めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

運命の残酷さと人の命

2017-06-23 17:11:20 | 家族

親しい人を亡くした時、人は、それまで存在して来た
自分の意味を知らされ、失った人の価値を知らされます。
余りにも身近であればあるほど、その喪失感は大きく
片翼をもぎ取られた鳥の様に、これからどの様に飛べば良いか
一体どの様に生きて行けば良いか、考える事すら出来ず
途方に暮れてしまいます。

しかし、人は、一生の間に多くの人と巡り合うと共に
多くの人と別れを経験しなければなりません。
例えそれが運命とは言え、生きると言う事は、楽しくもあり
辛いものでもあります。

大きな喪失感を抱く別れに、家族との別れが有ります。
父と母から生を受け、この世に生まれた時から、家族として
深い愛情と絆でお互いを育て合い、一つの家族として
社会の中で成長して行きます。

しかしながら、老いた者からこの世を去るとは限らず、
若くして命を落とす者もいるのです。
親にとって辛いのは、何かのアクシデントか病気により
自分達よりも早く、子供がこの世を去ってしまう事です。
この悲しみは筆舌に尽くし難いものが有り、出来るなら
子供の代わりに自分が逝きたかったと思う程です。

また、子供たちが幼い時、子供の成長を見届けないで
この世を去らなければならない時、親としての役割と
子供達への愛情を注げない悲しみは、例え運命にせよ
後ろ髪を引かれる程悲しみは大きいと言えます。

今日、歌舞伎俳優の市川海老蔵さんの妻である、
フリーアナウンサーの小林麻央さんが旅立ちました。
まだ子供が小さく、母親としても一番元気であるはずの
30代であったのに、一家を襲った悪夢は、余りにも
惨い結果をもたらしました。

この世を去らなければならなかった麻央さんの気持ちは
どれ程辛いものであったかと思われますが、看取った
海老蔵さんの心中は、更なる悲しみで張り裂けんばかりと
思われました。

長い闘病生活で、この日が来ることをお互いに感じていた
のではと察せられますが、未来を夢見る事ならいざ知らず
二人の未来が閉ざされる日が来ることを感じつつも
一部の望みを託す毎日は、さぞや苦しくも口には出せない
悲しみで有ったと推測されます。

しかし、遂にその日は訪れました。
二度と会えない、見る事も触れる事も出来ない新たなる
家族の歴史が始まります。
もし、病に伏すことなく生きていたら、生きてさえ
いてくれたらと思う日も有るでしょう。
残されたもの、それは在りし日の思い出だけです。
失われて更なる思いが募り、後悔が胸を締め付けます。

私たち人間は、人と関わる事で、お互いが生きて行くにつれ
人間として生きる意味、人と生きる意味、家族を育てる意味等
多くの意味を知らされます。
特に、家族との関わり合いは、他人とは比べ物にならない程強く
深い絆を持って生きる大きな力と成って行きます。

二人の子供を残しての旅立ちは、さぞや無念であったと思われますが

子供たちの心には、しっかりと母の思いが生きているのです。
成長するにつれ、子供たちは悲しみだけでなく、母の思いを深く
心に感じる事に依り、必ずや立派な人生を送って行くと思われます。

問題は、海老蔵さんの方でしょう。
大人の心の傷は、外目には解り辛くとも、心の奥底はこれまでにない程
失った悲しみと共に、自らの力の無さを感じていると思われます。
男たるもの、この世で守ると決めた最愛の妻を失ってしまう痛恨は
自らを切り裂いてしまいたい程悔しくも悲しいものです。

素敵な彼女を妻とした途端、女は、妻であると共に男の母の様な

大きな存在として男を支配します。
広く大きな心に抱かれて、男は赤子の様に育っていくのです。
幾多の現実社会の苦しみに喘ごうとも、最愛の妻がいる事で
どれだけ勇気を持って頑張って来れたか、その存在の大きさに
今更ながら彼の心は泣き叫んでいる事でしょう。

しかしながら、数年前、公園の坂道を幼子の手を引きながら
ゆっくりと登って来る姿を見かけましたが、最愛の妻が
この世に生んでくれた愛息に、満面の笑みで語り掛ける姿に
家族の愛情の深さを感じたものです。

手を引かれながらやっと歩いていた彼も、大きく成長し
姉と共に母の運命を感じられる年齢と成りました。
これから青年と成り大人になって行くにつれ、
母の思いを抱いた若武者が、立派に生きる姿を見て
天国の麻央さんも、笑みを浮かべられるのではと思います。

社会的に華やかな職業の方々も、一般の庶民の人達も、
家族を失う気持ちは同じです。
しかし、それまで長きに渡って家族を支えてくれたのも
今後、支えてくれる方々も、周囲の多くの方々です。

人間は、いかなる時もお互いに支え合って生きて行くものです。

楽しい時も悲しい時も、家族と共に周囲の人たちの力が
家族の未来を育ててくれるものです。
今は、心が苦しければ、思いを託せる方々に甘えましょう。
苦しみ続ける事が一番良く有りません。
そして、何時か同じように苦しむ人を見つけた時は
心から力になってあげましょう。

悲しみから逃れられることは出来ませんが、

悲しみを軽くすることは出来るのです。
愛する妻は、少し早く天国に行ってしまいましたが、
いずれ自分も会いに行けるのです。
その時までに、この世で如何に生きるかが大切です。
人は愛されて生きる事で成長します。
多くの人達を愛して、愛される人になって欲しいです。
またいつか、立派に成長したお子様たちと歩かれる姿に
お目に掛かりたいものです。




 

 

 

 

 

 

 

 


人生で一番の恐怖

2017-01-11 19:49:10 | 家族

人生60年を過ぎると、人生のからくりが殆ど解ってしまい、
たいていの事には動じなくなっているのですが、自分以外の事
特に家族の事となると、冷静に判断できなくなる事が有ります。
これまでも、様々なアクシデントに見舞われたものですが、
少し若い頃は、突然の事に冷静さを失い、さらなるトラブルを
生む事も有りました。

40代の頃は、家族で山に登る事が多く、東京の近くの奥多摩から
日帰りで登れる山を登った後、次第に、高くて難しい山に挑戦し
子供たちが少し大きくなって、自分で荷物を運べる頃には、
アルプスの岩山を登るまでになりました。

3000メートルを超える高山に登る様になった頃、少し危険な
岩山を縦走するようになりました。
毎年高い山に登るようになると次第に慣れてくるもので、
目もくらむ断崖を登っている時も、殆ど恐怖を感じることも無く
楽しく家族で岩登りを楽しんでいました。

そんなある年、北アルプスの穂高の断崖を縦走している時、
突然、その時がやって来ました。
家族で、1000メートル程の高さの断崖の岩場を手足で
しがみつきながら進んでいると、突然、私の後を付いていた娘が、
叫びました。

ふと振り返ると、後ろにいたはずの娘が、5m程上の断崖の岩に
しがみついています。
間違って、岩の上によじ登ってしまったようなのですが、
何も道がない岩肌にしがみついてしまったため、戻る事も
進む事も出来ません。

娘の後に付いてきた妻も、この事態に青ざめ、何もできません。
何とか元の道に降りてくるように促しますが、身体全身が
岩にしがみついている為、足元が全く見えません。

動けない娘を助けようと、妻と二人で娘の下の登山道に戻るも
岸壁に作られた道は、30センチほどの幅しかなく、人一人が
通るだけの狭さです。
しかも、娘の所まで上ろうにも、道が有りません。

二人でどうしようかと思っていると、突然娘が、泣き出しました。
事態は最悪の状態です。
三人とも身動きが取れず、背中の後ろには、1000メートルの
断崖が切れ落ちています。

娘の下で、左右に岩にしがみついた私たちが見守っている時
突然、身も凍る事態が起こりました。
見上げていた娘が、突然、岩から手を離し落ちて来たのです。
その瞬間は、今でも鳥肌が立つ程です。

妻と私の間を落ちていく娘に、とっさに妻が娘のリュックを掴み
私が娘の雨合羽を捕まえました。
妻は右手で、私は左手で、他方の手は岩にしがみついたまま
必至につかみました。
しかし、高い所から落ちる娘を止める事は出来ません。
そのまま二人の間を落ち続けたのです。

所が、ここで奇跡が起こりました。
たまたまこの岩の狭い登山道に、断崖に突き出た30センチほどの
岩があり、そこに娘の尾てい骨が当たったのです。
二人で支えるのはとても不可能であり、最悪の事態となれば
三人がそのまま断崖に落ちていく可能性もあったのです。

妻と私の腕の力と、登山道の岩のお陰で、娘は九死に一生を得たのです。
その後、やっとの思いで少し広い登山道にたどり着くと、そこは、
山の尾根の上で、はるか下に山小屋が見えます。

この時、もう安全な場所に来ていたのですが、私の心は混乱していました。

山小屋に向かってそのまま山を下りようと言ったのです。
なだらかな丘陵の下に、小さく山小屋が見え、山肌を滑り降りれば
この危険な場所を逃れられると、思ってもみない行動を取ろうとしました。

この時、一番冷静だったのは妻でした。

直ぐに大声で一括され、我に返りました。
私が下ろうとした場所は、すぐにオーバーハングの断崖となり、
道どころか高層ビルを飛び降りる様な場所でした。

娘の非常事態で、私の頭の中は、考えられない様な思考回路となったのです。

今でこそ、そんな危険な場所には行きませんが、当時は、あえて危険な所を
探して登っていたのは、それだけ心も身体も若かったのでしょう。
しかしながら、そんな危険な目に合っても、家族が怪我もなく生き延びたのは
そういう運命だったのだと神様に感謝して、今まで生きてこられたことに
喜びを感じています。

考えてみれば、ほんの少しのタイミングや判断間違いで、山登りで何度も家族を

危険な目に合わせてきましたが、家族全員が今健康に生きていられるのは
本当に幸せな事です。
ただ、何事にも冷静に判断できる年代となった今、何でも失敗しないで出来ると
思いきや、今度は、なかなか新しい事にチャレンジしなくなっている事に
寂しさを感じる様に成りました。
失敗を恐れず何事にも向かって行く事が自分の未来を作って行くという事が
解っていながら、なかなか腰を上げられない事が一番の問題であり
本当の老化はここに潜んでいるのかもしれません。


妻へのサプライズ旅行

2016-09-06 16:54:26 | 家族

先月、妻が誕生日を迎えましたが、家族全員の仕事が忙しく
今年は何も祝ってあげる事が出来ないとの事だったのですが、
それでは可哀想と、子供たちが誕生旅行を計画してくれました。

妻には内緒で、当日まで、どこに行くのかは伝えられず、
サプライズを兼ねて驚かそうとの魂胆でした。
日曜日の朝、迎えに来た子供たちの車に乗せられて、旅の準備は
したものの、半信半疑の妻の顔に、子供たちは怪しげな笑顔です。

私も、行く場所は知っていたのですが、妻に伝える事は、固く禁じられ
具体的な事は教えてもらえず、言わば、二人とも、子供達に、突然
拉致された感じです。

車は、東京を抜けると、高速を使い北上を続けます。
私にとっても、このコースは未知の場所であり、車窓から見渡す
広い関東平野は知らぬ風景ばかりです。

途中で何度か休憩をを挟みながら、3時間ほどで日光に付きました。
なんと、この地が初めてなのは私だけで、妻も子供たちも、
訪れた経験の有る地でした。

日光と言えば東照宮、車から降りると、そこは、絢爛豪華な社に
思わず目を見張ります。
徳川家康がいかに栄華を極めたかが、次々と目に飛び込んでくる
荘厳な建物に、思わずため息が漏れます。

日光周辺の娯楽施設をいくつか周り、夕方にはその日の宿泊宿に付きました。
鬼怒川にせり出すように作られた古い旅館で、入ると落ち着いた風情が漂い
近代的なホテルとは違った優しさが感じられます。

夕飯までの間にお楽しみの露天風呂に入りました。
川のせせらぎ、夏を惜しむセミの声、涼しい谷風にすり合わさる枝葉の音
全ての物がゆっくりと動いている様で、急に時間が遅くなった様に思えます。

風呂からあがってしばらくすると夕飯です。
家族が全員そろって旅をするのは10数年振りです。
食べきれない程の御馳走、そして食後に用意されていたケーキとシャンパン。
思いがけない持て成しに妻の顔は綻びっぱなしです。
そして、メインイベント、妻へのプレゼントです。

ちょっとした髪飾りと少し表紙を飾り立てた手製の冊子です。
その中を開けると、故郷の友達、家族、親戚、そして東京の友達、同級生と
沢山の人たちから寄せられた祝辞が一杯です。

日頃会えない故郷の人達からの暖かい言葉に目を潤ませます。
最後に、私と子供たちからの手紙でフィナーレです。
普段顔を合わせていても言えない事を各自が読み上げると、
妻の目から幾つもの涙が流れました。

その後、事情を知った旅館の女将からのプレゼントが幾つかあり、
この日は、妻にとって忘れられない日となりました。
かつて、子供たちを車に乗せ、様々な所に遊びに行ったものですが、
今では、逆に乗せられて行く事に、月日の経つのをしみじみと感じました。

夜は、全員興奮してなかなか寝付けません。
何度も風呂に行ったり、全員の布団をくっ付けて一つにして転がったり、
じゃれ合ったり、枕投げをしたりと、まるで修学旅行の中学生です。
親子と言うより、まるで同級生の様な感覚です。

翌日は、帰るまで沿線のレジャー施設を巡り、我が家に帰った時は、
全員がグッタリとしてしまいました。
しかし、本当に楽しい家族旅行でした。
日頃、仕事で疲れ果て、傍目にも大丈夫だろうかと思うほどだったのに
この日の為に、一生懸命計画を立て、私たちを楽しませてくれた子供達に
心から感謝の気持ちで一杯になりました。


見えない物が見える世界

2016-02-04 11:31:33 | 家族

テレビ番組も、視聴率が落ちてきたり、ネタが尽きてくると
視聴者が驚いたり、怖がったり、不思議に思ったりする
定番の衝撃ネタに頼るものです。

特に、私達は、科学で解明できない事や、思いがけない

事件事故、更には、体験した事のないことについては
思わず飛びついてしまうものです。

私の家族も、御多分に漏れず、この手のネタにはすぐに

興味をしめし、ビデオに録画したり、時間を取ったりと
その真偽に興味を示します。

しかしながら、ちょっと普通の家庭とは違うのは、

これ等の不可思議な出来事に、肯定的な部分が有る事です。
つまり、人の目には見えない物や感じられない事が
我が家のメンバーには理解できるのです。

とは言え、全員ではないので、いつも、この手の番組を見ると

意見が真っ二つに分かれ、時には喧嘩になる事も有ります。
私と娘は、よく不思議な現象や見えない物が見えたり
感じたりしていて、特に妻を混乱させます。

妻は全くその手のものには否定的で、現実に見えるもの

聞こえるものにしか関心が有りません。
しかし、娘は私以上に敏感で、学生の頃は、バイトから帰ると
誰かしら連れてきて、来てほしくないのに勝手に付いて来ると
ぼやきます。
私も、普通に、そいつを早く帰して来る様に娘に言っていると、
妻は、いつもの様に頭を抱えたものでした。
もちろん、妻には全く見えていません。

私も、若い頃は、様々な物が見えていて、周囲から変な目で

見られたものですが、今では、気配は有っても実態は見えません。
そんな事から、例えテレビ番組でも、私達が納得してうなずき
妻が否定する状況が生まれています。

ところが、最近、妻も、この目に見えない世界を信じる出来事が

有りました。
私の田舎に帰省しているとき、ローカル電車に揺られながら
何気なく故郷の山を眺めていると、空に光る丸い物が浮かんでいます。
私が何気なく、UFOが居るよと言って指を指すと、妻の目が止まりました。
見てはならない物を観たような顔で、食い入るように見つめます。
それは、1分程、電車が進んで行っても変わらず北の空に白く浮かび
誰が見ても不自然な姿でした。

昔から何度も見たと言っても信じてもらえなかったのですが、

ようやく妻にも信じてもらえるようになりました。
しかし、時たま見える人の姿や気配は、妻には感じて欲しくありません。
姿かたちもはっきりと見える娘は、外出先から帰って来たとき
家にしばらく居つくその不思議な存在にストレスを感じ、体調を
崩したり、心が不安定になることもあるからです。

何しろ、妻は根っからの怖がりであり、話をするだけで怯えてしまいます。

そういう存在が有ると言うのを日常的に理解している者にとっては
何の怖さも無く、むしろ、人工的に作られたお化け屋敷や映画の方が
ずっと怖いのです。

私達の住む世界の事は何でも解っている様で、まだまだ知らない事が

一杯です。
不気味な事はいいとして、人間も自然も様々な事を知って理解して
全てがこの地球で平等に生かされている事を感じたいものです。


恵方巻きは楽しく食べたい!

2016-02-03 18:44:09 | 家族

今日は、節分です。
雑節の一つであり、春夏秋冬の各季節が始まる前の日の事で
江戸時代以降は、立春の前日を指す事が多いそうです。
季節の変わり目には邪気が現れると言われ、豆を撒く事により
邪気を払ったといわれますが、現代においては、単に、年間行事の
1つのイベントとして、自然に受け入れられています。

様々な会場で豆まきが行われ、今日明日のニュースは、豆を撒く
各界の著名人が映し出され、ようやく寒い冬の峠が超えた事を
暦の上から感じる事が出来ます。

しかしながら、現実のこの時期は、冬の真っただ中であり、
明日は立春だからと言って、急に暖かくなる訳でもなく、
三月になって、桜の蕾が膨らみ始めるまでは、まだまだ
厚手の防寒具が離せません。

所で、今晩、帰宅すると、我が家には、この日の為に準備した
私の苦手な物が待っています。
節分の豆まきでは有りません。私が帰って来たと時を狙って
家人が待ち構えているのでは有りません。

毎年の事とは言え、テーブルの上には、何本かの黒い筒?が
並んでいます。
何かって? そう、もちろん、恵方巻きです。
それがどうしたかって?
もちろん、食べるのです。南南東を向きながら。

しかしながら、この恵方巻き、ちょっと手ごわいのです。
毎年妻が作ってくれるのですが、太巻きの中に一杯具を入れ
更にたっぷりの酢飯が輪をかけて、その姿は、ちょっとした
茶筒の太さです。
片手で持っても、指が回りません。

困った事に、妻は極めて行事に煩く、いつもの様に、3つの
約束を守らされます。
1つは、食べる方向であり、今年は南南東。
2つ目は、口を付けたら、巻き寿司から口を離せません。
3つ目は、食べ終わるまで無言で、その間、水もお茶も摂れません。

コンビニでちょっと買ってくる位のものなら大丈夫ですが、
何故か、太さも長さも一回り以上の大きさです。

今朝も、今年から食べやすい大きさにするか切って食べるかにしようと
何気なく話を持ちかけたのですが、瞬殺されました。

節分として食べる豆の量は、年齢の数であり、今ではかなりの量です。
そして、メインイベントは、この巨大な大筒?を口から離さず、
全て食べきるまで監視されます。

聞くところによると、節分の豆まきは、日本中で行われていたのですが、
恵方巻きがポピュラーになったのは、1998年に、セブンイレブンが
売り出してからとの事です。

そういえば、20年ほど前には、我が家には、こんな行事は無かったのに、
妻の実家では昔からあった様で、東京でも広まって来た事から
我が家でも行う様になったみたいです。

私はお寿司は大好きなのですが、もっと楽しく、口に入る大きさで食べたいのです。
妻の影響か、子供達も、この行事を楽しみにしていて、私が帰って来ると、
全員食べたからと言って、私が四苦八苦して食べるのを面白がって見ています。

いつも最後の恵方巻きを食べるのは私ですから、本当に全員が食べたのか
今まで見たことが無いので疑心暗鬼です。
節分で鬼は去ったとはいえ、妻がこの巨大恵方巻きを食べたとは思えません。
何しろ、妻の口は、本当に小さく、私と対照的で、普段食べる食事の量も
一口で食べる食べ物の大きさも半分以下なのですから。