めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

日本の政は、やはり人間でなく、タヌキやキツネが行っていた!

2018-03-13 13:40:37 | 日本人

想像した通り、思い通りと言った展開になって来ました。
昨年の今頃、国会で、森友学園と政府関係者の不適切な関わり合いを
国会で指摘され、政府幹部並びに総理が、明快な説明が出来ず、下手な
弁解を行っている時点で、またもや、政治家の不祥事が臭ってきましたが、
幾度となく繰り返す歯切れの悪い弁解の後、遂に、本性が現れて来ました。

逃げ処が解らなくなり、いつもの様に、尻尾としての悪人を仕立てましたが、
関係者の自殺も有って、更なる疑惑が、確信と成って来ました。
戦後幾度となく繰り返される政治家の我欲から生じた疑獄は、まるでイモずるを
引くがごとく、次々にホコリに紛れたタヌキどもが白昼に現れ始めました。

疑惑の中心である雄雌の大タヌキは、一年前には潔癖を主張し、一切関わりは無いと
声を大にして訴えていましたが、自分達の足跡を示す資料が出て来た事で、今後
如何に弁明をするのでしょうか。
戦後、多くの疑わしき人達が証人喚問に出廷し、知らぬ存ぜぬ、記憶に在らぬと
正に、駄々っ子の様な見苦しい弁明を繰り返してきましたが、喚問以前に、この一年
関係者のマスコミに対する弁明は、国民を代表する公明正大で潔白な政治家とは程遠い
誰が見ても賛同できない、見苦しい姿を見せ続けています。

法治国家である我が国において、疑わしきは罰せずと言われる様に、明確な証拠が無くて
ただの疑惑で人を裁く事は許されません。
それは、間違った判断で、濡れ衣を着せ、冤罪を生まないために、司法は細心の判断が
求められるのです。
しかし、この事が、逆に、多くの疑惑を呼ぶ事と成るのです。
証拠がなければ、確信が無ければ、自白が無ければ、と言った、間違って捌かれない様に
作られた司法の考えが、それを裏手に取ったタヌキどもの逃げ道を多く作っているのです。

様々な言い訳を行い、決定的な証拠を握らせなければ、逃げ通せると言う司法国家の盲点を
突いて来るのです。
国会に於ける様々な審議が、必要以上に時間を有するのは、より精度の高い結論を導くと言うより
其々の主張を裏付ける確証を得る為の作業があまりにも多く、簡単に結論が出ると思える様な議題も
国民からすると苛立たしい程時間が掛かる事も少なくないのです。

その為、基本的に、まるでディベートをしているかの如く、本論からズレた話術の様に感じる事も
少なく無く、無駄に論議を重ねている国会審議も少なくないのです。
その為、国会議員は、基本的に、問題を複雑化したり、都合の良い様に言い換えたり、結論を出さず
玉虫色の国民には解り難い答弁を繰り返す事が多いのです。
この事は、自分達に疑惑の目が向けられた時もその力を発揮し、のらりくらりと話を先延ばしし、
如何に保身を図るかという、国民からすると、ずる賢さしか感じられない議員が多いのです。

国民の目が届かない、自分達しか理解できない様なやり取りで国政を進めて行く事は
もし、不正が有っても、更なる闇に葬る事で、自分達に被害が被らない様に成っているのです。
今回も、誰に責任を取らせるかが、闇の中で論じられて来た事は明らかであり、犠牲者は、
見るからにおく病そうで気が小さく、事を荒立てない人間に決まりました。
責任を取らせる代わりに、どれだけの利益を約束したか、想像の域を出ませんが、
本当の悪人たちは、出来るだけ被害を小さくする事で、この一年は躍起だったことでしょう。

火消し役、トカゲの尻尾役は、タヌキ達ににらまれた小動物の様に怯えながら記者の前で
やりたくもない言い訳を言い続ける姿は、哀れとしか言いようが有りません。
そんな中、余りのプレッシャーに、自らの命を絶つ関係者も現れました。
私たち国民からすれば、死ぬぐらいなら、洗いざらい国民に疑惑の事実をぶちまけても
良いのではと思われますが、本人にしてみれば、自分だけでなく、様々の圧力が、
関係者や家族にかかることを不安視して、逃げ場を失ったのでしょう。

トカゲの尻尾だけでなく、死人に口なしとは、タヌキ達にとっては願っても無い事
と言えますが、そこで幕引きをしてしまえば、これまで多くの疑惑を暗黒の世界に
見失ってしまった日本国民にとっては、またもや騙された事になり、野党だけでなく
国民全体から、強く、その真相が明かされる事を願わざるを得ません。

それにしても、日本の執行機関は、余りにも情けないとしか言いようが有りません。
近隣諸国にからは、相変わらず、日本を戦争犯罪人の様に扱われ、アメリカ合衆国には
頭が上がらず、いつも保護者の様に寄り添ってもらわなければ何もできない、極東の
未来を決める重要な時期には、無視されて蚊帳の外に追いやられる、一体、日本は、
何処に向かっているのか、何処に向かわせようとしているのか、全く見えません。
しかも、こんな非常事態の中で、自分達の我欲に依る見苦しい実態を暴露されて
歯切れの悪い弁明を繰り返すだけとは、貴方たちは、日本を代表する人として
世界に顔を向ける価値は有りません。

地位や名誉だけを看板の様に振りかざすものの、現実は、自分達の小さな野望で
頭が一杯とは、一体何のために政治家となったのか、やはり、我欲を満たす為で
あったと断定されても致し方ありません。

昨今のテレビドラマや映画を見ると、政治が関わる事件や物語は、余りにも誇張され
視聴者の興味を引くために意図的に作られている様にも感じられる事が多いですが、
事実は小説より奇なりといいますが、現実の政治疑獄は、私達の常識を遥かに超え
我が目と耳を疑ってしまう程の事態です。

しかし、この大失態を、当のの本人達は、何事もなかった様に振る舞う様は、
怒り心頭と言うより、素晴らしいペテン師詐欺師の才能が有ると言いたいです。
私たち国民が働いた身銭は、彼らの欲望の為に使われているのかと思うと、
あのふてぶてしい態度と、他人ごとの様な涼しい顔は、明らかに人間とは思えず
やはり、昔から国会という宝の山に巣くうキツネやタヌキと言わざるを得ません。

しかし、国民が呆れるほどの我欲に満ちた醜態を繰り広げるこの手の事件が
一向に無くならないのは、如何に、政治家という方々の外見と実際がかけ離れ
皮を剥げば、獣の臭いしかしないかが解ります。
輝かしい経歴も、国民の前で行う魅力的なパフォーマンスも、全てが隠れ蓑で
実態は、古だぬきやキツネが日本の政治をに成っていると言いたくなります。

もちろん、中には、国民の総意を常に念頭に置いて、切磋琢磨、身を清め
日本の為に尽くそうとされている方も多いかと思いますが、問題は、
人間の皮を被った獣の様な人が、主導権を握ってしまうと言う事実です。
しかも、常識を踏まえた、国民の心を見失わない、理想的な政治家の多くが
国会での発言の場を持てず、個人だけでなく、党の欲望野望を前面に
推し進められる政治が行われている事です。

例え、国民が不義を感じて叫んだところで、欲望に身を投じた人達は、
お得意の身のかわし方で、いつの間にかに、闇に隠れてしまいます。
これこそ、戦後、いつまで経っても国民が幸せに成れず、一部の人達を
豊かにする為に身を粉にして働かなければならない理由ともいえるのです。

高度成長で豊かになったのは国民では無いのです。
豊かな暮らしと見せかけて、消費経済を高め、より、多くのお金の流れを
一部の人達に作っているのが事実と言えます。
日本中の中小の企業は、益々疲弊し、農林水産業は、継続して行くだけで
多額の借金を抱えなければならない人達が年々増えています。

衰弱した企業や商店は、大手の企業に吸収され、地方で元気なのは、日本を
代表する企業に支えられている関連店舗ばかりです。
多くの商店は、生活して行くだけで精一杯で、相変わらずのシャッター街が
減る事は有りません。

現代の日本人は、この経済社会に付いて行くだけで青色吐息、高齢者だけでなく
働き口が見つからず、生活に苦しんでいる若者も非常に多いのです。
一部の人達だけが潤う、階級社会に移りつつある日本に在って、庶民は、
豊かな人達、更には、私欲を肥やす政治家たちにとっては、自分達の生活を
より豊かにする為の道具に過ぎないのかもしれません。

華やかな都会にいて、国会議員という特殊な職務を担い、同じような
生活をしている人達の中に在って、国民の実態というのは見えて来ないのでしょう。
時たま行われる選挙で、自分達の地位を守るために国民と顔を合わせるも、
国民は人間ではなく単なる票としか感じないのではないでしょうか。

地方に出かけても、その地の政治家有力者としか会せず、多くの持て成しを受け
良い思いをするだけの議員生活は、本当の国民の心を知る事が出来ません。
東日本大震災から7年の月日が経ち、復興という名のもとに作られた街を見て
その地に暮らしていた人達だけでなく、日本中の人々が、その新たなる土地に
住みたいと思うでしょうか。

故郷に住む事に強い思いを抱いていた地元の方でさえ、その新しい街に
進んで帰郷したいと思う人は少なく、故郷を復興しなければと言う強い思いで
帰還しようとする方が殆どと言えます。
つまり、もうその地は、故郷ではなく、政府と企業が作った、またったく新しい
別の土地なのです。

この街を作った事で喜んでいるのは、復興にあたって莫大なる利益を得た業者や
企業、そして政府関係者でしかないのです。
人は、衣食住が整えられたら幸せに生きられるのではないのです。
被災者達の想いを理解できてない政府の心が、新たに作った街なのです。
今や、復興という名のもとに作られた街が全国に有ります。

しかし、その多くは、復興に携わる乗車や企業を潤わせただけで、その地に住む
人達の多くは、生活は元通りできても、心の中は,災害の日から止まっているのです。
人は、故郷の自然に人々に生かされて生活しているのです。
故郷の自然が失われ、人々が帰って来ない地は、住むに値しないのです。

国会に於ける仕事も、復興事業も、日々審議される議案も、全てが自分勝手な
思いだけで進められ、私欲が満たされる事が前提に成っている議員が問題です。
更に、そんな我欲に満ちた人が、リーダーシップを取れば、大きな疑惑が生れ
国民全てが大きな迷惑を受けるのです。
ただ、トカゲの尻尾を切り、誰かに責任を取らせ、挙句の果ては、トップの辞任では
国の政は進まないのです。
日本全体を、更には、世界を常に見据えて国民の幸せを考えられる政治家が生れない
日本人の不幸は、いつまで経っても続くと言わざるを得ません。