めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

インスタに見る現代人の孤独

2018-05-04 13:07:49 | 日本人

若者達は、今や、インスタ時代に有り、彼らの生活の中で、
写真のネット投稿は、日々の食事以上に大切と言えます。
もちろん、中高年の方々の多くも熱中していて、如何に、いいね!が
もらえるか、その為には、どれ程多くの注目が集められるかで、
一日のスケジュールが組まれている人達も少なく有りません。

有名な観光地を訪れたり、珍しい食べ物が有ると言う飲食店が有れば、
我先に写真を撮りに出かけます。
彼らにとって、食事が美味しいかどうかは関係なく、如何にインスタ映えし
沢山の人に見てもらえ、いいね!がもらえるかが重要です。
この傾向は、日本に止まらず、今や世界中の人々が夢中になる遊びで有り、
ネットゲーム以上にあらゆる世代に広がっています。

しかし、唯、いいね!が付く写真を撮るだけで、それ程にも盛り上がるのでしょう。
ネットに投稿し、誰か解らない人達が、個人的評価をするのではなく、
まるでヒヨコの雄雌の選別をしているをかの様にしか思えないのですが、
いいね!の数に一喜一憂しているのです。
ただ、この事で、生活が変わると言う訳でなく、例え、いいね!が多くもらえなくても
何度も投稿し続けます。

二十世紀後半からネット社会に突入し、人々の生活にコンピューターが入って来ると
私達の日常は全く変わってしまいました。
特に、携帯からスマホに代わって、見る物聞く物全ての情報が、この小型電子機器を
通じで行われる事と成り、現代人は、老いも若きも生活の全てを委ねる事と成りました。
世界中の情報が得られると共に、最も進化したのが、スマホを使って、人々の情報交換が
頻繁に行われる様に成り、多くのやり取りが、実際に会ってと言うより、ネットを通じ
意思表示をする事が殆どと成ってしまったのです。

この事は、居ながらにして何でもできる、夢の様な世界を実現したと言えるのですが、
人間の人としての意思表示がお互いに解らなくなる事から、例え、常に身近にいても
対人的なコミュニケーションが難しくなって来ているのです。
かつて、ゲーム全盛の頃、子供達が友達の家に集まっても、誰一人お互いに会話する事無く
部屋にこもって、自分のゲームに興じる事に、大人たちは、驚きと不安を感じたものですが、
今や、誰もが、対人的というより、ネットを通じて人と繋がっている時代と成っているのです。

しかし、居ながらにして情報交換ができると言う事は、便利である一方、目の前に相手が居ない
更には、自分の五感を使って相手を感じる事が出来ず、常に、孤独を感じる様に成っているのです。
人は、人にによって、自分の存在意味や価値を感じるものであり、孤立してしまう事がとても辛く
例え、何でも手に入る様な身分に成っても、自分自身の存在価値を見いだせないと、不安になり
生き甲斐を感じられなくなるのです。

経済社会に在って、人々は、個人的な価値観よりも、社会的な価値観を求め、より豊かな生活を
送る事で、満足度を増そうとして来ました。
しかしながら、外見的な豊かさが個人的な価値に繋がらないと、いつまでも不安と不信感が募り
外見的には人も羨む生活を送っていても、心がいつも癒されず、寂しい思いをしている人も多いのです。

この事は、現代人の生活にも当てはまり、何でも知る事が出来る便利なスマホの生活が出来ても
個人的な心の満足が得られない人が多いのです。
いつも誰かに自分の存在を認められたい、自分がこの世にいる意味を感じて居たいとする行為が
実は、インスタに依る投稿ともいえるのです。

ただ、誰とも知れない人達からでも、自分が挙げた写真に、いいね!が付くと、自分の存在を
認められたような喜びが生れるのです。
誰か知らない人であっても、沢山の人達から、いいね!がもらえれば、幸せを感じるのです。
多くの若者達が、ラインでやり取りをしている時も、ラインを送っても、すぐに返事が来ないと
不安に成ってしまいます。相手がラインを送り返してこないからというより、自分が送ったメールが
評価されていない不安を感じるからです。

今や、世界中はネットで繋がり、何でも知り何でも手に入る時代と成りました。
しかし、ネットで繋がる事で、人々の不安が増しているともいえるのです。
以前ならば、お互いに顔を合わせて意思表示する事も、ネットによる情報交換ですんでしまい
直接の対人的な情報交換の時間が大幅に減ってしまったのです。
ネットによる情報のやり取りは、対人的なやり取りに比べ、遥かに感情的なコミュニケーションが
難しくなる事も有って、自分の心が躍動することも無く、単なる事務処理に終わってしまいます。

しかし、人は機械ではなく、便利で豊かな生活を求めているとはいえ、それは、より豊かな
心と身体の進歩を願っての事なのです。
豊かな社会が豊かな人々の心を育てる事無く、多くの方が心から幸せと感じていないのが問題です。
便利なスマホ生活は、生活を便利にすることは出来ても、人々の心を豊かにまで出来ないのです。

人類の進歩は、経済的な進歩を優先したことで、様々な問題が生じて来ました。
最も大きな問題は、人間の心を豊かに出来なかった事であり、便利で豊かな生活をする事で
幸せに成れると思い込んでしまった事です。
たった一言、いいね!とされる事で、満足を得る程、人々の心は、愛情に飢えているとも言えるのです。
コンピューターを使った最新機器であっても、それを使って人々が求めるものは、
人々からの、いいね!の評価である事は、如何に、多くの人達が、便利で豊かな社会に居ながら
心の闇を抱えているかと言う事なのです。

 

 

 



最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (金星宏幸(きんせいひろゆき)より)
2019-06-17 20:49:15
その通りだ。ネット、スマホは便利で知る事は簡単だが全てが浅く浅はかだ。人は夢を見る希望を持つ。その為に努力をしなければならない。特に行動力、経験、体験は大事だ。努力を馬鹿にする現代人、努力は意味が無いと思う現代人。継続は大事だ。仕事と人生は好きな事に賭けなければならない。人はする事が無い、やる事が分からないと言う人が多いが何の為に人生を生きるのか?????スマホ、ネットがなくなればわかること。人は知識と情報だけでは成長が出来ない。何故なら分かると言う事は何かをやらなければ分からないからだ。人生とは哲学だ。
返信する

コメントを投稿