めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

新型コロナウイルスが生んだ先の見えない世界

2020-05-05 09:40:26 | 災害

今や世界中が新型コロナウイルスの汚染に依て、全く違った世界に
変わってしまいました。
私達の当たり前の日常が否定され、誰もが未来に不安と恐怖を抱いて
日々の生活を送っています。
そもそも、人類の歴史は、人が集まり英知を結して発展してきました。
何事をするにしても文明が生れる所には必ず多くの人々が集い
互いに助け合いながら新たなる未来への道を築いて来たのです。

文明の利器は、私達の思いの延長として発明され発展してきました。
より豊かで生産性のある生活は、人々の思いが集結し互いの力を
より大きくする事で生まれて来たのです。
しかしながら、今や、私達は集まる事を否定され、生産活動を止められ
人類としての基本的な生き方を放棄せざるを得なくなっています。
長い歴史の中でこれ程人々が不自由と不安を感じた事は有りません。

例え戦争の最中であっても、その先に平和な日々が訪れる事を
人々は知っていました。朝の来ない夜は無いと思って来ました。
しかし、今回の惨禍は、暗いトンネルの先に灯りが見えないのです。
人々の心の中にある、いずれ必ず元の暮らしが出来ると言う思いが
打ち消されるかも知れないのです。
毎年世界のどこかで生まれる危険なウイルスは、次第に凶暴さを増し
人類の存続を否定するかのような変異を見せています。
必ずや治療法が見つかり、汚染は無く成ると言う心からの願いは
長く続く戦いの間に消え去ってしまう可能性も有るのです。

街を歩けば、ただ多くの店が閉じていると言うだけでなく、マスクを
着けながら歩く人々の表情と行動にただならぬ気配を感じさせます。
閉められた多くの店がいずれ元通りに繁盛すると言う期待も予測も
頭に浮かんでこない程、繁華街の街並みはゴーストタウンへの気配を
漂わせています。
一か月程の自粛ならばまだしも、もし、このウイルスが更なる猛威を
ふるう事と成れば、私達の忍耐も限界に達し、耐えかねた人々が
予期せぬ行動に出たり様々な場所で争いが起こる事も考えられます。

数千年数万年に渡って続けられて来た基本的な人類の生き方を
変えなければならない時代と成って来たのかも知れません。
日常生活の場に於いても、これまでの様に多くの人々の中で
生産性を上げる社会を築く事を目的としていた衣食住の形態を
全く異なった形態に移行していく事が必要となるかも知れません。
学校や会社と言った人々が多く集まって社会生活を営む形式が
否定されると言う事は、これまでの文化形態を維持する事が
出来なくなると言う事です。

人類が集団で行動する事に依って様々な能力を発揮し素晴らしい
文明を築き上げて来たのですが、人類の生き方とも言える様々な
集団活動が出来ないと言う事は、人類の存続にも関わる事なのです。
この事は社会生活だけでなく、種を繋ぐ為の生き物としての行動も
制限され、生きる意欲も本能も否定されない由々しき事態と言えます。
一体何のために生きて行けば良いのか、ただ、食べて生命活動を
維持していくだけでは豊かなメンタル活動を行って来た人類は
生きて行く意欲も失われてしまいかねません。

地球の生き物の頂点に立ち、あらゆる資源と食料を我がものとして
君臨して来た人類は、今や最大の窮地に立たされたとも言えるのです。
近年の地球温暖化や環境汚染がいずれ私達人類の絶滅の引き金に成ると
考える学者の警告が、思いもしない目に見えない敵によってもたらされる
かも知れないのです。
大気汚染や海洋汚染に伴う食糧不足そして異常気象が私達の未来を脅かし
いずれ絶滅への道を辿ると言うシナリオに更なる脅威が加わる事で
そのデッドラインは一段と近づいて来たとも言えるのです。

多くの人々の努力でいずれこの不安な日々が解消されるかも知れませんが
近年の異常気象と同じく、次なる想定外の恐怖がやって来る可能性も
否定できないのです。
毎年繰り返される想定外の災害は、私達人類にもう安穏とした日々を送る
夢を持つ事すら許されないのかも知れません。
このまま多くの店が開く事も無く街がゴーストタウン化するとは誰も
思っていないのですが、想定外が現実と成る時代なのです。
私達人類の生活が一変する時代がやって来る可能性も有るのです。

既に地球温暖化や異常気象で地球で居住する事が出来なく成る事を想定し
火星移住計画を考える人々がいますが、それ以前に、地球に住む我々が
全く生活形態を変えなければならない事態になる可能性が出て来たのです。
毎年変異して生まれるコロナウイルスやインフルエンザウイルスが、
更なる脅威をもって世界中に蔓延するかも知れません。
感染すればその多くが命を落としかねない危険なウイルスが近い将来
現れる可能性は多分にあるのです。

戦争によって多くの命が奪われる以上に恐ろしい人類絶滅へのシナリオが
始まっているかも知れません。
いずれその日がくるにせよ、それは遠い未来の事と思っていた人々の脳裏に
明日にでも訪れるかも知れないと言う一抹の不安が次第に広がって来ます。
未来が見えないと言うより末期の世界が目の前にやって来ているとする
終末の時を私達が迎える可能性すらあるのです。

自粛をして汚染を止まらせ終息を期待する今の生活はまだまだ平和な時
なのかもしれません。
コロナウイルスで人々が亡くなるニュースを他人事のように思えている今は
私達の心はまだ余裕があり、夢を語る事が一番のカンフル剤と言えます。
しかし、身の回りの人達だけでなく自らの命も危うくなった時、私達は
一体どの様な気持ちで過したらいいのでしょうか。
それこそ神にでもすがりたい気持ちと成ってしまうのでしょうか。
恐怖は自らが被災する事で感じる以上に周囲の人達の惨状で高まります。
私達人間は、自分の心も身体も周囲の環境に反応して生きています。
文明を進歩させたのも人々が互いの寄り添いお互いに反応し合って
進化して来た証です。
自分が目の目の当たりにする惨状は、人類にとって最も不幸な事です。

ウイルスが蔓延しない様にする対策は当然な事なのですが、その事で
人類が築き上げて来た生活基盤を失っては成りません。
私達は互いに寄り添い思いを繋ぐ事に依てこれ程までに繁栄出来たのです。
今こそ私達が互いに寄り添い絆を強く保ち、更には生かされている
地球環境を真剣に危惧する時なのです。

新型コロナウイルスを蔓延させたのも私達人類の驕りで有り我儘なのです。
豊かな地球の富に生かされているのを忘れ自分達の喜びのみを求めた結果
次々に異常事態を生んでいるのです。
この機に、これからも地上の頂点の生き物として君臨したいのか
かつての恐竜の様に滅び去りたいのか試されているのかもしれません。

昨年の今頃、来年は東京オリンピックが開催されると日本中がその日を
期待していたものですが、今の世界を誰が想像できたでしょう。
一年後に延期されたとして、果たして、以前の様な安全な社会に成っている
誰が断言できるでしょう。
更なる想定外の惨禍が訪れるかも知れません。

人類滅亡の日は遠い未来の事と考えていたのに、その最中に自分がいる事を
一年後に思わないと言う保証は有りません。
想定外と言い訳できる時はまだ平和な世の中なのです。
いつかその時は必ずやって来ます。しかし、その時に遭遇すれば誰もが
思い返す事もやり直す事も新たなる日々を想像する事も出来ないのです。
それは突然やって来た恐竜時代の終わりの時と同じなのです。

 

 

 


人の心を踏みにじる悪行

2017-12-04 21:23:25 | 災害

嫌な不安が的中してしまいました。
最近漂着する北朝鮮籍の漁船に乗った人達が、
単に、漁をしながら、天候異変で漂着したと思いきや
密入国により、各地の漁村等の生活物資を盗んでいたり
破壊している事実が判明して来ました。

貧しくて、少しでも多く漁をしようと、専管水域近くに
航行してきて、たまたま日本に漂着したと思いきや、
しっかりとした目的を持って、上陸している事が
解って来ました。
この事は、かつて、多くの人を拉致した時と同じく、
日本国民に深い悲しみを抱かせる事と成り、ただでさえ
ミサイル実験で苛立たたしい思いをしている日本国民が
一般庶民に対する感覚まで否定的に考える様に成ってしまう
可能性が有ります。

この事は、実は、戦争以上に国民感情を悪くする原因となり
例え戦争と成らなくとも、多くの日本人が、北朝鮮の人達を
敵対視する可能性が高いのです。
ぼろぼろの小舟で漂着した人たちに、近くの日本人は
人道的立場で好意を持って接してきました。
しかしながら、その思いを踏みにじる行為は、日本国民全体に
大きなしこりを作る事になるのです。

一部の独裁者たちに操られて、仕方なしに彼らの言う通り
世界中に挑発的な態度を示していると思っている日本人が
かなりいて、独裁者がいなければ、きっといい国になるのでは
との期待が打ち砕かれた事と成るのです。

私たち日本人は、基本的に誰もが、困っている人には
無償で手を差し伸べるのが普通です。
街で財布を落としても、殆ど何も取られないで戻ってくるのが
普通なのですが、諸外国の人からすると信じられないと
口をそろえて言います。

つまり、日本人は、信頼関係の下で社会を作っているのです。
その信頼を裏切る行為は、日本人全体に対する冒とくであり
戦線布告以上に、未来に渡って深いしこりを残すのです。
傷ついて、やっとの思いで流れ着いたと思い、漁民総出で
彼らを助けたのに、蓋を開ければ、泥棒だったとは、
余りにもショックと言えます。

たまたま、一部の漂着者達が、そうであったのかもしれませんが、
もし、日本全国の海岸に漂着する北朝鮮の人達が、私達が想像する
不幸に見舞われた人たちでなく、何だかの使命を持って日本に
密入国をしようとしているのなら、日本人の国民感情は、
これまでにない程悪くなり、戦争以上に敵対する関係に
成ってしまうかもしれません。

今の緊迫した状況は、良かれ悪しかれ、そんなに何年も続くとは
思われません。
悪い方に向かい、戦争となるかも知れません。
また、話し合いが上手く行って、戦争と成らないかもしれません。
しかし、国と国との信頼関係は、どちらにしても失われ
遠い未来までも、悪影響を及ぼすかもしれないのです。

人の恩情に付け込んで騙す様な卑怯なやり方は、
真面目で人を信頼する日本人にとって一番嫌いなやり方です。
それこそ、北朝鮮民族は、それ程までして、人の物を欲しがる
ゲスな民族なのでしょうか。
例え、世界中を震い上がらせる兵器を作ったとしても、
世界中の人々に信頼されなければ、国としても成り立たず、
いずれ国家としては崩壊するのが筋と言えます。

今や、北朝鮮だけでなく、世界中で、飢えで苦しむ国が有ります。
多くの人が餓死し、国民所得も低く、地獄のような生活を
強いられている国は少なくありません。
しかし、どんなに苦しくとも、国民としての魂を売ってしまったり
人の物に手を付ける様では、誰も助けてはくれません。
人間として生きるとは、人の信頼を如何に得るかと言えます。
自分の欲望しか考えられない人や国は、いずれ滅ぼされるのが
当たり前と言えます。

例え、世界を震いあがらせる兵器を作ったとしても、
人としての価値が無ければ、単なる、野獣と同じです。
世界の中の一つの国として認められるには、国民も国も
世界中から受け入れられるための努力をする必要が有ります。
武力で持って人々を制圧しようとすれば、いずれ武力で
押さえつけられ、惨めな道を辿るのが世の常と言えます。

それにしても、一国のリーダーによって、国民は幸せにも
不幸にもなるものです。
国の政を司る人達だけでなく、社会経済を担ている人達が
国民全体の利益を考えなく成れば、これ程にも国民は
苦しい思いを抱き、生きるために人として行ってはならない
蛮行を行ってしまうのです。

この事は、決して他山の石として、他人事の様に思っていると

いつの間にか、日本も泥沼に落ちてしまうかも知れません。
日本のリーダー達も、経済的豊かで便利な世界で胡坐を
かいているようでは、我が国の将来は決して安穏とした
日々を期待する事は出来ないのです。


日本人の、思いやり、とは?

2016-05-16 17:50:19 | 災害

自分が苦しい時と同じく、人が苦しんでいる時は
いかにその苦しみを感じてあげる事が大切であるか、
自らがが救われた時の事を想えば解ります。

人は、長い人生の中で、誰もが様々な壁にぶつかり
思いもしないアクシデントに見舞われます。
前の日まで、決してそんな事は無いと、夢にも思わない
恐ろしい出来事に出合う事も有るのです。
一か月前、突然襲ってきた天地を揺るがす大地震を
誰が想像したでしょう。

一夜明けると、静かな故郷の美しい街並みが瓦礫の山と成り、
多くの人が傷付き苦しめられるとは思って見なかったはずです。
しかし、災害とは思っても見ないところで、突然前触れも無く
人々に襲い掛ってくるのです。

伊勢湾台風の時、高潮で堤防を壊し街に流れ込んだ
真っ黒の水が、駆け上がる階段の下で、雨戸を叩き壊し、
家具やタンスを渦に巻き込みながら見る見る二階の天井に
迫ってきた光景は、半世紀が過ぎても私の頭の中に
鮮明に残っています。

目が覚めれば、周囲は大海原、窓の外に美しく続いていた
城下町の街並みはずたずたに引き裂かれ、流れゆく屋根には
何人もの人たちがしがみ付いていました。

しかし、翌日には、沢山の自衛隊員がヘリコプターやボートで
残された私達のもとへ、おにぎりと水を届けてくれました。
幼心に、これで死なないで生きていけると思いました。

災害を経験すると、人の弱さ、それまでの生活が、いかに
脆弱であっと言う間に消え去ってしまうのかを教えられます。
日常の全てが消え去り、多くの友人や街の人を失った事の
深い悲しみは、その後、次第に事の事態を把握するにつれ
身に染みて感じて来るようになるものです。

災害を情報として知らされる多くの人々にとっては、
1つの悲惨な出来事として記憶されて行くに過ぎないのでしょうが、
災害に遭った人たちにとっては、それこそ、死ぬまでの深い
悲しみとトラウマになってしまうのです。

確かに、街が破壊され、多くの人が亡くなり傷つく事は、
何にも増して悲しい事ですが、被災者の一番の苦しみは、
災害の後にやって来るのです。

復興と言う名の元、いつ終わるとも知れない復旧作業、
更には、自分たちの先が見える生活の確保、どんなに支援を得ても
簡単に出来る事は何一つありません。
しかし、例え形は変わっても、いずれ街は新たに復活し、
人々は、災害を遠い過去の出来事として生きて行く事に成るのです。

この時点で、すでに、国民の多くの記憶からはその災害は消え去り、
単に過去の記録として残るに過ぎません。
でも、被災者の本当の復興は、心の中に有ります。
災害を納得し、先へ進める為の、前向きの気持が必要と成るのです。

多くの被災者の心に残る悲惨な記憶が、一人一人の足かせと
ならない為の、心の支援が必要です。
それは、支えてもらうと言うのではなく、自分たちが、また、誰かの為に
更なる多くの災害の被災者の支えに成れる心が育つ事です。

人は、災害に見舞われると、多くの方々の支援の有り難さ大切さを
身に染みて感じます。
自分たちを助ける為に多くの人々が手を差し伸べてくれることに
心から感謝し喜びを感じます。
その時、被災者は、単なる弱者ではなく、未来への大きな希望を抱き
傷付いた故郷を復興させる勇気をもらうのです。

この力は、被災する以前より遥かに強く逞しいものです。
いつか、故郷が復興し、人々が元の様に幸せに生きる事が出来るように
成った時、この頂いた力が、更なる大きな力と成って、新たなる災害に
見舞われた被災者たちを助ける術と成って育って行くのです。

私達の住む日本列島は、有史以来、様々な災害に見舞われ、
天変地異の中で、私達の先祖は生きて来たと言っても過言では有りません。
地震も今に始まった事ではなく、長い歴史の中で、沢山の人々の命を奪い
人々の生活を破壊して来ました。

そんな災害列島に居ながら、日本人は何故この地を捨てず、数千年の間
生き続けて来たのか、それは、単に、豊かな自然の恵みに有っただけでなく、
この度重なる災害が日本人を育てて来たとも言えるのです。

近年の災害に限らず、過去の多くの災害に於いても、私達の祖先は、
その度に、御互いに助け合い、心を一つにして難局を切り抜けて来たのです。
被害を受けた人々の心を察し、多くの支援を差し伸べたのは、今の時代も
遠い古の時代も同じでした。

日本人の心は、大自然の息吹を感じ、人と人と間の関わり合いを大切にし
全てに感謝する事に因り、御互いに生かされ生きてきたのです。
例え大災害に見舞われようとも、その地を捨てる事無く、より愛する事に因り
更なる喜びと富を得られたのです。

しかしながら、近年の災害対策は、あまりにもハードな面ばかりが強調され
大自然を攻略し、より便利で豊かな生活が出来る事が復興と考えられがちです。
災害が起こるたびに、故郷が消えて行きます。
人々の愛した故郷は、生活に便利な街に変えられるだけで、人々が本当に
欲している復興と成っていない事が問題です。

私達日本人が、自然をねじ伏せ、便利で合理的な生活をする様になってから
日本人としての優しく思いやりのある生活が出来なくなってきているのです。
世界でもまれな美しい自然はことごとく破壊され、日本中の海も山も傷付き
多くの日本固有種の動植物が絶滅して行きました。
万物に命を感じ、大自然に多くの神の存在を信じてきた日本人の生活は
自然と共に生かされた生活が有ったからこそ、近年に至るまで
美しい自然が残り、優しい日本人の心が育ってきたのです。

災害は、今に始まった事ではなく、これからも日本列島を襲う事は
明かと言えます。
私達が日本人の心を失わなかったのは、先祖からの自然に対する思いと
人々がお互いに思いやり助けある生活が有ったからこそと言えます。
近年、我々日本人に与えられる試練は、私達の在り方を問われる教えかも
知れません。
いかに、私達が日本列島の大自然に、人と人との繋がりに、深い絆を感じ
対処できるかの試練かも知れません。

過去100年に渡る工業化に伴う列島改造がもたらした多くの問題を
いかにこれから改善し、人々の暮らしが、先祖から育て上げてきた
優しい思いやり育てる社会に変えられるか、試されているのかも知れません。


人々の心のストレスを考えた復興計画を

2016-05-05 14:01:27 | 災害

熊本大地震が発生して、早くも3週間と成りますが、五月になって
気温がかなり上がり、今だ収まらない余震の中で、新たなる
様々な問題が出てきています。

気温が上がることで先ず問題と成るのは、食料の保管保存、

更には、衛生問題と人々の健康問題です。
大量に持ち込まれた援助物資の中には、この暑さで傷む物も増え、
いかに安全に保管保存できるかが問題と成ります。

いまだ多くの被災者を抱える各被災地では、一か所に多人数の人が

衣食住の全てを我慢し、苦しい生活を続けています。
各地で夏日を記録するようになって、寒暖の差が激しくなる避難施設で
抵抗力の弱いお年寄りや小さな子供達、更には、病に伏している方々は
より一層の注意が必要と成って来ます。

しかしながら、今回の地震は、全く先が読めません。

もう3週間に成ると言うのに、震度4以上の地震がたびたび起こっています。
この事は、従来の地震とは異なった、新たなる想定をしなければ対処できない
長きに渡る戦いを余儀なくされる可能性が出てきました。

従来の災害の様に、どんなに恐ろしい事態も、しばらくすれば収まると言った

いわゆる常識と想定では、図ることが出来ない事態を考えなければなりません。
災害列島である日本は、様々な天変地異を体験してきましたが、それとて、
歴史を紐解けば、ある程度の期間を過ぎると次第に収まり、ものと姿に戻り
人々も復興して行くと言うのが定説でした。

とは言うものの、近年の災害は、地球温暖化に伴う異常気象のみならず、

地球で起こる災害が、私達の予想を超える事態になっているのが気になります。
我が国においても、五年前の東日本大震災に於ける甚大な被害は、
地震の大きさはともかく、その後の津波で多くの被害をもたらし、更には
もっと予想もしなかった、原子力発電所のメルトダウンと言う、いつ止まるとも
知れない難題を抱え込む事に成ってしまったのです。

つまり、私達日本人は、私達の未来にも繋がる大きな問題を抱えながら

生きて行かなければならなくなったと言えるのです。
今回の大地震も、しばらくすれば収まると考える多くの日本人の予想を
遥かに超える長きに渡って続くかもしれないのです。

私達日本人には、様々な問題も災害も時が解決してくれると言った考えが

昔からありました。
そのため、一時的な応急処置を施せば、いずれ立ち直り、素の姿に成ると
安易に考えていたのかも知れません。
4年後には東京オリンピックが開催され、世の中の景気も次第に良くなって
人々の生活も豊かに成ると多くの政治家たちは想定しているかも知れません。

しかし、原発問題が遠い未来まで無くならない様に、私達の苦悩は、果てしなく

遠い先まで続いて行くかもしれないのです。
過去20年程の国内の災害で、多くの地域が悲惨な災害に見舞われました。
その都度復興事業活動により、被災地は、以前にも増して新しい街に変わったり
災害地とは思えない程の安全な街に変わって行きました。

でも、その街に住む人たちは、決して幸せになったのでは無い事を、

復興事業に関わった人たちは知りません。
この事は、東日本大震災で家を失い家族を失った人たちが、いまだに心が癒えず
新しい街にも馴染んでいない事からも解ります。

復興と言う正当性を持った言葉が、あたかも、被災者たちを救っている様に

思われている方々が多いですが、被災者たちの本当の気持に寄り添って
街づくりをしている方々がどれ程いるでしょう。
特に、ボランティアとして実際に被災者たちと共に街の再建に汗を流している
方々はともかく、縦割り行政の中で、上層部から命令をして、復興と言う青写真を
頭に描いている方々にとっては、なかなか被災者の心は理解できないのです。

人は、見た目に美しい、防災施設が整った街で済む事が本当に幸せとは

言えないのです。故郷の懐かしい街とは全く異なった、何処の街か解からない
多くのお金が動いたとしか言いようがない外部の人の感覚で作られた街に、
どれ程の愛着を感じるででょう。

人は、それぞれ様々な環境で生まれ、その価値観も千差万別です。

特に、大都会に住む人と、地方都市に住む人の感覚は、大きく異なって来ます。
それ故、様々な文化が生まれ、地方独特の魅力が生まれて来るのです。
災害に強い、綺麗で便利な生活が、果たして、本当に人々を幸せにするのでしょうか。

私達は、近代的で便利な生活を追い求めた結果、多くの自然を失い、

かつて無かったような様々な病に苦しみ、人と人の絆を弱くしてしまいました。
健康で仕事が出来る人だけが喜ぶ社会を誰が親しみを持つでしょうか。
例え、津波を防げるという大堤防であっても、生きている間、まるで刑務所の様に
環境を変えてしまう故郷に、どれだけの人々が親しみを持ち住んでみたいと
考えるでしょう。

人間は、一体何に喜び幸せを感じ、何を求めて生きて行くのかが解からないと

人々を助けると思った復興も、逆に人々の心を悩ませる事と成るのです。


日本列島の新たなる時代

2016-04-27 18:07:27 | 災害

季節の移り変わりは早いもので、ほんの少し前桜が散って、
いよいよ初夏に向けて、ツツジが咲き始めてきたと
思っていましたが、ここ数日、都内に至る所で咲いている

美しいツツジが、すでに満開の時期を過ぎ始めています。
外見的には美しいものの、カメラを向けようと覗き込むと
多くの花が、写真として写すにはすでに遅すぎたかのように
縮れて変色を始めています。
私達が気が付かないのか、春から夏へと、自然界は刻々と
その姿を変えています。

考えてみれば、この間、日本中が熊本大地震に釘付けでした。
多くの人々が住む家を失い、野や山も、至る所で傷跡が痛々しく
美しい自然に抱かれた大らかで実直な熊本の人々が、いつまでも続く
悲しみと不安に苦しんでいます。
熊本県民自慢の熊本城のみならず、昏々と沸き出でていた名水が枯れ
見るも無残な水前寺公園至っては、まるで人々の喉の渇きを見る様で
本当に痛々しい光景です。

所で、今や、日本中がこの大地震の行方に注目していますが、
この間も、日本各地で、様々な地震が相変わらず続いているのが
不気味と言うより恐ろしいです。
活断層の数は、専門家ですら解からないとの事、私達東京都民が
心配する直下型の大地震の予想すら不可能と言われます。
かつて、関東を襲った大地震と今回の地震の規模は変わらない強さであり
もし、同じような揺れが東京を襲ったら、この何倍何十倍、いやそれ以上の
甚大なる被害が予想されます。

私達の住む日本列島は、世界的に見ても、きわめて危険な地域であり
一国に4枚のプレートがひしめき合う場所は、世界でも珍しと言われます。
すなわち、私達は地球上でもっとも地殻変動の激しい所に
生活をしているのです。
この事は、今に始まった事ではなく、太古の昔から、日本は地球のエネルギーが
地上に吹き出る所に生まれいて、日本列島そのものが変化しつつある地球の
割れ目の上にあるとも言えるのです。

そんな日本列島に、安全な場所はあり得ないと言うのが地質学の常識です。
今まで、日本で起こった大きな地震の場所を描いていくと、日本列島が
全て塗りつぶされる事から見ても、明かな事実と言えるのです。
しかし、この事は、今に始まった事では無く、私達の生活は、大地が
大きく揺れて、大災害が発生する事を前提として生きて行く事が大切です。

問題は、かつては、大地震の発生間隔が大きく、例え遭遇したとしても、
人生で一度有るか無いかの状態だったのですが、近年になって、その間隔が
縮まり、しかも、同じところを何度も襲う傾向が増えて来た事です。
今回の熊本大地震も、巨大な揺れが二度に渡って襲来し、その後も
余震が頻繁に起こります。

私達人間の尺度と、地球の尺度は著しく違っています。

火山の噴火の歴史に於いても、数千年に一度と言ったものから、数万年
数十万年に一度の噴火と言うのも知られています。
しかし、我々の都合で、長いスパンで考えやすいのですが、
地球の歴史からすると、数年、数十年、更には、数百年も噴火し続けている
火山も多く存在しているのです。

つまり、地震とて、何年も続く可能性もあるのです。

東日本大震災以来、日本列島は新たなる時代に入ったと言われます。
地震の揺れが巨大であったため、日本中の火山に影響が有ったと言われます。
現に、震災以来、日本中の火山の活動が活発と成っています。
と成れば、地震の数も規模も大きくなると考えられます。

かつての、穏やかな日本の四季は、過去のものと考えなければならない

新たなる変動の時期に入っていると言っても過言ではないでしょう。
もしも地震が来たら、と言う考えから、絶対にやって来ると言う事を前提に
日頃から準備を怠らない様な生活が、これからの日本人の生き方として
考えて行かなければならないのかも知れません。