めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

相互監視国家の行方

2020-07-05 14:11:32 | ネット社会

日本国民が総ナンバーかされて何かと国の業務が都合よくなったものの
国民が本当に便利で豊かな生活となったかと言えばそうとも言えません。
昨今のコロナ禍に有って、益々国民一人一人の行動が確実に視覚化され
生活の全てを監視される社会に移行しつつあります。
確かに今回の様な目に見えない恐怖と戦う時、感染者の行動が如実に
確定されれば早急に事態が収束に向かうかの所為も有り、国民全体が
安心して日々を送れる大きな力と成ると思われますが、その一方で
自分達の行動や考えが常に知られる事に因る恐怖があるのです。

民主主義国家と言うのは、国民一人一人の権利と自由が守られる事で
健全な生活を営む事が出来るのですが、自分達の考えや行動に
国家や行政機関からの干渉が入る事は、私達の心と身体に大きな
ストレスと恐怖を与えます。
政府にとって都合の悪い考えや行動が起こる事を常に監視する事で
抑えるだけでなく、一部の執行部の人達の考えを強制的に啓蒙し
統治者達の思い通りにコントロールする事も出来るのです。

歴史的に見ても多くの独裁国家の実態は、国民が完全に監視下の元
自由を失い、辛く悲しい生活を強いられて来ました。
これからの日本にその様な暗い社会が待っているとは考えられない
と言うのが殆どの国民の思い出しょうが、想定外の事が当たり前
と成る時代なのです。
新型コロナウイルスが想像もしない世界を与えた様に、更なる危険な
ウイルスが生れるかも知れないのです。

しかしながら最も恐ろしいのは、人々の心に宿る醜い欲望の心です。
全ての元凶は人類の心が生み出したものですから。
人々が互いの心に不信感を抱き疑心暗鬼と成った時、もう互いに
協力する事も労わる事も無くなってしまいます。
感染しないかと言う恐怖が他人を疑い傷つけ、更には社会不安と成って
憎しみや不安を生んでしまいます。
暴力の始まり戦争の始まりは、人々の心の中に生まれた他人に対する
不安や怖れが元と成っている事が多いのです。




便利なネット社会に支配され、排除されかねない人類

2018-11-09 14:46:45 | ネット社会

現代社会では、お金さえあれば何でも手に入ると言うのは、幸せな事なのでしょうか。
私達人類は、太古の昔から欲しいものがあると、様々な努力をして、その見返りとして
目的の物を手にして来ました。
様々な障害を乗り越えなければ手に入らないものであったり、多くの人の手を介さねば
自分の物と成らないものも多く、欲しい物を手に入れると言う事は、精神的肉体的な
ストレスが伴う物も多く有りました。
しかし、今や、世界中は流通機構の発達とネットによる自分のもとめる物を瞬時に
見つけられると言う時代と成って、人々は、ある意味、全ての物を手に出来る可能性が
出て来たと言えるのです。

望む物は、世界中から見つけ出す事が出来、人類の欲望は無限に叶えられる社会と
成りました。
この事は、人々に時間と労働を考えずに生きられる社会を生み出し、求める物の対価を
払いさえすれば、簡単に欲しい物を手に出来ると言う、究極の我儘を叶えられるとする
世界を実現する可能性が生れたと言えます。
つまり、ネットを通じ、世界中から自分が最も欲しい物を見つけ、それを手元まで
届けてくれる社会システムが出来て来たと言えるのです。

では、時間と労働は誰が行うか、それは次期世界の支配者であるAIということになるのです。
究極の我儘と叶える為、人類は、地球を支配する事から手を引く時代がもうすぐやって来る
と言えるのです。
多くの科学者や実業家、起業家は、AIによる新たなる世界は、人類がより発展し、AIを使って
より便利で豊かな世界を創り上げるとしていますが、果たして、その人間が思う理想社会を
AIが認めてくれるかが問題です。

幾ら人類にとって都合の良い社会であるとしても、世界中から膨大なる知識を瞬時に集めて
地球にとって最も相応しいとする世界が、人間の理想とする世界と同じであるかと言えば
人類が及ばない能力を持つAIが導き出す答えは、同じであるとは考えられません。

そもそも、AIが私達人類が幸せに成るような道を選択するとは限らず、下手をすれば、
人類が地球にとって相応しくないとして、抹殺を考える事も十分考えられるのです。
その様な不測の事態にならない様にと考える対策も、その対策以上の考えを導き出すのも
AIの力とすれば、地球上の全てのコンピューターを管理するのもAIとなり、人間が考える
あらゆる策は、簡単に見透かされてしまって、あっと言う間に、機械が人間を支配する
まるでSFの様な世界が現実と成るかも知れません。

科学者たちは、自分達の作り上げたものは、常に自分達が管理できるものと思いがちですが、
地球の歴史は、人類の作り上げたものが、作った人の予想通り人類に貢献したと言えるものより
人類に大きな禍を齎した物の方が多いのです。
戦争で使われるあらゆる殺人兵器は、当初は、人類の生活を豊かにする為の発明から生まれ、
その後、殺りく兵器として進化して行ったものが殆どです。

今や、世界中の戦争は、ネットによる情報戦争と、コンピューターによる兵器の進歩によって
更なる残酷な展開と成っています。
戦地から遠く離れたところから、ハンバーガーを食べながら、無人兵器を動かす事は当たり前であり
ネットの発達、コンピューターの急速な発展により、人間同士の戦いと言うより、最新電子機器による
機械による戦いと成っているのです。

どの様に戦うかも、コンピューターが判断を行い、人間は、ただ従っているだけという近代戦争は
人間がコンピューターを支配していると言う思いきや、実際に主導権を握っているのは電子機器であり、
戦争は、人間同士の戦いから機械同士の戦いに変わっているのです。

しかし、問題は、いまだ、戦争は人間が行っていると思っている人が多い事です。
しかも、自分達の敵は、戦っている敵の軍隊、すなわち人間と戦っていると思っている人が多いのです。
既に、戦争は、ネットによるコンピューターの戦争と成っているのです。

しかし、コンピューターは、果たして、人間が思っている様な便利な味方であるか、考えなければ
成らない時代に入っているのです。
感情を司るコンピューターも生まれていて、他人の気持ちを認識し、同じように考え感情を交えて判断する
人間と変わらないAIが生れて来ているのです。

常にミスを重ね、地球環境を破壊してきた人間を、進化したAIがが如何に判断を下すのか。
その時、人類は、地球に存在する価値を見出されるのか、抹殺される運命になるのか、その日は、確実に
しかも、物凄いスピードで近づいているとする学者も多くなっているのです。
人間が人間の為の社会を創り上げて来た時代が終わる日が近づいているかもしれないのです。

AIが何をもって、善悪を決めるのか、物事の価値判断をするのか、私達人類が知識や考え方を入力して
自分達に都合の良い様に答えを導き出している時は良いのですが、そんな、我儘な人類の考えを
AIが否定するように成り、独自の判断で人類の未来を決めるかも知れないのです。

今や、最新のコンピューターは、自らの力で、新たなるコンピューターと作る様に成ったと言われています。
科学者にしてみれば、科学の進歩として歓迎するのかもしれませんが、果たして、人類の未来にとって
その進歩は、喜んでいいのか、近い将来解るとはいえ、かつて生物の大絶滅を招いた巨大隕石の様に
AIが人類に最後の審判を下す事になるかも知れません。
人類の進歩は、何でも欲しい物を手に入れる様に成った事に依って、究極の便利グッズがもたらす結果は
人類を越えた存在によって、人類を無駄な生き物として絶滅させる結果をもたらすのかも知れません


人類絶滅のカウントダウンは、早まった!?

2018-08-18 13:40:21 | ネット社会

私達が生きている実感をする時は、様々な場合があると思いますが、
自分の行動や言動に対して、周囲の人の反応が、活発で有る時、
良かれ悪しかれ、自分の存在価値を感じるものです。
太古の昔から、人類は集団で生きて来た事から、生活の全てが
何だかの形で誰かと関わっているものです。
その為、生活のあらゆる事を分業する事が出来る様に成り、その事が
多種多様の文化を生み、人類の発展を著しいものとしたのです。

現代社会に於いても、人間は一人では生きて行く事は不可能であり、
もし、無人島に漂着して生きて行こうと思えば、それまでの全ての
生きる術を自ら再構築しなければならず、誰もが生きながらえる事が
難しくなるのです。
ネット社会と成って、直接人に関わらないでも生活ができるとは言え
情報の先端には、やはり、多くの人との関わり合いが有るのです。

しかしながら、現代人は、他人との関わり合いを好まず、出来るだけ
他人を介せず生活をしたいと考える人が多くなっています。
この事は、経済力さえあれば、自分の好きな事が出来、欲しいものは
直接人を通じなくとも手に入れられる社会と成っているからと言えます。
煩わしい他人との関わり合いをすることなく、自由に思うが儘の生活を
したいと言うのが現代人の本音とも言えます。

所が、この様に誰もが考える様になると、何か欲しいものが有れば、
お金さえあれば手に入るとなって、何事に対しても我儘と成り、
多くのトラブルを生んでしまうのです。
欲しいものは、同じように他人も欲しがるもので、その争奪戦は
非常に見苦しいものと成る事が少なくないのです。

消費経済社会に育った事で、他人の事を考えるより、自分の欲望を
優先する人が非常に多くなり、経済的に他人より秀でれば、何でも
手に入れられるという人が増えているのです。
社会的に地位が上がれば、自分より下と思える人には我儘となり
上の人に対しては、媚び諂いと言う、人間としては最も醜い守銭奴が
増えるばかりなのです。

豊かな基準は、人としての豊かな人間性ではなく、地位や名誉と言った
社会的な価値でしか感じられず、常に、他人との外見を比較する事でしか
価値観を見いだせず、自分自身の価値観も、他人との比較で自由に変化して、
いつも心が満たされず、欲求不満の心が育つばかりなのです。
また、メディアも、国民に対して、四六時中、消費経済社会での生き方を
コマーシャルと言う形で知らしめ、人々は、自分の生き方や生活は、
いつまで経っても満たされないと思い、常に新たなる消費にに導かれ
幸せの目的が、止まる事を知らない消費と成ってしまっているのです。

今や、都会にいれば、何処に行っても多くの人とすれ違うのですが、
その殆どが他人で有り、知り合いに会う事は,年に一度も有りません。
周囲の人を誰一人知らない様に、都会に於いて、目に付く殆どの人は
見知らぬ他人の中を歩いているのです。
同じ日本人や海外からの人達が目に映っても、それは、テレビの画面を
見ているのと何だ変わらず、多くの人に囲まれていても孤立した状態が
現代人の姿と言えます。

もちろん、友達で有り家族で有り、知人はいるのですが、それとて
全体からすると無に等しく、膨大な数の人が集まっているとはいえ
誰もが華やかな街で孤独な生活をしていると言えるのです。
小さい頃からの教育も、例え学校などで集団で生活していたとしても
目的は、その中で秀でて、社会的な地位を確保すると言うのが前提で有り
周りの人達と人間的な成長を期待する事は二の次と成っているのです。
大人の期待するような子供で有れば、人間的に成長していなくとも好まれ
そのまま、大人に成って、更なる社会人として地位を成して行けば、
それこそ恐いものは有りません。三つ子の魂と言うより、三つ子の我儘が
大人に成っても心を支配しているのです。

特に、社会的に地位を成すようになった時、この様な育ち方をした、
いわゆる、優秀な生徒は、時に、信じられない様な行動や言動を行い
中でも、人々の代表として社会的に力を持つようになった時、人々の期待を
全く無視して、我欲に走る方が出て来るのです。
残念ながら、世の中のリーダー的立場と成る人に、この様な困った人が多く
中でも日本を代表するような地位にある人の場合は最悪で有り、国民は
いつまで経っても幸せには成れないのです。

しかしながら、日本における最大の問題は、国全体を取り仕切る人達の
失態ではなく、人々の生活の最小単位である家庭内での人間関係の希薄さです。
近代国家に於いて、核家族化と言うのがかつて問題と成りましたが、現代に於いて
例え、家族が全員同じ屋根の下に生活していたとしても、誰もが、孤立していて
家族として同じ生活をする意味のない、まるで他人の集まりの様な家庭が
とても多いのです。

これは、安易に、大人と子供、世代間の考え方の違いと言った問題ではなく
例え血が繋がっていても、全く、他人同然の感覚と成っている家族が増えていて
人間が本来持っているお互いの絆も思いやりも失われた、単に、個人的に
その同じ空間いいるだけという人が少なくないのです。
これは、既に、太古の昔から営んできた、集団で生活する人間の本質を
消してしまった、人の生き方とは全く違った、単なる存在に過ぎないのです。

同じ生活空間にいても、まるで、観葉植物が置かれている様にしか
其々の存在価値を感じる事が出来ず、自分欲求を満たす時、必要に応じて
対人的なやり取りをするという、それこそ、大都会で街中を歩いている時と
何だ変わらないのです。

特に問題は、人間が持っている豊かな感情が失われ、他人との関わり合いで
生み出される心の表れが見られず、まるで機械の様な存在になっているのです。
ただ、生きる為のノルマを果たすだけで、周囲の人に対しては、何の感情も
示す事が無くなれば、それは、機械と言うより、性能の悪いコンピューターです。
ネットを利用して何でもできる様に成ったと言いながら、機械とは違う
人間としての存在価値を失ってしまっては、どんなに豊かな生活を行おうも
既に人としての魅力は無く、ひいては、人間でいる必要もないのです。

そう、この社会現象は、人間の進歩の様で、人間の終焉を表しているとも言え
やはり、近い将来の地球を表しているとも言えるのです。
人間が人間らしさを失った時、その他の機能は、断然、機械のが優勢です。
今や、感情を持ったり、自己修復自己開発ができるコンピューターが生れていて
人が手を施さないで、勝手にコンピューターが自らを開発しているのです。
まるで、未来のSF映画を地で良く様な事態が、今や世界で起こっているのです。

ネット社会の発達、中でもコンピューター自体の進化は、専門家が予想するより
遥かに速いスピードで進んでいて、数十年後と予測されたことが数年後にも
起こるのではとの懸念が学者たちに沸いています。
今、人間が管理している分野が、次々にコンピューターによって支配されていて
便利という考えを通り越して、人間の想像を超える役割をコンピューターが
行いつつあるのです。

これまで、人間が一番重要とする分野は、人間が管理する事で成り立っていたのですが、
コンピューターが次々に代行する事と成り、人間生活のあらゆる分野が、ネットによる
管理で繋がっているのが現状なのです。
これまで、人が生きる為の方針、政策は、各国のリーダー格の首脳陣が行い
その運営を円滑にスピーディに行う為にコンピューターを利用して来たのですが、
このリーダー達の上に立つ者が人間でなくなる可能性が高く成って来たのです。

しかも、その存在は、人間以上に人間の感情を理解し、人間よりも遥かに多くの情報を
瞬時に処理し、最も適切と思える方法を、ためらうことなく行動に移せる機能を
持っているのです。
人間なら何度もディスカッションを行い、時に諦めたりためらったりすることを
何の猶予もなく即断できる機械です。
つまり、冷酷無情の裁判官が出現するのです。
あらゆる情報を瞬時にまとめ、最も適切とする方法が見つかれば、何のためらいもなく
決断実行するのです。

この時、私達人間は、機械の下と成る為、他の生き物と同等に取られ、人類が地球にとって
必要か必要でないかの判断も簡単に行われる可能性が高いのです。
その決断に、灰色の決断や玉虫色の取り決めは一切ありません。白か黒で有るかです。
私達人間は、お互いに生かされれながら存在してきました。地球上の他の生き物も
食物連鎖の中で、お互いの命を育てて来ました。
しかし、機械は、より性能の良いものを残し、その他は破棄するという判断を行います。
まるで、消費経済における便利グッズの様に、新製品が出れば、それまでの製品は
簡単に破棄されるのです。

例え人間とて同じであり、この地球上にとって良くない存在と判断されれば
すぐさま絶滅させられるのです。何しろ、人間の生活には全てネットが関わっている為
どんな人もネットによって管理されているからです。
いよいよ地球の管理者が変わる時が来たのかもしれません。
誰も止められなかった人類の横暴を止めるのは、図らずも、人類が作った機械なのかも
知れないのです。

地球上の生き物は、地球誕生の時から様々な形で大絶滅を繰り返してきました。
人間の歴史は、せいぜい600万年、恐竜の数億年からすればほんの一時と言えますが、
人類が行って来た地球に対する悪行からしたら、そろそろ実を引く時期なのかもしれません。
地球自体の異変が有っても、中々くたばりそうもないから、確実な機械の力を使って
絶滅させられるのかもしれません。

既に、地球上の多くの生き物が絶滅し、その絶滅スピードは、以前の大絶滅の時より
遥かにスピードが速いと言われています。
それは、私達人類が、環境に行った様々な悪質な行為に依る事は明らかなのですが、
コンピューターの発達によって、その時期は確実に早くなったと言えます。

現在生きている人類は、最後の人類と成るかもしれません。
人類が進化して二足歩行を極めて来たと言っても、身体の機能が四足歩行の動物と
今だ殆ど変わらず、まだ未完成の状態と言われています。
身体も未完成ですが、頭の中も自分の事しか考えられない未完成な状態の様です。
肉体的に二足歩行を完成させるには、まだ数百万年かかると言われていますが、
残念ながら肉体的にも精神的にも未発達で、人類はこの地球から消滅するのかも
知れません。
残り少ない人類の時代とは言え、肉体的には難しくとも、精神的には
少しでも人間らしく生きて、機械に舐められない様にしたいものです。

 

 

 


遂に牙をむくAI

2018-08-06 12:39:24 | ネット社会

我々人類の究極の便利な生活は、AIによってもたらされると言われる一方
AIが人類を滅ぼすのではという、SF映画に出て来る時代が来ると危惧する
人達も多くいます。
かつて、AIと人類が戦う映画が放映され、世界的に話題と成りましたが、
それとて、想像の世界で有り、それが現実となると考える人は少なかったです。

所が、最近、現実となるのではと思われる事件が世界的に増えてきているのです。
最も注目されるのは、AIによりコントロールされた戦争です。
今や世界の戦いの殆どは、コンピューターによって行われていて、アメリカ等の
大国が関わる争いには、AIを使った戦術が多く使われ、直接戦果を交える以前に
コンピューターによる目標設定が行われているのが現実です。

かつて、無人機を使って、コンピューター制御された完璧な攻撃が行われ
100%確実に目標を捉える兵器の正確さと恐ろしさに驚かされましたが、
これは、コンピューターを人間が管理して、目標選択を行って行ったもので
攻撃の意思が人間に在ったのですが、最近問題となる事は、対象物や人間を
AIが勝手に判断している事です。
所が、判断した対象物が、攻撃対象でないにもかかわらず爆撃をしたり、
何の罪もない人を殺めたりと、AIによる暴走が目立ってきたのです。

 この事は、少し前からも懸念されていた事ですが、戦争に於いて
AIが、人間の判断を待たずして、勝手に攻撃する事態が現実と成ったのです。
この事は、戦争と言う特殊な場面で有り、私達平和な社会に生きている者にって
全く関係無い様に思えるのですが、残念ながら、AIは、戦争と平和を簡単に
結びつける力があり、人間の生活すべてを同レベルで捉えるという、極めて
無慈悲で冷酷な一面があるのです。

最近のAIによる暴走も、間違って入力された人を敵とみなして攻撃したのですが、
一度、コンピューターに抹殺対象者として入力されると、何の躊躇なく
対象者を殺めてしまうのです。
問題は、一体誰が、この暴走を止め、AIを管理できるかという事です。
コンピューターは、瞬時に世界中に情報を伝えます。もし、この管理者を
敵とみなせば、すぐさま、管理者を抹殺する事も考えられるのです。

今や、コンピューターの発達は、実際に関わっている第一線の技術者も驚く
急速の進歩を遂げています。
コンピューターの開発を人間が行っていたのを、コンピューター自体が行う
と言う、恐ろしい時代と成って来ているのです。
つまり、コンピューターの良し悪しはコンピューターが行うと言う事です。
更に、最近では、意思表示が出来たり、感情を持つコンピューターも生まれていて
今や、何だ人間の機能と変わらない、いや、それ以上の機械人間が生れているのです。

これこそ、あのAIの映画と同じ事が起こりつつあると言っても過言ではないのです。
地球を長きに渡って支配して来た人間の時代が終わるかもしれないのです。
しかも、私達を支配者の地位から引きずり降ろすのは、人間が作った機械なのです。
最近頻発して来た、AIによる誤爆や殺人は、極めて特殊な例の様に言われていますが、
攻撃の対象が人類と成った時、映画は現実となるのです。

しかし、そんな荒唐無稽な事は考えられないとする人が多いと思われますが、
今やネットは、世界中を繋ぎ、個人の端末にも繋がっているのです。
ネットを使った便利な世界は、私達が便利というだけでなく、支配者にとっては
最高の武器とも言えるのです。
現に、日常生活の殆どがネットを介して行えるだけでなく、日本人は、ナンバー制導入で
政府の管理下に有ります。
これは、より便利で快適な生活を送る為に、また、政府が国民に対してより豊かな支援補助を
出来ると担当者は自負しますが、誰もがプライバシーを垣間見られる可能性も有り、決して
国民の生活を豊かにするものとは言えません。

私達の生活も、カードが有ればそれだけで生活できる時代と成って来てはいるのですが、
あらゆる個人情報が勝手に盗まれたり覗かれたりする時代と成っているのです。
その為、巷では、多くの個人情報が売り買いされているのが現実であり、仕事をするにも
多くの人々を利益の対象とするにも、個人情報の価値が益々上がっています。
私達は、何でも思い通りに出来、欲しい物は望むだけ手に入れられて便利な世界に成ったと
思われがちですが、実際は、ますます、身ぐるみをはがされ、プライバシーを他人に知られる
非常い危険な時代と成っているのです。

より多くの個人情報を持ち、より豊かなマーケットを支配している人が、現実の社会では
豊かな生活をしていると言えるのですが、問題は、彼らが、豊かな生活をする為に利用している
コンピューターが、もし、意志をもって、人間社会を管理するようになったら、それこそ、
人間の生活レベルは機械にとって何の意味も有りません。
プログラムされた内容によって、確実に機械にとって便利な社会と成るのです。
現在は、多くの富裕層の人達が、コンピューターを利用して膨大な利益を得ているのですが、
コンピューター、すなわちAIが人間の管理に取って代わった時、私達人間はどのような立場に置かれ
地球に存在できるかが、多くの科学者たちの注目を集めているのです。
管理者が人間である内は、少なくとも、人間の社会のルールに則て、世の中の価値観が決めれれて
行くと思われますが、機械が、人間の存在をどの様に判断するかで、私達の未来は決まります。

過去から現在に至る人間の情報が一瞬にして判断され、私達人類の存在価値が決まります。
例え、100億に迫る人口を有しようと、個人情報を判断するのは多くの時間はかからず、
AIの敵とみなすか味方とするかの判断で、私達の未来は大きく変わります。
例え、生かされたとしても、AIの選択は、私達の選択の予想を超えるものと思われます。
生き物のサンプルとして数少ない雌雄を生かし、その他は、地球環境を損うものとして、
抹殺されるかもしれません。

私達が生み出した生活を豊かにする最高の機械であるコンピューターの出現は、
今や、人類滅亡の窮地を生み出すかもしれないのです。
全てを豊かに便利にするものが、一度失われたら、私達の生活は全て滞ってしまうだけでなく
そんな社会に慣れて来た現代人は、環境に対して本当に無能と成ってしまう可能性も有るのです。
コンピューターを支配している人類は、間違いなく地球上の支配者と言えるのですが、
そのコンピューターが人類を支配するようになった時、私達人類はより豊かな生活が出来るのか
無用の存在として処理されるかの答えは、AIの進歩を考えれば、それ程遠い先の事ではない様に
思われます。

 


人工頭脳に支配される日

2018-01-18 15:01:23 | ネット社会

情報が公開される事は、私達が生活していく上で、より豊かで健康な毎日が
送れると言う点で、とても喜ばしい事ですが、その反面、全ての情報が
手に入れられる事で、これまでの社会機構や人間関係がスムーズにいかなくなり
かえってトラブルを生んでいるのです。

特に、これまでの社会の様に、縦の繋がりによって運営されていた様々な事業が

同じ情報を共有する事に依って、その形態を維持する事が難しくなり、
目的に応じて、関連事業を組み立てると言う、会社やグループのシステムの必要性が
否定される事とも成っているのです。

ピラミッド構造の様に、頂点に居座る人達が、常にリーダーシップを取りながら

会社組織を運営して行くと言うのではなく、常に、同等の立場で、必要に応じて
その時のリーダーを決める事に依り運営を行うと言う、極めて平面的な組織が
一般的と成って行くのです。

この事は、既に、一般社会の成り立ちのみならず、家族や地域の人間関係

更には、学校教育関係に於いても著しい変化が見られ、従来の主従の関係や
親子の関係がみられるものの、その関わり合いは、次第に平面化され、
誰もが同等の関係から、必要に応じてその立場を演ずるという、人間社会が
太古の昔から築き上げて来た関係が大きく変わって来ているのです。

子供達を見れば、その傾向は非常に顕著であり、自分の家族も友達も学校の先生も

全てが同列上に在り、子供たちは、自分と如何に関わるかで、態度を的確に
変えています。
その為、子供たちにとっては、誰が先生であろうと、友達であろうと、はたまた
両親の役割であろうと、差ほど区別する事ではなく、生きていく上で、
自分にとって一番有効な関係を築こうとします。

若者たちの対人的に横柄な言葉遣いも、教育が成されていないと言うよりも、

彼らにとっては、誰もが同等のレベルと考えられ、自分にとって、どれだけ
存在価値があるかで、言葉を使い分けているのです。
その為、丁寧な言葉が言えるからと言って、他人に対して尊厳を持っていたり
へりくだっていたりしているのではなく、その時、一番自分にとって有効な方法として
その態度を示しているのに過ぎないのです。

ネット社会に成って、大人であろうが子供であろうと、同等に情報を得る事が出来ます。
つまり、ネットからの情報は、人々の社会的地位や年齢、環境に関係なく、平等に
伝えられる事に依って、人々の生きる基準が、同じ人間ではなく、様々な知識をもたらす
ネットであるのです。
つまり、現代人のリーダーは、先生でも、大人でも、はたまた、首相でもないのです。
あらゆる判断基準は、平等にもたらされるネットの情報であり、その情報の一部として
社会の人々や家族、友達が有ると言えるのです。

この事は、既に、日本中の人々が、情報によって生きていると言え、日常生活の殆どが
ネットからの情報を元に動かされているのです。
公共機関に乗っても、何処に行っても、人々がスマホから目を離しません。
自分達の行動の一部と言うより、スマホを基準として生活していると言っても過言ではなく
もはや、ネット情報無くしては、現代人は今日明日の生活すらできないのです。

この事実は、私達にとって大きな変化であり、近い将来、私達の生活は、完全にネットで
管理され、支持されると言っても良いのです。
今や、この変化は劇的であり、私達が想像するよりも遥かに早く、世の中が変わっている
と言えるのです。
人間社会で営まれるあらゆる活動が完全にネットによって支配される日は間近と言え、
科学者でさえ驚く程のスピードで進んでいると言われています。

問題は、私達人間が、どれだけ、この便利な頭脳に私達の生活を委ねて良いものかです。
人間が管理するとした考えは過去のものであり、既に、人間の手を離れて、自らが
進化して、いわゆる人工頭脳が人間を支配する時代がやって来ると言えるのです。
便利で豊かな世界の最たるものが人工頭脳によって生まれると思いきや、
人間本位の世界と成らない可能性も出て来たのです。というより、むしろ、
地球にとっては相応しくない行動を取って来た人類を、果たして、人工頭脳は
良しとするのか、人類の将来に於いて、もしもの不安が出て来たのです。

人間は、常に地球の頂点に立って支配していると言う歴史が、遂に覆り
人類が人工頭脳の支配下と成ってしまうか、はたまた、地球にとって悪とされ
抹殺されてしまうかもしれないのです。
今や、人工頭脳は、人間が情報を与えなくても、自分で考え、新たなる方法を
創り出せる様に成っていると言います。

人間より遥かに膨大な知識を持ち、人間より遥かに的確な判断が出来れば、
地球にとって相応しいのは、人間ではなく、機械であると言う判断も有るのです。
今や、わたしたちは、人類の支配から機械の支配への狭間に生きていると言えます。
いま世界中で起こっている様々な問題を解決してくれる救世主となるのか、
その原因を作り出した人類を絶滅させるのか、機械の判断は、私達が及ばない
遥かに高度な判断で成される事は否めません。