めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

食品ロスの原因は、私達の生活

2016-03-14 16:05:57 | 食生活

今や、世界的に食料が不足する傾向が強くなっています。
地球温暖化に伴う異常気象により、穀倉地帯が干ばつに陥ったり
気温の上昇による動植物間の食物連鎖のバランスが壊れ、
人間だけでなく、地球上のあらゆる生物に危機が訪れています。

このまま地球の大気の温度が上昇し続けると、かつて太古の昔
巨大隕石の落下で恐竜の時代が終わったように、私達人類が
地球に君臨する時代にピリオドを打たれる日が来ないとも
限りません。

しかし、世界的な食料危機と言われている反面、先進国に於いて
膨大なる食品が捨てられている現実が有ります。
我が国においても、年間、800万トンにも及ぶ食料が捨てられていて
この半分の量は、一般家庭から捨てられている物です。

この量は、世界中の国々から、食料に恵まれない国々に援助される
一年間の食料の量を遥かに超え、しかも、まだ十分に食べられる物が
非常に多く捨てられているのが問題です。
日本における食料事情は、決して豊かとは言えず、もし輸入が途絶えれば
たちまち食料危機と成ってしまう程なのですが、それにもかかわらず、
これ程にも多くの食料が捨てられる事実が有る事に驚かされます。

先日、ゴールデンタイムのテレビを見ていると、日本のコンビニ食品の
厳しい管理販売システムが紹介されていました。
連日の会議で、より消費者にも求められる食品を生むべく、驚くほどの
食品基準を設け、海外の視察団を驚愕させていました。

でも、私達日本人が見ても、信じがたいほど細かく定められて食品の販売基準は
確かに、私達消費者からすれば、より管理の行き届いた美味しくて安心の
食品を得られて素晴らしい事とは思いますが、一方で、この基準に達せず
切り捨てられた食品が有ることを考えなければならないのです。

食料と言うのは、本来、様々な環境で作られるものであり、同じ種類でも
様々な形や色、味と違っているのが普通です。
もちろん、長年の努力によって、同じ品質、味、大きさをそろえる技術は
時代と共に進歩してきたのですが、それでも、同じものを揃えるという事は
非常に難しく、水産農産物に於いては、収穫した時点で、大量に捨てられ
マーケットの並ぶのは、その何分の一であることも多いのです。

中でも、大手マーケットや食品産業が生産者に要求する基準は厳しく、
生産技術の高い日本の農家であっても、その要求に合わせる事は
至難の業と言えます。
増して、海外に於いては、日本ほど基準が厳しくない国々が多く、
日本が輸入する時点で、現地では十分に食料となる大量の生産物が
捨てられているのが問題です。

例えば、ベトナムなどから大量に輸入される玉ねぎは、日本の規格に
合わない大きさのものは全て破棄され、その量は、日本の輸入量の
10倍近くになると言われます。
更には、ノルウェーなどの近海で獲れるシシャモは、日本が求める
大きさのもの以外は全て捨てられ、その他の輸出できない魚と共に
その量の多さは、日本の輸入量を遥かに超えています。

私達が、品質の良い食品を手に入れられるのは、厳しい基準を
クリアーできた原料が有ってこそとも言えますが、その陰で
せっかくの食料と成る多くの動植物が捨てられている事を
知らなければなりません。

しかし、これ程にも厳しい食品を手にした私達は、それらを全て
有効に食料として利用しているかと言えば、残念ながら、まだ食べられる
消費期限も過ぎていない食品であっても、日々、大量に捨てている
信じがたい状況を生んでいるのです。

かつて、江戸時代に、北太平洋に繰り出した北米の捕鯨船団は
ただ脂を取るだけの為に、絶滅させる程の数のクジラを捕獲しました。
日本に開港を迫った一つの理由が、この捕鯨船団の給水給油基地として
使いたかった事が知られていますが、この時代、日本も沿岸に近づく
多くのクジラを捕ってはいましたが、日本の食文化は、クジラを余すことなく
利用し決して無駄にはしなかったのです。

クジラを食料だけでなく、あらゆる日用品として加工し、海からの貴重な
贈り物として大切にその全てを利用したのです。
欧米人にとって、クジラを油以外に利用した歴史は少なく、一部の種族を除き
クジラは食料の対象とは考えて来なかった事にも、近年の、日本と諸外国の
トラブルを生む原因と言えます。

とは言え、日本人は、クジラのみならず、あらゆる食品を大切に利用し
無駄なく消費してきた文化が有りました。
欧米からの資本主義的考えが定着するようになって、食料にたいする
思い入れ愛情も消えて行ったと思われます。

単に腹を満たすものとして、消費する事のみに日本社会が傾き
食品をおろそかに扱う様になってから、私達の食品に対する感覚も
変わってきた様に思えます。

小さい頃、食べ物を前にして、今食べている物は、多くの人達の努力によって
こうして毎日食べられると諭されたものです。
感謝して食べると言う事を忘れてしまったことから、食品ロスは増え続け
これ程にも膨大な無駄をする国民に成ってしまったと言えます。

欧米から入って来た、大量消費の文化は、もう過去の物と言えます。
世界的に見ても、食料が有り余っている国はもうありません。
むしろ、食糧難で苦しむ国が年々増えているのが現状です。
日本も、同じ様に、食べ物に苦しむ国にならないとも限らないのです。

いまや、街の食料品店やコンビニ、デパートに行けば、溢れんばかりの
食料に満ちています。
しかし、この素晴らしい食品の陰で、どれだけ多くの大切な食料が捨てられ
多くの人々が苦しんでいるかという事を、これからの私達は考えて行くと共に
私たちの食生活も、根本から変えて行く必要があると思われます。



食品ロスは、私達の未来を危うくする

2016-02-19 16:37:43 | 食生活

今や先進国に於いて、食品ロスの問題は深刻です。
フランスでは、廃棄物として処理される食品が、全食品の
三分の一を占め、ついには、法的に規制する様になりました。
これからの世界は、増々、食料不足になると言われているのに
方や、捨てられる食料の量は莫大であり、人類にとって
大きな問題と言えます。

日本に於いても、毎年廃棄される食料の量は増える一方であり、

流通機構の進歩にから、より新鮮な食料が求められることもあって
大量の食料が無駄に捨てられている現状が有ります。

年間に捨てられる食品の量は、800万トンにもなると言われていて

私達が食べる食品の4分の一が捨てられているのです。
この量は、発展途上国の一国の食料不足を解消する程の量であり
世界中の先進国から捨てられる廃棄食品を集めれば、飢餓で苦しむ
多くの国が救われるとも言われています。

しかしながら、日本における大きな問題は、飽食日本と言われる一方

食料の自給率が極めて低い事です。
六割以上を輸入に頼らなければならないのに、家庭ごみだけを見ても
年間400万トンの食品が捨てられているのです。
私達の国には、昔から、もったいない、と言う素晴らしい言葉が有ります。
驚いた事に、この事が理解できなかったり、考えた事も無いと言う国が
世界に多くあることです。

我が国は、自然に恵まれているとはいえ、歴史的にも多くの自然災害に

見舞れ、食料自給に苦しんで来ました。
その為、少ない食料を大切に利用する事が生活の知恵として受け継がれ
食べ物を大切にする文化が育ってきたのです。
しかしながら、大量消費の経済大国となった頃から、多くの食品が捨てられ
その習慣はいまだ、多くの食品ロスを生み、昔からの日本人の思いが
失われてしまっているのです。

消費経済の真っただ中であったバブルの頃は仕方が無いにせよ、

今や、日本に無駄に捨てていい食品は有りません。
しかし、問題は、食品ロスを生まない社会機構が整備されていない事です。
無駄に食品を捨てても、罰せられることは無く、食に関する日本人の
価値観が変わらない限り、この問題は解決しないのです。

流通機構における企業間の食品ロス対策はともかく、私達の家庭に於いて

いかに食べ物を捨てないで使い切る生活を行なうかが大切です。
その為にも、必要以上に多く食料を買いこまず、常に使い切ることが大切です。
多く買いすぎたら冷凍保存と言う考えもありますが、意外と食べられないで
最終的には廃棄になっている場合も多いのです。

そして、私達の考え方も問題です。

食品を食料として買い求めるだけで、その食品が私達の口に入るまで
どれ程多くの過程を経ているか、特に、自然からの食物連鎖の一環として
手に入ることを考える必要が有ります。

例え、たった一匹のアジでさえ、多くの生き物たちの繋がりが有って初めて

食料になるまで育っているのです。
その食料と成る生き物たちが育つには、その環境が守られていなければ
成りません。
当然、汚染されていない、栄養豊かな小魚やプランクトンが多い海が必要です。

ところが、その様な条件を満たす海は、沿岸に近い、浅くて太陽の光が届く、

近くに大きな川が流れ込んで、山のミネラルや栄養を流れてくる海域です。
つまり、東京湾の様な所です。
しかし、このような条件の所は、決まって、人口の多い都市が栄えています。

となると、やはり問題は、私達が出すゴミや生活排水などの海洋汚染です。

つまり、私達が出す廃棄物は、回り回って、私達が食べる食料と関係してくるのです。
食品を食べるという事は、そんな自然の環境を食べるという事なのです。

また、ゴミを出すという事は、私達の食料を減らし、自然環境を悪くする事です。

食品ロスの問題は、単に、もったいないという事だけでなく、私達が生きて行く為の
未来を失ってしまう事にもなるのです。

私達人類は、自分たちだけがこの世で生きている様に思いがちです。

しかしながら、実際は、地球上の多くの生物の命で生かされています。
私達の命を守る為には、同じ地球で生きる多くの生き物たちを守ることが
大切と言えます。
食品ロスは、大きな問題であり、非常にもったいない事でもあります。
しかし、この食べ物を無駄にする気持ちが、挙句の果ては、私達の
生きて行く糧を失う事にもなりかねない事を考えなければならないのです。


食の摂り方は千差万別

2015-09-26 13:19:41 | 食生活

食の文化と言いますが、本当に多種多様であり、
人々に好き嫌いが有る様に、その土地の食習慣は
他の地域からすると、脅威と言える場合も有ります。

私が大学生の時、インドネシアから留学していた

同級生を食事に招待し、カレーライスを作った時、
皿に盛られたカレーを見て、彼が激怒したのを
いまだに思い出します。

彼は、カレーに入っている肉を指さし、これは何の

肉かと言ったので、豚だ、と答えた瞬間、彼の顔は
硬直し、もしこれが国で同じ事が有ったら、殺されても
文句は言えないと言いました。

彼は宗教上の理由で、豚肉は一切口にせず、もし

豚を食べさせたとなると、最大の侮辱と成り、
彼の国であったなら、私はその場で殺されても文句は
言えないとの事でした。

豚を食べない国が有れば、牛を食べない国もあり、

世界の国々や地域には、私達が想像し得ない食習慣が
文化として根付いているのです。
私達日本人でさえ、各地の食習慣には、驚かされます。

学生時代の友人は、沖縄出身で、子供の頃から

オヤツとして蝉を食べていたと言いました。
冗談だろうと思っていましたが、最近、テレビを見ていると
沖縄出身のタレントがやはり同じ事を言っていました。
この様に、食べた事の無い人からしたら、脅威であり
驚きの食べ物も、その土地の人にとっては、生きる為の
大切な食料であったりするものです。

近年、クジラを代表とする、食に対する偏見とも言える

圧力が日本にかけられています。
動物愛護団体であったり、感情的な理由であってあり
殆どの場合、その土地の食の文化を考えない、
一方的な考えからの身勝手な考えと言えます。

牛や豚は家畜だから殺して食べていいと言いますが、

彼等は、牛豚を宗教上の理由で食べたり食べなかったりする
国に対して、どの様に説明するのでしょうか。
感情的に、生き物を殺す事は可愛そうと言う人は、自国の
あらゆる場所で日常的に行われているトサツ場を見れば
恐らく半分以上の人が牛豚を食べられなくなると思います。

私達は、生物として生きて行くには、他の生物の命を頂き

子孫を育てて行かなければなりません。
この基本理念は、地球上に住む生き物が太古の昔から
変わらず続けてきた行為であるのです。
どの生き物から命を頂くかは、それぞれが住む地域や
環境によって違います。

しかし、いかなる土地に於いても命の糧を得て来たからこそ

今私達は生きながらえているのです。
その方法は様々であり、他の方法で生きて来た人々が
自分の食の摂り方と違っているからと言って、批判したり
否定する事は、極めてナンセンスであり、身勝手です。

人にはそれぞれ生き方が有る様に、食生活もそれぞれが

長い間培ってきた基準が有るのです。
御互いに、相手の生活や文化を尊重し認める事が
この地球上で生きながらえて行く大切なルールです。

人々のトラブルの多くは、自分のルール、生き方に

無理やり従わせようとした結果起こることが多いものです。
自分の主張も大切ですが、先ず、相手の事を認める事が
御互いの幸せにとって大切な事ではないでしょうか。


コレステロールで国民を惑わさないで!

2015-08-19 12:27:30 | 食生活

厚生労働省が、今回、食事摂取基準に関して、コレステロールの
基準を撤廃しました。
これまで、官民挙げて、会社学校関係が、こぞってコレステロールの
値を下げるべく、様々な試みを行なって来ました。

それに伴い、国民の多くが、家族や自分のコレステロール値を
いかに下げて、健康な生活を送るかに努力してきました。
食事制限をし、食べたい物をグッと堪えて、健康値と言う数字の為に
どれ程多くの人々が苦労してきたでしょうか。

しかしながら、この、発表は、一体、何なのでしょうか!?
更には、動脈硬化学会は、コレステロールを下げる事に、食事制限を
行なう事は効果が無い事を発表しました。
心筋梗塞や動脈硬化のリスクを下げるために、コレステロールを下げるべく
大幅な食事制限を推進していたこの機関も、手のひらを返すような発表です。

一体、この国の医療基準はどうなっているのでしょうか!?
いつも、翻ろうされ、リスクを負わされ、振り回されるのは国民です。
国から発表される医療基準は、人々の生活基準と成り、その為には
食べたい物も我慢して、数字に合うべく生活を送るのです。

私達は健康と言う魔法の言葉を信じて、多くの医療費を払ったり
生活に制限を設けたりして頑張って来たのです。
成人病のリスクを下げる為、具体的にウエストの数字を挙げると
その数字を巡って、社会が会社が人々が動きます。
数字の上下に一喜一憂し、その数字が会社での自分の存在価値にも
成りかねない状態にもなったのです。

しかし、この数値も、いつの間にか曖昧になり、多くの人々の努力と
苦悩は、一体何の為だったのか、今回と同じく何処に怒りを向けていいのか
国民すべての不信感を増すだけにしかなりません。

この、医療操作とも言えるこの数字のマジックは、その都度人々を惑わし
国民にストレスを与えるだけになっている事を、国は理解しているのでしょうか。
しかしながら、国民すべてが怒っているとは言えません。
この様な数字を、願ってもみないのが、医療関係、薬品関係の機関です。
数字が上がろうが下がろうが、それに関連した新薬や新製品が生まれ
莫大なるお金が流れるのです。
そして、その見返りが執行部に流れる、、、と言ったらいけないかもしれませんが
世の中のからくりは、けっこう昔から変わらないのです。

様々なダイエット商品や食品が生まれて消えて行く様に、その都度、
私達は、信じて買い求めたり試みたりするものです。
しかし、後になって考えると、多くの物が笑い話になってしまい
どうしてあの時、あんなにも夢中になってしまったのかと思うものです。

一日卵一個で我慢していた人、お寿司屋さんに行って、、イカやイクラを
我慢していた人達、子供たちの脂の乗ったカルビを横目にしながら、
赤身のロースを食べていたお父さん、さあ、これからは自由に食べていいですよ!!
って、余りにもバカにしてんじゃないよ!!と言いたいものです。

例え医者の見解であっても、これ程にも二転三転すると、一体何を信じていいのか
思い悩んでしまいます。
そろそろ、私達は、健康と言う妄想から脱却しなければならない時期なのかも知れません。
様々な情報が錯綜する現代、やはり、自分の身体で感じて、その都度、何が自分にとって
本当に必要なのか、五感でしっかりと判断できなければならないと思います。



コレステロールで国民を惑わさないで!

2015-08-19 12:27:30 | 食生活

厚生労働省が、今回、食事摂取基準に関して、コレステロールの
基準を撤廃しました。
これまで、官民挙げて、会社学校関係が、こぞってコレステロールの
値を下げるべく、様々な試みを行なって来ました。

それに伴い、国民の多くが、家族や自分のコレステロール値を
いかに下げて、健康な生活を送るかに努力してきました。
食事制限をし、食べたい物をグッと堪えて、健康値と言う数字の為に
どれ程多くの人々が苦労してきたでしょうか。

しかしながら、この、発表は、一体、何なのでしょうか!?
更には、動脈硬化学会は、コレステロールを下げる事に、食事制限を
行なう事は効果が無い事を発表しました。
心筋梗塞や動脈硬化のリスクを下げるために、コレステロールを下げるべく
大幅な食事制限を推進していたこの機関も、手のひらを返すような発表です。

一体、この国の医療基準はどうなっているのでしょうか!?
いつも、翻ろうされ、リスクを負わされ、振り回されるのは国民です。
国から発表される医療基準は、人々の生活基準と成り、その為には
食べたい物も我慢して、数字に合うべく生活を送るのです。

私達は健康と言う魔法の言葉を信じて、多くの医療費を払ったり
生活に制限を設けたりして頑張って来たのです。
成人病のリスクを下げる為、具体的にウエストの数字を挙げると
その数字を巡って、社会が会社が人々が動きます。
数字の上下に一喜一憂し、その数字が会社での自分の存在価値にも
成りかねない状態にもなったのです。

しかし、この数値も、いつの間にか曖昧になり、多くの人々の努力と
苦悩は、一体何の為だったのか、今回と同じく何処に怒りを向けていいのか
国民すべての不信感を増すだけにしかなりません。

この、医療操作とも言えるこの数字のマジックは、その都度人々を惑わし
国民にストレスを与えるだけになっている事を、国は理解しているのでしょうか。
しかしながら、国民すべてが怒っているとは言えません。
この様な数字を、願ってもみないのが、医療関係、薬品関係の機関です。
数字が上がろうが下がろうが、それに関連した新薬や新製品が生まれ
莫大なるお金が流れるのです。
そして、その見返りが執行部に流れる、、、と言ったらいけないかもしれませんが
世の中のからくりは、けっこう昔から変わらないのです。

様々なダイエット商品や食品が生まれて消えて行く様に、その都度、
私達は、信じて買い求めたり試みたりするものです。
しかし、後になって考えると、多くの物が笑い話になってしまい
どうしてあの時、あんなにも夢中になってしまったのかと思うものです。

一日卵一個で我慢していた人、お寿司屋さんに行って、、イカやイクラを
我慢していた人達、子供たちの脂の乗ったカルビを横目にしながら、
赤身のロースを食べていたお父さん、さあ、これからは自由に食べていいですよ!!
って、余りにもバカにしてんじゃないよ!!と言いたいものです。

例え医者の見解であっても、これ程にも二転三転すると、一体何を信じていいのか
思い悩んでしまいます。
そろそろ、私達は、健康と言う妄想から脱却しなければならない時期なのかも知れません。
様々な情報が錯綜する現代、やはり、自分の身体で感じて、その都度、何が自分にとって
本当に必要なのか、五感でしっかりと判断できなければならないと思います。