めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

大都会の幻想

2014-08-30 12:59:35 | 社会

大都会に長く住んでいると、住めば都というより、人はそこに慣れ親しみ
毎日の日常が淡々と流れていくものです。
上京してしばらくは、見るもの聞くものすべてが新鮮で華やかで美しく
まるで初めて巨大遊園地に行ったような気分になります。
人も車も、あらゆる目に飛び込んで来るものが、好奇心をかき立てます。
それゆえ若者たちにとっては魅力的で、いつの世も夢を見て集まるのでしょう。

しかし、そんな素晴らしい楽園も、家族を持ち、仕事を長く続けていくにつれ

素晴らしさは便利さに変わり、華やかさは人の欲望と幻想に変わっていきます。
天を突く巨大な高層建築も、華やかな商店街も、全ては人の心の表れで
文化と言えば聞こえはいいですが、あらゆるものが、人の欲望を満たすための
巨大な罠の様にも見えてきます。

都会というのは、甘い蜜を餌にした罠を仕掛ける側と、それに群がる獲物にあたる

多くの人々で成り立っている様にも思えます。
もちろんどちらになるかは、日々変わる事によって生活が成り立っているのですが、
問題は蜜を仕掛ける側が巨大化して、蜜を捕りに行く側の力が弱体化している事です。

中小の様々な企業や商店が自立する事が出来ず、一部の大手に吸収されています。

吸収されても経営を成り立たせている人たちは良いのですが、その一方、様々な業種で
破産、倒産が目立っています。
一部の大金持ちと、多くの貧乏人という、資本主義社会では両者がいずれ弱体化する
悪いパターンが生まれつつあります。

沢山の業種が集まって成立していた大都会が、次第に合併統合され、一部の大手に

牛耳られていく事により便利で巨大化していくにせよ、はみ出た多くの失業者や業種は
その生産力を失い、次第に社会の弱体化を生んでしまいます。

華やかな大都会の街並みを歩くと、着飾った多くの人々が楽しげに語らい、各店舗には

若者たちが溢れています。特に量販店には、若い世代のみならず、多くの高齢者も
買い物カゴ片手に物色しています。
その姿は、豊かで裕福で、都会に住み生活する楽しさが溢れているように見えます。

でも、こんなにも華やかな街角でアンケート調査すると、特に、若い人達の財布の中身は

ブラウス一枚も買えない状態が多いのです。
現在の多くの若者にとって、たとえ就職できたとしても、大都会で生活していると
様々な生活必需品の出費が多く、少ない収入からねん出できるお金はわずかなのです。

高齢者に至っては、生活費をに加え、医療費や保険料で、決して豊かに老後を過ごすと

いう訳にはいかず、やはり、自由に使えるお金は知れているのです。

大手資本により増々巨大化して華やかさを増す大都会は、一部の成功者による象徴であり

今や、多くの庶民はその偉業?を見せつけられているに過ぎないのです。
本当に心から都会の素晴らしさに浸れるには、やはり、根本の生活が安定し
未来が約束されていなければなりません。

自由主義社会、資本主義社会というものは、一部の満たされた人々が牛耳る社会ではなく

その富がすべての人々に循環してこそ成り立ちます。
日本に生まれた喜び、日本で生きて行く夢と生きがい、全ての人の心が大都会の
華やかさの様に心の底から笑顔となる様に望みたいものです。


季節の移り変わりに見えて来るもの

2014-08-29 12:59:12 | 天候

少し涼しい日が続くと、昼間に屋外に出てみようかと言う気になります。
家を出たとたん、ギラギラとした日差しに、周囲の自然を楽しんだり
街並みをブラブラする気分にならず、思わず涼しい屋内を求めたりしましたが、
控えめなセミの鳴き声に、目黒河畔の桜並木を眺めたり、早い秋を探したりしています。

長袖や上着を羽織る人々の間を、ティシャツやランニングシャツで足早に歩くのは
やはり若い世代の人達で、涼しくなってホッとしたものの、過敏に上着を用意するのは
私達オジサンの世代なのでしょうか。

雨が降ったり止んだりの鬱陶しい天気なのですが、この夏の余りの暑さから
返って水を得た魚の様に、傘もささずに小雨の中を歩いても気になりません。

私は仕事柄昼に出勤して夜遅く帰宅する毎日なのですが、利用する公共機関は
乗る時間によって客層が全く違うのに驚かされます。

昼ごろ出かけると、バスや電車の中は、ほとんどがお年寄りで占められています。
特に、月末の縁日が開かれる近所の御不動さんは、集中的に昼ごろお年寄りが集まります。
そのコースに当る私が乗るバスは、その日ともなると、普段でもシルバー世代で一杯なのに
まるで、高齢者のラッシュアワーの様な状態で、身動きすらできません。

普段ならばお年寄りを気遣って、若い人達も優しく席を立ったりするのですが、
座っているのも年寄りなら、立っているのも年寄りだらけです。
私も他人ごとではないのですが、私が一番若く見える程の長高齢者の集団が多いものです。

また、私の帰る時間帯は深夜に近い事も有って、バスは最終が多く、電車も、残業で疲れた
サラリーマンや酒の席で楽しんできたややアルコールが臭い人達が目立ちます。
一年を通じて同じような時間帯で公共機関を利用していると、何故か、乗り物の中は
こんな人達ばかりの様な錯覚をしてしまいます。

しかし、時たま、普通のサラリーマンの時間帯で出勤や退社をすると、その情景は一変します。
朝の駅においては地獄です。慣れない私は右へ左へと押し流され、電車に乗れても
息つく暇がないほど押し込まれます。

慣れと言うのは恐ろしいもので、たった一度経験しただけで、自分は絶対サラリーマンには
成れないと自覚してしまいます。日本を支える多くの人々がこの激務に耐えて仕事をしていると
思っただけで頭が下がる思いです。

ところで、少し一般の方々と違った時間帯で生活する私たちにとって、都会の喧騒を
忘れさせてくれる空間が有ります。
大したことはありませんが、庭の小さな緑の空間です。

夏の暑さに忘れ去られていましたが、ここ2~3日、窓を開けると優しく迎えてくれます。
小さなポットの苗が、今では緑のカーテンになったゴーヤも、幾つか実を膨らませ
中には熟しすぎて色付いた物も出てきました。
背丈も大きさも全く比べものにならなかったバジルは、どちらも肩を並べて空に向かっています。
人も動物も植物も、一生懸命生きているんだと感じるのもこの涼しさのお蔭かも知れません。



涼しげな空間に色付くゴーヤの実



揃って緑の葉を広げます。
左が苗で買ったゴーヤ、右が種から育てたゴーヤです。

 


生きる力と、見守る心

2014-08-28 13:55:40 | 生きる力

我慢が出来ない程の暑さが、突然秋の空気に変わりました。
朝夕開けっ放しにした窓から、ヒンヤリとした風が忍び込んで来ます。
あの好戦的なギラギラとした日差しは何処に行ったのでしょう。

目黒河畔の桜並木からうるさく鳴いていたアブラゼミの鳴き声が

雨音にかき消され、弱よわしく途切れとぎれに聞こえた来ます。
ここ数日は、朝方までぐっすりと眠れます。
暑さが大嫌いな息子の部屋から扇風機の回る音がしなくなりました。

目を細めたくなるような強い日差しの中、余程の用が無い限り

出る事が無かった庭に、小雨がぱらつく朝方出てみました。
見渡す限り、猫の額の様な庭ですが、夏草が茫々です。
梅雨の頃に一度目立つ雑草を取り払ったはずなのに、
今年の夏は何かと忙しかった事も有って、正に原っぱです。

朝の雨でぬれた草の上を足が濡れない様にゆっくりと歩くと、

ブロック塀の側に、春に植えたバジルが目に飛び込んで来ました。
方や今年の春、花屋さんで購入した苗まで育てられたバジル、
一方、昨年の秋に初めて種を収穫し、発芽をするところから育てた
かなり思い入れが強いバジルです。

5月の時点で、花屋さんから買ったバジルは緑の大きな葉が4~5枚

見るからに美味しそうにすくすくと伸びていました。
でも、種から育てたバジルは、一株では心もとなく、保険をかけて
4株植えたものの、その葉はみすぼらしく、とても食欲を沸せるほどの
大きさには育っていません。

それでも、梅雨に入ると次第に葉の数と大きさを増し、夏も終わりになる

今の時期、その姿はプロが育てたバジルと変わらない大きさになりました。
まるで子供がいつの間にか育つ様に、枝一杯に緑の葉を茂らせ
どちらも雨粒がキラキラと光り、本当に頼もしく成長しました。

同じように育てているのに、方や栄養失調の子供の様に貧弱で

一方は健康優良児の様に最初から期待させる風貌。
どうしたら立派になるのか、やはり素人が育てたバジルでは
ダメなのかと諦めたりしていたのですが、しばらく見ていない内に
見事に成長しました。

私が育てようと力んで頭を悩ましている間に、彼らは自然の中で

しっかりと自分自身を育てていたのです。
何かというと、私達は自分の尺度で考えがちです。
でも、人も自然も、生きている限り、自分の中にあるエネルギーや知力で
自分自身を育てて行くものです。
時に忘れがちな、見守り、信じるという心は何に対しても当てはまる様に思います。


居ながらにしてウエストを細くする

2014-08-27 14:58:05 | ダイエット

痩せたいと思う気持ちには、外見的な美しさもありますが、
一番の問題は、痩せていた時のズボンやスカートが履けなくなり
せっかくのお気に入りの衣装が身に付けられなくなる事に在ります。
つまり、一番の希望は、ウエストが太くならない事です。

足が太くなっても、上半身が多少大きくなっても、ウエストが
変わらなければ沢山の衣類を捨てなくて済むのです。
私も、20代で履いていたズボンがウエストにはじかれて
泣く泣く廃棄したことが何度もあります。

ジョギングをしたり、腹筋運動をしたり、食事制限をしたり
様々な試みをしましたが、30代ともなると、残念ながら
ウエストサイズを上げざるを得なくなって来ました。

トレーニングをすれば痩せると言うのは、よっぽどの
運動量と食事療法でしか叶えられず、テレビで盛んに
痩身の姿を見せつけるコマーシャルは、非常に厳しい
食事制限の元でのトレーニングの結果にすぎません。

さらには、皆さんは脂肪で太ると思いがちですが、
良かれと思って行ったトレーニングで、細かった筋肉細胞が
活性化され大きくなる事によって、外見的に以前より
大きくなってしまう事も有るのです。
困った事に、脂肪で太り筋肉で大きくなるのです。

特に、ウエストは大きくはなりたくないものです。
そこで、私も考えました。脂肪を取ってもトレーニングしても
細くならないウエストを細くする方法は、ダイエットでも
トレーニングでもないと言う結論に達したのが30代です。

その方法がメンタルによるイメージと視覚による基準設定です。
私たちの身体は気持ちによって随分変わってしまいます。
特に強い感情が働くと、短時間で痩せ衰えたり、病に伏したりします。
この、強い感情をプラスの方向に働かせると健康に痩せるのです。

ウエストを痩せさせる私の方法を幾つか書いてみましょう。

1.  自分が履きたいズボンのサイズを決めます。
  あまり極端なサイズダウンはストレスが掛かってしまいますから、
  現実に、数年か数十年前の自分のサイズを決めます。
  その時、実際に履きたいズボンを用意します。
  身に着けてみて、どれだけオーバーしているか確認します。

2.  ズボンやスカートを身に着けて、思いっきりお腹を凹まし
    履ける状態のウエスト周りや身体の緊張感を覚えます。
    この緊張感が強い感情となり痩せる要因になりますから
    しっかり脳に刷り込む為に何度も試着します。

3.  普段身に着けているズボンやスカートで生活する時、気が付いたら
       凹ました時の緊張感を思い出し、今身に着けているズボンや
    スカートが緩い状態で生活します。

ウエストを細くする私の方法です。
激しいトレーニングをしても一日中は出来ません。
お腹のイメージは慣れてくると30分以上続けられます。
つまり、激しい腹筋運動を10分するよりずっと効果的で
筋肉も太くならないのです。

私は50を過ぎていますが、30代の初めに作ったズボンを履いています。
どんなに激しいトレーニングをしても、その後の一日の大半は同じ感覚で
生活はしていないのです。
メンタル面でイメージを作り生活すると、自分の求めるウエストを
ゲットできます。

なお、これはあくまで私の見解です。
効果のほどは個人差が有ります。無理をしないで自分に合った方法を
見つけて下さい。


私のオリジナルダイエット

2014-08-26 14:24:22 | ダイエット

私達現代人は、食が満たされる事により、思っても見ない問題を
抱える様になります。もちろん、過食による様々な病気はありますが、
身近なものとして、当然食べ過ぎると太ってしまうと言う、誰もが
共通の問題が有ります。

私の周囲を見渡しても、誰一人、体重を落とそうと努力した事のない

羨ましい人はいません。
特に女性に至っては、ダイエットは長年に渡る課題であったりして
日常的にその努力は涙ぐましいものがあります。

そんな私も、ご多分に漏れず、この年になるまで毎年ダイエットに苦労します。

年を重ねてくると代謝も悪くなり、若い頃の様に簡単に体重は落ちません。

更に悪い事に、筋肉も次第に重力に負けて、力強くビルドアップとはいきません。

しかし、努力は重ねるもので、数十年も続けていると、自分なりに方法が
幾つか見つかるものです。
これは、あくまで私の場合ですが、過去、10年以上体型を維持できた
有効な方法です。

1. 食べない事。
 
当たり前で笑っちゃうかもしれませんが、この当たり前のことが実は難しいのです。
食べない様にしていても、一日に食べた物を書き記すと、やはり体重が減らない時は
何処かで食べているのです。困った事に、食べた事を忘れている事が多いのです。

2.  運動して痩せた気持ちにならない事

この事も困った感覚で、しっかり運動したら痩せていると思い込んでしまいます。
さらには、動いたご褒美に食べ過ぎる事も有ります。

3.  食べた後、気持ちとお腹が緩まない事

これは意外に大切なことで、食後誰でも胃が膨れて、下腹部までだらしなく膨らんで
ズボンのベルトを緩めたりします。
直後は仕方が有りませんが、少なくとも席を立った後は、しっかりとお腹を引き締めながら
ベルトの穴が元の位置に来るよう努力します。
食べた物の重みで下がった胃袋を引き上げた状態でいるのは少し苦しいものですが、
腹筋が強くなり、短時間でウエストラインが戻ります。

4.  自分の全身が映る鏡で毎日全身をチェックする事

これが意外と効果があります。前から後ろから横からしっかり確認して、何処が変わったか
頭に入れます。一番効果的なのは、痩せた時の身体を覚えておき、その記憶と重ねて
鏡の自分をチェックすると、意外と長い間体型が維持できるのです。
食べ過ぎた翌日も自分の姿を見るだけで、意外と太らないのです。

5.  首を長く上に引き上げ、お腹を出さない様、大股で歩く

運動としてはこれが一番効果的です。日常的に、ほんの少し歩幅を広げ、姿勢を保ち
常にお腹を平らにして生活します。
頑張らない様、習慣としていると効果的です。

と言った方法が、様々なトレーニングや食事療法よりも私にとっては有効でした。
もし参考になるようでしたらお試しください。
効果の程は個人差がありますので、ご了承ください。