めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

便利なネットは、恐ろしい網かもしれない

2016-12-27 18:56:55 | 東京

人の出会いと分かれは、人生に於いて
様々な道を教えてくれます。
今日が無事、いつもの様に終われば、
明日も同じように続いて行くと思い、
自分の未来に関して、日頃深く考える事は
少ないものです。

入学卒業就職と言った、社会的な節目は、
誰にでも予想が立ち、たとてドラマティックな
出来事であったしても、新たなる道への明るい
スタートとして考えられるため、心のダメージや
不安はないものです。

しかし、突如として起こる人との別れは、
それまで多くの関わり合いを持っているゆえに、
例えそれが仕方のない事としても、心の中が
納得するまで、息苦しさが残るものです。

出会いは、それまでの考え方生き方に
多くの選択が生まれ、自分の生き方に
何だかの影響を与える相手を受け入れる事です。
その為、それまで考えられなかった生き方や
考え方が新たに生まれ、新たなる人格形成に
大きな影響を与えます。

現代社会は、ネットの発展と共に、世の中が
非常に便利となり、世界中の殆どの物が
手に入る時代となりました。
画面の商品をクリックすれば、思いのままに
欲しいものが手に入れられます。
その為、居ながらにして欲求を満たすことが出来
社会は経済優先を個人の生活から生み出すことが
容易となったのです。

この事は、自分が欲する物を、途中に人を介せず
直接生産者や所有者から手に入れられ、究極の
個人主義を達成できる事でもあるのです。

しかし、この便利な社会は、一見理想的とも思える
未来社会を予想させそうですが、人が生きていくうえで
周囲の人々と関わらないと言う事は、ネットによる
便利な社会、つまり、コンピューターを中心とした
コンピューターに管理される生活となるのです。
あらゆる無駄をなくした、究極の便利社会は、果たして
私たち人類にとって夢なのでしょうか。

自分の考えすら最も優れた考えに置き換えられ、
常に与えられた模範解答の下に生きて行く事は
非常に恐ろしい事です。

多くの現代人は、このネット社会は、人間にとって
非常に都合の良い様に作られていくと考えがちですが、
その便利機能を発揮するネット自体が、私達に変わって
世界を動かしていく可能性はないのでしょうか。

いわゆる、人類の知能を遥かに超えた、人工頭脳が
支配する社会です。
私達人類は、何を行っても、必ず、何だかのミスを発し
失敗する事で様々な教訓を学び、文化を発展させて来ました。

しかし、人工頭脳は、ミスをせず、失敗をしないとしたら。
私たち人類の未完成な発展は、人工頭脳に、どの様に
判断されるのでしょうか。
映画の世界の様に、出来損ないの人類は抹殺されるのでしょうか。

そんなことは有り得ないと言うのが大方の考えでしょうが、
人類の歴史を見ても、想像し得ない事が実現してきているのです。
人は、未熟であり、何事においても失敗をするのが常です。
そんな時、誰かと考えを分かち合ったり、多くの人の意見を
持ち寄ったりしながら、より素晴らしい考えを生み出し、
人類の発展に寄与してきたのです。
この、様々な事を考え、試し、熟考しながら成長してきたのが
人類の証でもあるのです。

人生に於いて、最も相応しい選択を得られる方法が、多くの人と
関わり合って生きる事です。
お互いに未熟な部分、足りない部分を補い合いながら、
学びながら成長してきたのです。
それ故、別れは辛く悲しいのです。

コンピューターの考えとして、削除には感情はなく、

常に優れてると思われるものしか選択しません。
しかし、人間は、様々な判断を、その都度、お互いの心を知り
考えを確認しながら決めて来たのです。
人との別れを辛いと思う事に依って、人間としての成長を
確実なものとしてきたのです。

世界中を網羅するネットの勢いは、人類の英知を超えてしまう程の

スピードと正確さです。
いずれ、世界の情報は全て、ネットに組み込まれ、ネット自体が
一番的確な判断をした時、私たち人類は、地球との別れを強いられ
恐竜の世界が絶滅したように、この地上から消えるのかもしれません。

世の中のあらゆるものが便利になり、人と人の関係が薄れるにつれ

ネットに依る管理は益々強くなって行くと思われます。
それを、単に、便利で片づけて利用している時のリーダーたちは
やがて、ネット社会に捨てられる可能性すらあるのです。
人との別れを悲しむ人がいるうちは良いのですが、
自分の身の回りの人がどうなろうと関与しない人が増えて来るにつれ
いつの間にか、目に見えない力で私たちは管理されているのではと
人類の将来が、非常に不安で恐ろしく思えてしまいます。

 


日本の故郷が消えて行く

2016-12-27 13:44:59 | 日本

今年は、久し振りに会った大学時代の友達と
新宿で飲みながら、懐かしいあの頃を語り合いました。
彼は、長い教員生活を高校の校長先生と言う大役で終え
次なる人生へと夢を語っていましたが、いつも話に出る
故郷の自然の素晴らしさは、故郷を愛する気持ちがにじみ出て
私の生まれた地との違いにいつもながら羨ましく思いました。
大きな災害に合うことなく、海の幸山の幸に恵まれ、中でも
故郷の水は地下水を利用した水道水で、日本一美味いと
胸を張っていました。

そんな彼と楽しい酒を飲んだ後、一か月も経たずして、
突然、ニュースに思いがけない文字が並びました。
熊本大震災、それは、まさに、寝耳に水と言った感じで、
その画面に次々に現れる現地の震度、更に災害状況が
まるで夢を見ている様でした。

熊本は、九州でも割と地殻が安定していて、親友も、
地震だけは無いからね、といつも言っていました。
阿蘇山からエネルギーが放出されているから大丈夫と
学生の頃から言っていたものです。
しかし、現実は、地質学者も懸念していた断層が
幾つも重なっていて、彼の住む町も、その上に有りました。

幸い、家族や周囲でけがをした人は居なかった様なのですが、
住んでいたマンションのダメージは大きく、今後住み続け
られるか心配とのことでした。

大災害は、人々の人生をあっと言う間に変えてしまいます。
私の故郷も、伊勢湾台風以前は、素晴らしい水郷の街であり
街を流れる川は清く美しく、自然溢れる土地でした。
しかし、台風が去った後は、多くの人命が失われ、自然は
ことごとく破壊され、その後は、高いコンクリートの壁に
大きく囲まれた、土地改良を施された、何処にでもある
新興住宅地の様に成ってしまいました。

人は、生まれた地に生きることで、様々な環境からの影響を受け
その時の思いが、一生心に残って行くものです。
その為、例え故郷を去っても、戻ってくれば、同じ懐かしさを
感じられ、心は、遠いあの頃にフィードバックします。
しかし、災害で、街の様子が一変すると、途端に、心に大きな
言いようのない空しい穴が開いてしまい、まるで、自分の
ルーツを失ったかの様な寂しさを覚えます。


今や、日本中で毎年、様々な災害が頻発し、多くの人々が
家を追われ街を追われ、更には、故郷を失っています。
一時的とはいえ、他の地に住む事は、非常に心苦しく
その地に馴染むだけで大きなストレスを抱えてしまいます。
増して、最近ニュースに上る、イジメやシカトは、さらなる
心の苦しみを与え、被災者たちの未来をも閉ざしてしまいます。

しかしながら、故郷を離れても、いつか帰った時、あの時のままの
美しく優しい故郷が迎えて暮れたら、多くの苦しみも癒され
その後の、人生を心豊かに過ごせるものです。
所が、災害が起こった後の救済、更には復興計画は、余りにも
その土地の人々や自然の事を考えず、一方的な押し売りの様な
ただ、お金をかける事に重きを置いたものが多く、出来上がった街は
かつての故郷とは程遠い、その地に住んだことのない人の、勝手な
構想に基づいた、本当につまらない街と成っている事が多いです。


これまでの日本経済の有り方と同じく、経済的な観点からしか
日本の未来を考えられない人々が作る街は、単なるほかの土地の街の
コピーに過ぎず、その地に住む人々の心に根差した街とは言い難く
長い間借家住まいしていた被災者が、さらなる借家に住むと言う事に
政治家も計画をした方々も考えが及んでいないのが現状です。

親友の故郷も、地震後、日本中からの支援や政府からの援助により
着々と新たなる復興計画を推進している様です。
確かに、被災者たちだけの力で復興する事は不可能かと思えますが、
出来上がった街が、かつての人のぬくもりがある街となるか疑問です。
ただ、少なくとも、熊本城の再建には、石垣の石の一個一個に拘り
以前と同じ城を構築する計画とのことであり、この点だけは、本当に
復興されるのだと胸をなでおろします。

しかし、殆どの被災地は、莫大な資金が使われ、以前にも増して、
近代的な綺麗な街となると思われます。
しかし、そんな街を見て本当に喜ぶのは、その地に長く住んでいない
新参者の方達や、子供達でしょう。
多くの熊本県民は、新たに作られる知らない街より、以前の趣のある
落ち着いた街並みに郷愁を覚えるはずです。

もちろん、同じものを復活する事は、時間も資金も限界が有ります。

しかし、少なからず、その土地の大切な部分を生かした街を目指す事が
一番大切で有り、日本中の被災地に出来上がった、お金だけを掛けた
日本中どこにでもある、その地の素晴らしさを感じさせない街では
心の底から復興を喜べないのです。

経済的に豊かであるのが幸せと感じる時代は、もう過去のものであり、

指導者たちも、そろそろバブルから目覚める事が大切です。
自分が日本人である事、自分の故郷が一番と言える日本人が減りつつ
有る現状を、日本の危機と感じない様では、日本全体の復興は
何年たっても期待できないのです。


オリンピックは東京で開催すべき!?

2016-12-26 17:37:14 | 東京

やはり、当初思った通り、オリンピック関連事業の決定は
大混乱と成りました。
政治家同士のみならず、企業の思惑も入り乱れ、日本中の
人々を巻き込んで、今や失速状態です。
オリンピックを開催するにあたって、とりあえず、開催国に
選ばれる事だけでも大変なのですが、その後の開催までの
国内準備がいかに大変であるか、都知事の心が手に取るように
解ります。

国を挙げての大事業であるオリンピックは、どれ程莫大な
経済効果を呼ぶか、国民の多くの思いと裏腹に、舞台裏は
その主導権をどこが握るか、どれだけ収益を得るかという
生々しいやり取りが行われています。


この事は、日本がこれまで行って来た公共事業においても
社会的な経済事業においても、例外なく、行われて来た、
泥仕合です。
誰もが同じように利益を得ることは到底難しく、特に
今の時代においては、少しでも有利に推し進めるべく
戦いは益々ヒートアップしています。

しかしながら、年々オリンピックが商業化され、多くの企業が
参入しなければ開催が見込めない事も有って、開催国に
選ばれて時点で、この争いは十分に想定が出来たのです。
とは言うものの、余りにも船頭が多く、オリンピックへの道は
何処に着地点を見つければ良いのか、誰もが利益を得る様にと
考えれば、益々混沌として来ます。


多くの人の意見を取り入れて、より質の高いオリンピックを
開催しようと考えるのでしょうが、まず、何を行うのかを
しっかりと見極める事が大切です。
つまり、東京オリンピックを日本で開催するのです。
この事が最も大切な事であり、誰がどの企業がどれだけ
利益を得るかは、その後に決まる事です。

この英断を下すのが、決定権を持つ東京都知事です。
民主主義である故、多くの人の考えを聴き取り、直接施設
建設に関わる人や企業に考えを聴いているのです。
どの企業が関わり、どれだけ資金がかかるかは、手段であり
目的ではないのです。

つまり、十分な意見を取り入れたら、都知事の決定で

何処に日本丸を進ませるのかは決まるのです。
船頭は一人、後は、船員として無事目的地に着くように
あらゆる面で実現に向け努力をするのが事業に関わる人や
企業の義務なのです。

言いたい事を言うだけ言ったら、船長に従うのがこの国の

法律であり、事業に関われる条件です。
余りにも外野がうるさく、ただ、ヤジを飛ばしている国会の
議場と同じです。

オリンピックで戦うのは、選ばれた選手たちです。

その恩恵を受け、事業を拡大できているのです。
本当にオリンピックを世界に誇る大事業にしたいのなら、
金は出しても口は出すな、と言いたいし、決定権を持つ
都知事は、自分の地位に自信を持ち、自分の考えで、はっきりと
国民にオリンピックへの道を示して欲しいものです。


今日は、クリスマス

2016-12-24 17:42:24 | 日本人

今日は、クリスマスです。
都内の至る所では、煌びやかなイルミネーションが輝き
多くの男女が、昨日よりぐっと冷えた通り道で、コートから
のぞかせた手と手をしっかりと握り合って歩いています。

彼らにとって、寒さは逆に、心の情熱を滾らせ、周囲の輝きが
二人の存在をより鮮明に記憶させます。
もちろん、今でも、私達夫婦は、若者たちに負けない程熱く
肩を寄り添いながら、師走のあわただしい街中を歩くのですが、
若者達との違いは、夢と現実の差を良く知っている事です。

この時期、周囲の華やかさもあって、自分達の気持ちをより
ヒートアップさせるもので、若い頃の気持ちは、世界は二人の
為に有る、というのが普通でした。
好奇心がとても強く、様々な事に反応し、多くの知識と体験を
積み重ね、自分達の未来は、夢と希望に溢れ、成長しか
考えられませんでした。

まあ、それが若さと言う物なのでしょうが、この、何事にも
動じない、努力すれば何でも成し得るというパーフェクト
ストーリーが、常に潜在的に有って、自分達の未来は
バラ色に輝いていると思っていました。

しかしながら、多くの夢や希望は、ことごとく打ち破られ、
自分の実力の無さ、無能さを実感させられるのが社会の
現状でもありました。
いや、決して、甘い考えで挑んだのではなく、その時考えられる
一番の方法で努力したのに、結果は、惨憺たるものが多かったです。

とは言え、悪い事ばかりでは有りません。
沢山の経験をし、それなりの成果を得て、家庭を持ち、子供たちを
社会人になるまで育てました。
人生は、どう生きるべきか、人はどのように在るべきかといった
哲学も、そこそこ、自分の中に存在するようになりました。

もし、若い頃に立ちはだかった多くの難関は、今であれば、
苦せずして、解決することが出来、二度と同じ轍を踏まないと
思うのですが、現実では、轍を踏むどころか、問題に立ち向かう
以前に、トラブルを起こさなに様に立ち回ってしまいます。
一つ山を越えれば、新たなる自分が生まれる事が解っていても、
山が有れば迂回をし、新たなる道を探す方に気持ちを向けてしまう、
心の躍動を生まない選択をしがちです。

人は失敗をする事で物事を学び成長します。
新たなる目標を掲げれば、目標が大きければ大きい程、
大きな壁が立ちはだかるのは当たり前であり、
その壁に跳ね返された時のダメージは相当なものです。
しかし、若い頃は、壁が崩れるまで立ち向かう勇気と
情熱が有るのです。
それ故、その気持ちを強く感じる事が、二人の間を
より強く結びつけるのです。

歳を取ると言う事は、肉体的に老化する事では有りません。
心に躍動感が無くなり、己の心の炎が消えて行く事です。
肉体が衰えたから年を取ったのでは無く、心が萎えたことで
肉体も衰えたのです。
若い頃は、気力も体力も十分にありましたが、先立つものが
いつも心細い状態でした。
今より、ずっと苦しい生活をしていましたが、苦しいと思った事は
ただの一度もなく、食事代にも事欠き、一日何も食べずにいた時も
さしたる悲壮感も心配事も有りませんでした。

なのに、今や、ずっと贅沢で便利な生活をしているのに、
自分の心を揺さぶる情熱があの頃程沸いて来ません。
これを老化と言ってしまえば、それまでですが、
何かしようと思うと、何段階も気力を奮い立たせなければ
若い頃のレベルには達しません。

問題は、この、気力を奮い立たせる事に対する億劫さです。
努力と言うより、面倒臭さが先に立ち、出来なければ出来ないで
生活は困らないし、それ程自分にとって重要視できないのです。
実は、この事が、一番の問題であり、老化を促進し、気力を萎えさせ
体力も精神力も低下させる最大の問題です。

家の中を見渡せば、何十年に渡って集められた興味ある品物や
便利グッズが山と積まれ、欲しいもののオンパレードです。
しかし、目の前にある事から、それ程にも大切なものに、
興味が無いのです。
つまり、手に入れたり、すぐに手に入れられるものは、
自分の気持ちを萎えさせてしまうのです。
座ったらすぐ手が届くところに、若いころ手に入れた
何度も読み返した本が何冊もあり、身の回りには、
自分が数十年掛けて集めた資料が山とあります。
しかし、その資料にすら、目を通し事が殆ど無く、
毎日が、ほとんど同じ生活パターンに縛らてています。

この事が、本当の老化ではないでしょうか。
自分の一番興味のあるものに対する興味が失せる事、
これこそ、人生における一番の問題ともいえるのです。
中でも、最大の問題は、人生の伴侶に対する興味です。
お互いに空気の様な存在、と熟年夫婦は笑いますが、
これは、お互いに気遣い、トラブルがなく、上手く
言っているという例えに過ぎません。

空気と言うより、同じ屋根の下に居て、他人の様に
感じて来た時が問題です。
私たちは、物であろうと人であろうと、関心があり
お互いに関わっている時、相互の存在意味が有るのです。


芸能界薬物依存

2016-12-21 16:08:50 | 日本人

芸能界に於ける違法薬物使用のニュースが後を絶ちません。
毎年の様に、著名人が逮捕され、疑惑をもたれる有名人の名が
週刊誌を賑わせています。
これまで何度も逮捕されている常習犯から、新たなる人まで、
ほんの氷山の一角とは言え、常にマスコミから芸能人の薬物使用の
ニュースが無くなる事は有りません。

多くの人々が、いかに芸能界が薬物によって汚染されているかと
驚くのですが、薬物汚染は、芸能界に限った事ではなく、今や、
一般の庶民の中にも広く広がっていて、普通の主婦が常習者で
ある事も珍しくは無いのです。

ただ、芸能界や政界は、ひとたび薬物使用が発覚すると、
そのインパクトは絶大であり、ニュースソースとしては
最高の記事となるのです。
その為、発覚する場合も、出来るだけ著名人を狙って、
関係者が暴露したり、薬物を使って陥れたりと、弱肉強食の世界では
安易に使用すると、本人のみならず、周囲の多くの人々を巻き込み
一大スキャンダルとなりやすいのです。

しかし、問題は、発覚しにくい一般の薬物使用者であり、
最近増えている、ごく普通の家庭の家族の一員が不法使用したり
売買をしている事です。
この事は、ある意味で、公にし辛く、日本中に薬物が蔓延していると
公表された時の社会的リスクは非常に大きいのです。

マスコミに於けるニュースの取り上げ方も、その様な、社会的な
問題となる可能性のある事は控える傾向が有り、国民の不安を
煽ったりすることは、避ける場合が多いのです。

その為、ニュース紙面やテレビ等の報道の方法には、幾つもの規制が
儲けられていて、全ての事件が公表されるとは言えません。
例えば、年間の自殺者は、交通事故者を遥かに超えていて、
若者だけでなく、高齢者の自殺も年々増えているのです。

この様な問題をマスコミで取り上げると、社会不安を生む可能性もあり
出来るだけインパクトの無いような報道を行っている事が多いのです。
日本人の、違法薬物の使用は、昔から非常に多く、現在においても
覚せい剤の使用量は、世界的に見ても非常に多いのです。

ただ、薬物は身体にとって良くないと言うだけの報道では、
薬物依存を無くすことは非常に難しいものです。
例え、刑罰を重くして、使用者たちに圧力を加えようとしても
一度薬物に浸ってしまうと、どんなにやめさせようとしても、
中々本人の力で断ち切る事は難しいのです。

人は、本来、非常に弱い生き物です。
その為、心も身体も、守るための術を常に考えて生きて来ました。
他の生物に比べ、身体も運動能力も秀でていない為、何かにつけ
自分達の身を守る事を考えて来ました。

しかしながら、長い歴史の中で、人類の英知は、他の生物を圧倒する
力を身に付け、更には、その力を競う様になりました。
経済力であり、地位であり、名誉も、全てが、他から秀でる為の
武器となり、誰もが憧れ、身に付けようとするようになりました。

とは言え、個人差は大きく、誰もが望む物を手に入れる事は出来ません。
その為、社会で生きて行くだけで、様々なストレスが心と身体を
傷つける様に成ったのです。

そんな中、傷ついた体や心を癒してくれるものを人々は求めました。
様々なレジャー、美味しい食事、旅行と、戦いで傷ついた心と身体を
癒すために、人々は、癒す手段を至る所に探すようになったのです。

しかし、日常生活を工夫して、身体と心を休めるられる人は良いです。
自分の時間を持つことも出来ず、忙しさだけの毎日が続けば、
そこから逃げ出したい気持ちが募るのは明らかです。
その時、一瞬にして、心を解放してくれるものが有ったら。
心と身体が疲れ果てていたとき、いけないと思いつつも
手を出してしまうのが薬物の怖い所です。
しかも、その効果は、病んだ心を忽ち覚醒させ、日常の全ての
喜びに勝る快感と言われます。

これ程にも人間の心を変えてしまえば、何とかして手に入れようと
犯罪に手を染めたり、自らの生活を破たんさせてしまったりします。
心身共に社会生活を営めなくなるだけでなく、人格すら破壊して
しまうのが、薬物による悲劇です。

また、これほどにも人を狂わせると共に、売買にに巨額な金銭が流れるのも
薬物の特徴であり、よからぬことを考える人達や、暴力団の資金源とも
言われいて、社会の平和にとっても決して流通してはならないものです。

何故、芸能人のみならず、社会に広く浸透しているかを考えると、
やはり、人々の暮らしに、精神的なゆとりがなく、常に、上を目指し
経済的に豊かな暮らしを人生の目的としなければならない社会構造が
人々の心を苦しめている事にあります。

死ぬまで必死に働き続けなければならない社会は、人の事を案じたり
構ったりするゆとりは有りません。
人を蹴落としても上に立つことを望まれる人生は、人々の心を荒廃させ
誰からも助けられない孤独感が募るものです。

そんな社会で、自分の心を開放する為に薬物に手を出す事は、
やってはいけないとはいえ、苦しみの渦中にある人の中には
思わず手を染めてしまう人も出てくるのでしょう。
薬物に手を出した人を責めるだけでなく、そんな人を生んでしまった
社会をもう一度考え、如何に、同じような道へ進む人を減らすかを
暮らしの中から考えて行かなければならないのです。

薬物は、メディアに登場する知名度の高いものが問題視されますが、
探せば、身の回りに、更には自然界にも、同じような作用をする物が
多数存在します。
人の生活圏には、危険な物が幾らでもあるのです。
それらに手を出さず、健康な人生を送るには、やはり、正しい知識と共に
周囲の人や家族の暖かい理解と日頃の思いやりが必要です。

人は、多くの人の期待の下に生きていると、悪の道は目指さないものです。
誰からも関心を持たれず、常に孤独の中で生きている時、時に、壁にぶつかると
冷静に判断が出来ず、いけない道に走る事も有るのです。
人の闇は、人々の優しい心で明るくなるものです。
お互いに無関心になることなく、日頃から、周囲の人たちと交流を持ち、
自分の気持ちをお互いに表すことによって、健康な毎日を送る事が
出来ると思われます。