めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

心の拠り所を見つけられない日本人

2015-08-31 18:50:53 | 東京

東京の様な大都会に住んでいますと、世の中の移り変わりが激しく
日本中で起こっている事を、凝縮している様に感じます。
特に、人々の関心は、マスコミを通じて広がる事が多いのですが、
その情報自体が多く実在する東京の街は、言わば現代日本の
ワンダーランドとも言えます。

驚くべきことは、ほとんどの事例が庶民の感覚を越えて、街が創られ

世界中の物が集まって来ることです。
今や、世界中の物が東京で手に入り、世界の流れを知りたいならば
東京に住めば解ると言われる程です。

しかしながら、見る物聞く物がどんどん変わって行く中で、人々は

どうでしょう、同じく、最先端の感覚で、時代の流れに副って生きている、
と言いたいところですが、殆どの人が、追い付くどころか、必死にしがみ付き
辛うじて毎日を生きているのが現状と言えます。

マスコミは、今の最先端の流行や進歩を見せつけ、画面からは、

今、一番輝いている、この国の第一線の人々を、輝かしく紹介しています。
こんな中、一番のとばっちりを受けているのが、日本中に増えた高齢者です。
世の中の進歩は、高齢者にとって、バリアフリーの名のもとに、街中を
高齢者に便利なように作り変えつつあります。

確かに、至る所で、足腰の弱くなった高齢者を労わる設備が増えました。

高齢者優遇の街の作りが、日本が世界で有数の福祉国家であることを
アピールします。
年寄りに聞けば、誰もが、便利になったと声を揃えて称えます。
多くの企業が、福祉事業への参入で、我が国にとって優秀な企業で有ると
その存在価値を主張します。

しかし、もう一つ質問すると、途端に、高齢者の顔は答えを探します。

今の日本で生活出来て幸せですか?と
すると、更に声を大にして、もちろんと答えますが、この答えには
本心は含まれていません。この答えは、便利と言う言葉の言い換えなのです。

では、本心は?と言えば、多くの方が、昔の方が良かったと答えます。

この前者の答えを基準に我が国の政策は組まれています。
より便利に、機能的にすることが人々を幸せにすると。
残念ながら、この、外見的な答えと、今の日本の社会が合っているのです。

コンピューターの普及で、世界中の出来事が瞬時に解り、世界中の

殆どあらゆる物が手に入る今の日本で、何を便利に、機能的にすれば
人々は幸せになるのでしょう。
いや、もう、十分便利で、機能的な社会です。
しかし、その便利さの恩恵を受けるのは、本当は、この社会を作った
一部の人々だけなのです。

多くの日本人が、勝手に創られた街で、余計なおせっかいのもと

使いたくもない、利用されたくもないネット情報に振り回され、
日常生活から、管理され、無理矢理動かされているのです。

この、便利でスピード重視の世の中に着いていくため、必死になって

一日中スマホの画面にかじりつき、必要以上の仕事をスピードアップした
管理システムによってこなさなければなりません。
今や、日本人は、ネットの奴隷と成り、管理者たちの手駒の様に
一日中動かされているのです。

便利で機能的と言う管理者に思うがままに動かされ、日本中の人々が

大人も子供も高齢者も、一日中忙しく動き回っていなければならないのです。
本当の幸せとは、各個人が決めるものです。
私達は、幸せすら、あらゆる情報から決められてしまっているのです。

一番の問題は、個人的な、人と人との間から生まれる、お互いが育てた

心の繋がりの情報が、あらゆる世代に極端に少ない事です。
ネットやマスコミから得た、幸せと言う定義を求めて、今や日本人は
情報の荒波の中で漂流していると言っても、過言では有りません。


家族が崩壊する日本

2015-08-31 13:17:26 | 高齢化社会

世の中が不景気から脱却できないと、様々な弊害が起こり始め、
社会基盤が崩壊していく傾向が有ります。
中でも最近問題となっているのが、家族の崩壊と言う、社会の
基盤となる部分で日本社会が揺らぎ始めています。

近年、高齢化社会が問題となっていますが、単なる高齢化社会と
言うだけでなく、若者たちを巻き込んだ、更に複雑化した問題が
日本中で起こりつつあります。

働けない高齢者が増えるだけでく、若者たちの就職率、正規雇用率が
伸び悩む中、働けない若者たちが、親を頼り生計を立てると言う
以前では考えられない現象が多くなっています。

本来ならば、働ける若者が高齢者を看るというのが当たり前の様でしたが、
若者自体が自立できず、高齢の親を頼って生活をする形態が増えてきました。
ただでさえ少ない年金で生活している高齢者の元に働けない子供が帰ってくれば
その生活は、苦しくなるのは明らかです。

全国で、親子共倒れの家庭が増えている現状が問題と成っているのです。
それだけでなく、後期高齢者を看なければならない高齢者の問題もあり、
世代間を貫く、家庭崩壊の問題が生まれているのです。

これ程にの事態になるまで、どうして国も自治体も予見できなかったのでしょう。
家族と言うプライバシイーに、実態が中々把握できなかった事も有りますが、
最近頻発する、悲惨な結果を、特異な例と考えているのでしょうか。

私の働く仕事場から少し歩くと、日本でも有名な、超高級住宅地が広がっています。
何代も続く、巨大な敷地の御屋敷が立ち並びます。
しかしながら、ここ十年程で、随分その街の景色が様変わりしました。
まるで、歯が次々にこぼれ落ちる様に、巨大な御屋敷が、広い原っぱに変わったり、
数件の小型住宅に建て替えられたり、昔の街並みを知っている私達からすると、
一体何処の街だろうかと思えるほどの変貌ぶりです。

しかしながら、この住宅地から海側に2キロも行かない内に、数多くの工場の
立ち並ぶ商業地が有ります。
かつては、日本経済を支えた優秀な世界でもトップクラスの職人が働く区域です。
この地は、もう10年以上前から、多くの工場が閉鎖をし、優秀な人材が失われ
職人の街としての形体も失われて来ています。

かつては、日本経済を支える工場が立ち並び、その先には日本経済を支える大手の
人々の御屋敷が立ち並んだこの街も、今では、どちらも日本の今を象徴している
かのように、あのかつての面影は有りません。

トカゲの尻尾切の様に、弱い者弱い企業を切り捨て、一部の大手を優遇する
今の行政は、とても文化的な先進国家とは言い難いものです。
商店街を支えていた様々な小売り店が、いつの間にか、一つのコンビニ変わり、
中小の数々の企業がいくつかの大企業に吸収されて行く事が、いかに
多くの人々の職を消し去り、国民の負担を増やしているか、
私達に笑顔を見せていた人たちが、一度執行部になったとたん
背を向けて、一部の豊かな人々の方に向いてしまうこの日本の社会は
いずれ破たんするか、内戦が起こらない限り変わらないのではと思える程です。

ともかく、今や、多くの人々が、毎日生きる事に耐え、未来を見つけられないで
苦しんでいる現状を、日本人としてしっかりと心に刻んで欲しいものです。
今ほど、私達の未来を、リーダーたちに託せない時代は有りません。
貴方たちと同じ世代の高齢者が、日本中で苦しんでいるのを
国会の外に出て、自分たちの足で歩いて、実感してほしいと強く思います。


謙虚で実直と言われる日本人の曖昧さ

2015-08-29 13:21:48 | 日本人

私達の人生において、幸福と不幸は、次々にやって来ます。
諺にも有る様に、幸福の後には不幸が、不幸の後には幸福がやって来るので
その都度、必要以上に喜んだり悲しんだりしない様に、戒めの言葉として
古くから語られています。
しかしながら、この幸福と不幸とは、何を持って定義しているのでしょう。
普段、私達は、簡単に言葉として使っていますが、改めて考えてみると
いかに曖昧でいい加減な言葉である様に思えます。

人の心は、自分で支配している様で、意外と周囲の環境や人々によって左右されます。
現代は、ネット社会に在って、世界中からあらゆる情報が入って来ます。
しかしながら、人々の心には、意外とそれらを正しく判断する基準が有りません。
その為、他のニュースソースから得られる情報によって、判断するしかありません。

余りの情報の多さに、自らその真偽を確かめる事が出来ず、社会的な判断基準で
自分の考えとして納得させています。
その為、一見、自分の考えや意見である様に思える事も、ほとんどの場合、
ネットやマスコミなどの情報から作られている事が多いのです。
自分で調べたりする時間や労力が格段に減ったものの、その情報が自分にとって
本当に必要なものか、自分の考えとして利用して良いものか、常に判断され難く
時に、正確な意思や行動を要求されたとき、迷ったり、周囲に流されたりしがちです。

つまり、自分の考えの成熟度が常に悪く、いつも消化不良の状態が生まれているのです。
一つの問題に対する答えも、これと言った判断がし難く、かろうじて数字的な判断でしか
示す事が出来なくなっているのです。

しかし、私達の心は、なかなか数字的に割り切って考える事は出来ず、その事が
いつも安定しない不安な現代人の心を作っているとも言えます。
自分の答えや、考えは、いつも情報の中や、自分の外にあり、
常に、自分の行動や考えが、周囲の変化によって、簡単に変わってしまうのが
現代の恐ろしい所です。
中でも、数値化された事は、絶対であり、一度、基準値を定められると、その数字に
全ての生活が囚われ、一人の人間としての意思が、次第に失われがちとなります。

コンピューターの発達により、あらゆることがデーター化数値化され、私達の生活は
一見、便利になったかの様に思われがちですが、この数値は、便利そうで、実は
数字を扱う側からすると、極めて、独裁的に世の中を動かす事が出来る、
一部の人達の単独支配の技でもあるのです。

今の日本の社会は、長い不況の中にあると言いながら、多くの国民は、強い反発もせず
他国の様に暴動すら起こりません。
これを、日本人の謙虚な実直な国民性と判断する方もいますが、実は、今の日本人は
自分の意見を持ち続ける習慣が無くなっているのです。

この原因には、情報の発達を促進したネット社会の力が大きいですが、私達の心の
基準が、白黒をはっきりしない、周囲の動きに任せる、曖昧な性格に在る事も
考えられます。
簡単に物事を決定しない、民主主義的な性格と捉える事も出来るのですが、
自分の決定した事に自信が持てず、常に、別の答えに変えられる優柔不断な
性格とも言えるのです。

それは、自分の意見や行動が間違っていると判断した場合は、すぐさま変更をして
心に大きな傷を残さない為でもあります。
つまり、上手くいっている時も、その方法が間違いで有る事を前提とした考えや
行動が常に頭の中に在るのです。
更には、間違った事態になった時も、直ぐに新たな手段を講じる体制でいると言うのが
私達日本人の多くが持っている心情でもあるのです。

その為、諺に在る様な、戒め的な事ではなく、常に、複数の可能性を考えているのが
現代日本人と言えます。

長引く不況に苦しみながらも、貯蓄高は増え、保険料は増大しています。
高齢者の中には、十分すぎる所得で、悠々自適の生活をしている人も多くいます。
しかし、それ以上の楽しみを求めるより、更なる貯蓄、保険料の増加に力を入れ
裕福な生活よりも、安全安心を求める生活を選んでいる場合が多いのです。

一見、非常に安定して、人生設計がしっかりした日本人のようにも思われますが、
多くの方がこのような思考になると、市場経済的にはじり貧となり、大きな
経済発展にはならない傾向が有ります。

お金の流れが滞り、中々市場が動かず、その結果、長い不況から脱却が
難しくなっていくのです。
曖昧な判断基準で人々が動くと、社会は大きな力を得る事が難しくなります。
1人1人の考えがまとまらなければ、会社も、社会も力を失って行きます。

世の中は、大きな波によって動いています。
不景気に成れば、その反発により、次なる好景気が生まれて来ます。
人の気持ちも、苦境に陥れば、そこから抜け出ようと大きな力を作り出します。
落ちる事も、上がることもない状態は、人にとっても世の中にとっても
余り良い事では有りません。

人によって不幸、幸福と考える基準が違うと言うのは、考え方でどちらにでもなり
不幸や幸福が自分にとっての基準ではないという事です。
つまり、幸福や不幸は後から考えればいい事であって、先ず、自分が何をしたいのか
何を訴えたいのかを明確にし、目的に向かってまい進する事です。

多くの情報は、自分の知識を増したり判断力を助けたりはしますが、自分の生き方や
行動を決定するものでは有りません。
情報量ではなく、自らの決定を信じて、自分が何をしたいのかを周囲にはっきりと
示していく事が大切と思えます。


生き残る為の戦い

2015-08-28 11:25:31 | 大自然

早朝にウォーキングをしていると、様々な事に出くわします。
夏の終わりに多いのが、道路際に結構見つかる、まだ生きている
夏ゼミ達です。
木の上で鳴いていればいいのに、と思いつつも、何故、まだ飛べるのに
道に落ちているのか、とても不思議です。

でも、公園の植え込み等、よく見ると、結構虫の死骸が見つかります。
しかし、不思議な事に、翌日同じところを歩いても、殆ど見つかりません。
道路を清掃していらっしゃる近所の方が、落ち葉を掃くついでに、
昆虫の死骸を片付けているのかと思っていました。

真夏でも、桜の葉は、黄色く色付き、結構な量が一日で落ちているため
連日、近所の方々や、歩きながらゴミを拾う高齢者の方々によって
いつも綺麗な道路になっていると思っていました。

しかし、今日、少し雨の降る早朝に、意外な光景に出会いました。
数十m離れたところで、何やら黒い影が動いています。
だんだん近づくと、大きなカラスが何かを啄んでいます。
かなり接近すると、驚いたように、横っ飛びしたカラスの口ばしには
何と、アブラゼミが羽をばたつかせています。

その後、しばらく進むと、また同じ様な光景に出くわしました。
2羽のスズメが、何かを追いかけて、盛んに羽を広げています。
良く見ると、スズメの下で羽をブルブルと震わせているミンミンゼミが
必至で飛び立とうとしています。

しかし、次の瞬間、少し高い所で舞っていた一羽のスズメが
勢いよく滑降すると、自分の身体の半分ほどもある蝉を咥え
飛び立ちました。
直ぐ後を追いかける様に、もう一羽のスズメが飛び去ると、
遊歩道の上に、透き通った一枚の羽根が落ちていました。

そう言えば、幼い頃も、沢山の動物の死骸を見ましたが、しばらくすると
いつの間にか、どこかに消えてしまいました。

自然の摂理は、あらゆる生物が繋がって、お互いに生きているのを感じます。
私達は、直接自分の食を満たすために、狩りをしたりすることは殆ど無く、
多くの流通機関を通して、食品として摂取して居る為、自分たちは、
他の動物とは異なる生活を送っている様に思ってしまいがちですが、
地球上に生きる一生物として、この食物連鎖から逃れる事は出来ません。

しかしながら、私達の生活は、自分たちだけが生きながらえる様に創られ
他の生物を一方的に利用する事で発展してきました。
人類の歴史は、生物の頂点に立ち、他の生物を乱獲する歴史でした。

その結果、今や、世界的に、私達人類は食糧難にあえいでいます。
私達が便利さを求め続けた結果、地球の気象すら変えてしまっています。

どんなに、私達が進歩しても、生物の一つとして、他の生物から
生きる糧を得なければなりません。
私達の生き方は、今や、岐路に立たされています。

このまま地球の富を枯渇するまで利用し続け、多くの生物と共に
絶滅の道をたどるか、はたまた、生き物として原点に立ち返り
地球上に生きる多くの生物達と食物バランスを保った生活に
戻るか、選択を迫られています。

小雨の降る遊歩道を足早に歩いて行くと、何羽ものドバトが手すりに
羽を濡らしじっと佇んでいます。
時おり、公園の方から、ペアのキジバトが鳴く声が聞こえます。
しかし、目を下に落とすと、暗青色に濁った目黒川が流れることなく
澱んでいます。
殆ど底が見えることなく、様々な色に汚染されている水面を見ると、
そこには、生き物の生活が全く感じられません。

多くの動物たちは、自然が無くなり汚染されても、ただ必死に命を繋ぎ
生きています。
しかしながら、私達人間は、見た目の自然を求め、自分たちの生きている
生活環境すら、生物として生き辛くしているのに、いつ気が付くのか、
その時が、人類の末路にならない事を願わずにはいられません。


若返りのポイントは、頭の位置に有り

2015-08-26 13:48:48 | スポーツ

今朝、早くから、妻にトラブル発生です。
起きてくると、何やら、首周りが変です。
どうやら、寝ていて寝違えたのでしょう、首が思う様に回らず、
特に、上を見ようとすると、痛くて、目だけしか動きません。

借金で首が回らないとはよく言いますが、実際に自分の首が

何だかのトラブルで動かなくなると、動作が非常に不自然です。
私も、今まで何度か同じような症状になった事が有りますが、
安静にしていたり、湿布をしたりして経過を見守る事しか出来ず
しばらくの間は、何をしても気持ちが重くなってしまいます。

ところで、ただでさえ高齢になると、頭が前方に突出しがちです。

私の両親も御多分に漏れず、かなり高齢者体型が見られます。
最近では、その頭が出た形で上半身が凝り、自分の頭の重さで
苦しんでいます。

スポーツを行なう時も、私達の頭の位置は、非常に重要です。

私達は、両足で立っている様に思えますが、頭の位置が身体の
中心からずれてくると、途端にパフォーマンスが落ちてしまいます。
特に疲れてくると、直立筋の働きが弱くなり、頭が前方に落ちて
背中が丸くなって来ます。

私達の足は、無意識の内に、上体のバランスを感じながら、

反射的に足を進めています。
普段歩くときも、かなり激しいスポーツをする時も、頭の位置を
正しく置く事は重要です。

体幹や下半身の力で身体を動かしているのですが、この時

頭が脊椎の上で、垂直方向にバランスが取られていないと
脊椎反射が上手く行われず、下半身を意思を持ってしっかりと
頑張って動かさななければならなくなります。
この下半身に意思を持ち、一歩一歩足を運んでいるのが
実は高齢者なのです。

高齢になって来ると、誰しも体力の衰えを感じ、下半身の弱体化を

感じる様に成ります。
すると、衰えを無くし強固にするために運動をしなければいけないと
様々なスポーツに挑戦し始めます。

しかしながら、どのスポーツの分野を見ても、高齢者の運動は、

何もしない高齢者よりも活発で健康そうに見えるのですが、
実際は、やはり、動作がギクシャクした重々しい運動なのです。

これは、高齢で筋力が無いからと思ってしまう方が多いのですが、

実は、高齢者の方がずっと若者よりも筋力が強い場合が
かなりあって、力が衰えただけではない事が解っています。

一番の老化の原因は、反射神経の衰えが著しく、動くために

頭を使って身体に命令しなければならなくなっている事が多いのです。
その為、歩くときも、左右の足を意識して、一歩一歩動かしているのです。

この、反射神経が多く関わっているのが、スポーツです。

頭は、次に何をしようかと考える場所であり、イメージを作ります。
それに対し、反射的に目的を達成する様に身体が動く事が大切です。
この時、一番大切な事は、脊椎の周囲の筋肉に異常な緊張が無く
脊椎が柔らかく動ける状態にある事です。

これが、実は、頭を大地に対して垂直にバランスを取る事です。

この時、身体は、頭の位置を前後左右に変える事により、その下の
筋肉を目的の為に、反射的に使えるのです。

しかし、頭が、特に前に傾いたままでは、背中や腰、更には、

脊柱周囲の筋肉がいつも緊張していて、頭の思いが、脊椎から
身体に伝え辛くなってしまうのです。
この、緊張が長く続くと、増々、下半身の反射は悪くなり、挙句の果ては
高齢者の様に、歩くたびに、自分の足に力を入れなければならなくなります。

スボーツのパフォーマンスが優れてくると、どの分野の方々も

見た目美しいスタイルと成り、誰もが憧れる存在と成って来ます。
これは、スポーツを頑張ったから、と言うよりも、脳と身体の関連が
スムーズに行われ、イメージどうりに動く事が出来る様になったからです。

つまり、頭の位置が安定して脊椎の上にバランスよく置かれ、

反射機能がよくなり、その結果、力強いスピーディなパフォーマンスが
容易くできる様になったのです。

誰でも、高齢になれば体力の衰えが気になります。

しかし、運動をすれば若返り、体力も付くと考えるのは早急です。
先ず、正しい姿勢で、バランスよく動き、体中の機能が、反射的に
動けるようにすることが大切です。

朝のウォーキングをしていて、高齢者に目立つのは、一生懸命下半身を

鍛えようと、足腰に力を入れたり、スピードを出す為に前傾に成ったりして
増々ギクシャクとした動きになっている方がとても多く見られます。

頑張る事もたいせつですが、頑張らないで反射的に動ける身体は

もっと大切です。
第三者から見て、自分が美しく歩いたり走ったりしているか、想像しましょう。
歩いた距離、時間、スピードも気になるかもしれませんが、美しい歩き方
走り方は、若さの象徴でもあることを知っておきましょう。