めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

東京の未来を憂う

2015-10-31 15:33:33 | 日本

東京は、近代都市と思われがちですが、それは表向きの顔であり、
街を歩くと、多くの歴史的な建物が見つかります。
もちろん、数百年の年月を経た歴史的建造物も見られるのですが、
明治以降に創られた様々な建築物が残っています。

中でも、幾度もの災害や戦争を免れて、いまだ多くの方が生活の場として

利用している住居や商店が多く残されています。
数年後に控えた東京オリンピックの競技が行われる周辺にも、数々の
歴史的建造物が有ります。

月島周辺の様に、今でも、軒を連ねる古い住宅街が並ぶ地域も多く

その背後にそびえ立つ高層マンションと不思議なコントラストを生んでいます。
ところが、その様な矮小な建築物は淘汰されて、新しい近代的な都市に変わって
新しい東京が作られていくのですが、小さな路地が迷路のように繋がっている
昔の東京の風情に心を引き付けられる方々も多いのです。

確かに、便利で綺麗な街は魅力的です。しかしながら、人々が長く生活したり

利用して来たものは、その長さゆえに、人々にとって心の拠り所になっていたり
生きる為の大切な空間でもあるのです。

世界にも様々な都市が有りますが、東京の様に近代的な都市も多くある中で

何百年も同じ面影を大切に残している都市も多くあります。
そんな街は、やはり私達の心に郷愁に似た魅力を感じさせてくれます。
もちろん、日本にも京都や奈良と言った古代からの素晴らしい建造物が残る地は、
内外ともに多くの人々を惹き付けています。

次々に新しく作られる建造物は、外見的にスマートで美しく、機能的かも知れませんが、

それ以上の魅力の建物が出てくると、直ぐに過去のものと成って取り壊されて行きます。
私達の生活は、綺麗で便利で使いやすければ機能的で生活がしやすいかも知れません。
でも、心の安らぎや喜びが得られるかと言えば、目新しく変わるだけで、私達は
満足するものでは有りません。

今残る多くの昔からの低層住宅や、古い町並みは、災害や機能的な事を考えると

リスクが有るかもしれません。
しかし、そんな、今の時代にはそぐわない様な建物や地域の環境に人々が魅かれるのは
やはり、私達の心の中に、その様な安住の地を求める気持ちが有るからなのでしょう。
単に古いものを残すと言うのではなく、古くても、安心安全で有る様に守っていく技術を
生み出していく事が、近代都市の在り方なのではないでしょうか。

私達は、ここ百年の間、西洋に負けない様な近代国家を目指してきました。

しかし、その為に、日本が世界に誇る数々の素晴らしい歴史的遺産を失い
美しい自然を傷つけて来ました。
その結果、表向きは立派な近代国家と成りましたが、実際は、我身を削った
痛々しい国土となってしまいました。

マスコミは、豊かな基準を作りあげ、それを求める人々から一部の裕福層への

資産の流れを生みだし、かつてないほどの貧富の格差をもたらしました。
人々は、自分の夢を、メディアが作り出す虚像に託し、それに準ずる事が出来ない
多くの人々に、落胆と悲しみを与えました。

せっかくの素晴らしい個性が失われ、一過性の欲望を求める民族を作りあげたのは

他ならぬ多くのメディアであり、今の日本を引っ張っているリーダーたちです。
国民は、決して彼らの駒ではなく、更には、彼らの生活を豊かにする道具では有りません。
私達の未来を創るべく代弁者になるはずの政治家は、口では立派な言葉を放っても
心の中は、やはり、保身に走る体制が見え隠れしています。

今問題となっている中高年の方々は、長きに渡って日本を見て来ました。

自分たちが今の時代に於いて、すでに厄介者になっている事は十重解っています。
しかし、それ以上に、現実の日本に落胆しているのも事実です。
近い将来、今の高齢者たちが次の高齢者に移る頃、果たして、日本を憂う高齢者が
どれだけいるでしょう。

もし、若ければ、今の日本の現状を変えたいと思っている高齢者は数限り無くいます。

しかし、次の高齢者は、今の時代しか生きていません。
将来の日本が変わっていける条件は増々少なくなり、新しいものを常に消費するだけの
本当につまらない日本になっていくのでは、と少なからず心配になってしまいます。


思いは、必ず叶えられる、本当です!

2015-10-30 15:55:40 | 生きる力

人は目的が有って生きて行く動物です。
つまり、いかに高度に脳が発達しても、しょせん環境に左右され
それに反応して行動します。
しかし、知性が有る故に、様々な反応を越し、時に、自分自身を
苦しめたり傷つけたりします。

人間にとって一番の苦痛は何か、と言えば、多くの方々が、

様々な災害や具体的苦しみを上げるかと思いますが、本当の苦痛は
自分以外に何も感じられない環境に入れられた時です。

拷問の中で一番苦しいのが、音も光も何もない部屋に閉じ込められる、

一見、何の苦痛も無いように思える責めが有ります。
戦争の時に、捕虜にしてはいけない最悪の拷問の一つです。
殆どの人が、何日も生きていられず、自分自身で死を選ぶか、
発狂してしまうと言います。

では、何がその様な状態にさせるのかと言えば、自分自身が作り出す音

つまり生体から発する音や感覚と言われます。
音も何もないと言えば、感じるのは自分自身であり、その自分に殺されるのです。

私達は、様々な厳しい環境に生きていますが、怒りを覚えたり、恐怖を感じても

それに反射的に対処する事で、自分の存在を意識しています。
その対象が、怒りであり喜びであり、感じる事によって、自分自身を感じるのです。

つまり、一番生きて行く為に必要な事は、自分自身が一番楽しく思う、喜びを

感じる事を常に目的に置く事です。
その為の、苦痛や苦難は、必ずや克服できるようになっています。

人は弱いもの、少しの苦しみが有ったり、壁が立ちはだかると、直ぐに負けて

その場を立ち去りたくなりがちです。
でも、その壁は、その時感じた壁であり、同じものを別の日や別の環境で感じると
全く違ったモノに感じるのです。

例え、壁がどんなに大きくとも、主観であり、在っても無くても同じものなのです。

ただ立ちはだかる事によって、自分の生きる道を考え選択できる材料となるのです。
人生を長くしていると、思い起こすと、様々な事を乗り越えてきました。と言うより
乗り越えられるようになっていました。

越えられないと思うのは自分の気持ちで、越えられると思うと越えられるのです。

病は気からと言いますが、考え方に過ぎないのです。
今、多くの方々の苦しみ、それは、自分の本当の壁と目的が無い事です。
マスコミや世界の情報に翻ろうされて、自分の道を見つけられないのです。
自分が挑む前に、答えを設定してしまう為、自分が生きる喜びが薄いのです。

世の中で苦しい事は、自分が関われない事象です。

それを、周囲から作られるのが、イジメでありシカトです。
人は、無意識に、周囲の人々から関心をもたれれる様に生きています。
学校に於いても、社会においても、孤立する事が最大の苦しみなのです。

生きる希望は、自分が周囲から関心を持たれ、自分が関心を持つ喜びの目的を

常に失わない事なのです。
どんなに文明が発達しても、私達は、地球上の生き物から命をもらって
生きて行かなければなりません。
同じ様に、地球上のものに関心を持って、または関心を持たれて生きる意味を
感じているのです。

そのやり取りが幸せか不幸かは置かれた環境によって決まってしまうのです。

しかし、その環境の所為で、自分の道を見失う事は愚かな事です。
環境はどんどん変わって行きます。それに対処できる自分を育てて行けば
どんな時代であっても楽しく生きられるのです。

人は目的を与えられると強く生きられる傾向が有ります。
出来るなら、その目的が、人々に喜ばれる事ばかりならばいいのですが、
世の中は、不幸を与える事を目的としている方々もいるものです。
でも、その事で自分の思いを諦めたりする必要は一つもないのです。

自分の思いは、叶えられるから思う事が出来るのです。
1パーセントの可能性でも、諦めなければ、いつか100パーセントの
可能性に変わるのです。
しかし、99パーセント可能であっても、何もしなければ、可能性は
0パーセントになってしまうのです。

もう自分はダメだと思ったのは、その時の自分の思いであり、
沢山の可能性の一つに立ちはだかる小さな壁です。
自分で、工夫したり、時を待ったり、人に助言を求めたり、
窮地を抜ける方法は無数にあるものです。
目的は必ず叶い、その方法は、数限りあることを忘れてはいけません。


日本社会の息苦しい現状

2015-10-29 13:01:47 | 日本

早朝の公共機関は、サラリーマンや学生で満ち溢れ、
都会の喧騒を感じさせますが、朝も10時を回りますと、
さすがに、バスや電車の中は落ち着きます。

しかし、眺めると、殆どが高齢者となっています。

サラリーマンが会社で汗を流している時、多くの老人が
公共機関を使って移動します。

また、街なかの商店街を歩けば、そこには、おびただしい数の

高齢者がうごめいています。
当然、商店は、こう言った方々をターゲットにして商品を並べるのですが、
高度成長期の様な、老いも若きも活発に商品を物色するような光景は無く
背中を丸めた、頭部が白い方々が黙々と選別しています。
彼等は、より安く、利用価値の高い商品を探し、意外と財布の紐は硬く
各店舗の収益は差ほど上がりません。

また、サラリーマンや若者たちに人気なのは、大型コンビニエンスストアーや

大企業がバックで総括する近代的な商店です。
フランチャイズの発達で、個人経営者の様に見えて、その陰には、大手の
食品産業や有名企業が名を連ねます。

お洒落な名前の店舗が有れば、その経営基盤は、個人ではなく、大企業であったり

するのが普通であり、私達庶民は、生活の場に於いて、一部の大手企業に
依存するように仕向けられています。
その為、商店の収益格差は著しく、一般の小売業者は、増々汲汲とした生活を
強いられているのが現状です。

日本の社会が、いまだ、この不況の状態を抜け出る事が出来ない大きな原因に

大企業優先の社会が作られている事に有ります。
地元の商店が次々にシャッターを下す側で、大手企業のコンビニや飲食店が
開店します。これらの店は、地元産業を豊かにすると言うより、地方からの
収益により増々街を大手依存型に変えています。

高齢者たちは、働けなくなった事で、個人資産を増やす術が無く、家族や

国からの援助なしには生きていけません。
しかし、その生活費も、一部の大企業に吸い上げられ、今の日本の現状は
年寄りや貧乏人がより苦しむ社会となっているのです。


いくら社会福祉を優先と言っても、それに関わる企業は潤うものの、

福祉を受ける人々が負担を軽減できるか言えば、実際はそうでもないのが問題です。
老人を対象にした施設が出来ても、それを利用するための関連企業が軒を連ね
更なる出費を強いられるのが今の高齢者の生活です。

基本的な、生活の基盤を保証しないで、単なる一時しのぎの餌を撒いているのが

日本の政策であると言ってもいいのです。
そして、多くの企業化の力を使って政治を行なっている日本のリーダーも、
私達多くの庶民と同じく、一部の裕福な人々の為に働く駒に過ぎません。

今や、日本は、近代福祉国家となったと言うのは、あくまで表向きの宣伝文句であり

この、混沌とした、息苦しい元凶を変えないぎり、日本の高齢者や弱者たちは
決して本当の幸せをつかむ事は出来ないのです


秋に痩せるには!

2015-10-28 13:47:40 | ダイエット

気温が下がり、秋本番ともなりますと、身体の調子も良くなり
それに伴い、食欲も増してきます。
自然界も、様々な作物が出回り、何を食べても美味しい時期です。
目に映るものに全て手を出していると、この時期は、大きなツケが
回って来ます。

食欲の秋は、肥満の秋とも言えます。

動物たちは、来るべく冬に備え、沢山の食料を摂取し、しっかりと
脂肪を貯めますが、私達人間は、同じような食生活を続けると
途端に体中に余計な物が付いてきます。

その為、食欲の秋と共に、スポーツの秋と銘打って、盛んに

老いも若きも運動に精を出すのですが、なかなか思う様に
ならないのが現状です。

若い頃は、少し太っても、簡単に取る事が出来た体脂肪が

かなりの運動をしても、思ったように減ってくれません。
それに伴い、様々な健康障害が生まれ、俗にいう、成人病へと
多くの方が導かれていくのです。

しかし、何としても、阻止しなければ、健康のためにも美容の為にも

良い事は有りません。
巷の本屋さんを覗けば、毎年毎シーズン様々な美容健康本が並び
多くの方が買い求めています。

中には、ジムに通ったり、専門家に依頼したりと、その努力は

涙ぐましく、毎日、テレビから流れる、使用前使用後の体型の移り変わりに
思わず引き込まれている方々も多いものです。

しかし、何故、そんなにも頑張っているのに、上手くいかないのでしょうか。

多額の費用や時間をかけ、一時的には思い通りになったにせよ、それは
次の悩みの時期への一時の満足に過ぎないのです。
多くの方が運動をするから痩せると思っていますが、運動をするとしても
殆どの場合何時間も続けることは不可能です。

若い人が簡単に痩せるのは、代謝能力が高い事も有りますが、運動する

体力が有って、長い時間継続して動けるからです。
痩せる秘訣は、運動をしていない時も、代謝能力が高い事です。
いくら食べても太らない人はこの傾向が強く、常に体温が高く、体中で
運動していない時も代謝を続けています。

方法は様々ですが、要点は三つあります。

1つは、代謝時間を長くする事です。
スポーツで痩せようとする方の大きな失敗は、運動すれば痩せると思い
スポーツが終わると、不摂生になる事です。
一番の問題は、暑い身体を冷やそうと、冷たい飲み物を大量に採ったり
お腹いっぱい食事する事です。
運動しているから大丈夫と言うのではなく、運動後は、筋肉も内臓も疲れていて
必要量以上の食事を急にしない事です。
そして、体温が下がらない様、常に身体を温める様に工夫します。
すると、身体は、エネルギー不足と成り、体脂肪を消費し続けるのです。

次に、大きな筋肉を育てる事です。

特に下半身の筋肉は、上半身の倍有りますから、そこで消費されるカロリーは
非常に大きく、ウォーキングでもジョギングでも、定期的に行い下半身に
筋肉を着けることが大切です。

また、上半身に於いては、背中側の筋肉に、カロリーを消費する

褐色脂肪細胞が多いので、背中を使う運動が大切です。
特に肩甲骨周りの筋肉には多く、腕立て伏せの様に、肩甲骨周囲を刺激すると
カロリー消費率が上がります。

三つ目は、姿勢を意識して運動する事です。

この事は意外とスポーツをする人達には解っていない事で、
激しい運動をすれば効果が有ると勘違いしている人が多いです。
姿勢と言うのは、踵から脊椎、そして頭骨に至る、背中側のバランスです。

筋肉と言うより、脊椎が正しく頭と肩を支え、下半身とバランスを取っていると

体中の筋肉が、脊椎反射によりスムーズに動き、代謝力も大きくなるのです。
外見的に、スポーツマンの象徴の様な見てくれの腹筋を付ける事よりも
背中のバランスを作り、背中側の筋肉を育てる方が、はるかに有効で、
中々太りにくい身体を作る要因になるのです。
痩せる為には、様々な方法が有ると思いますが、スポーツをしている時
だけでなく、一日中カロリー代謝が活発な身体を作ることが一番大切です。


マンション手抜き工事は氷山の一角

2015-10-27 15:59:12 | 事件

最近問題になっている、マンションの手抜き工事は、
今だ無くならない、この業界の暗い闇の面を浮き彫りにしています。

上からの発注を受ければ、業者は、たとえ、その設計が間違っていても

受けざるを得ない、見て見ない振りをしなければ、次の仕事がなくなると言う
悪循環がこの問題を大きくしています。

かつて、マスコミに多く取り上げられた、一般住宅の手抜き工事は、

そのずさんさと巧妙な手口に、日本中の人々が驚きと怒りを覚えました。
しかしながら、見つからなければ、封印してしまえば良いと言う、
業者側の身勝手な考えは、今も昔も変わらず、今回発覚したとはいえ
日本中のあらゆる建築物に、多かれ少なかれ、その手の手抜き工事が
有ると言っても過言ではないのです。

かつて、私が勤めていたビルの隣にあった、日本でトップクラスの音楽関係の

ビルの屋上にあるクーリングタワーを支える土台の手抜き工事は、
私自身が発見して、非常に驚いたのをいまだはっきりと覚えています。

私が働くビルの屋上から見ると、巨大な水槽を支える4本の足の下には

一辺が1メートル程の四角いコンクリートの土台が有ります。
その土台の一角が、太陽の光に照らされてキラキラ輝いているのです。
角が壊れた様になっていて、その中が光っているのです。

気になって、ビルの責任者に問い合わせ、一緒に屋上に登ってみると

その光っていたのは、何と、数十本は有ろうかと思われる、コカコーラの中瓶でした。
コンクリートの中に縦に埋め込んで隠されていたのが、何かの拍子で外壁が壊れ
中の瓶が露出していたのです。
今から30年以上前の事ですが、新築の近代的な、東京でも有名なビルだった事もあり
いまだに信じられない様な事実でした。

お隣の韓国で、かつて、頻繁にビルやデパート、高速道路が崩壊し、

私達日本は、決してあんなずさんな工事は無いと信じていましたが、
同じ穴のムジナで有った事に、本当にがっかりとさせられました。

人間のする事ですから、完璧と言うのは不可能とは言え、発注した業者も

それを買った住民も、しっかりと建築基準法に則り、安心して住めるものと
信じて疑わなかったのに、このような実態が明るみになると、日本人自体の
世界における信用度も大きく下がり、本当に腹立たしい事です。

私達日本人は、先ず、人を信じる事、そして思いやることを習います。

その為、人の気持ちを察して、御互いに助け合って生きて来ました。
困っている人を助け、人の為になる大人に成るよう教育されてきました。
しかし、現実の世の中は、信頼を裏切ったり、人を傷つけたりと
人に対する思いを変えざるを得ない様な事が次々に起こっています。

こんな世界を見せられ、子供達は将来どの様に生きて行けばいいのでしょう。

見た目が立派な大都会の様に、見えなければ何があっても起ころうとも
大丈夫と言う外見だけを求める人達が未来の日本を創っていくとしたら、
それこそ本当に残念でなりません。
先ず、人を信ることを教える教育が死語とならない事を願わざるを得ません。