めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

楽しいはずの春の陽気が

2018-03-14 07:20:41 | 日本人

連日、日本政界は、文書書き換え問題に揉めていますが、
春は着実に主張し始めています。
日本中が凍えたあの大寒波の日々が、遠い昔のことの様に
気温がぐんぐん上昇しています。
今日は、予報によると、今年一番の暖かさで、五月の陽気
となって、長そで一枚だけで大丈夫とのこと。
人間どもの内輪揉めを他所に、季節は、確実に進んでいます。

しかしながら、今や、花粉襲来の真っ最中。
我が家は全員、一日中、鼻水、目のかゆみ、のどの痛みに
苦しんでいます。
毎年の事とは言え、その惨状は、はっきり言って、
国政の問題どころではありません。

文書書き換えが有ろうが、疑獄が有ろうが、目下の大問題は
日々繰り返す、身体的苦痛と知的作業の低迷です。
一度痒いところに手が行けば、更なる痒みが襲ってくることは
百も承知なのですが、余りの痒さにかきむしると、みるみる
赤くはれて、ますます、苛立ちが高じます。

公共機関に乗れば、目につくのは白いマスクばかりです。
これは、もはや、国民病と言っても過言ではありません。
入院したり命に別状はないということなのか、この日常は
大したことはないと思っている政治家は多いのかも知れません。
しかし、花粉症になると、日常生活も、仕事も、確実に支障を
来す人がほとんどであり、これだけ多くの人かかるとなると、
その経済的損失は、膨大なる額になると思われます。

現に、この時期に出費する医療費は、我が家でも、年間医療費の
トップなのですから。
今や3人に一人は発症すると言われる花粉症は、インフルエンザ
の様に、命にかかわらない為、国としても対策を講じないのかも
知れませんが、この時期には、多くの国民の生活力が激減する事は
明らかなのです。

中でも、幼い子供が花粉症になると、本当に可哀そうです。
アトピー性皮膚炎と同じく、余りに痒さで、全身をかきむしり
体中が腫れあがり、多くの場所から血が滲んで見るからに
苦しそうです。

この苦しさは、人間だけではありません。
この時期、東京の上野動物園を訪れると、その悲惨な光景は
人気のサル山に有ります。
数十頭のニホンザル達は、いったいなぜ、これほどにも痒いのか
人間の様に理解できません。

一日中、身体をかきむしり、中には、毛が抜けてしまったものも
多くいて、ほとんどのサルは、全身が火傷を負ったかのような
赤くただれた状態で、見るも哀れなすがたです。
どんなに掻いても痒みは収まらず、この時期は、サルたちにとって
まさに、地獄の日々と言えます。

しかし、花粉症もアトピーも、さらには、数々の現代病も
原因の多くが、人間が生んだ物であるのです。
戦後、木材利益を目論んで、日本中の山を人工林に変えてしまったり
より経済的利益を求め、食品に多くの添加物を使用するようになって
その副作用が、アトピーをはじめとする食品公害を生み出したのです。
経済的に豊かになった事の引き換えに、国民の多くが、病に伏したり
健康を害するようになったのです。


経済優先、産業優先の日本社会が生み出したものは、世界有数の
先進国となったものの、日本国民は、けっして幸せになったとは
言えないのです。
世界的な長寿国とは言え、健康で長生きしているというのではなく、
医学の力で生き長らえているという事実が有るのです。
先進国の中でも、寝たきりの高齢者が非常に多いのも問題であり、
ただ、数字だけで長寿国と自慢できるものではありません。

経済大国とは言え、多くの人々は、消費の多さに悲鳴を上げ、
月々の出費に頭を悩ます家庭がいかに多い事か。
生活を豊かにするためと言うより、支出を補うためだけに
働いている人たちがほとんどともいえるのです。
生きていくための経費は、一生を通じて家族全員の負担となり
日本の消費経済を支えるために、身を粉にして働いていると
言ってもいい程、困窮した生活をしている日本人は多いのです。

食費医療費と言った、どうしても削ることが出来ない出費すら
抑えなければ生きていけない人も少なくないのです。
テレビ見れば、華やかな生活をしている芸能人や富裕層の人が
日本人は豊かな生活をしているように思わせますが、現実は
日本の豊かさを感じられない人たちがとても多いのです。

街を歩けば、豊かな経済社会を象徴する華やかな建物が建ち並び
見上げれば高層建築が摩天楼の様です。
しかし、街行く多くの人達は、その近代的な建築物の持ち主でも
関係者でもありません。せいぜい、働き手として参加しているだけ
と言えるのです。

与えられた消費物質を消費するため、作られた消費社会を利用して
自分の財を消費するために、私たちは生きていると言っても
過言ではないのです
しかし、散財をする為の社会に住んでいるということは、
常に、自分の生きる糧を失う可能性が有ります。
特に、消費経済国家であったり、高度福祉国家においては
国民の資産は失われがちです。
このような社会で生きていくためには、国民の基本的人権と
生活、健康が守られることが絶対の条件と言えます。

日本は、高度の消費経済国家と言えます。
しかし問題は、国民が生きていくための基本的生活が保障されず
食費、医療費と言った、誰もが生きていくために絶対必要な経費が
常に不足している人が実に多いのです。
日々食べることに苦労し、病気したとしても、医療費を捻出する
事すら、ためらってしまう人も多いのです。

一見豊かな国の様に見えて、日本人は、一部の人を除いて
多くの国民は、その経済的恩恵を受けていないだけでなく
むしろ、経済社会で苦しい生活を強いられているのです。
先進国の中で、北欧諸国の様に,日本より遥かに高額な
税金を国民から徴収しますが、その反面、国民が日常生活で
絶対に必要となる経費は、そのほとんどが支援されています。

日本人の豊かさは、国家が保障していないことが問題です。
個人的な経済力で満たさなければならないことが、多くの
日本人にとって苦しみを生む原因となっているのです。
生まれてから高齢となるまで、日本人の生活は、国家に
十分に保証されず、一部の人達だけが、安定した生活と
余裕のある日常が得られるだけなのです。

いくら消費を求められても、消費経済を求めれば、
自分の生活が成り立たないのが日本人の現状と言えます。
書き換え問題や政治家の不祥事、不義を問題とすることは
大切と言えますが、のど元過ぎれば、すぐに忘れられて
またいつか繰り返されるのが落ちと言えます。
しかし、国民の日常は、毎日続きます。
本当に国民の事を考えるなら、日本人が本当に幸せとなる
根本的な国の仕組みを変えていくしかありません。