今年は、日本海沿岸に、北朝鮮からの小舟が多く漂着します。
漁船が操業中に流れ着いたとも言えますが、実態は不可思議な
事ばかりであり、死んだ状態で流れ着く事も有りますが、
船員らしき人が何人も乗船している事も有り、本当に、漁船が
途中で航行不能となり、漂流船と成って日本に流れ着いたとは
言い難い状況です。
これまで、日本海沿岸からは多くの日本人が拉致されていて、
いずれも小舟に乗せられ、北朝鮮につれされれている事も有り、
何だかの意図を持って、日本に侵入して来たとも考えられます。
また、厳しい規律、統制の下とは言え、余りにも苦しい日常に
北朝鮮民衆と言えど、国を棄てて新たなる地を求める気持ちが
有ってとの事も考えられます。
しかしながら、日本にはすでに多くの工作員が侵入しているとも
考えられていて、同じ顔立ちの東洋人は、日本人でも、誰が
北朝鮮からの侵入者だと、見分ける事は不可能と言えます。
もし、有事となれば、一斉に与えられた任務を果たす事と
成るのでしょうが、同じ顔立ちの人の中に、危険人物が
潜んでいるとなると、パニックとなる事は免れません。
軍事的な力は、アメリカには到底かなわないとしても、
もし、実戦となったら、如何に多くのダメージを与えるかを
常に考えて居ると思われ、私達が想像もしない事態が
発生しないとも限りません。
とは言え、今や、日本は、世界中の国々から訪れた人達で
何処も溢れていて、日本でありながら我々日本人が
外人であるかの様な錯覚に囚われる事もしばしばです。
戦争は、国と国との戦いの様に思われがちですが、
長きに渡って同一民族が国を統一して来たと言う事は少なく
多種民族が一つの国を作り上げている事が多いのです。
その為、戦争と成って、多くの犠牲者が生れた時に、
世界中の人々が撒き込まれる可能性が高く、
その影響は、地球規模のものと成ってしまうのです。
今や、世界中の国々は、国境が有るとしても、
そこに住む人々は多種多様であり、一国の平和と言え
単一民族と言うより、多国籍の方々の平和をも考え
様々な思いのもとに築き上げられていかなければ
成りません。
ナショナリズムが、必ずしも同じ民族でしか育たない
と言う訳でなく、民族を超えた国の平和を守る思いが
本当に民主主義を作り上げて行くのです。
とは言うものの、自由で平等な国と言える日本とは言え
いまだ多くの差別が存在し、日本国民同士だけでなく
海外から移住して来た人達に対しても、いまだ、
冷たい視線を向ける人も多いのです。
かつて、男女雇用均等法が出来ましたが、何十年経っても
日本国内に於ける男女の不平等は存在し、誰もが法の下に
平等に扱われると言うのは建前だけと成っています。
私達の住む地球は、かつてない程危機に直面しています。
まるで、真綿で首を絞める様に、しかし、確実に私達の
未来には不穏な空気が漂っているのです。
今日明日に大幅に変わらないとしても、一年一年確実に
地球環境は悪くなっていて、日本に於いても、近年
昔の様な春夏秋冬が無くなり、異常に暑くなったり、また
記録的に寒くなったりと、変わりゆく大自然に、日本人は
翻弄され続けています。
大気だけでなく、大地の動向も急激に活発となって来て
数十年前には、想像もしなかった天変地異が、毎年起こり、
未曽有うの被害が発生しています。
この地球の目に見える変化は、本来、人間の生きている
短いスパンでは感じる事も少ないのですが、余りにも
地球の変化が激しく、私達人類が何の手立ても出来ないのが
現実と言えます。
今後、核ミサイルの話題が消えてしまう程の大自然の驚異が
世界中に訪れる可能性が高いと言われます。
それも、ほんの10年20年の間に怒るかもしれないと予測され
今のペースで地球が変動して行けば、私達人類は、他の生物と
共に絶滅の一途を辿るとも言えるのです。
しかしながら、この人類がどうしようもない大きな地球の変化は
次への時代へのステップであり、人類の時代の終わりを告げて
いるのかも知れません。
とは言え、例えそうだとしても、人類は、この現状を少しでも
改善し、かつての地球へ戻す努力をする事が大切と言えます。
何もしないで、他の生き物と共にこの地球を去るよりも、
少しでも、地球にとって人類が貢献した証を残したいものです。
身近な環境を少しでも改善できれば、住む人々の心も安らぎ
無用なストレスを味わうことなく、今より平和な日々が送れ
人間同士の争いやいざこざも少なくなるのではと思われます。
今や、日本国民だけでなく、世界中の人々がストレスを抱える
極めて面倒な時代の突入していて、本来、生き物として、
環境の中で伸びやかに生きて行くべき人間が、自分達が
作り出した様々な問題で苦しむ事と成っているのです。
経済的に豊かな生活をすれば、何でも手に入れられれば
幸せに成ると思いきや、苦しみから解放される事無く
更なるトラブルを生んでしまっているのが現状です。
その苦しみから逃れようと、より豊かな生活を目指すも
まるで高い山に登っているかの様に、心が安らぐことが
少ないのです。
この事は、やはり、人としての生き方が、自分の欲望を
満たす事が優先され、常に人より秀でる事を良しとする
子供の頃から身に付けた生き方が災いしていると言えます。
自分が押しのけたり蹴落としたりした周囲の人達が、例え
豊かで地位の有る生活を得たとしても、心から歓び称え
称賛してくれることは無いのです。
周囲の他人と幸せを分かち合って成し得た地位や名誉で
無ければ、その地位の素晴らしさを確認できないのです。
そう、自らの存在価値は、自分の関わった多くの人達が
決めてくれるからです。
この事は、私達が生きる地球環境に対しても、同じ事が
考えられ、人間だけの利益を考えた結果、私達人類は、
地球から恐ろしい報復を受けているともいえるのです。
人類のみならず、地球に生きるあらゆる生物は、
自分を取り巻く環境と関わり合って生きています。
そのバランスを逸してしまえば、恩恵は受けられないのです。
この自然の摂理は、人類の生活に於いても同じことが言え
これまでの私達の、自分だけの幸せを優先する生活が、
思ってもみない苦境を生んでしまっているのです。
一生懸命頑張っているのに、いつまで経っても、
心が安らぐことも満たされることも無いのは、
何のために頑張っているかが解っていないからと言えます。
もし、自らの結果に満足したければ、自分の置かれた環境を
より豊かにし、関わる人たちの幸せを常に考えなければ
成し得ない事と言えるのです。
世界中の資源が無くなり、食料が枯渇し、異常気象が頻発するのは
決して私達人間の行いが間違っていたと言うのでは無く、
良かれと思って努力した事が、違っていたと言う事です。
木を見て森を見ず、と言う様に、自分達人類の事しか考えず
人類の進歩だけを考えたからと言えるのです。
ならば、どうしたら良いのか、こんな簡単な事が出来ず、
相変らず間違った方法で生きて行こうとすることが一番の罪であり
人類の浅はかさと言えるのです。
まずは、自分の置かれた環境の中で、如何に自分が周囲の事に
無頓着であったかを知る事です。
そして、自分が気持ち良く生きて行く為には、周囲の環境も
対人関係もどの様に変えて行ったらいいかを考える事が
一番大切と思えます。