めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

大統領の演説の陰に軍事産業の存在

2016-05-28 14:35:18 | 平和

71年前、突然の閃光の下、一瞬に多くの人々の命が奪われ
その後、現代にいたるまで、沢山の人々の心と身体を傷つけ
苦しめて来た事実が、決して過去の物でなく、これからも、また
地球のどこかで起こる可能性に、世界の人々の不安は隠せません。

たった二発の原爆でありながら、これ程にも、世代を超えて、
多くの人々を苦しめている事実を、いかに広く世界中の人々に伝え
二度とこの惨事を起こさせない様にすることが、地球に生きる
私達人類の使命と言えます。

しかしながら、今、世界中に存在する核兵器は、地球を何十回も破壊し、
生物を根絶するほどの量と言われます。
核兵器の廃絶、軍縮を叫んでも、現に、多くの国々や地域が日夜戦い
その背後に核兵器を所有する大国の陰が見え隠れしているのが
現実でもあります。

いくら核廃絶を叫んでも、人間は、自らの欲を満たす為、その悪魔の
兵器を取り除く事は有りません。
危険な物を廃絶すると言うより、御互いに危害を加えられない様に
武器を持ってけん制をする事が平和への道と成っているのが
私達人類の不幸と言っても良いでしょう。

御互いの信頼関係の元に、助け合って人類は進歩してきました。
しかし、その反面、より利益を得る為に、他の者を排除すると言う
争いの歴史を重ねて来ました。
これまで、私達の過去に於いて、争いが無かった事は有ったでしょうか。
世界のどこかで必ず争いが有り、国の中で、同胞同士の悲しい争いも
無くなる事は有りません。

しかし、何故、人は争わないと生きていけないのでしょうか。
争う事で何かを得ると言うより、悲しい辛い歴史を刻むだけなのに。
世界の多くの人々は平和を求めているはずです。
この気持ちは、いつの時代も変わらないと思われます。
それなのに、争いは無くならず、常に新たなる争いが生まれています。

平和は、戦争の合間と言う人がいます。
それ程にも人々は争いの中で生きているのでしょうか。
かつては、自分たちの生活を守る為、より豊かな土地を得る為、
有史以来人々は戦いを繰り返してきました。

でも、この争いは、争いの後、勝者も敗者も平和を得られる争いでした。

多くの国々の形が書き換えられ、様々な国々が生まれ消えて行きました。
この事は、殆どの場合、領土確保と食料確保が目的でした。
しかし、現代の戦争は、単に、陣取り合戦ではなく、戦争そのものが
国の産業を育成し、戦う事に因り、より多くの外貨を稼ぐことが
目的と成っています。

軍事力を削減しようにも、強大な軍事産業の存在を否定する事は

国家の財源を削減する事ともなるのです。
戦いに使われる武器は、例え原爆であっても、市場製品と言えます。
殺りく兵器が売られ、国を支えているのです。

しかも、軍事兵器ほど商業価値のあるものは無いのです。

そのため、世界の政治家も、自国の軍事産業を否定する事は
自分自身の政治生命ににも関わる事なのです。
日本に於いても、明治以降の海外との戦いで、多くの収益を上げたのが
今の日本を支えている大企業で有る事は誰もが知るところです。

平和日本を叫ぶ私達の国を支えてきたのが、他ならぬ軍事産業で

資本を増した大企業でもあるのです。
世界の国々は、戦争の悲惨さ、人々の苦しみには目を向けるのですが、
それを支える、世界の巨大な軍事産業には目を向けません。
言え、向けないと言うより、向けない様にメディアが統制されているのです。

公平を期すべきマスコミであっても、彼らを支えるのは、軍事産業に加担し

巨大化した企業がとても多いのです。
私達の生活は、平和であることを願いながら、戦争を糧とする企業によって
営まれているという、世界的事実によって成り立っているのです。

表向きは、世界の正義を唱えつつも、あらゆる情報が、国を動かしている

多くの大企業によって操られ、更には、戦争と成れば、その戦争を糧とする
企業が懐を肥やしていくのです。
つまり、戦争放棄、核廃絶、軍縮を叫ぶ場を与えられていても、現実では、
戦争もまた商売とする人々の手の内で踊らされていると言っても良いのです。

現職では初めての大統領訪問に、世界中が注目し、日本人のみならず、

世界の人々が彼の動向に注目しました。
原爆投下の地へ足を踏み入れた初めての米国大統領としての意義は
非常に大きいものでは有りますが、平和の弁舌は素晴らしいものの、
彼の米国内での存在の陰には、巨大な軍事産業が控えていることを
どれだけの人が知っているでしょう。

彼は、ノーベル平和賞も受賞し、世界で最も平和な世界を語れる人として

知られるようになりました。
しかし、それはあくまで表向きの顔であり、彼の演説をみても解るように
軍事産業を無くすような事は決して盛られていないのです。

世界中の君主が、表向きの平和を唱えるも、その誰もが、自分を支える

死の商人の仲間たちが存在しているのです。
もし、自国の死の商人を否定する事は、自分の政治生命を否定する事と成り、
平和の顔を見せる事すらできなくなるのです。

そんな中、今回の米国大統領の広島訪問は、彼の出来る最大限の

リップサービスと言えます。
しかしながら、世界の多くの国の首脳陣が集まり、平和に関して話せる事、
そして、その姿を世界に示す事は、私達の未来に対して、希望を持つ事となり
少しでも長く平和な日々が続く糸口と成るのです。

もし、本当に世界平和が訪れるとしたら、世界から軍事兵器が無くなり、

核兵器が廃絶されることに他なりません。
この事は、つまり、世界から軍事産業が無くなると言う事です。
しかし、この膨大な収益が得られる軍事産業が無くなることは、
世界が平和に成るよりも難しいのです。

より殺傷力のある兵器をいかに持ち、周囲をけん制する事しか

平和への道が選べない人類は、やはり、地球にとって最悪の生物と
言えるのかもしれません。
地球に本当の平和が訪れる時、それは、人類が死滅し、軍事産業が
無くなる日なのかも知れません。


幸せな朝を迎えて

2015-11-28 15:14:13 | 平和

寒さの所為か、朝少し遅く起きると、窓の外に青い空が広がって
久し振りのいい天気です。
ここ数日、目が覚めると、まだ夜中なのかと思わせる程暗く
お天気の悪さに、朝から多少テンションが落ち気味でしたが、
今日は、窓を開けると、青い空と共に、少し冷たいものの
気持のいい風が心良い目覚めに導いてくれました。

家族はまだ夢の中、そっと玄関のドアを閉めると、
眩しい朝日が差し込む遊歩道に足を進めました。
朝の光を背中に浴びながら、川の上流に向かって歩きます。
斜めの光が、赤く紅葉した桜の葉に反射して、キラキラと輝き
青空をバックに揺れています。

師走を前にして、目黒河畔の景色も、一段と冬色を増しています。
勢いよくすれ違う若者の口元が白く光ります。
しっかりと着込んだ高齢者も、足早に朝に光の中に消えて行きます。
澄んだ朝の空気と、斜めに差し込む光の中で、人も自然も生き生きと
活動している事を感じます。

この時期になると、並木の桜も、次第に衣を脱ぎ捨て、真っ黒の枝に変わり
常緑樹を除いて、多くの植物が冬模様となって行きます。
しかしながら、今年は、まだ、耐えられない様な寒さでは有りません。
北海道や東北は、早くも雪模様が見られますが、東京は、未だ色が消えず
晩秋を彩る植物が私達の目を楽しませてくれます。

一時間ほど歩いて、少し高くなった陽の光を浴びながら、家までたどり着くと
すでに妻が朝食の準備をしていました。
そんなに頑張って歩いたのではないのですが、下着はしっかりと汗ばみ
少し息が荒くなっています。
テーブルの上に置かれた味噌汁から白い湯気がふわりと舞い上がり
食べる前から美味しさが伝わって来ます。

何の事も無い、早朝からのいつもの我が家ですが、これこそ幸せと言えるでしょう。
今や世界中がキナ臭くなり、例え日本とて例外では有りません。
何十年と続いてきた、私達の何でもない朝が、これからも続く事を
願わずにはいられません。

               晩秋の色模様

                 

朝日に輝くススキの穂      色づくミズキ     鮮やかな山茶花  

 

                 

黄色く熟した             朝陽に輝く桜        紅葉した桜葉
カリンの実