めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

幸せを感じる為に

2017-11-29 16:52:46 | 人生

今年は、日本海沿岸に、北朝鮮からの小舟が多く漂着します。
漁船が操業中に流れ着いたとも言えますが、実態は不可思議な
事ばかりであり、死んだ状態で流れ着く事も有りますが、
船員らしき人が何人も乗船している事も有り、本当に、漁船が
途中で航行不能となり、漂流船と成って日本に流れ着いたとは
言い難い状況です。

これまで、日本海沿岸からは多くの日本人が拉致されていて、
いずれも小舟に乗せられ、北朝鮮につれされれている事も有り、
何だかの意図を持って、日本に侵入して来たとも考えられます。
また、厳しい規律、統制の下とは言え、余りにも苦しい日常に
北朝鮮民衆と言えど、国を棄てて新たなる地を求める気持ちが
有ってとの事も考えられます。

しかしながら、日本にはすでに多くの工作員が侵入しているとも
考えられていて、同じ顔立ちの東洋人は、日本人でも、誰が
北朝鮮からの侵入者だと、見分ける事は不可能と言えます。
もし、有事となれば、一斉に与えられた任務を果たす事と
成るのでしょうが、同じ顔立ちの人の中に、危険人物が
潜んでいるとなると、パニックとなる事は免れません。

軍事的な力は、アメリカには到底かなわないとしても、
もし、実戦となったら、如何に多くのダメージを与えるかを
常に考えて居ると思われ、私達が想像もしない事態が
発生しないとも限りません。
とは言え、今や、日本は、世界中の国々から訪れた人達で
何処も溢れていて、日本でありながら我々日本人が
外人であるかの様な錯覚に囚われる事もしばしばです。

戦争は、国と国との戦いの様に思われがちですが、
長きに渡って同一民族が国を統一して来たと言う事は少なく
多種民族が一つの国を作り上げている事が多いのです。
その為、戦争と成って、多くの犠牲者が生れた時に、
世界中の人々が撒き込まれる可能性が高く、
その影響は、地球規模のものと成ってしまうのです。

今や、世界中の国々は、国境が有るとしても、
そこに住む人々は多種多様であり、一国の平和と言え
単一民族と言うより、多国籍の方々の平和をも考え
様々な思いのもとに築き上げられていかなければ
成りません。
ナショナリズムが、必ずしも同じ民族でしか育たない
と言う訳でなく、民族を超えた国の平和を守る思いが
本当に民主主義を作り上げて行くのです。

とは言うものの、自由で平等な国と言える日本とは言え
いまだ多くの差別が存在し、日本国民同士だけでなく
海外から移住して来た人達に対しても、いまだ、
冷たい視線を向ける人も多いのです。
かつて、男女雇用均等法が出来ましたが、何十年経っても
日本国内に於ける男女の不平等は存在し、誰もが法の下に
平等に扱われると言うのは建前だけと成っています。

私達の住む地球は、かつてない程危機に直面しています。
まるで、真綿で首を絞める様に、しかし、確実に私達の
未来には不穏な空気が漂っているのです。
今日明日に大幅に変わらないとしても、一年一年確実に
地球環境は悪くなっていて、日本に於いても、近年
昔の様な春夏秋冬が無くなり、異常に暑くなったり、また
記録的に寒くなったりと、変わりゆく大自然に、日本人は
翻弄され続けています。

大気だけでなく、大地の動向も急激に活発となって来て
数十年前には、想像もしなかった天変地異が、毎年起こり、
未曽有うの被害が発生しています。
この地球の目に見える変化は、本来、人間の生きている
短いスパンでは感じる事も少ないのですが、余りにも
地球の変化が激しく、私達人類が何の手立ても出来ないのが
現実と言えます。

今後、核ミサイルの話題が消えてしまう程の大自然の驚異が
世界中に訪れる可能性が高いと言われます。
それも、ほんの10年20年の間に怒るかもしれないと予測され
今のペースで地球が変動して行けば、私達人類は、他の生物と
共に絶滅の一途を辿るとも言えるのです。

しかしながら、この人類がどうしようもない大きな地球の変化は
次への時代へのステップであり、人類の時代の終わりを告げて
いるのかも知れません。
とは言え、例えそうだとしても、人類は、この現状を少しでも
改善し、かつての地球へ戻す努力をする事が大切と言えます。
何もしないで、他の生き物と共にこの地球を去るよりも、
少しでも、地球にとって人類が貢献した証を残したいものです。

身近な環境を少しでも改善できれば、住む人々の心も安らぎ
無用なストレスを味わうことなく、今より平和な日々が送れ
人間同士の争いやいざこざも少なくなるのではと思われます。
今や、日本国民だけでなく、世界中の人々がストレスを抱える
極めて面倒な時代の突入していて、本来、生き物として、
環境の中で伸びやかに生きて行くべき人間が、自分達が
作り出した様々な問題で苦しむ事と成っているのです。

経済的に豊かな生活をすれば、何でも手に入れられれば
幸せに成ると思いきや、苦しみから解放される事無く
更なるトラブルを生んでしまっているのが現状です。
その苦しみから逃れようと、より豊かな生活を目指すも
まるで高い山に登っているかの様に、心が安らぐことが
少ないのです。

この事は、やはり、人としての生き方が、自分の欲望を
満たす事が優先され、常に人より秀でる事を良しとする
子供の頃から身に付けた生き方が災いしていると言えます。
自分が押しのけたり蹴落としたりした周囲の人達が、例え
豊かで地位の有る生活を得たとしても、心から歓び称え
称賛してくれることは無いのです。

周囲の他人と幸せを分かち合って成し得た地位や名誉で
無ければ、その地位の素晴らしさを確認できないのです。
そう、自らの存在価値は、自分の関わった多くの人達が
決めてくれるからです。
この事は、私達が生きる地球環境に対しても、同じ事が
考えられ、人間だけの利益を考えた結果、私達人類は、
地球から恐ろしい報復を受けているともいえるのです。

人類のみならず、地球に生きるあらゆる生物は、
自分を取り巻く環境と関わり合って生きています。
そのバランスを逸してしまえば、恩恵は受けられないのです。
この自然の摂理は、人類の生活に於いても同じことが言え
これまでの私達の、自分だけの幸せを優先する生活が、
思ってもみない苦境を生んでしまっているのです。

一生懸命頑張っているのに、いつまで経っても、
心が安らぐことも満たされることも無いのは、
何のために頑張っているかが解っていないからと言えます。
もし、自らの結果に満足したければ、自分の置かれた環境を
より豊かにし、関わる人たちの幸せを常に考えなければ
成し得ない事と言えるのです。

世界中の資源が無くなり、食料が枯渇し、異常気象が頻発するのは
決して私達人間の行いが間違っていたと言うのでは無く、
良かれと思って努力した事が、違っていたと言う事です。
木を見て森を見ず、と言う様に、自分達人類の事しか考えず
人類の進歩だけを考えたからと言えるのです。

ならば、どうしたら良いのか、こんな簡単な事が出来ず、
相変らず間違った方法で生きて行こうとすることが一番の罪であり
人類の浅はかさと言えるのです。
まずは、自分の置かれた環境の中で、如何に自分が周囲の事に
無頓着であったかを知る事です。
そして、自分が気持ち良く生きて行く為には、周囲の環境も
対人関係もどの様に変えて行ったらいいかを考える事が
一番大切と思えます。


相撲界と政界の体質

2017-11-28 16:21:47 | 日本人

今場所は、相撲界が大荒れに荒れました。
横綱が引き起こした暴力問題は、連日メディアを賑わせ、
多くの人達の関心を呼びました。
この暴力問題は、世の中が様々な暴力に対して、批判的に
成って来た事から、これ程にも大問題となったのであって
時代が違っていると、そのまま世の話題とは成らなかったのです。

これまでも、相撲界に於ける暴力問題は、数多く知られていて、
殆どの場合表沙汰になること無く、特に、上位力士による
下位力士に対する暴力は、かわいがり、と言って黙認され
日常的に行われて来た事実も有ります。
しかも、どんなに加害者側に問題が有ったとしても、
不祥事を世間に知られたくない協会は、常々、もみ消しを計り
この事で、多くの力士が辛い日々を送ったり、相撲界を去る
原因ともなって来ました。

本来、相撲は神技であり、神の下で、正々堂々戦い、
相撲道を通じて、人間の在り方をも示すものでした。
例え、横綱になったとしても、常に、心技体を目指し、
驕らず、威張らず、常に、謙虚な気持ちで、人間としての
完成を目指したのです。
この事は、相撲を志す者にとっては共通の理念であって
誰もが、己を律し、努力する事が常と言えます。

しかしながら、神にささげる相撲であっても、
若い力士たちにとって、己を磨き、欲望を抑え、稽古に精進
する事は、容易い事では有りません。
例え、血の滲む程の努力を重ねても、関取として注目を浴び
更には、その頂点を目指す事が出来る人は、ほんの僅かです。

その為、その一握りの力士になる事も、更には、その頂点に
立つことは、あらゆる条件が備わって来なければなりません。
自分の努力だけでなく、多くの人達の助けが有ってこそ
その地位に到達できると言えるのです。

つまり、一人の力士が、大成すると言う事は、その為に
沢山の人達の思いが託されているのです。
神に相撲道を示すだけでなく、人として、多くの人の
期待の下に育てられたと言えるのです。

そんな責任のある地位にある横綱が、不祥事を起こす事は
どれ程多くの人達を落胆させ悲しませるか、その事を
常日頃心に留めていたかが問題です。
綱の地位にあると言う事は、力士たちのお手本であるだけでなく、
人間としても、社会人としても、人の在り方として、
大きな責任を背負う事になるのです。

その為、横綱に推挙される時も、ただ、成績が良いと言うだけでなく
人間として優れている、横綱としての品格が有るといった
社会の人達を納得させる人間性を要求されるのです。
そんな条件を満たしたと言える横綱が、世間の人達を驚かせ
多くの人を悲しませ、落胆させると言う事は、有ってはならず
起ってしまった事実は、横綱本人のみならず、相撲界の体質
そのものにも問題を提議するものです。

世の中が発展して、次第に成熟した社会と成って来ると、
人々は、お互いに人権を守る為、他人との接触に敏感と成ります。
特に、学校や仕事場に於いて多く発生する、様々なトラブルは、
神経質なほど、メディアに於いて問題提起されます。
セクハラ、モノハラ、パワハラと、今や、人と人が接触する場には
常に、接触障害が取りざたされる時代と成っているのです。

今回の暴力問題も、一昔前なら、全く話題にもならず、被害者は
常に泣き寝入りと言うのが普通でした。
最も格式の有る古い体質の相撲界に於いてはなおさらであり、
暴力なのか稽古なのか、常にあいまいな所で処理されていたのです。
たまたま、今回、警察沙汰と成り、それをマスコミが取り上げて
大問題となったのですが、これまで、スポーツ界に於いては
毎年問題に成って来た話題でも有ります。

その度に、管理者の問題やスポーツ選手の在り方が問題視されて
来ましたが、国技である相撲界に捜査のメスが入る事は、
滅多にある事ではなく、しかも、横綱が起こしたとなると
事は、ただでは済みません。
最も権威のある横綱を如何に捌くのか、相撲界も世間も
注目をしているのです。

とは言え、この問題は、力士ばかりに責任を問うものでは無く、
彼らをまとめる相撲協会の在り方が、問題を生んできたとも言え
長年に渡る、相撲興行が、莫大なる利益を生む事から、
この甘い汁を得る事を中心とした力士管理が問われるのです。
今では6場所にまで増えた興行は、地方巡業まで入れれば
力士たちの休む時間も有り有りません。
より、財団として多くの収入を得る為に、力士たちは、
十分な稽古も出来ず、身体を作る間もなく本場所を迎え、常に
怪我と戦う事と成っているのです。

テレビに映る力士の肘や膝から白いサポーターが無くなることは無く
力士自体も、相撲道を極めると言うより、少しでも相撲を取り
より多く収入を得る事を目的とする様に成っているのです。
その為、番付が上がると言う事は、収入が上がると言う事の喜びが
第一と成り、より、人間的に立派な力士になろうとすることなく
下の力士を所得の低い人間として蔑む、器の小さな力士と成って
地位と人間性が伴わない者も出てくるのです。

より成績の良い上位の力士を優遇し、少しでも収益を上げようとする為
例え、上位の力士が問題を起こしたとしても、相撲界の中でもみ消し、
表沙汰になる事が少ないのです。
つまり、どんなに人間的に優れた力士を生むと言うより、より興行収入を
得られる力士を育てようとする体質が有るのです。

神に仕える技能集団とは言え、そこに莫大なる利益が生じて来ると
人々の心に、悪魔がささやき、心技体を目指す心が失せてしまうのです。
この事は、相撲界だけでなく、政界とて同じ事であり、一国の首相が
不祥事を起こしても、何とかもみ消そうとする姿に似ています。
かつて日本の首相がアメリカの航空会社から賄賂を受け取り、
国民の怒りをかった事が有りましたが、この体質は今だ変わらず、
庶民の代表である政治家が、膨大なる利益を得る環境に在ると、
いつの間にか魂を悪魔に売ってしまうのです。

人は、どんなに地位や名誉、財産が有ろうとも、人の上に立つ方でも
自分の欲望しか考えられなくなると、簡単に、罪を犯してしまうのです。
端から見て、社会的に地位が有り、経済性豊かな生活を送っていても
何を持って欲望を満たして来たかで、人生は変わって行くのです。
相撲に於ける、心技体は、誰にでも当てはまる、人として成長する為の
大切な文言と言えます。
この三つの要素を兼ね備えた人は、誰からも慕われ、尊敬されるのです。
しかし、心の中に、経済的豊かさを置いてきた人は、残念ながら、
例え目指す地位や財産を得ても、人からは称えられる事も
慕われることも無く、悪くすれば、妬まれ、憎まれてしまうのです。

とは言うものの、自分自身を律して、人から称えられる人生を送る事は
決して容易い事では有りません。
えてして、自らを苦しめ、自分が犠牲となって不利益となる事も有り
容易な気持ちでは成し得ないのです。
相撲道だけでなく、様々な宗教の道を目指す人も、多くが、修行と言う名の
苦難の道を選ばなければならないのです。

それ程にも、人の道を究める事は困難であり、苦しい努力が必要なのです。
その道は長く、息つく暇もない事も多いのです。
先の見えない努力を重ねている時、欲望を刺激する悪魔の声ががささやきます。
努力をすれば、様々な目標に到達でき、社会的地位や名誉も得れれる一方
この悪魔のささやきも増えてくるのです。
甘味な欲望の世界に浸っている人たちの言葉は、魅力的で本能を刺激します。

この誘いに乗ってしまった多くのリーダー達が蠢いているのが日本の政界
ともいえるのです。
多くの人達の代表として立候補し、庶民の心と思いを国会の場に届けようと
鼻息荒く登庁して数年もすると、いつの間にか、ぬるま湯に浸り、さらなる
欲望のささやきに耳を大きくします。
この結果が、いまだ、日本国民の多くが日々の生活に苦しむ事と成っている
と言えるのです。

何も相撲界の問題ではなく、日本人の作り出す様々な社会に共通の問題が
提議されているともいえるのです。
人は偉くなると、我儘を叶える事に努力をする傾向が有りあります。
この事が、誰の迷惑にもならなければ良いのですが、多くの人達を代表し
その人たちの夢を叶える立場の人達が、この我欲に目覚めて来ると、
その世界は、一部の人達以外は苦しい思いをしなければならなくなるのです。
相撲界に準ずる人達は、もう一度、誰もが、相撲道とは何なのか、
相撲を通して、如何に社会に貢献して行けば良いのか、考え改革する時期であり
この事は、今の日本社会も同じ現象である事は言うまでも有りません。


晩秋の美しい昼と夜

2017-11-27 18:12:11 | 東京

昨日は、今月の最後の日曜日であり、自由な時間が取れる
今月最後の日でも有ったので、昼過ぎから、のんびりと
都内の紅葉ポイントを散策する事と成りました。
少し時期が遅くなったとは言え、都会は郊外に比べ、毎年
紅葉は遅れ気味であり、暖冬の時は、12月に入っても、
街路樹に緑が見られる事も有ります。

12時頃自宅を出発し、渋谷に向かいます。
渋谷からは、山手線に乗り換えて、更には、代々木駅で
中央線に乗り換え、一つ目の駅である千駄木で下車します。
ここは、新宿御苑へ入る為の西の門が有り、余り利用されず
いつ行っても静かなたたずまいです。

入場料を払って園内にはいると、そこは、東京都は思えない程の
深い森に包まれていて、今の時期、モミジやイチョウが美しく
色づいていて、のんびり散策するには最高の場所です。
広大な敷地には、うっそうと茂った森から広大な芝の広場
更には、様々な四季の草花や植物に溢れています。

緑の公園の中に一際目に付くのは、赤く染まったモミジやカエデです。
沢山の観光客の手には、スマホやカメラがあり、一斉に秋の光景を
写し取ろうと、レンズを向ける方向はみな同じです。
しかしながら、それにしても、外人の多い事、すれ違う人達も
植物を愛でる人も、殆どが海外からの観光客か日本在住の方々です。
様々な言葉が飛び交い、とても日本とは思えない程です。

そうは言っても、都内の公園は、海外の方が実に多くなりました。
彼らは、観光として訪れる方々も多いのですが、日本に住んでいて
我々と同じく、仕事のオフを利用してやって来ます。
私達が、美しい自然に心を癒される様に、彼らの気持ちも同じです。
言葉こそ違えど、表情は、晩秋の自然に目じりを細めます。

新宿御苑を後にして、次は、神宮外苑のイチョウ並木を目指します。
そろそろシーズンと思い、地下鉄を利用して下りたつと、そこは
人の波波波です。
のんびりと静かな並木道を散歩でもと思っていたのですが、
交通整理のお巡りさんが出動する、まるで、渋谷の繁華街の様です。
しかしながら、見事に色づいたイチョウは、青い空に高くそびえ立ち
その姿は、伸び伸びと自由を感じさせます。

太古の昔から生き延びた、生きた化石としても知られるイチョウは、

降り注ぐ秋の光に反射して、益々青い空に輝きます。
新宿御苑と同じく、ほとんどすべての人がカメラを向け、更には、
自撮りをして楽しんでいます。
子供たちは、落ち葉を手に一杯持って、高く放り投げます。
とても自由で平和で、心安らぐ光景です。
これ程にも楽しい一日を過ごせる日本が如何に幸せな国であるか、
地球の様々な地域で人々が争い殺し合っているのが理解できません。

美しいイチョウ並木を後にして、表参道まで歩くと、またもや

人の波です。何処まで行っても大手を振って歩けません。
押される様にせかされる様に表参道を明治神宮に向かって歩くと
沿道のケヤキに沢山の電飾が撒かれていて、もうしばらくすると
美しい光景が見られる事が想像できます。

しかし、今日の目的は代々木公園の近くに新たに設けられた

話題の並木道です。
普段、ここを訪れる時は、代々木からNHKの放送局を右にして、
渋谷に向かう道なのですが、この道が美しく変身したと言う事です。
代々木公園に着いた時はまだ辺りが明るく、公園内で時間を
潰す事と成りました。

新宿御苑は、少し規制が厳しいのですが、この公園は、誰でも

自由に入る事が出来、殆ど何をしても御とがめが有りません。
その為、様々なパフォーマンスをする人、楽器を演奏する人
歌を歌う人と、各人が自分の目的に応じて公園を利用しています。
グループで家族で、芝生の上で丸くなって楽しい時間を過ごしたり
園内を走ったり、散歩したりと、其々の生活の延長で楽しみます。

30分ほどするとすっかり辺りが暗くなって、いよいよその時が

やって来ました。
それまで真っ暗だった並木道が、突然、深い青色に光り輝き
渋谷に向かって長いトンネルと成りました。
やや冷たく光るLEDの光は、人々の心を引きつけ、次々に
青いトンネルに吸い込まれて行きます。

名前は、青の洞門、確かにそのようにも見えますが、直ぐに

長大な人の川で埋め尽くされました。
もちろん、殆どの人は、カメラやスマホでこの感動を記録します。
若い人達は、当然インスタ映えのショットを狙います。
久し振りの都内観光は、思ったよりも遥かに感動的であり
どの地であっても、多くの人達の喜びと感動の顔が印象的でした。
特に海外の方達の喜びは、私たち日本人以上であり、
日本人が感動するもの、同じく、海外の方々も感動するものと
改めて人の心には国境は無いものと思われました。

東京は、何でも欲しい物が手に入るだけでなく、様々な感動も

人々に与えてくれる都市であると感じました。
しかしながら、この素晴らしい夢の様な東京も、沢山の犠牲の下
これほどまでに進歩したと言えるのです。

えてして、この素晴らしさに目を奪われて、歓びも感動も得られない

苦しみの中にしか生きられない人たちもいる事を忘れがちです。
人類が皆平等にこの喜びを体験できるかと言えば、実際は
ほんの一部の人達しか感じられないと言う事実が有るのです。

しかも、私達経済大国の犠牲となっている人々も多くいるのです。

私達の繁栄は、犠牲に成っている人達が有ってこそ生まれている
と言える事も少なくないのです。
私達先進国と呼ばれる国の人間は、多くの自然と人々を傷つけて
この経済的地位を築きあげて来たと言っても過言ではないのです。
しかも、更なる繁栄を目指して、より資源を消費し、更には、
人も動物も犠牲にしているのです。

この素晴らしい環境を失いたくないのは事実です。

しかし、この素晴らしさが多くの犠牲から成り立っている事を
知っていなければなりません。
そして、次なる目標は、犠牲になった自然と人間の回復を図る事
これが未来への私たち日本人の道と言えるのです。

世界的な消費経済国家になる為に、素晴らしい日本の自然を破壊し

多くの国民を傷つけて来た事をしっかりと認識したリーダーが、
本当に先進国として世界中の人々から称賛される日本とする為に
本来の日本の自然と思いやりのある日本人を育てて欲しいのです。
欲望の象徴の様な東京が、いつの日か、人々の心のオアシスとなる様
日本の未来が変わって行く事が、日本人の幸せに繋がると言えるのです。

      

 

 

 

 

 

 

 


心が狭く弱体化する日本人

2017-11-24 19:51:06 | 日本人

最近、私達は、人としての価値や意味を示す言葉として
度量の大きさを言う事が少なくなりました。
かつて、人の上に立つ人の人間としての大きさを
説明する時に、度量の大きさと言うのを使いました。
度量とは、様々な意見や考えを受け取る心の広さや
大きさを言い、人々から支持され従われる方の様を
一言で説明する時に使われたものです。

特に年上やリーダーとして人の上に立つ人たちの
能力を示す言葉として、如何に度量が大きな人間に
なる事が出来るかが、大人になる大切な条件とも言え
より人間的に多くの人から支持されるには、この度量が
いかに大きいかが大切でした。

しかしながら、最近の日本人で、人の上に立つ方や
社会的にリーダーとして役割を果たしている人達の中で
余りにも度量が小さい人達が増えてしまいました。
様々な考えを受け入れるどころか、自分の利益と成るか
成らないかで、簡単に自分の考えを変えてしまったり、
自分とは違う考えが示されると、直ぐにヒステリックに
拒否してしまったり、排除しようとしたりする事が多く、
自分の周囲をしっかりと見たり聞いたりする能力に
かける人が目立ちます。

私達は、生まれてから成長して行く過程で、様々な事を
吸収して行きます。
幼い頃は、周囲の環境を受け入れる力が強く、日に日に
心と身体が成長して行きます。
しかしながら、次第に自我が目覚めて来ると、自分と
他の人を分けて考える様に成り、自分の考えとは違う
思いの人達に強く反発する様に成ります。

この事は、大人になる為の人格形成として、誰もが経験する
成長過程の健全な姿と言えます。
生きるために、自分にとって不利益に成ったり、自らを
危険に陥れない為に強く反発できる力は、一人の自立した
大人への大切な条件と言えます。

しかしながら、この力強い自立心を育てる一方、社会的に
一人の人間として周囲の人達とトラブルなく生きて行く為に
自分とは考えの違う人達の存在を受け入れる能力が必要です。
つまり、社会で生きて行くと言う事は、誰しも、一人で
生きて行く事は出来ず、沢山の人達に助けられて、自分の思いが
達成されると言う事を学ばなければならないのです。

誰もが、自分の思いを達成したいと思う為、他人の考えは
自分にとって大きなストレスとなり、思わず反発したり
拒否したくなるものです。
しかし、いつも、他人の考えを受け入れられないと、
自分の思いも受け入れてもらえないのが世の常と言えます。

その為、如何に、人の考えを受け入れる力が有るかが問われます。
この他人の考えを受けとる力が大きければ、沢山の人から
支持される事と成るのです。
しかし、現代人は、この他人の考えを聞き入れる能力に欠ける
むしろ、自分以外の人の考えは受け入れないとする人が多いのです。


人の意見を聞く前に、自分が関わる人では無いと線引きをしてしまう
取り付く島もない方も少なくないのです。
興味のある事や自分が望む事には積極的に参加しても、興味の対象外
であったり、自分が関わらなければならないとすると、それ以上は
立ち入る事も関わる事もしない人が増えているのです。

この事は、家族の間においても目立つ傾向と成っていて、家族でありながら
他人よりも疎遠な状態の、一見幸せそうな家族が多いと言えます。
単に、子供達と大人との世代の感覚の差や、年齢的な差ではなく、
同じ屋根の下に住んでいても、お互いの存在を感じない家族もいます。

その様な異常事態で一体幸せなのかと思ってしまうのですが、
彼らの幸せの基準は、自分自身が持っている生活観や社会観であり
トラブルが無ければ、何の問題も無いとするのです。
その為、家族の中で、一喜一憂、和気あい合いと言った事は無く、
ただ、同じ屋根の下で、部屋をシェアしている様なものなのです。

彼らが一番恐れるものは、家族であろうが他人であろうが、自分の心に
入り込んでくる人と言えます。
つまり、自分以外の考えを持つ人が、自分のテリトリーに入って来る
というのが許せないのです。

この様な人々が増えて行く社会で起こる問題が有ります。
人間そのものに常に怯える人達と、自分以外の考えの人を排除しようと
様々な攻撃を加える人が目立ってくるのです。
日本に於いても、多くの庶民が、対人的に必要以上の恐れを抱く人が多く、
特に、若い人達に増えていて、いつも自分が傷つけられやしないかと
怯えていいる人達と、いつも攻撃的で、自分の欲望を叶えるためにしか
行動しない人に分けられて来ています。

怯える日本人は、一般庶民、しかも生活に苦労している方々に多く、
自分の欲望のままに生きて、周囲の人達を傷つけている事すら解らない
我儘な人達は、比較的生活に困らない人達に多く見られます。
どちらも、本来の日本人の姿には程遠く、ここ100年程の間に生れて来た
新たなる日本人の特性と言えます。

この原因は、明らかに、明治以降、日本が取り続けた、消費経済社会が
人々に与えた影響といえます。
より豊かな生活をする為の、経済性を生きがいとした日本人の生活は、
日本人が本来持っていた、人と人との深い関わり合いを寸断しました。
他人の事は構ってられず、如何に、他人の上に立つかが、子供の頃からの
教育の中心となって、経済的に豊かな社会人となる為の教育が、
対人的な心を成長させる事が出来ず、多くの人々が関わり合って生きている
現代社会に於いて、他人との関わり合いに問題を生じる人が多いのです。

経済的に豊かな生活から振り落とされた人たちは、経済力を基準と考えて
生活して来た事から、既に人生に対して自信が有りません。
自らの地位を、敗北者の様に考え、社会的な地位だけでなく、自分自身の
弱さを自覚し、誰かに傷つけられないかと怯えながらの生活をしています。
必要以上に気を使いながら、常にストレスに晒される毎日です。

一方、消費経済社会の波に乗った人達は、勝者として、自分の生き方を

常に正当化し、我儘な生活を送ります。また、自分達の地位を自覚する為
生活弱者を排他したり蔑視したりする傾向が有ります。
しかしながら、彼らとて、消費経済社会では、いつ何時、自分より下と
思われる人たちから引きづり落とされるかも知れ無いとする心配から、
自分のテリトリーのセキュリティに神経を使い、出来るだけ、目立たたない様
隠れる様に生活している人も多いです。

いわゆる勝ち組負け組、どちらも、消費経済社会の被害者と言えるのです。
経済的な価値判断は、自分の本当の人格を認められず、社会的な地位や身分で
判断されるしか無く、どんなに頑張っても、本当の自分自身を見てくれる
理解してくれる人に恵まれず苦しんでいる方も多く居ます。
この事は、消費経済社会を築き上げた人たちが、人々の幸せを経済性で
判断して来た事が大きな原因と言えます。
人々の幸せは、経済力、つまり金で決まるとする考えが、多くの人々の
心を苦しめ、本当の幸せを失わせる原因となっているのです。

高度成長期に多く発生した公害による被害者達に、補償として、
お金で解決して来た事で、問題は無くなったとする考えが、
いまだに多くの苦しむ人達を生んでいるのです。
どれ程、高度成長の陰で人々が日々苦しんだかという気持ちを
理解しないで、それを、お金に換算して処理した事が、人々の
怒りと悲しみを生んでいるのです。

日韓で常に問題に成っている従軍慰安婦問題も、その根本は
被害者に対する経済的な解決を主体とした事に依ります。
つまり、苦しんだ人達に、お金を渡して問題を解決したとした
日本政府の態度が韓国の人々の怒りを買っているのです。
この事は、日本中でこれまで起こった公害問題の解決法と
全く同じであり、札束でほっぺたを叩く様なやり方です。

しかし、そういう方法でしか生きて来なかった消費経済国家の
優等生たちには、何故、彼らがこれ程にも事を荒立てるのか
理解できないのです。
子供の頃に、テストの点数さえ良ければ、何でも許される
社会的に認められるコースに乗って政治家や官僚となった人は
この理由が頭では理解できても、心からは理解できないのです。

残念ながら、日本人が行った卑劣な行為は消す事は出来ません。
どんなに、お金を積んでも、その事実は消えないのです。
もし、怒りを納めるとしたら、韓国の方々が、自ら自分の
心の炎を消さなければ永久に消えないのです。
私達日本人がしなければいけない事は、経済的な力で
彼らの行為を辞めさせようとするのではなく、自分達の愚行を
しっかりと認識し、忘れる事無く、未来に伝え、私達の誠意を
時間を掛けて韓国民に示す事しか有りません。

少女像を建てる韓国民は、心の怒りを日本人に示しているのであり
その撤去を求めているのは、日本人の利益を考える人達の算術です。
この差が無くならない限り、例え力を持って取り去ったとしても
韓国の人達の心にその像はいつまでも残るのです。

この、弱者をいたぶる構造は、個人であろうと、国家であろうと
全く同じであり、加害者側が国や経済力が豊かな人達であれば、
例え、間違った事をしても、その罪を、経済性で償おうする事に
被害者たちの心を苛立たせる原因が有るのです。

日本中で起こる災害による被災者、公害に依る被害者、あらゆる
トラブルに見舞われた人たちが、経済的に支援を受けたとしても
それは、弱者に対する上からの目線であり、例え、多くの支援を
受けたとしても、被害に遭った人たちの心は癒されないのです。
しかし、自分達が考える豊かさ幸せを、経済力とする人達にとって
多くの経済的支援を与える事しか考えられないのです。
残念ながら、社会的経済的に勝者であっても、人間としては
無知無能無節操というレッテルを貼らざるを得ないのです。


確かに、明治から100年をかけ、日本は、世界でも有数の
経済発展国家と成りました。
しかし、この外見的発展がすなわち日本人の幸せと考える人は
この発展で暴利をむさぼった人たちと、彼らの考えを、小さい頃から
教育の中心に据えられて勉強してきた人達です。
周囲の仲間内が同じような教育を受けた人達ばかりである事から、
人の心を感じる能力に欠け、国民が苦しんでいる理由が解らないのです。
日本人が、本当に幸せとなるには、明治から100年かけて不幸と
なったのですから、少なくとも、100年はかかると思われます。
しかしながら、100年先に日本が存在しているのか、神のみぞ知る
恐ろしい未来と言えます。



 


リーダー達の我儘が世界を滅ぼす

2017-11-22 17:37:54 | 戦争

アメリカのトランプ大統領は、更なる強力な制裁を
北朝鮮に科す事で、核放棄に従わせようと考えていますが、
この行為は、北風が太陽と、旅人のコートを脱がせようと競う
物語と似ています。
どんなに北風が強く吹き付けても、旅人はコートを脱ぎ棄てず
太陽の暖かい光が旅人のコートを脱がすと言うものですが、
大統領は、本当に、核放棄が出来ると考えているのでしょうか。
北朝鮮のこれまでのかたくなな態度は、いかなる手段を持ってしても
屈服するとは言えず、ますます、軍事的解決にしか道を見いだせず
世界の人々にとって、余り好ましい方法とは言えません。

日本に於いても、戦国の世から、兵糧攻めと言う戦術が有り
敵を屈服させる方法として使われてきましたが、現代社会に於いて
果たして有効であるかと言えば、余り期待できないと言えるのです。
強力な制裁処置を行ったとして、一体、誰が利益を得ると言うのでしょう。
当然、北の幹部にはなんの効果も無いでしょうし、苦しむのは
一般の民でしかないのです。
また、この制裁に反発して、ミサイルを発射した時、大きな被害は
免れず、もし核ミサイルが使用されれば、長きに渡って、人々は
苦しむ事と成るのです。

制裁の苦しさのあまり、交渉の場に出て来ると考える事は出来ず、
窮鼠猫を嚙むと言った事態になりかねないのです。
問題は、このトランプ大統領の対北朝鮮政策に、日本政府が
準じた行動を取っている事です。
既に、我が国は、アメリカと同等とみられている事も有って、
もしもの事態となれば、韓国と共に我が国も、無事では有り得ません。

アメリカも日本の防衛省も、緊急事態に対する防衛策を考えていると
発言していますが、この言葉に安心している日本国民は、僅か
であることは否めません。
半世紀以上も戦争をした事も、戦争を想定した国家を作って来なかった
と言う事実は、例え準備が出来ていると言っても、実践に於いては
とても日本国民を守ると言うには程遠いと言えるのです。

もし戦争となった時、アメリカの利益の為にアメリカは戦い、
その為には、韓国も日本も戦場に成っても構わないと言うのが
トランプ大統領の本音と言えます。
アメリカ本土の防衛のために、日本や韓国に米軍を駐留させ
極東の地域で戦火を止めようとするのが意図と言えます。
日米安保の下、日本を守ると言うより、その前に、日本と
韓国に居る米軍を守ると言うのが真相と言えます。

何故、戦争が終わっても、アメリカ軍は、日本各地に
駐留し続けるのか、沖縄で米兵による卑劣な犯罪が
何度も起こっても、決して沖縄から撤収しようとしないのは、
日本人がどの様な目に合っても、自分達の利益が優先していて
たとえ戦争と成っても、この態度は変わらないのです。

沖縄は日本の国土でありながら、その大半がアメリカ軍の基地
であり、住民は、彼らの支配下でその横暴さに辟易しているのです。
日本でありながら、日本の法律は全く通用せず、何が起こっても、
アメリカに都合の良い様に処理されているのです。

この現実を、戦後長きに渡って、日本政府は無視続け、沖縄が
日本に返還されたと言っても、島民たちは一向に日本人としての
幸せは得れないのです。
この事は、日本各地に散らばる米軍基地についても同じ事が言え
いまだ日本は、アメリカの支配から独立していないのです。

これ程にも、国民全体の思いを無視続けられるのか、表向きの
リップサービスが得意な政治家は多くいても、本当に、
国民の事を考えている政治家が少ないのは、如何に国民と
向かい合うより、多くの利益を与えてくれる方々と繋がって
いた方が余程待遇が良いと言えるのでしょう。


とは言え、戦後、これ程にも日本人としての士気が低くなった
時代は有りません。
世の中が不景気で、人々の気持ちが暗くなっているだけでなく、
日本を変えてくれるべき人たちが余りにも情けなく、
未来を夢見る事が出来ない国民が増えています。

生活が豊かになっても、心は豊かに成らず、社会的に高い
地位や名誉、更には財産を得たとしても、その成果を喜ぶ人は
誰も居ません。
自分の欲望の為に築き上げた社会的なポジションは、自己満足で
納得しなければならず、妬み誹り、誹謗中傷の対象と成らない様に
目立たない様に生活しなければならない方が多くなりました。

努力をすれば報われる、と昔の人は言いました。
報われるとは、その努力を認め、褒めたたえる人が多くなると
言う事です。
地位が上がればそれだけ多くの人から自分の素晴らしさを
教えられるのです。

様々な環境の下で、多種多様の人格が生れ、それを認め有る事で、
本当の自由と幸せを得たいとする人たちが増えていいるのです。
教育界に於いても、子供たちは、いじめという差別から卒業し、
其々の個性を認め合う事で、同じ時代を生きて行こうとしています。
その為には、お互いに誰しもが、本音でやり取りができる社会が
求められているのです。

争いは、お互いの立場を認めないで、自分の思い通りにしようとする事で
生まれて来るものです。
家族に於いても、友達同士であっても、会社の様々な組織で有っても、
更には、国家間のやり取りに於いても、お互いの立場を認める事は
最も大切な事と言えるのです。

当然、制裁によって思い通りにしようとするのも、危険なミサイルによって
相手の口を封じようとすることも、その根本の問題は、人間のエゴが
生み出す醜い争いと言えるのです。
更なる問題は、お互いの違いを理解としないで、自分の狭い知識から
勝手に相手の価値や人格を見下し、人間としての低い評価を下す事です。

今や、世界中の人々が、このヒステリックな感情に苛まれて
お互いに傷つけあう事しか解決の意図を見い出せない状態なのです。
人と人との関わり合いが薄れ、外見的な地位や財産、経済力が
幅を利かせる社会は、多くの物を得る事で、多くの人々を傷つけ
争いを生む原因を生んでいるのです。

直接に人としての関わり合いからの解決策を見出す事をしないで、
膨大なる情報から判断する事で、安易に物事を進めようとして
利益のみが優先した社会が増えているのです。
ネットによる膨大なる情報処理は、他人との関わり合いを無くし
単に経済性を優先した社会を作る事と成ったのです。

便利になると思われるネット社会は、人々が、その機械による
判断で振り回される事と成り、次第に、対人的に相手の気持ちを
理解する術を失う様になってしまったのです。
人との関わり合う場で、自分の気持ちを入れないで、便利で早い
コンピューターの力を借りる事に依り、一段とスピードアップし
経済効率を増したのですが、全ての情報処理が、人の手を介せず
機械同士の情報処理で成される事に依り、人々は人としての成長を
止めてしまったと言えるのです。

情報を片手に、まるで子供の様な感情で罵り合うさまは、
既に、対人的なやり取りを見失った様と言えるのです。
この事は、国家間のやり取りだけでなく、消費経済国家である
日本に於いても、多くの国民を悩ませる原因とも成っているのです。

人々がいつも関心を寄せるのは、手の平に収まったスマホの画面です。
例え大統領であっても、その画面に、自分の感情をぶつけています。
多くの人が一斉にスマホに釘付けに成って、周囲の環境をシャットアウト
する様は、正に、目の前の人から得られる様々な情報を遮断して
自分だけの世界に正解を求めていると言えるのです。

自分の興味だけを見つけられるネットの世界は、人々から、対人的な
直接伝わる人からの感情を受け取る能力を失わせ、お互いの行動や
言動が的確に行われず、常に、傷つけ傷つけられる条件を高めました。
現代人は、便利なスマホを持つ事に依って、社会に居ながら
社会から逸脱した環境に生きる様に成っているのです。

この事は、集団で協力して生きて行く人間社会に於いては、
様々なトラブルを生みやすく、便利とは言え、ネットの利用次第で
人を傷つけたり苦しめる事が非常に簡単に成ってしまうのです。
いまや、一国の大統領が、ツイッターで感情暴露をしています。
その安易な発言が、どれ程多くに人々に影響を与え、時に世界を
危機に陥れるかもしれないのに、本人は、その恐ろしさが全く解らず
まるで子供の様な感情で誹謗中傷の言葉を発信しています。
方や、核爆弾を搭載できるミサイルでおもちゃの様に遊ぶリーダー
どちらも、人間的に正しい判断を逸していると言えるのです。
どちらが正しいと言うより、どちらも世界の人々を不幸にしてしまう
可能性が高い事が一番の問題と言えるのです。

経済性を優先した社会は、人間の価値観を外見的なものとし、更には
あらゆる情報処理をコンピュータからの指示に従う事に依って
益々、人と人が関わり合って、お互いの思いを受け取りながら行う
人間の成長を兼ねた情報交換が失われてしまいました。
人間が自らの考えから創造して来た社会は、機械による判断により
更なる経済性と合理性を兼ね備え、究極のネット社会へと進んでいます。

当然、人間の判断より機械の判断が優先さえる事に依り、人が考え
人間にとって相応しいと思われる社会と言うより、AIが考える
機械と生物の最も適した社会が作られるかもしれません。
これまで、自分達の思うがままに利用して来た地球の資源や食料も
全て、機械によって管理され、人間としての考え方を否定される
と言うより、人間の存在自体を否定さえるかもしれません。

人類が、自分達の進歩の為に行って来た事が、地球環境に多大な
ダメージを与えた事に対する機械の判断が、果たして、私達を
この世に存在させるべきと考えるのか、地球生物の中で
もっとも危険で凶悪な生き物として処理されるか、最後の審判が
近い将来成される事になると考える学者も出てきました。

地球上に生まれた様々な生物は、幾度となく大絶滅を繰り返し、
様々な形態に進化して種を繋いで来ました。
そんな生き物の中で、人類は、あらゆる生物の頂点と成り
他の生き物達を利用して、自分達の種を繋ぎ、テリトリーを
広げてきました。

そして、その最高の知能を持った人類が創り上げたAIによって

人類は長足の進歩を遂げると思われていたのですが、
機械の能力は、私たち人類の英知を遥かに凌ぐように成ってしまい
今や、人類の未来を危ぶむ存在と考えられるまでになっているのです。

人類は、初めて、自然の力ではなく、自ら作り出した機械によって
絶滅させられるかも知れないのです。
その日は、遠い未来の様に思うのは人間だけの思いであり、
私たちの想像をはるかに超えたスピードで、機械の支配する世界が
間近と成っているとも言えます。

そんな非常事態に、人間同士が相変わらず罵り合って、自分勝手な

主張を繰り返し、世界中で醜い戦争やテロを続けています。
この醜い争いにも、多くのコンピューターが利用されているのですが、
ネットの世界は、人類の敵味方と言う考えに従い続けるとは限りません。
敵同士のコンピューターが優れたAIによって繋がってしまって、
どちらの人間も絶滅させる可能性すらあると言われています。

人間界で、お互いに内輪揉めをしている間に、私達がどんなに頑張っても

倒す事が出来ないとんでもない機械に世界を支配されるかも知れません。
一部の人達の身勝手な行動や考えが、世界中の人々を苦しめるだけでなく
人類存亡の危機を招きかねないとも言えるのです。