一人一人の自分から見た社会は、とてつもなく巨大であり
一人の人間には、到底太刀打ちできない様に思われます。
誰しも、自分を中心に世の中を眺め、その規模の大きさに
常に圧倒されてしまいます。
街を歩く数知れずの人達にも、自分と比べれば、はるかに強く
ややもするとその雰囲気にのみ込まれてしまいそうになります。
しかし、これは誰しも同じであり、それゆえ、人は一人では
とても弱く、誰かの力を借りて生きる術を学んできたのです。
一人ではできない事も、多くの人が集まれば、様々な考えが生まれ
協力し合って事に当たれば、想像だにしない大事業を成し得るのです。
所が、この自己と他者の関係が上手く行かないのが現代人の特性です。
余りにも文明が進歩し、人類が生み出した様々な社会システムが
本当は、人間が動かしているのに、人間が動かされている様に
思ってしまうのです。
巨大都市も巨大工場も、私達人間が動かしているはずなのに、
感覚的には、それらの目に映る巨大な力が、私達を動かし、
私達の生活をも決めているかのように錯覚してしまいます。
人は、人として成長し生きて行かなければなりません。
つまり、人の中で人間性を豊かに成長させ、人との関わり合いで
自らの人生を歩んで行く様に太古の昔から生きて来たのです。
しかしながら、現代人は、自らの成長の証を、経済的な豊かさや
地位、名誉と言った、社会的な価値に求めてしまったのです。
他人に対する価値観も、その人の人間性に感じるのではなく、
その環境や社会的地位、財産に置き換えて判断する傾向が有るのです。
その為、より、社会的に認められる地位や財産と言った、自分自身とは
全く関係のない、成長の過程の副産物に目標を定めたことから
多くの人々の苦悩が生まれたのです。
メディアが示す人間の価値が、視覚的社会的豊かさで示される事も有り
子供の頃から、豊かと思える人の地位や財産を目指す事が、
人として幸せへの道と教えられる様に成ってしまったのです。
しかし、この、外見的な豊かさは、社会が作り出したものであり、
個人の人間としての豊かさを決める物ではないのです。
その為、人の心が読めなかったり、一方的な考えで人を傷つける事に
何の罪悪感もない、殺伐とした心の人間が増えているのです。
私達は、昔から、人としての心を基準に物事を考える様に教育され
お互いに相手の気持ちを考え、協力し合って生きることを人生の目的
として育ってきました。
所が、人生の目的や心の持ち方が、経済的外見的な部分に代わった事で
人として関われない人たちが非常に増えてしまったのです。
当然、常識を伝えても理解されることは無く、人として対等のやり取りが
全く出来ない、好き嫌い、欲しい要らないといった、単純な感覚で
物事を判断してしまう人が多いのです。
特に、人間的な教育を受けずして、人の上に立つことを常に教えられた
自分の欲望の為にだけ学生生活を送った方々は、例え、社会的に高い地位や
リーダーとしてのポジションを得たとしても、多くの人々の気持ちを
理解する事は出来ません。
しかし、今や、日本社会を動かしている方々に、この手のタイプの人が
実に多いのです。
私欲の為に、高い地位に居たり、人々から多くの資産を搾取したり
地位を利用して、膨大なる利益を得たりと、とても多くの国民を
幸せな未来にリードしているとは思えません。
人間の価値観が人間以外に変わった時、人々の苦労が始まります。
利益を得るための過剰労働を強いるブラック企業は、正に
人間を使い捨ての物扱いをする典型と言えます。
今や、日本社会は、より上位に位置する人々が、利益を吸い上げ
まるでピラミッドの様に、最上位の人達が、膨大なる資産を得て
国民を踏みつけている様な生活をしていると言えます。
ほんの数十社の大企業の収益は、日本中の一般企業の収益の
半分以上となります。
つまり、殆どの人達は、より上の人達の為に働き、常に、豊かな
生活を鼻面にぶら下げられて必死に生きているのです。
自分自身の心も生活も癒せない多くの庶民がいる日本を、誰が
近代文明国家と言えるでしょう。
優しい笑顔の裏に、苦しみや悲しみを背負っている日本人が
どれ程多い事か、外見でしか判断できない時のリーダーたちは
決して庶民を幸せには出来ないのです。
しかし、悲しいのは、そういった豊かな生活をしている人に
実は、心が満たされず、相変わらず利益ばかり考えている人が
いる事です。
巨大企業のトップに居ても、社会的な部分を取り除けば、
誰も、自分の心の奥を癒してくれないで、悩んでいる方もいます。
歴代のアメリカ大統領の中にも、最終判断を、自分ではなく
親しい占い師に託していた人もあり、大統領と言えど、誰も
心から信頼できないでいる経済主義社会は、如何に人間にとって
不幸な社会とも言えるのです。
人々の心の弱さは、世界中の多くの人が、何だかの宗教に心を寄せ
自らの気持ちを律している事からも解ります。
どんなに文明が進化しても、太古から伝わる宗教から逃れられないのは
そこにしか心の癒しを求められない人類の不幸があるのです。
私達の生活は、如何に自らの心が幸せで癒されるかに有ります。
幸せになる為に、生活を工夫し、便利で豊かな文明を築きあげて来た
と思われるのですが、じっさいは、心を癒す為と言うより、外見的に
豊かと思われる生活を選んだことから、様々なトラブルが生まれ、
争いが生じているのです。
日本の社会が、これ程にも閉塞感が有ると感じるのは、本来、人として
在るべき道を求めている人たちの悩みでもあるのです。
しかし、物欲を満たす事を幸せとしている人たちにとっては、
対人関係は、自分の欲望を満たすための手段であり、勝ち得た利益が
最大の目標となっています。
その為、その思いを達成できた一部の人は幸せと感じ、その思いを
より高めるために更なる経済成長を目論んでいるのです。
しかしながら、日本に於いて、その進歩によって得られた膨大な資産が
一向に庶民に回らず、ただ、より経済的に豊かな生活を求める様な
社会構造が主流となっているのが問題です。
どんなに頑張っても豊かになれない庶民、浪費し、骨の髄まで資産を
国に吸い上げられる国民が、どれ程苦しんでいるか、生まれた時から
坊ちゃんお嬢ちゃんで育って来たリーダー達には、全く解らないのです。
自分一人で生活するだけでも大変な為、結婚する事すら踏み切れない、
更には、結婚して子供が出来ても、教育する為の余裕が無く、
人生で一番素晴らしい家族の成長を感じられない国民がどれ程居るか
資料の数字を見て答弁している政治家は、そんな国民の苦しみは
爪の垢ほども感じていないのです。
明治以来、資本主義経済の中、この体制は変わらず続いてきたのですが、
国民の多くが十分な教育もされず、社会の在り方も解らない頃はまだしも、
誰が政治家になっても大丈夫なほど教育が行き届いた現代に於いてすら
多くの人々が、その身勝手な政策に怒り心頭に達していようと、平然と
胡坐をかいている事実は、日本国民の代表とは到底考えられません。
本当に、日本が、トップクラスの先進国と言われるためには、ただ
海外の産業や国政を真似するだけでなく、本当に国民が欲している
独自の日本を創り上げる事が大切です。
いつまでも真似をして、大国の傘の下で、自分達の私欲ばかりを追いかける
そんな日本を誰が望むでしょう。
国が豊かになると言う事は、国民の心が癒される豊かさがある国に
なる事です。
一部の人の莫大なる収益をもって、経済大国と自慢している様では、
虎の威を借りる狐のような、後ろ指をさされる国になってしまいます。
かつて、エコノミックアニマルと言われ、先進国の真似をして発展したと
諸外国から言われたものです。
戦後、何もなかった所から、先進国のあらゆる物を取り入れる事で
急速な進歩を遂げましたが、この進歩はあくまで経済的なものでした。
日本の自然も、国民も、この経済発展で大きな犠牲を払いました。
その負の遺産はいまだ解消されず、経済優先の社会が、日本国民を
どれ程苦しませているかを今のリーダーたちは知りません。
いえ、知らないと言うより、この高度成長で膨大な利益を得た人たちが
いまだ主導権を取っているのですから、考えもしないのです。
高度成長で一部の人は潤ったかもしれません。
しかし、美しい日本の自然はことごとく破壊され、海も山も汚染されました。
そして、心豊かな優しい日本国民は、公害や数多くの食品添加物で健康を
害されるだけでなく、更なる、高度成長の歯車となって働いています。
今や、国民の心は、震えるほどに怒っているのです。
しかし、優しい国民性は、その怒りを面に出さず、ただ笑みを浮かべます。
近隣諸国であったなら、何度もクーデターが起こっても不思議ではなのです。
そして、数年後、東京オリンピックが開催されます。
ここでも、私達国民は、怒りを押し隠し、お・も・て・な・し、と
作り笑いをしなければならないのでしょうか。