めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

世界に遅れを取る日本政治

2018-04-16 12:49:11 | 政治

今や日本の政界は混とんとして、日本国民を牽引して行く力は
全く有りません。
政治家として、最も重要な、公正、明白、忠誠が全くなく、
国民を置き去りにし、身から出た錆を何とか取り繕う事で必至です。
代表として国政を行うと言う事で一番大切な事は、信頼関係です。
日本国民を幸せにする為に、国民の代表として国務に全霊を捧げ
国民の信を問うのが政治家としての生き方であるはずなのに、
私欲に走り、その醜い実態が暴露されれば、言い訳三昧で保身に
躍起と成っている姿は、情けない以上に哀れとしか言いようが有りません。

地位や名誉、更には、一般国民にょり遥かに豊かで安全な環境を与えらえ
人々からは、先生と崇め奉られる事に、大きく胡坐をかいて来た結果と
言わざるを得ません。
嘘に嘘を重ねれば、その真偽はともかく、人間としての資質も品格も
更には、人としての道理も失ってしまい、本当に裸の大様と言えます。
しかしながら、今や、そんな政治家の醜態を暴露して議論し合っている
場合ではなく、日本を取り巻く環境は、ますます、緊張の度合いを増して
それこそ、国民の安全を脅かしかねない状態なのです。

隣国は、近い将来の資源食料不足を考え、どんどん日本近海に進出し、
更には、自国の安全と未来を守るために、日本に大きな圧力をかけています。
正に、生き残るための弱肉強食の状態であるのに、日本の中枢は、政治家の
不義、不正、不祥事と言った、個人レベルの議案で国会の場が持ちきりです。
連日、ワイドショーを見れば、政治家の不正疑惑や不義に焦点を合わせた
様々な立場の方々の評論ばかりであり、唯批判するばかりで、一向に
国民にとってプラスとなる議案は出て来ません。

マスコミが取り上げなければならない国内問題は山積していて、一刻も早く
議案として取り上げなければならない緊急案件は一向に解決されません。
話題に参加している人達は、それだけで収入になる方ばかりなのですが、
多くの視聴者の中には、様々な災害で被害を受けて、日々苦しい生活を
強いられている人や、生きる為の生活所得が得られず、食べるだけでやっとの
方々も数々いるのです。

自分達の行いが暴露された懸案に対し、追求と言い逃れの議論をするだけで、
どれ程の国費が使われ、国会全体としての滞りから生じる膨大なる税金の消費は
彼らに対する疑惑追及以上に大変な問題なのです。
ただでさえ赤字国会と言われれているのに、国民が望む政治が行われず、
自分達の醜態をさらす事で、大切な時間と税金を使っている事を、当事者たちも
国民もよく知る事が重要です。

戦後政治を見ても、政治家たちの末路が、特に、リーダー達の末路の惨めさは
とても日本社会を担って来た人達とは言い難く、私たち国民が選んだはずの先達が
実は、国民の幸せを考えるどころか、私腹を肥やす事にその能力を使っていた
と言う事実は、嫌という程見てきました。
この事は、たまたま選ばれた政治家たちがそうであったと言う訳ではなく、
日本政治の実態が、いまだ、国民の幸せを考えて成されていない事を示しています。


議会制民主主義とは名ばかりであり、地位と名誉を得た人達の個人的な私欲を満たす場
と言っても過言ではない程、次々に政治家たちの醜い醜態が暴露されています。
戦後半世紀以上を経て、世界でもトップクラスの経済大国に成長したものの
個人的な能力は、経済力のみならず世界でも他の追随を許さない程と成ったのですが、
人間としての資質は、相変わらず欲望ばかり求め、常に、顰蹙をかったり、マスコミで
叩かれる三面記事にしか載らない様なレベルの低さです。

失言、暴言、セクハラと、国の代表となる人達が次々に週刊誌ネタと成っている現状は
海外の方々から見たら、少なからず、日本人の実態の様に思われて、余りいい気持ではなく
彼らの醜態が、日本人の評価を落とす事になりかねません。
もうすぐ東京オリンピックがやって来ます。
今や、競技会場の近辺は、大掛かりな都市開発で高度成長期の様な盛況です。
更には、観光施設の準備も刻々と進み、世界中から多くの観光客を受け入れるだけでなく、
日本人の英知と国家の威信を示す絶好の機会と言えます。

東京の街を歩くと、次々に巨大なビルや施設が立ち並び、驚く程の変わりようです。
比較的頻繁に街歩きをするのですが、それでも、山手線のどこの駅を降りても、
新たなる商業施設やビルが建てられて、何十年も住んでいても、毎回驚かされます。
大手企業による建築ラッシュは、日本が、世界に先立つ近代都市へ向かっていると
納得させられるのですが、考えて見ると、国民の多くは、そのスピードに付いて行けず
その施設を本当に利用できる人は、限られている事が解ります。

一部の富裕層の利益で、日本の財政の殆どを補っていると言う現実は、多くの庶民とは
かけ離れたところで、街づくりが行われていて、まるで、よその国を覗いている様な
自分の国ではない様な感じと成ってしまいます。
大手資本で開発事業に関われる企業はまだしも、殆どの国内企業や一般中小企業は、
蚊帳の外であるとも言え、相変わらずの自転車操業に喘いでいる企業も多いのです。
所得格差だけでなく、地域格差、更には、まるで、階級社会の様に、同じ日本人の中で
全く生きる場が違っている人達が増えているのです。

いわゆる、勝ち組負け組に分けられる様に、今や、国民は、苦しい毎日を強いられる
負け組の生活をするか、衣食住の心配が全くない勝ち組の生活を得られるかが、
自分達の人生を決めるとすら思う様に成っています。
特に、これから社会に巣立つ学生たちや、毎日を必死に働いているサラリーマンは、
日本社会の何処に位置するかで、自分の将来を決めていると言ってもいいのです。

かつて、努力は報われるとした学校教育も、どんなに努力しても、どの社会階級に
所属するかで決まると言う、先生も生徒も暗黙の了解が有り、学校教育が
未来の経済生活を決定するとしています。
どんなに、人間的に問題が有ったとしても、社会を動かす側で生活する事が出来れば、
地位や経済性を利用して、我儘な生活を送れると言う、甘い考えが生まれるのです。

己の生き方を常に律する必要が有る政治家であっても同じであり、問題を起こすたび
誰それの坊ちゃんお嬢ちゃんの成れの果てである事が珍しく有りません。
日本に於いて、勉学に勤しみ、周囲の人を蹴落とし嫌な思いをさせても、
トップクラスのエリートクラスへ進学出来れば、将来、我儘な生活が出来るのです。
また、勉学に勤しまなくても、その様な環境で生まれれば、何の気兼ねも無く、
自由奔放な我儘で、政界や財界でぬくぬくと暮らすことも出来るのです。

この事は、受験勉強に異常に燃えるお隣の韓国とて同じであり、自分の将来が
入学した大学で決まってしまう程です。
しかし、その結果、韓国政界は、毎年、様々な政治疑獄が起こり、例え大統領であっても
罪に問われる程、異常な社会と成っているのです。
とは言え、日本とて差はど変わりは有りません。
地位や名誉や財産が、社会に於ける顔パスの様に大きな力を示し、例え国民の代表と言える
政治家であっても、その人間的資質が伴わない人が実に多いのです。

日本経済が、外見的な豊かさを求めて、人間の成長を考えなかった結果が、様々な問題を
生むだけでなく、将来への大きな不安を呼んでいるのです。
日本社会は、後、20年もすると大きな転機を迎えると言われています。
団塊の世代を中心に、日本の高齢者が急速に減って行くと言われています。
この時、果たして、時代を支える若い人たちがどれだけいるでしょう。
予想は、極めて悲観的です。日本の若者の力で、日本経済を支えて行く事は
全く不可能と言われています。

今でさえ、多くの、海外からの労働力に頼っているのが現状なのです。
日本人があまり好まない、3Kの職種には、どんどん発展途上国の人が増えていて
いずれ、正社員として多くの海外労働者が起用されると言います。
日本国民の老齢化、そして、少子化による若い労働者不足は、確実に
日本経済を停滞させる事と成るのです。

私達は、もはや、日本だけの力では生きて行けないのです。
資源や食料の事は上げるまでも無く、もっと重要と言えるのは
日本人として、世界に力を持つ、国際的な人材を育てる事が重要です。
今や、世界中が、地球規模で将来を考えて居るのです。
先進国に於いては、年々酷くなる異常気象の中で、如何に生き残るか
一国だけの力ではなく、連携して、打開策に取り組んでいるのです。
単に、軍事的な脅威に対してだけでなく、生きる為の生活全般を
多国間の力で解決しようとしているのです。
そんな中、日本は、如何に、つまらない事で首脳陣がざわついているのでしょう。
名ばかりの先進国と成らない様に、国民全てが幸せと感じる社会を生む為の
政治家一人一人の緊張感が求められます。

 

 


国民の不安を拭えない日本の政治家

2018-04-02 16:49:03 | 政治

いよいよ安倍内閣もおしりに火が付いて来て、リーダーとしての末路が見えて来ました。
歴史的に見ても、いかなる優秀な支配者であっても、いずれ、終末を迎えるのが常です。
今の内閣が、特別の事をして来たとは言えませんが、一つの時代が過ぎようとしています。
しかしながら、新たなるリーダーが生れたとして、日本国民にとって、どれ程頼もしく
未来を期待させるものでは無いのです。

今の日本に於いて、誰がリーダーに成ろうと、世の中が良くなるとは言えず、単なる
首のすげ替えになるのではとしか思えません。
とは言え、今の日本人にとって一番の問題は、日本国にとってと言うより、日本人一人一人が
安心できる世の中が生れない事です。

潜在的に潜む日本人の心の不安を、一体誰が取り除いてくれるのか、日本人は、物心がついた時から
死ぬまで、いつも何かに怯え、その不安から逃れようと勉強し、仕事をし、老後を必死に生きているのです。
世界的な先進国と言いながら、心が癒されず、どんなに豊かで便利な暮らしをしようと、その外見を
取り除けば、まるで、毛をかられた後の羊の様に、不安に震えているのです。

本来、豊かな生活というのは、何事に関しても不安を感ずることなく、人としてより成長できる
幸せに満ちたものでなければなりません。
経済的な豊かさは、この満足感をより高めるものであるはずなのに、どんなに生活を豊かにしても
心が安らがず、より不安を増している日本社会は、明らかに、人が求める社会では無いのです。

特に大切な事は、国民全体が幸せを感じなければならないと言う事です。
今や、殆どの国民が生活に不安を感じ、豊かであるはずの一部の富裕層ですら、将来に不安を
感じているのです。
一般に、豊かな生活が出来ている人達は幸せであると思いがちですが、豊かな人とそうでない人の
差が極端に成れば、社会全体としての不安度はより高まるのです。

生活レベルが低い人から多くの利益を得たとしても、社会全体を円滑に動かしていく為には
消費者たちの生活レベルが安定する事が絶対必要と成るのです。
つまり、消費者として成り立って行かなく成れば、当然、消費経済国家は成り立たず、
それまで豊かな生活を送っていた一部の人達も、収入は激減して行くものであり、
消費者を守るために、膨大なる資金を出費しなければならなくなるのです。

現在に於いても、企業は、法人税という形で、膨大なる税金を納めているのですが、
国が国民を守れ無いとなれば、自分達を生かす為にも、富裕層は私財を投げ打たなければ
共倒れしてしまう事も有るのです。
より高齢者が増え、医療費や福祉の為の費用がかさめば、国費は激減し、財政は益々赤字となり
その分を更なる収入源として法人に頼る様に成るのです。

つまり、働けない国民が増えれば、企業とて安穏として構えて居られないのです。
国民が飢えず、生活に困らないと言う事が、実は、企業を成り立たせていく事に成るのです。
現代日本の問題は、一部の人達が膨大なる利益を得るものの、国民所得が一向に増えず、
高齢化に伴い、働けない日本人が増える事で、国費が激減しているのです。

国民の消費レベルが上がる事で企業が成長できたことを忘れてはならないのです。
ならば、国民の経済力が上がり、消費支出が多く成れば、国が潤い企業が潤うかと言えば
そうとは言えないのです。
これまで戦後から取られて来た国策は、殆どが企業優先であり、国民生活をを考えず、
国民を、企業を成長させる為の消費者に位置付けて来た事が問題のです。

負の遺産を多く作り、公害をばらまき、様々な病気を生み出し、国民生活を苦しめながらも
更に、生活を委縮させるような策を獲って来た事が、人々を不幸にし続けて来た原因なのです。
多くの中小企業が倒産し、一極集中化の都市政策は、地方経済を疲弊させ、多くの国民の生活を
破綻させてしまったのです。

華やかな都会とは裏腹に、多くの地方都市は、シャッター街に象徴される寂れ様です。
多くの市町村には、何処に行っても高齢者ばかりで、消費はしても生産が出来ない高齢者が
日本の未来を象徴している様です。
働くことが出来なくなった高齢者や仕事を失った人々を支える為に使われる国家予算は、
年々増加する一方で、生活を支える為の資金は、そのまま生活費に消え、更には、企業に
吸い上げられる日本国民が、幸せな人生を送れる訳は有りません。

消費経済国家として、お金を回していかなければならないもの、その行き着くところは
一部の豊かな人々の懐では、国民はいつに成ったら幸せに成れるか解らないのです。
今や、日本人の多くが、未来に夢を持つことも出来ず、刹那的な喜びで満足せざるを得ず
日本国民に未来を夢見る事が出来ない不安感だけが世の中を席捲しています。

国民を幸せにする事も守る事も出来なくなった政府は、その主導権を、企業に委ねる事しか
出来なくなってしまった事が、政治家としてのプライドも正義感も無くしてしまう原因と
言えるのです。
選挙の時だけ頭を深く下げ、終われば、国民に尻を向け、頭は、豊かな人達に媚び諂う
そんな政治が、国民を幸せに出来る筈は有りません。

今や、大人だけでなく、子供達も、豊かさの価値観が、外見的な豊かさに成っています。
お金さえあれば何でも我儘が許されるとする乱暴な考えが、多くの人に広がっています。
マナーも思いやりも無くなり、唯、自分の欲望を叶える事しか頭の中に無い日本人が
非常に多くなっているのが心配です。

経済的高さが心の基準となった人は、人の心を感じ取る事は難しく、自分の欲望の為
人の心や身体を傷つける事を何とも感じなくなっているのです。
様々な暴力問題、セクハラ、パワハラ、モノハラ、と近頃ニュースになる問題の多くも
基本的には、社会的な地位や外見、経済力が有れば、自分の考え通りに振る舞えるとする
人間としての教育の欠如が浮き彫りと成って来たと言えるのです。

20年程前、子供達の日常的な喋り方の酷さがニュースと成り、若者達の大人に対する
礼儀の無さを嘆く記事が紙面に多く載ったものでした。
しかし、今では、対人的に横柄なこれらの言葉や態度が、ごく当たり前に社会に受け入れられ
人々の対人的な心構えが、我儘であっても構わないとする勘違いが増えています。

子供達や学生の間やその友達、更には家族に対して礼をわきまえない態度を容認する事が
社会に出て、様々な考えを持つ人達と生活する大きな障害となる事が解っていません。
より高額な所得を得る為に、ただ、学歴が高ければ許されるものでは無く、どんなに
難関な大学を卒業しようも、人間として成長が見られないと、社会で上を目指す事は出来ません。
仕事が出来るだけの能力は、AIに任せておけばいいのです。
その管理や、共同の仕事には、人間としての優れた対人センスが必要なのです。

優れた企業人となる為には、優れた人間性を育てていなければならす、面接試験のハウツウで
一時的に誤魔化しても、いずれぼろが出てくるのは明らかです。
しかしながら、社会的に不適合な人格の持ち主であっても、豊かな人達の中に生まれると、
いつまでもそのわがままが許される事が有り、社会的に上の地位に成った人達の中に
常識を疑ってしまう様な行為をしたり、不正をしたりする人が出て来るのです。

この様な人達は、追及されると決まって言い訳を並べ立て、更には、他の人の責任として
自分は知らぬ存ぜぬを貫きます。
しかし、この様な人達が、国民に裁かれることは無く、同じような人達に守られて、
またもや復活する姿に、どれだけ呆れ落胆した事でしょう。
多くの日本国民が、日々の生活で苦しんでいるのに、何不自由ない生活を認められながら
更には、我儘を押し通せる、これ程生温い世界の人々が、国民の事を考えられる訳が
有りません。

政治と言わず、一般社会でも芸能界でも、日本人は、豊かな生活が出来るようになると
何故、自分達を支えてくれた人や貧しい人達を苦しめるのでしょう。
弱きを助け、強きをくじくという理念が、小さい頃からの教えに在り、
様々なドラマや映画、更には漫画やアニメの世界にも流れていたものです。
その痛快さ格好良さに多くの人々は興奮し自分の生き方を学んだものです。

所が、今や、寄らば大樹の陰、君子危うきに近寄らず、人に与えず人から奪い取ると言った
かつては、白い目で見られたような事が、保身の為に平気で獲られる社会です。
まるで取ったもの勝ち、と言った、欲望に渦巻く社会で対人関係がギスギスしています。
歴代の総理の様に、いずれ、腕を組んで時期リーダーを議事席で高みの見物をする姿が
想像できます

国会中継を見ると、戦後の政治を担って来た多くの懐かしい顔ぶれが並んでいます。
いずれも、激動の昭和史を作って来たのですが、果たして、どれだけ国民の為に
尽くして来たかと考えると、政治家というより政治屋を感じさせる方が少なく有りません。
いつの日か、この人は、国民を救い、日本の未来を創ったと言える政治家が現れる事を
切に願わずにはいられません。

 

 

 

 

 

 

 


金正恩、トランプの対談が意味するもの

2018-03-10 14:17:55 | 政治

ようやく金正恩とトランプの両首脳による直接対談が実現しようとしています。
いずれ何処かで相見合わなければならない事は解っていた事なのですが、
この歴史的対談が、今後の世界に、吉と出るか凶と出るかは解りません。
これまでの、両国の交渉の歴史は、決して、好ましい結果を生んだとは言えず、
殆どの場合、裏切りに依る、一方的な破棄に終わっています。
何度も煮え湯を飲まされて来たとあって、決して、今度こそは世界が望む様に
会談が行われるとは言えず、またもや、北朝鮮の術中にはまってしまうのではと
案ずる有識者も多い様です。

しかしながら、全く交渉の糸口すら見い出せないより、例え、数パーセントの
可能性であっても、周辺国のみならず、世界の多くの国々が望む方向に進めば
という微かな望みを繋ぐ一手となってくれればと思います。
とは言っても、世界中の人々が愁う、最悪の方向に行かないとも限りません。
これまでの交渉も、その後何度も核開発を進め、ミサイル実験が終わる事は
一向に無かったのですから。

この新たなる事態に対して、我が国は、一体、どの様な立場をとれば良いのでしょう。
これまで通り、アメリカの傘の下で、唯、成り行きを見守る事しか出来ないのしょうか。
我が国の未来と安全を、他国の、しかも、お互いに、自分の事しか考えられない
リーダー達に託して良いのでしょうか。
戦争に成ったとすれば、国土と国民に大きな犠牲を生み、平和になったとしても
相変らずアメリカの防衛戦線の盾となり、軍事的な意味合いでしかない立場を
取り続けなければならないのでしょうか。

戦後、本土復帰したと言うのは、建前であり、現実は、アメリカの最前線基地での
植民地に過ぎない沖縄の悲劇は、一体誰が拭い去るのでしょう。
本来ならば、大切な日本国の一部として、そして、大切な日本国民として守る事が
日本政府の成すべき義務と言えるのですが、その大切な役割を棄てて、アメリカの
言い成りになっているのは、単に、軍事的に我が国が弱いと言うだけの事ではなく、
アメリカが支配する事で、多くの見返りを得ている方々が日本に居ると言う事です。

しかも、戦後半世紀以上、日本中の土地を、アメリカの基地に提供する見返りに
様々な恩恵を被っているのです。
この事は、アメリカに対する直接的な貿易に関しても、戦後の復興支援にしても
アメリカ軍を常駐させる事で、莫大なる支援を受けて来た人達が多くいるからです。
その殆どが、戦後、アメリカの保護の元、日本の中核の企業として、更には
政界に於いても大きな力を担って来た事は明らかな事実なのです。

戦後の高度成長も、単に、日本国民の力というより、戦勝国であるアメリカから
多大なる支援を受けた方々が大きな力を持っていた事も事実です。
ただ戦争に負けただけならば、日本はこれ程にも早く経済発展をする事は出来ず、
日本が短期間で、先進国の仲間入りを出来たのは、アメリカ等の戦勝国による
膨大なる援助が陰にあったのです。

しかしながら、日本をこれ程にも発展させたアメリカの考えは、明らかに、
日本を自分達の国を守る為の防衛国としておきたかったと言えます。
この事は、韓国に於いても言える事であり、独立をさせ、経済発展をさせる
見返りとして、多くのアメリカ軍基地の常駐を認めさせたのです。

しかし、この事が、周辺国に大きな反発を生みました。
中国、ロシア等、世界経済に大きな影響を与える国々の近くに
アメリカの軍事基地が存在する事は、それだけで脅威であり、日本も韓国も
事実上、アメリカの一部とみなされるのです。

私たち日本人は、例え、国内の多くの場所にアメリカ軍の基地が在ったとしても
それ程脅威を感じません。むしろ、有事の時は、我が国を守ってくれるものと
思っている人の方が多いのです。
しかし、大国の思いは、全く違っているのです。
どんなにアメリカ軍関係者が友好な態度を取ろうと、ロシア、アメリカ、北朝鮮は
常に身近な所から、ミサイルを始め、様々な軍事兵器で狙われていると思うのです。
この、我が国と、東アジアの国々の考え方の温度差が、日本人が、いつまで経っても
独り立ちできない原因ともいえるのです。
経済的な友好国として日本を位置付けていると強調するアメリカの本音は、
いざという時は、日本は、アメリカの最前線の基地の役割をすると考えるのです。

私たち日本人は、人を見たら泥棒と思えと言うより、まず、友好的な態度を示し
相手を善人と考えがちです。
誠意をもって接すれば、相手は解ってくれるとする考えを持つ人が多く、
この事は、長い歴史の中で、他国からの侵略を受けて来なかった事や
様々な自然災害に対して、共同して対処して来た歴史がある為、
与えられた条件や環境をそのまま受け入れる傾向が多いのです。

簡単に言えば、騙されやすくてお人よしと言えるのです。
この日本人の性格は、人としては、多くの人々と平和に生きて行ける
とても素晴らしい生き方と言え、多数の海外からの旅行者が
口をそろえて、日本人の心の優しさを称える事からも解ります

しかしながら、長く侵略略奪の歴史を重ねて来た隣国に於いては、
如何にして、求める物を奪い取るかが重要でした。
少しでも気を許せば、侵略者に絶滅させられてしまう事も有ったのです。
その歴史の背景が、日本と近隣諸国の考え方の違いであり、
日本人の考えがなかなか受け入れられない理由でも有るのです。

今回の、金正恩とトランプの対談も、私たち日本人が考える
お互いが平和の為に交渉するとは考えにくいのです。
どちらも、お互いに、利益が無ければ、対談は成立せず、
戦争回避というより、この機を利用して、どれだけ多くの利益を
得られるかが一番の論点と言えるのです。

その証拠に、どちらも交渉にあたって、軍事的圧力を弱める考えは
全く無いと言ってよく、例え、交渉が成立したとしても、現在の
軍事的脅威は無くならないのです。
日本人が考える、両国の対談により、お互いの軍事力を
削減する考えは全くなく、交渉術として、其々の条件を提言するだけ
と言えるのです。

北朝鮮にしてみれば、経済制裁が国民に対して与える影響が強く成れば
現政権の力を疑う可能性が出て来たり、政権交代の内乱が起こらない
とも限らないのです。
アメリカとの交渉で、北朝鮮の力を示した事に依り、多くの援助を
勝ち得たと、声高らかに国民に誇示するのが目的であり、
国民の生活が良くならないにしても、統率者達の存在価値と意味を
知らしめるに使われるのは明らかと言えます。

これまで、何度も条約を破棄し、すぐさま軍事行動や核開発に
取り組んだのは、条約が、だだ、国民をなだめる為だけに使われ
世界が期待する核兵器放棄には何だ繋がらないのです。

今や、北朝鮮国民は、極寒の中で、食料、エネルギー不足に苦しみ
地獄の様な生活を送っています。
度重なる、日本への小舟での渡航は、彼らの生活が、如何に困窮し
国も命も捨てても脱出したいと思わせる事態となっているのです。

当然、金正恩を始めとする北朝鮮執行部の体制に不満を持つ人も多く
これまでも、投獄されたり強制労働に数多くの人達が弾圧されました。
しかし、生きる事で精一杯の国民に、現政権を強く支持させるには、
少しでも、生きる糧を与えなければなりません。
これまでのアメリカとの交渉は、周辺国やアメリカからすると、
核の放棄や軍事力縮小につながるのではと期待するのですが、
残念ながら、そんな気持ちは全く無いといえるのです。
アメリカとの交渉は、国民の不平不満を抑える事が第一なのです

ただ、今や、北朝鮮国内は、アメリカとの交渉に応じ無ければ
ならない程貧窮しているのです。
直ぐにでも、アメリカ本土や近隣のアメリカ軍基地にミサイルを
発射したいと思っているのですが、背に腹は代えられないと言う事です。

本当に厄介にな隣国を持ったと言えますが、はたして、私達にとって
脅威となり、戦争をしかねないこのような国を、抹殺してしまったり
国としての機能を無くしてしまう事が正しい方法なのでしょうか。

戦争は、お互いの主張が合い入れなくなり、力をもって相手の考えを
ねじ伏せ、自分達の言い成りにさせる事ですが、その様な方法で
果たして、世界は平和になると言えるのでしょうか。

アメリカ社会を見ても、自分たちの脅威となるものに対しては、
相手を殺しても構わないとする銃の保持がみとめられています。
それこそ、人を見たら泥棒と思え、と言った社会なのです。
しかし、この事で、アメリカ社会は平和になったと言えるので
しょうか。

自分達を守る為とした銃で、どれだけ多くの悲しい事件が毎年
繰り返されているでしょう。
この事は、世界の国々の間に置いても、同じ事が言えます。
銃の代わりに、多くの国が、巨大軍事施設を持ち、常に戦争を
想定した軍事訓練が行われています

しかし、世界から、戦争は無くならず、今では、世界中でテロが
頻発しています。
銃も武器も、自分達を守ると言うより、自分と異なる考えの人を
力でねじ伏すために使われています。
我が国周辺の緊張は、正に、この自分の考えを押し付ける為の
軍事行動なのです。

歴史が示す様に、力で相手を思い通りにすれば、同じように力で
報復されます。
何度となく政権が変わり、多くの血が流され、長い時間、憎しみと
悲しみが人々の心を支配します。

私達人間は、他の動物と同じく、この小さな地球で生きて行かなければならす、
全ての生き物は、互いに食物連鎖によって生かされています。
人間社会に於いても、例え貧富の差が有ろうとも、互いに助け合い協力し合う事で
平和な未来を築いて行けるのです。

一方的にに、一部の人達や国が、世界の富を独占する事は、いずれ多くの不満を生み
諍いの種が生れるのです。
今や、先進国と言われる一部の国が、世界の富を独占しているとも言われます。
あらゆる食料を手に入れ、経済的に豊かな生活をする国が有るものの、
多くの国が、国民の食料を得る事すら苦慮しているのです。

北朝鮮にしても、国民が飢餓に苦しんでいる国の1つと言えます。
ただ、その苦境を、軍事力を持って解決しようとした事に問題が有り
現在に至る世界の緊張を生む事と成っているのです。

今や、地球温暖化により、世界中の食料不足が現実のものと成っています。
豊かな国はより豊かに、貧しい国は、より貧しくと言うのが現状です。
このことは、日本に於いても、同じ社会現象が見られます。
如何なる生活をしようと、いかなる階層に居ようと、戦争が起これば
全ての人々が地獄の苦しみを担う事と成るのです。
戦争は避けなければなりません。しかし、貧富の差が有る限り
人々は、争いから逃れられないのです。
人類が争わずに平和に生きて行くには、一体どうしたら良いのか。
国際問題のみならず、個人の問題としても大きな命題と言えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


トランプ外交戦術とは

2017-11-07 14:15:06 | 政治

トランプ外交の本質は、対北朝鮮対策ではなく、如何に対日貿易赤字を
解消するか、つまり、何とかアメリカの商品をより多く買わせるかが
本音と言えます。
当然予想通り武器の大量購入を口にし、車などの赤字を促進していると
思われる物品に対して強い要望を行って来ると言えます。
日米安全保障条約の下、北の脅威から日本を守ると言う外交的言葉の裏で
貿易摩擦によるアメリカのリスク軽減を図って来るのは言うまでも
在りません。

日本国民に対する最大のアピールは、目下の不安と恐怖を取り除くと言う
強い決意を示し、さらには、拉致被害者たちに対する親身なる態度は、
彼の持つ、外交手段である事は明らかです。
彼はアメリカ大統領と言う以前に、アメリカ財界からの代表として、
アメリカの利益を全面に押し出した外交をしているのです。
韓国に於いても、彼の態度は日本に対する考えと何だ変わらず、
アメリカの最前線としての役割を如何に果たすかを迫っていると
思われます。

つまり、日本も韓国も、アメリカの北朝鮮や中国、ロシアからの脅威を

軽減もしくは阻止するための大切な防衛戦線であり、更には、アメリカの
利益を目論むための大切な市場と言えるのです。
となると、今回の日本や韓国に対する要望は明らかであり、如何に
アメリカに利益をもたらす事が出来るかが会談の趣旨と成るのです。

日本訪問で、北朝鮮に拉致された人々を招待したのも、韓国が

慰安婦と大統領との面会を行えるようにしたのも、彼の人間としての
暖かさや思いやりと言うよりも、商人としての巧みな戦略が見えるのです。
北朝鮮には、韓国民も日本人以上に拉致されていて、両国とも、様々な
精神的苦しみを受けている事に対する理解を示す事で、両国民からの支持と
理解を得る為と言えます。

当然、両国に対する外交利益を今以上に要求する事は明らかであり、例え

それが、両国民の生活を圧迫しようと、アメリカの利益が得られる事が
第一なのです。
商人の外交努力とは、如何に、利益が得られるかと言う事に掛かっています。
トランプ財団が世界に名を成す事が出来たのも、利益優先の商業手段が
成せる業であったのは明らかであり、それを、例え大統領になったからとして
変えることは無いのです。

日本政府も韓国政府も、各国の首脳であっても、トランプ大統領を政治家として

相手にしていると思いがけないリスクを負わされる事と成るのです。
彼の頭の中は、例え、北朝鮮と韓国日本両国が戦争に成ろうとも、アメリカに
大きな被害が及ばず、膨大な利益が得られるなら、戦争も厭わないのです。

アメリカ国内では、銃保持に依る悲惨な事件が起っていて、銃社会の問題が

常に取り上げられているのですが、国が保持する武器の膨大さはその比でなく
アメリカとしては、余った武器、古い武器を世界中に買って欲しくてたまりません。
これまで、世界中の紛争に頭を突っ込んできたアメリカの最大の目的は、
戦争により大量の武器を消費し、更には、戦地に駐留する事で、その国からの
多大な利益を得る事でした。

世界のポリスと言うのは、あくまで世界の人々を納得させるためのリップサービスで

その中身は、戦争を利用した国内景気の触発と発展、さらには、大量資源食料の
確保であった事は周知の事実です。
極東で戦争が起これば、同盟国である日本や韓国に大量の武器が輸出できます。
しかも地球の裏側の遠い所での争いを高みの見物の様に見守る事で利益が得られる
これは願ってもみない展開と言えました。

ただ、唯一これまでと違ったのは、北朝鮮がICBМを開発したとするからです。

もし戦争と成ったら、核弾頭を付けたミサイルがアメリカ本土に撃ち込まれる
可能性が出て来た事です。
何か不穏な状況が生じたら、すぐにでも派兵して鎮圧しようと言う考えは、
なり立たなくなって来たのです。

となると、最前線の日本と韓国をアメリカの為に要塞化するしか有りません。

その為にも、大量の武器を売り、国土防衛を推進するのです。
今後、韓国から中国に渡るとされますが、最大の貿易相手国である中国は
トランプに優るとも劣らない商人的考えが出来る国家です。
今や、世界中に広がる中国製品は、如何に、中国経済が世界経済の要となって
大きな力を持っているかが解ります。

アメリカとて、日本と同じく、日用品から様々な生活必需品がメイドインチャイナ

と成って国内製品を圧迫しています。
しかし、排除するにも、国内製品より格安の中国製品を除外する事は、国民経済や
国民生活にとって大きなリスクと成ってしまいます。
アメリカ経済を揺り動かす中国製品の力は、例えとランプとて、彼の独断で対処
する事は難しいのです。

出来るだけアメリカの利益を損わない様に要請はしたとしても、強要する事は

両国の力関係に於いては得策とは言えないのです。
ならば、彼の今回の訪問は何かといえば、日米韓の様々な北朝鮮に対する処置は、
決して中国の不利益とならないと主張する事しかないのです。
つまり、北朝鮮に対する最大の貿易大国は中国であり、如何に日本やアメリカが
制裁処置を行ったとしても、中国が陰で輸出入を繰り返している限り効果は無く、
中国も連携して制裁に協力する確約を取りたいと思っているのです。

もし戦争となって、北朝鮮が負けたとすれば、北朝鮮と中国の国境にアメリカが
進出して来る事と成るのです。
この事は、ロシアにしても、同じ脅威を抱く事と成るのです。
北朝鮮の存在は、私達にとっては脅威ですが、中国やロシアにとっては、日本や
韓国の様に、自国を守る防波堤の役目を果たすのです。

中国やロシアにとっては、北朝鮮が戦争で負ける事は、自分達の国がアメリカの
軍事的脅威に直接さらされる事と成るのです。
今回のトランプ阿部会談で、一体何が話し合われたのかは、メディアからは十分に
知る事は出来ません。しかし、私達国民が知る事を許されない事も話し合われた事は
明らかであり、両国首脳の会談と言うのは極めて極秘性の高い物と言えるのです。

とは言え、先月の選挙も日米首脳会談も、国家的事業が行われたとはいえ、

この事で、私達国民に対する利益は、還元されて来るのでしょうか。
バブル崩壊以来、様々な政策が打ち出され、対外的にも日本が関わる様々な事業が
展開されていますが、いずれも、一部の方々の話で終わっていて、一向に
私達日本国民の生活が潤って来ないのは何故なのでしょう。

もはや、国民と言うのは、選挙の時の一票は持っていても、自分達の生活を

向上させる術を持ち合わせていないのかも知れません。
国の行事を牛耳っている方々の青写真の下、ただ、ひたすら汗を流し、
僅かな給料で日々耐えて行かなければならないのでしょうか。
この生活格差は年々酷くなって行く傾向が有り、管理する側とされる側は、
もはや、人間として平等とは言えない状態と成っているのです。

人としてお互いに助け合う社会より、争い競い合う事を推奨する社会は、

益々個人として孤立して行く事に成ってしまいます。
様々な社会問題が、人々の心の闇から生まれて来る事も多く、子供の頃から
外見的な豊かさしか心の基準を持てない、寂しい日本国民が増えています。
しかし、不満をお互いに話し合わない、自分の事しか考えられない人々は
管理者にとっては最適と言えます。

いわば、この社会は、上に立つ人に都合よく作られている社会と言えます。

しもべ達は、手と手を取り合うことなく、常に上を見て、まるで池のコイの様に
より美味しい餌が投げ込まれる事を望んでいます。
コイ達の未来は、餌を投げる人の胸三寸で決まるのです。
国民とリーダー達の差は、池の鯉と人間ほどにとんでもなく広がっているのです。

つまり、同じ人間ではなく、単に、この社会を維持するための働き手でしか

国民は見られていないのです。
その彼らが、時折示す、狭い池ではなく、広い川に放してあげると言う甘言が
選挙演説と言えます。しかし、終わって見れば、誰も、池の外には出られず、
ただ美味しい餌を待つだけの人生なのです。

この様な国家の仕組みは、太古の昔から続くものであり、人間として

この様な差別は有ってはならないと思う方も多いのですが、国家というものは、
この人間とコイの様な関係でなければなり立たないのも事実なのです。
もし、何処でも泳いでいける川にコイを放てば、自分達で餌をさがし、
主人の下にはいなくなってしまいます。

今の二極化が続く為には、何処にも逃げられない条件を与え続ける事なのです。

国民は、決して豊かにしてはならないのです。しかし、そう思っても、決して
口に出してはならず、目に見えないロープで首を絞めておかなければ
ならないのです。
私達日本人は、世界の発展途上国に比べて豊かな生活を送れる人が多いです。
しかし、豊かというのはあくまで表向きであり、誰もが、社会で決められた
様々なルールに拘束されています。

このルールは、人が生きて行く為の道徳的人間的なルールでは有りません。

この社会を作っている人に従う為のルールです。
従う事で、生きて行けるだけの生活費は稼げます。しかし、それ以上と成れば
必ず人と争い競争をして孤立して行かなければなりません。
今の世の中は、国民が共同して社会を変える様には作ってないのです。
国民一人一人が孤立する事で、人間としての不平不満が少なくなり、
国家転覆の脅威を免れるのです。

そんな中で行われた日米首脳会談。内容はともかく、どんなに報道されても

国民の心に伝わるものでは有りません。
つまり、餌を与える人間の考えを、コイは理解できない様になっているからです。
しかし、このまま、日本人の心のストレスが溜まり続けた時、いつの日か、
爆発するかも知れません。
温和で我慢強い日本人が切れた時、この時、国家の存在は無くなります。
自分達の作り出した社会と餌で誤魔化せきれなくなった時、
本当の日本社会が生まれるのかもしれません。


トランプ大統領と安倍首相の密談

2017-11-06 18:35:12 | 政治

今や、日米両首脳が東京のとある所で祝杯を挙げています。
日本とアメリカはより結束を強め、両国の条約に則り、
より強固な対北朝鮮戦略を展開しようとしているのでしょう。
いっぽう、標的とされる北朝鮮は、いつもの調子で、アメリカ
並びに日本に対してよりヒステリックな反発をしています。

しかし、この両陣営は、今後、如何に将来を考えているのでしょう。
どちらかが引き下がる事無く、おたがいに主張し合う事で、
問題が解決するとでも思ってはいないでしょう。
いがみ合う事で、どちらも決して利益にはならず、下手をすれば、
戦争に突入し、取り返しがつかない程の事態を招いてしまうからです。

今後、トランプ大統領は、韓国や中国を回り、理解を求めると思われ
その事が、次への一歩となると考えるのでしょうか。
それとも、今後自分が起こすであろう行動に対し、より良いフォローを
期待しているのでしょうか。

いずれにせよ、彼の行動が、関係諸国の国民に対して、全く功を奏せず
彼の独りよがりと成っている可能性が高いと思われます。
彼の外交努力は周辺国に何だかのアクションを起こさせる事に成っても
自国を含め、各国の国民にとっては、何の利益にもならない事は事実です。
というより、彼の行動言動は、政治家でありながら、常に個人的な
スタンドプレーが主体であり、政治家としてではなく、商人としての
気質が抜けていない事が大きな問題です。

絶対権限を持つ大統領であるから全ての国民は従う義務が有るのでしょうが、
逆に、その権限が、国民に対して使われていると言えない所が問題です。
この事は、我が国のリーダーにしても、同じような傾向が見られ、
そのあたりが、二人の合意の接点となっているのかも知れません。
どちらも、国民の意見を聞こうとしないスタンドプレーが目立ち、
自分の頭の中の正義に酔いしれている様な部分が多分に見られます。

世界の歴代の指導者たちには様々なタイプがあり、商人の気質が抜けない
トランプ大統領、坊ちゃん政治家の裸の王様が我が国のリーダーです。
ヒットラーの様な殺人鬼のリーダーは困りますが、少なくとも、
国民の方に顔を向けたリーダーであることが重要と言えます。
今の極東の問題を起こしているリーダーは、いずれも、国民の方に
顔を向けていなくて、自分の頭の中の思い込みで政治を行っています。
つまり、自分の我を通す事で国事を行い政治を行おうとしている為
一向に問題が解決しないのです。

アメリカ国民も、日本国民も、北朝鮮国民も、いずれも、蚊帳の外に置かれ
リーダーの想像もつかない行動に振り回されているのが現状なのです。
今や、二人の我儘リーダーが、国民置いてけぼりの決め事をしているのです。
当然、全く自分の思いを解ってくれないもう一人の我儘リーダーは腹を立て
この二人の関係を罵るしかないのです。

しかし、何億もの国民たちは、彼らを心から支持しているというのではなく
仕方なく従い、先の見えない自分達の未来にハラハラしているのです。
彼らの一存で、私達は、一気に地獄に叩き落されてしまうからです。

人は、生活レベルの如何に関わらず、生と死の狭間に於かれる事が一番不安であり

その最たるものが戦争です。
いつ自分の命が、家族の命が奪われるかもしれない恐怖は、最大のストレスと成ります。
今や、彼らの動向にハラハラしている国民は、いずこも、同じ心境なのです。

日本もアメリカも、そんな事無く、国民は、いつもの様に平和な日々を過ごしていると

思われている人たちが殆どでしょうが、戦争が起こる時はいつもこの様な時です。
戦争は突然にやって来て、全ての人達を不幸にして行くのです。

この一見平和に見える社会は、確実に情報統制が敷かれているからであり、

私たち国民には、不安を与える情報は完全にシャットアウトされているのです。
国のリーダーは、いかなる時も、国民を不安に陥れる情報は流さないのが鉄則であり
日本が第二次世界大戦で負ける間際まで、日本が勝利すると信じていた国民が
多く居た事も、如何に正しい情報が遮断されていたかが解ります。

今の日本社会は、平和で自由だと思っている方は、まんまと政府の政策にはめられて

いるだけで、実際は、国民は誰でも、目に見えない様々な鎖や縄に縛られていると
と言えるのです。
いつまで経っても生活が豊かにならないのも、未来の不安がぬぐい切れないのも、
生活が非常に豊かで未来が夢で一杯の方々と政治家との長年のお付き合いの結果
生まれている様々な世の中の仕組みで作られているからなのです。

一部の方々はより豊かになり、その他の人は永遠に苦しい生活を強いられる様に

社会が作られているからなのです。
国民一人一人に番号を付け、あらゆる行動を監視する事に依り、今の大勢をより強く
維持して行く事が目的であり、国民の殆どは、一部の方々の僕とも言えるのです。

となると、両首脳が頭を突き合わせて考える事、それは、彼らを支持する人々の為に

如何に大きな利益をもたらすかと言う事です。
もちろん、彼らを支持する人とは、国民全体を言うのではなく、一部の、彼らの体制を
守り世の中全体からの利益を集める方々の事を示しています。

この一見、各国の代表と言える首脳陣は、実は、国民全てを代表していると言えないのです。

この事は、太古の昔から、いかなる思想宗教であろうと、自由主義国家であろうと
社会主義、共産主義国家であろうと、中身を見れば、富める人達と、大多数の遥かに
貧しい生活をする人達に分かれているのが人間社会の構図なのです。

時のリーダーなるものは、その社会を動かしている人たちと結託して社会を動かす

と言うのが人間社会の構図であり、様々な社会体制は、言わば着ている洋服の違い
の様なもので、実際に営まれる社会は、持てる人達と持たざる人達に分けられるのです。

つまり、どんなに日本社会が、自由平等と言っても、誰もが同じレベルの生活に成ると

言う訳でなく、社会を牛耳る人たちは遥かに豊かな生活をし、彼らの生活を守る殆どの
国民は、彼らの生活を守るために、彼らが作った社会で働くと言う事に成るのです。
と言う事は、国民の殆どは、永久にお金持ちにはなれないと言うのが正解です。

ただ、希望を持たせなければ国民は働いてくれませんから、様々なメディアを使って

幸せに成ると言う経済的手段を毎日提案しているのです。
毎日流れるテレビコマーシャルも様々なメディアの情報も、すべからく、国民を前向きに
消費させる事に依り、豊かな方々が更に豊かな生活が出来る様にする為なのです。
その架け橋が、今や、政治家の役目に成っているのが問題なのです。

国民との繋がりよりも、富裕層との繋がりに力を注いでいる政治家が多いのが問題なのです。

巨大事業を起こす事も、戦争を起こす事も、その意思は、国民にも政治家にもなく、
新たなる利益を得る為の時の有力者たちによって成されて来た事は、歴史が示す事実です。

その為、国民の未来は、国民が決めると言うより、その時、国を動かし豊かな暮らしを

している方々が決める事であって、彼らが、国民も同じ様に豊かな生活が出来る様に
考えてくれれば、国民は豊かになり、国民を無視して、自分達の事だけを考えれば、
平気で戦争を起こす事もいとわないのです。

明治以降起った、日清、日露戦争、更には、第二次世界大戦にしても、国民の殆どは、

決して戦争はしたくなかったのです。
この戦争は、莫大な利益を得たい方々が陰で糸を引いていたのであり、一部の人達の
利益が前提に在って、様々な理由は後付けに過ぎません。

政治家も軍部も、彼らからの支援が無ければ何もできず、国の指針の基準は、国民からの

考えや意見というものは殆ど考えられず、政治家も政治屋であって、自分達の利益が
前提に在った為、国民を平気で戦地に送る事を承諾したのです。
確かに、日本がこれまで先進国として発展できたのは、彼らの力が大きいとは言えるのですが
国の発達が、国民の為であったと言えることは、殆ど無いのです。

企業利益は、国民の幸せを踏みにじる事も厭わないのです。

今回の日米首脳会談は、まるで、日本とアメリカの話し合いの様に報道されていますが、
何のことは無い、日本の財界からの考えとトランプを支持するアメリカ企業からの考えを
バックに、代表として話し合うと言うだけで、大多数の国民は蚊帳の外なのです。

しかし問題は、決まった事は、国民全体に大きな影響を与える事です。

平和な路線を選べば、国民は平和な日々を送れる事に成り、戦争をした方が利益が得られる
と考えれば、当然、戦争を選ぶ事と成るのです。
言うならば、国民の幸せは、利益を望む人達の胸三寸であり、戦争は、利益を生むために
行われて来たという事実が有るのです。

多くの国民が犠牲に成ろうと、膨大なる利益を考えた戦争が、有史以来数えられない程

世界中に在るのです。
人の争いは、考え方他の違いによっておこる事が多いですが、国と国との争いは、
その国を支配する人たちが利益を得るか否かで決定される事が多いのです。
当然、この時、国民の多くが犠牲になる事も有るのです。
本当に国民の意見が政治に反映されていれば、殆どの場合、戦争は起こることは無いのです。
何故なら、多くの国民は、傷つき苦しみたくないからです。
戦争によって何の利益も得られず、苦しみ悲しみを抱くだけなのですから。