めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

大切な親離れ子離れ

2015-05-30 16:05:06 | 家族

娘が、今月いっぱいで今働いている会社を辞め、新たに
自分で事業を始めると言います。
契約上、就業期間が決まっていて、そろそろ退社しなければならず
そのタイミングを計っていた様で、住んでいた所も引き払い
今日明日にも新しい住居に引っ越しです。

そんな訳で、明日は、引っ越しの手伝いに妻が出かけます。

引っ越し仕事は大変なので、私もと手を差し伸べたのですが、
残念ながら見事に拒否られてしまいました。
私が嫌いという訳でもないのですが、年ごろの娘にとっての父親は
単に、ウザイという事の様です。

妻が、久し振りに田舎に帰って、兄弟や姪っ子たちに再開しました。

かつて小さかった子供達も、今では、中学高校と進学し、新たに
新しい命を預かった子もいました。

中でも、大学に進学を考えている姪っ子からは、沢山の相談があり

その内容は、いかに田舎から遠くの大学に通うかという事でした。
親として見れば、子供は目の届くところに置いておきたいと思うもので、
最近の家庭は、親子関係が友達関係の様にフランクになっています。

しかしながら、楽しくやっている様でも、心の中はそうでもない事が有り、

親が嫌いという訳ではなく、親の監視の届かないところで住んでみたい、
というのが有るようです。
私の仕事相手の女性も、社会人になって6年になりますが、同じように
親元からいかに離れるかと言う問題が付きまとっている様です。

傍から見ても、素晴らしく中の良い家族であり、両親からの愛情を

一杯受けて、何不自由なく生活していますが、それでも、同じような
不満を持っています。
親心として、子供の為になんでもやってあげようと思うのはごく普通であり、
家族の在り方としては、昔と変わらないと思いますが、
最近は、、フレンドリーな家族になるにつれ、余計子供達は息苦しく
その愛情を苦痛と感じている場合もあるようです。


最近では、子離れをしない親が増えている事で、親の理想の子供になるよう

いつも監視されているようなプレッシャーが子供に与えらえている様です。
子供達は、はた目良くできたしっかりとした子供が多い様に見えますが、
その行動態度が親に対する表面的なものであったら、子供のみならず
親にとってもあまり良い事では有りません。

可愛い子には旅をさせろ、と言う諺は、現代にも通用します。

この事は、動物の社会では当たり前のことで、成長して大人の姿になると
嫌でも家族から追い出されます。
この事は、どちらにとっても大切な事で、本当に立派な大人に成るには
親離れ子離れはとても大切な愛情表現と言えるのです。


桜島、口永良部島と、故郷は燃えています!

2015-05-29 16:19:28 | 大自然

一週間ぶりに妻が帰京しました。
故郷に帰っている間、私と息子は、男やもめの様に
日頃妻が行ってきた家事を分担し、朝から慣れない
掃除、洗濯、食事と振り回されました。

二日ほどは、半分面白さもあって、大変と言うより
キャンプをしている様で、結構楽しんでいました。
しかしながら、次第に飽きてきて、最初は、食事も
何品か多く作っていたものが、次第にインスタント物になり
先日辺りは、コンビニの料理や外食が主流となっていました。

家族の持ち分と言うのは有りますが、妻の仕事は楽に見え
当たり前に毎日やっている様に思ってしまいますが、いざ
自分が代わって行うと、大変なのを身を持って感じました。

とはいうものの、家族が揃うと、ホトッとするものです。
多少暑苦しいのですが、言いたいことが言える間柄は
精神衛生上、心身共に非常に健全で有る様に思えます。

妻が故郷に帰る数日前まで、火山活動が活発だった桜島が
滞在中は殆ど噴火が見れれず、今年に入ってから見ても
非常に静かな一週間だったようです。
その為、市内の至る所に出向いても、火山灰に苦しめられず
本当に楽しい帰省だったようです。

しかしながら、帰って来ると、早速噴火活動が活発になり、
しかも、少し南下した洋上にある、口永良部島が大噴火しました。
最近は、桜島が非常に活発化していますが、沖縄までの
海上に浮かぶ火山島の多くも昔から、多くの活動を続けています。

中にはサンゴ礁が隆起してできた与論島の様な島も有りますが、
多くが海底火山の爆発と隆起で出来上がっています。
その為、この海域の島々は、火山島であることが珍しくなく、
学生の頃、休みを利用して訪れる島々の形体は、まるで
地球創世記の様な海上に突き出た火山が幾つも有ります。
とは言え、この海域の海は美しく、溶岩が造ったダイビングスポットは
他では見られない多くの美しい海洋生物で溢れています。

つい先日、東京にも身構えてしまう程の地震が有りました。
3.11以来確実に日本列島は動き始めたようです。
私達の力で災害を防ぐことは難しいかもしれませんが、
いつ、どこで見舞われても、怪我をせず生き抜けるように
心構えだけは忘れない様にしていきたいものです。


未来はすべての人に平等

2015-05-27 16:57:09 | 人生

人生半ばと言う言葉が有ります。
半ばとは、前半が終わって、これから後半に向かうと
思いがちです。
しかしながら、前半はともかく、後半が同じような時間が
有ると思うのは、私達の勝手な思いに過ぎません。

一寸先は闇、と言う言葉が有ります。

そう、誰にとっても、未来は解りません。
今まで以上に長い人生を送るかも知れませんが、
突然交通事故に遭って、人生が終わるかもしれません。
つまり、私達が生きてると言うのは自覚できても
その先はすべて何が起こるかわからないのが現実です。

想がつかない新しい時間を過ごして行った結果が、
振り返る人生であるのです。
私達は、とかく、自分の過去を悔い、あの時あの場面で
あああれば、こうあれば、と自分を責めがちです。
この事は、未来が解からない故、過去を基準にしてしまい、
反省ばかりが浮かぶのです。

しかし、忘れてはいけません。これからの未来が過去になり

自分の人生となって行くのです。
そう、死ぬまで、自分の人生は変えられるのです。
未来は誰にも平等に有ります。生きている限り道が有るのです。
その道をどこに向かい何をするかは、全てあなたに委ねられ
しかも、あなたの歩み方に周囲が変わって行くのです。

私達は、様々な事にほんろうされ、思いもしない人生を歩み

後悔を重ねて行く様に思えますが、この事は、全てあなたが
決めて進んだ生き様なのです。
自分で決めて進んだのです。
後悔と言うのは、その歩みの選択を後で悔やんだに過ぎず、
生きてきたという事は、全てあなたにとって正しかったのです。
自分の選んだ道を進んできたから、今が有るのです。

過去は変えられません。

でも、未来はあなたのものです。
不安で、どうしたらいいか解からないかもしれません。
でも、あなたの選択した道は、あなたにとっては正しいのです。
人生の後半と言うより、いつも、これからがあなたの人生です。
新しい人生に、勇気を持って飛び込みましょう。


明治維新の様な新しい流れに戸惑う

2015-05-26 19:44:57 | ネット社会

インターネットが世界中に普及し、私達の生活は
大きく変貌してきました。
家庭や仕事場ででデスクトップに顔を向けていた
初期のころから、今では、誰もが持ち運ぶスマホや
小型タブレットの時代となりました。

大人から子供まで、自分から世界に発信が出来たり、

世界中から情報を得たりすることが容易となりました。
確かに便利で、機能的な社会に成ってきたのですが、
いまだに多くの高年齢世代にとっては、中々馴染めません。

ネットを利用する生活が難しいと言うのではなく、

本能的に、自分たちが生きて来た世代と異質な物を
感じているのです。
生まれた時からそんな新しい波の中で育った若い世代は
何のためらいも無く、ストレートにその機能に順応しています。
しかし、この事が、日常的には、大きな変化となって
アナログの世代に大きなプレッシャーとなっているのです。

今までの日本人の感覚と大きく変わってきた、ネット社会の

子供達は、全ての基準が自分のネット情報から由来しています。
衣食住、仕事、友達、遊びと、生活のほとんどが、、ネットを
基準とした生き方となりつつあるのです。

その為、日常の生活も、自分の世界を守るために、

お互いに深くかかわらず、また深く関係しない、極めて
表面的な付き合いとなりがちです。
そんな中に、中々個人的な感情は育ちません。
今の子供達が、意外と対人関係に弱いのがうかがえます。
判断基準が、情報基準となると、自分の意思表示が苦手となり、
ネットの情報に簡単に感化されがちです。

かつてテレビが全盛だった頃、人々の話題の中心は

テレビから流される情報に左右されました。
家族がテレビの普及と共に核家族化し、テレビが中心となることで
大人と子供、家族同士の会話が少なくなったものでした。

現在のネットの普及は、スマホなどの先端機器の進歩により

増々人々の孤立化を高めたと言えます。
かつて、携帯電話が普及してきたとき、家族同士で家の中でも
携帯を通してしか話さない子供が増えた事を嘆いたニュースを
思い出します。

しかし、今や、家族どころか、若者たちは、世界の中で孤立し、

個人の中から外に発信受診をするという、究極のオタクに
なっているのです。

私達の懸念は、負け犬の遠吠えの様に思えるかも知れませんが、

最近の風潮は、日本人の太古から培われた人と人の和を無くし、
人々の絆を無くしていく様で、何故かこの進歩を寂しく思えるのは
私だけでしょうか。


一億総オタク化に物申す!

2015-05-26 13:01:14 | ネット社会

先日、テレビを見ていると、世界の国々の中で、国民が
幸福と感じられるランキングが発表されていましたが、
案の定、北欧の先進国が上位を占めていました。
日本も、世界中の多くの国からすると、そこそこ豊かで
過ごしやすいと感じる人々が多いです。

この事は、国の経済が発展して、国民の生活レベルが

上昇した様にも思えますが、幸福感のパーセンテージは
6割ほどであり、4割の人々が幸福では無いと答えています。
しかも、所得格差と、生活格差は年々酷くなり、豊かな生活を
体感できない人々が増えているのも問題です。

中でも、先進国に共通の傾向は、福祉の充実が目立ちます。

日本とて、教育、医療の充実は著しいものが有り、国民として
高度な教育と医療を受けられる国として世界でも上位と言えます。

つまり、国からの福祉政策は着々とハードの面では進んでいて

街を歩けば、高齢者や健康弱者に対する施設が増えています。
この事により、お年寄りが街に出ると、様々な施設が利用でき、
公共機関も弱者に対する配慮が感じられます。

しかしながら、最近感じられることは、お年寄り等の様に、社会の

施設をスムーズに利用できない健康弱者と、一般の方々の間に
以前にも増して溝が出来ている様に思えてなりません。

特に若い人たちの対応は、一段と悪くなっている様に思えます。

何か、年寄りの為の設備は年寄りが利用する物であり、自分達とは
全く関係の無い、意識の中には存在しない設備の様に思っています。

例えば、優先席と言うのは誰でも座れるのですが、その意味が

理解できていないのか、優先的に座れる様に思い、周囲に高齢者が
立っていても、一向に無視した状態が目立ちます。

もちろん、一部の人の行いと思いますが、年寄りに席を譲るのも

高齢者であることが珍しく無くなっています。
しかも、最近はスマホの普及で、誰もが、自分の世界に入ってしまい、
頭の中は、周囲を完全に遮断している事が多いです。

中には、気を利かして席を譲る若者もいますが、そのことに感謝の

言葉を述べる年寄りを無視して仏頂面でスマホの画面を見続けるのは
譲ってもらった方もあまり気分は良くありません。

ネットの発達で、様々な楽しい情報が瞬時に手に入り、公共機関の中でも

自分の中に浸れる楽しさは有ると思いますが、完全に個人の世界を
公共の場に持ち込むのは考え物です。

インターネットが普及し始めた当初は、その便利さや機能性に驚き

誰もが新しい情報手段の方法として利用したものですが、ネットが
生まれた時から普及している世代は、利用と言うより、自分の生活
そのものとして、自分自信の心の拠り所となっています。

その為、自分が現実で生きている世界が架空の世界のようになり、

全ての判断基準がネットを中心に回っているかのようです。
そんな中、この世は仮の住まいの様に感じ、周囲で起こる様々な事に
次第に反応しなくなっている様にも思えます。

かつてテレビが普及し始めて、日本中の家庭がテレビが中心の生活となり

一億総白雉化と言われた時代がありまたが、いまや、スマホの普及により
一億総オタク化とも言える時代となりました。

かつては、テレビと言う巨大なメディアに誰もが囚われてしまったのですが、

オタクと言うのは、完全に周囲と孤立し、自分の趣味嗜好の世界に入り
周囲を遮断してしまいます。
この事は、かつては一部の人に言えたことでしたが、今では、多くの人々が
その傾向にあります。

幸せな国のアンケートの中に、人々の強いつながりが見て取れます。

北欧諸国の人々の幸福感には、周囲の人々のお互いの強い繋がりと
それを保証する国家の支えが有ります。

我が国は一体何処に向かっているのでしょう。

究極の個人主義?
不況の中でも、多くの巨大な繋がりを持つ大企業は増々富をまし、
繋がりを持てない多くの中小企業は、増々寂れて行く。
人の心も、次第に孤立し、家族の絆すら怪しくなっていく日本の現状に
強い不安感を抱かざるを得ません。