かつて、映画の中で、スーパーマンが地球の回転を逆にして時間を戻し
人類を救うと言うのが有りましたが、SFの世界としては考えられても
現実には到底あり得ない世界と言えます。
しかしながら、最近は、我々の常識を覆す事が、頻繁に起こるもので、
異常気象と言われていた事が、異常ではなく、日常と成って来ています。
50年に一度とか100年に一度と言った大雨が、連日降り続いたり、
超巨大台風が世界中で猛威を振るったりと、20世紀の頃は、半分
興味本位で創り上げたような未来小説や映画が、今や現実となり
私達は、経験した事の無い時代を生きているのだと実感します。
今回日本列島を襲った台風は、正に、目を疑うコースを辿り、
日本中の人々を驚かせるだけでなく、世界の気象学者の常識を覆しました。
北半球に於いて、台風は、偏西風の影響が強くて、日本列島に近づいても
次第に東に流されて離れて行くのですが、今回は、全く常識を破る
誰もが驚愕する西へのコースを取りました。
まるで、偏西風に逆らう様に、東海沖から日本列島を西に沿って進み
最後は、九州を巡り鹿児島沖まで至りました。
21世紀と成って、地球温暖化の影響と思われる現象は、世界中の気象に
大きな変化をもたらし、いよいよ、人類のみならず、地球の生き物全てが
これまでと全く違った環境に晒される事と成ったのです。
この異常事態が突発的な事であれば良いのですが、残念ながら、毎年
私達人類が願っても居ない方向に進んでいるのが心配です。
我が国に於いても、長い歴史の中で、春夏秋冬の季節の移り変わりが
様々な生き物の成長繁殖に大きな影響を与え、其々の季節に於いて、
素晴らしい富をもたらしてくれたのですが、例え、極寒の季節が有っても
いずれ暖かい春がやって来ると言う季節の変化を、私たち日本人は、
寒さに耐えながらも期待していたものですが、最近の日本の四季は、
あの穏やかな移り変りではなく、極端な寒さや暑さが毎年繰り返され
一年中荒っぽい気象条件で振り回されています。
大雪、干ばつ、大雨、酷暑と、いずれも、日本人の生活を苦しめるばかりで
最早、私達は、日本の四季に身を委ねて生活できる時代ではないのです。
地球環境の中で、北半球の中緯度に位置する日本は、海流の関係で、
多くの地域が温暖な気候に恵まれ、更には、春夏秋冬、様々な自然の幸に
恵まれて日本人独特の豊かな感性を育てて来ました。
明治以降の経済発展により、多くの自然が失われたものの、日本人の生活は
世界的に見ても、様々な文化を柔軟に吸収し、豊かな食量に恵まれ、
諸外国に比べるも、心豊かで優しい民族として知られるようになったのです。
所が、消費経済国家として、経済性を優先する事に抵抗しながらも、
何とか日本の自然を守り、日本人としての豊かな感性を育ててきたにも関わらず、
遠い昔から私達を育てて来た大自然の驚異的な変貌は、私達日本人にとって、
いつかまた、あの豊かな日本の自然が戻って来ると言う期待すら失わせる程です。
私達人類は、地球環境によって育てられてきたのですから、その環境が変化する事は、
人類がこれまでの様な生活を続けて行く事は非常に難しく、多くの人達が
この変化に付いて行けず、他の生き物と共に、見捨てられるかも知れないのです。
何しろ、今の世の中のリーダー達は、自分達の生活を差し置いて、貧しい人達を
救おうと考える殊勝な人はほとんど居ません。
もし、地球温暖化で人類の未来が危ぶまれるとしたら、自分達だけでも生き残ろうと
考える我欲で生きている人が多いからです。
地球上の富と食料の大半を、ほんの数%の人達が独占している現状を見れば、
確実に、人類の大半は、犠牲になっても構わないとしているのです。
中には、地球温暖化はでっち上げだとツイートする何処かの我儘リーダーも
いる事ですから。
しかしながら、最早、これまでの常識で生きていては、未来へと繋がらず
過去何百年に渡って続けられて来た消費経済社会は、人類を、豊かな暮らしへと
導く事は無いと言う事実をシッカリと認識して行かなければなりません。
巷に溢れる豊かな食量と物資が、あっと言う間に消えてしまう世界が
やって来る可能性が有るのです。
常識では考えられない気象変化が起こる世の中となって、人類の生活が根本から
変わってしまう事も考えられるのです。
既に、世界中で、食料資源のコントロールが始まっています。
限られた食料と資源を如何に確保するか、この事が世界各国の最大の議案で有り、
どの国のどの民族が生き残るかを考える時代に成って来たと言います。
世界的な気象変化は、既に、これまでの世界を継続する事は不可能であると考えられ、
未来に生き残る為、水面下で、世界中の新たなる指導者を目論む人達が準備を
始めていると言われています。
当然、今の社会を支配しているリーダーや権力者たちは、新たなる時代にそぐわなければ
一掃される事と成り、生き残る為には、常識では考えれれない様な社会形態を構築
しなければならないのです。
一部の人達を優先的に生かすのか、国全体の民を、一様に未来へ繋げるように守るのか、
いずれにせよ、限られた資源食料が確保できなければ成り立たないのです。
しかしながら、この非常事態に気づいていない方が殆どと言えます。
今日は明日に続き、これからもずっと幸せな未来が続くと思っている方が
殆どと言えます。
異常気象や様々な天災で、多くの日本人が被災しようと、自分には決して
降りかからないと信じています。
しかし、地震も集中豪雨も、台風も、近年多く発生した災害に見舞われた人たちは
誰しも同じ考えで、まさか自分が被災するとは思っても居なかったはずです。
ほんの少し前に突然大阪北部を襲った地震で多くの家屋が被害を受けましたが、
その時、テレビ画面を見ながら、驚きと共に、他人事のように思っていたのが
今回の集中豪雨で被災した人達でも有るのです。
誰もが、自分が惨禍に巻き込まれない限り実感できないのが災害の恐ろしさです。
しかし、一度被害を受けると、それは、自分が思っていた事の数百倍数千倍の
ストレスと成って襲ってくるのです。自分ではとても対処できない、如何に、
人間は無力なのかを知らされるのが大災害の実態なのです。
その恐ろしい恐怖が、毎年、日本人の数多くに襲い掛かっているのが
現実と言えるのです。
しかし、どんなに大きな災害と言え、たとえ大地震で有っても、被災する人は、
日本の人口のごく一部であり、殆どの人は被害を受けないのです。
その為、まるで、貧乏くじを引いたかのように、一部の人達だけが
苦しい思いをして、災害に見舞われなければ大丈夫と考えるのは早計です。
災害と言うのは、多くのライフラインを破壊するだけでなく、国中の交通網、ネット回線、
商業回線を麻痺させ、国全体の機能が低下してしまうのです。
特に、現代社会の様に、ネットで全て繋がっていると便利な様で、一度、ネットが
使えなく成れば、たちまち、日本だけでなく世界中の社会活動が大きな影響を受けるのです。
被災した地域の人々や生活が破壊されるだけでなく、その影響は、実際被害を受けなかった
多くの人達に対しても後々長く続くのです。
大航海時代に栄華を極めたポルトガルが、リスボン大地震で国の経済が破たんし、その影響は、
数百年後の現代に於いても、ヨーロッパの貧国としての地位を返上する事が出来ません。
もし、東京や大阪と言った大都会が地震で破壊され、流通網が寸断されたとしたら
それこそ、危急存亡の時が訪れ、日本と言う国が維持できなくなるかもしれません。
一番恐ろしい事は、これから想定される様々な天変地異や異常気象では有りません。
私たち日本人の心が、いつまでも異常気象と思っていたり、何時かまた昔の様な
穏やかな日本が帰って来ると言う甘い考えを持ち続ける事です。
被災しなければ、まるで他人事のように、自分自身は決して被害を被らないと言う
油断です。
もし、災害に見舞われれば、元の生活に戻る事は至難の業で有り、現代の日本社会は
例え被災者で有っても、支援者は、利益を伴わない事業には前向きではないのです。
報道に於いては、人道的な観点からの普及活動が全面的に押しだされる傾向が有りますが
復興事業を行う業者も私たち国民を守ってくれる国も、善意の行動の裏には必ず利害が
働いていて、その復興活動は、常に、上から目線の、一方的な考えで成されるのです。
ボランティア活動も長く期待できるものではなく、最終的には、自分達で、元の様な
街を目指す事になるのです。
しかし、当然、国も企業も出来ない事を被災した人たちが出来る訳がりません。
被災地もそこに住む人達もいずれ疲弊して、外部資本に吸収されるか、過去の歴史として
消え去って行く事となるのです。
本当に人々を守り日本人の文化を守りたいと言うなら、災害以前に、人々の基本的な
人権と安全を守るシステムを構築する事が重要です。
被災した後慌てて作り直す街は、既に、街の機能は無く、過去の美しい姿は有りません。
例え災害から生きながらえたとしても、そんな、自分達の心を癒せない街は、既に
故郷でも憩いの場でも有りません。
これから、恐ろしい予想がされる未来に向かって行きます。
次第に局所的な災害から広域災害となり、更には、地球全体に広がる天変地異となる
可能性が実に高いのです。
街を歩く若者達を見ると、彼らの未来を考えて胸の詰まる思いと成ります。
これから数年後で有っても、どれ程大きな気象変化が起こるかも知れません。
しかし、彼らは、恐ろしい未来が予想される時、その時の世界を体験する事になるのです。
希望に燃える素晴らしい未来ならいざ知らず、正に地獄絵図を想定されているのです。
今私達が出来る事、リーダー達が行わなければならない事は明らかと言えます。
地位や名誉に胡坐をかいて、己の私腹を肥やしている場合ではないのです。
今や、ニュースを見れば、次々に暴かれる政治家や著名人の見苦しい我儘な実態ばかりです。
欲望のままに我欲に走る様は、正に、豊かな生活をする人達が、からならずしも
貧しい人達や苦しんでいる人達の方を向いていない事が解ります。
つまり、私たち日本人は、誰しも、誰からも守られていない事を実感する事です。
例え保険に入ろうと、豊かな生活を行おうと、それは一時的な安心に成ったとしても
根本の安心には程遠いのです。
各自が、自分の身近な人達とより絆を強め、いかなる事態が来ようと、心ぶれない
人としてのしっかりとした生き方を貫く事が重要と言えます。
日本における経済的に身を固めた方々は、決して、苦しむ人達に心から手を
差し伸べる事は無いと心得る事から、初めて、想定外の未来を生き抜ける力と
勇気を持つ事が出来るのです。