます。

この独占的消費活動は、人類の衣食住の基盤とは言え
そのことで、地球環境を変えてしまっては、元も子も有りません。
目先の欲望を叶える為に、次々に膨大な量の地球資源を
消費し続ける人類の生き方は、既に限界と言って良いのです。

しかし、本当に、人類は、それ程にも膨大なる地球資源を
消費しなければ生きていけないのでしょうか。
アフリカの飢餓地帯の様に、食料不足が日常化している国も有れば
日本の様に、毎日、膨大なる量の食料を棄てている先進国も有ります。
本当に食べ物に困ったいる国がある一方、溢れる食料の中で
我儘な選択の元、多くの貴重な食料を棄てている国も多いのです。

この事は、明らかに、資源食料が人類の目的であると言うのでなく、
資源や食料を利用してビジネスを行う人達の所業と言えるのです。
より多くの利益を得る為に、大量の食料や資源は、消費活動の高い
経済大国に集め、人々のためにというより、ビジネスとして、
食料や資源を利用していると言えるのです。
人間が生き物として食べる事を目的としているだけならば、
世界中の人々に分けられるのが当然と言えるのですが、
利益を考えた時、消費マーケットが大きい程良いと言えるのです。

つまり、例え大量に食料が廃棄されても、そこに、巨大ビジネスが
成立すれば良しとする社会があるのです。
日本で年間捨てられる食品の量は、岩手県民が一年間に食べる
食品量に値し、飢餓に苦しむアフリカの国を救う事が出来る程です。
それ程にも無駄に食料を棄てているのに、どうして、私たち日本人は
それに不信感を抱かないのでしょう。
飢餓で苦しむ国が有るのに、自分達は、有り余る食料を棄てる事に
何の後ろめたさも感じないのでしょう。

それは、やはり、日本社会が、消費経済国家であるからです。
私達は、あらゆる必要物資を消費する事を目的として生きる民族で有り
常に新しいものを求め、消費し続ける事を教育され求められて来たから
と言えるのです。

次々に新しい製品を購入し、古いものを棄てさせる事を生活の一環として
毎日生きているからです。
情報は、常に、消費する事、新たなる物を求める事を良しとする
コマーシャルで溢れ、人々の生活目的までも、流行と言う名の元
常に洗脳されているのが実情です。

人々は、新たに得られた情報の元、日々の食料を買い求め、
衣食住に於ける必要なものを提案されます。
多くの人々は、自分の意思で日々の行動を行い、欲しい物を買い求めていると
思っているのですが、消費経済社会に於いては、その殆どが、何だかの
情報が前もって与えられているのです。

最新流行のファッションと言えど、何年も前から、衣料業界で決められていて
よりビジネスとして成功する為に、仕組まれている事は言うまでも有りません。
メディアの中でも、視聴者に画面を通して呼び掛けられるテレビからの情報は
視聴者の求める著名人や有名医療関係者などを使って効用を謳えば、
その商品は、翌日には、日本中から消えてしまう程です。

つまり、私達の生活は、常に、消費経済を牽引している人達によって作られ
思い通りに動かされていると言っても良いのです。
その為、多くの人が、言われるがままに同じ商品に群がる事は当たり前であり、
その事を目論んだ方々に依る膨大なる商品や食料は、例え大量に余っても
利益が上がれば、平気で捨てられるのが当たり前なのです。

また、消費者も、目的の物が新たに現れれば、それまで求めていた物は、一機に
不用品と成り、消費敬国家は、必要以上の大量な食料資源のロスを生むのです。
確かに、常に最新のものを手に入れ、流行の品物を手に入れ、贅沢な生活を行えば
多くの方が幸せに感じるのかも知れませんが、その生活は、誰かによって
仕組まれている事実を知っていなければなりません。

本当に自分にとって必要でないものまでも買い求める様に作られた社会は、
消費経済国家として進歩するのかもしれませんが、求める消費者は、一向に
本当に自分の求める物が何なのかが解らず、ただ、与えられるままに買い求める
良いカモとも言えるのです。

人の生き方と言うのは、その人の生活環境を見ると解ると言います。
自分の身の回りを見渡して、本当に、自分が必要として買い求めた物なのか
単に便利だとか誰もが持っているものだからと言う物は、殆どが、買わされた
と言っても良いのです。
今流行の断捨離は、生活にとって本当に必要でない物を棄てる事に依って、
もう一度自分の生き方を見直し、新たなる一歩に進めると言いますが、
この事は、如何に、私たち日本人は、必要でない物に囲まれて生活しているか
と言う事が解ります。

かつて、日本人は、物をとても大切にしました。もちろん、現代の様に
便利な生活物資に囲まれていない事も有りますが、道具を大切に扱い
それを次代に伝えて生きていました。
この事は、物に対する考え方と言うだけでなく、他人に対しても、深く考え
対人的に豊かな生活を求めていました。

しかし、現代社会の生活は、簡単に物を捨てる様に、対人的にも希薄になって
ただ、物欲と同じように、他人に対しても、自分の欲求ばかり先走る、いわゆる
ハラスメントを起こしやすい人が増えています。
欲しい物は、お金を出せば何でも手に入ると言う事から、人間関係もお金が基準
と成って、様々なトラブルや事件が多くなっています。

しかしながら、お金で物は買えても、人の心は買えません。
どんなに豊かな生活をしても、その豊かさを手に入れた人よりも、その外見に
人々の目が行く様では、本当に幸せを手に入れたとは言えません。
社会的経済的な豊かさに優る人間的な魅力がなくして、その手にしたものの価値は
評価されず、地位や財産と言った社会的な価値を失えば、周りの多くの人々は
あっという間に、いなくなってしまうのが世の常と言えます。

多くの人が群がるのは、経済的価値が有って集まっているのであって、人間としての
価値を感じて集まっていない場合が実に多いのです。
日本を動かしている人の中でも、その地位や財産や社会的知名度を失ったら、
何の魅力も感じられない人が多い事が残念です。

特に、国民を代表するような人で、自分の欲望には目がなくて、一度、メッキが剥がれると
途端に保身に走る人達は、そのつまらない人間の代表とも言えるのです。
しかし、彼らとて、日本経済社会が作った落とし子と言え、自分達の行っている事が
如何に情けない事かが解らないのが不幸と言えます。

現代日本人が、お金しか信じられなくなって来ているのは、お金がなければ、生活が
成り立たない社会を作り上げた事が問題なのです。
経済社会を成り立たせるためのお金は便利ですが、お金を求める事と自分の人生を
生み出す事とは別なのです。

一生、安全に安心して生きる事が出来る社会が有ってこそ、経済的に豊かに成る意味があり
一部の人達だけが恩恵に預かる社会は、殆どの国民を不幸にしてしまいます。
国民に消費を求めるならば、消費できる余裕ある生活を作る事がリーダー達の役割です。
人々が生きて行く上で必要な生活のベースが有ってこそ、本当に豊かな生活が出来るのです。

生きる事、消費する事にあくせくしなければならない社会は、国民の心を荒げます。
一部の豊かな人達をより豊かにする経済社会は、国民が彼らの奴隷と成ってしまいます。
様々な情報で、豊かな生活をしているかのような錯覚を起こさせて消費を促すようでは
国のリーダーとして、社会のリーダーとしては相応しく無く、やはり、自分の事しか
考えられない、保身と想定外で人々を煙に巻く無能者たちと同じと言えるのです。

 

 

 

 

 

 




最新のファッションは幻想

2015-02-20 20:42:07 | 流行

春が近づくと、桜の蕾も膨らみ、様々な春の花が咲き始めます。
定期的に身を切る寒さがやって来るものの、次第に風も肌に優しく、
私達の気持ちも華やいできます。

しかしながら、最も顕著に春を感じさせるのは、街ゆく人々の姿です。
次第に軽い服装が目立って来るのですが、中でも目を引くのは
若い女性たちの季節に対する敏感な反応です。
服装だけでなく、化粧から持ち物まで、彼女たちのコーディネイトは
全身に及び、その内容は我々男性の考えの及ばない程です。

春のファッションだからと言って、4月の頃に着ると言うのでは無くて
二月を迎える事には、すでに寒さを全く気にせず、早々と明るい色に
身を包む強者もいて、美の世界は厳しく我慢であると言う先人の言葉を
思い出します。

ところで、毎年ながら、季節ごとに、更には、年が変わればファッションが
次々に変化していきます。
私の周囲にも敏感に反応して、流行に遅れまいと、新たなる洋服に
チャレンジしている方もいますが、あまりファッションに興味が無い
私からすると、どう考えても、流行に踊らされている様にしか思えません。

そんな微かな疑問を抱いていると、ファッションに関するニュースが
飛び込んで来ました。
真意のほどは清かではありませんが、なるほどと納得できる部分もあり
興味深くその内容を読んでみました。

やはりファッションの中心はヨーロッパにあるのですが、
いかなるファッションが生まれるかは、何年も前から決定されている様です。
その事は、昔から知られていて、ある一部のファッション業界の大物が
世界から集まって次の流行を決めて行くと言う都市伝説の様な話が
事しめやかに語られていました。

極端に言えば、来年の夏の水着のデザインや色などがすでに決まっていて
この事は、様々な洋服や身の回りのグッズに至るまで及ぶそうです。
何で、そんな一部の人の思惑で世界の流行が決められるのだろうと
少し腹立たしくもなりましたが、更に調べて行くと、もっと深い事情もあり
早く決定しなければならない事も有るようです。

この早期決定の裏には、様々な社会事情もからんでいて、
例えば、かつてヨーロッパで過剰に生産されていた絹製品の
販売を促進するために、何年にもわたって、絹を利用したファッションを
広めてきた経緯もあるようです。

更には、ナイロンが発明され、世界中の衣類が変わり始めた時にも
その何年も先までの販売計画が協議され、国を挙げてナイロンを使った
商品が販売されたのです。

つまり、流向は、新たなる魅力的なファッションが生まれているだけでなく、
その製品や原料が、いかに多く販売されるか、何年も前から業者と共に
私達の目に付く前に流れを決めているのです。

まあ、まんまと業者に乗せられていう訳ですが、新たに生まれた、最新の
ファッションと言えども、実は何年も前から決定されているという事です。
つまり、需要と供給が円滑に行くための一つの方法であり、
こんな解りきった事を取あげないで、単にファッションを楽しめばいいと
若い人達には笑われそうです。

そろそろ嫌な花粉も飛散して来そうですが、桜の季節もやって来ます。
私達も春のファッションに身を包み、大自然の営みを楽しみたいものです。


情報の海で溺れない様に!

2014-12-09 17:04:40 | 流行

最近、私の知り合いの方が、酷い腹痛と下痢で苦しみました。
滅多に病気をすることなく、殆ど一年中風邪すら引きません。
病状を尋ねると、友達から勧められた地中海ヨーグルトを
飲んでその症状になったと言います。

私も、数年前までは、自分で毎日作って、朝食に食べていましたが、
そんな事は一度も無く、いつも美味しく頂いて、健康状態も快調でした。
知り合いから種菌を頂き、一年程毎日食べていましたが、
食べた事によって健康になったとは自覚できませんでしたが、
悪くなった覚えは有りません。

しかしながら、この手の話はよく聞きます。
食べ物だけでなく、薬なども、人から勧められたり、テレビの番組で
その効果を聞かされたりして、早速手に入れる方々も多いようです。

私達の生活は、自分の考えで毎日決定している様で、実は、
様々なメディアや周囲の意見によって動かされている事が多いものです。
今やネットの時代ともなると、一度評判が立つと、その物を求めて
世界中の人々が求めたりします。

つまり、私達は自分の判断ではなく、情報に流されて生きている事も
数多くあるのです。
様々な流行も、誰かが仕掛けているとはいえ、メディアで紹介されると
その流れに乗らないと、世の中から遅れてしまう様に思えたりして
まんまと業者の思いに乗せられているのです。
スマホが流行れば、あっという間に公共機関の中は、画面を指先でなぞる
異様な集団で一杯です。

それにしても、自分の事は解っている様で、直ぐに周囲に感化されるのでしょう。
昔からその傾向はあったのですが、ネットが家庭に深く浸透してくると、
自分で考えることなく、ネットの情報を信じ、その対応に一日中追われている
多くの方々が目立ちます。

解からない事が有れば、ネットで調べれば瞬時に情報が得られます。
そして、その情報をそのまま鵜呑みにしてしまいます。
これはとても恐ろしい事です。簡単に情報操作されたり洗脳されたりします。
自分の事は良くわかっていると思いがちですが、常に、情報を深く考え
自分にとって本当に必要な情報かを常に考える習慣を付けて行かないと
いつの間にか、自分は誰!?と言う状態になってしまう可能性があります。