めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

命尽きることなく次の舞台に!

2013-11-28 20:31:45 | 日記
華やかな美の饗宴の後、大地の一部に帰っていく姿に
太古の昔から営まれてきた自然の美しさを見た。

あれだけ色鮮やかに自らの美しさを主張していた桜が、
これから同じ色の大地に変わっていく。
 
誰のものでもなく、自らの命をすべての命の糧として
大地に溶け込んでゆく。

地上のあらゆる生物がその主張を終えた後、新たなる
命のエネルギーへと変換される。

この変わらない自然の輪廻転生がこの地球の命を創ってきた。
こんなにも壮大で美しい営みを誰が壊せよう。

高々数百万年の新参者がこの太古の昔から繰り返されている
地球の生命を左右するなんぞ考える事すら悍ましい。

とは言え、我々は間違いを起こすが、間違いを正すことも出来る。
今まで多くの痛みを地球に与えてきた。
沢山の生物が死に絶え、多くの自然が失われてきた。
取り返しがつかない事も多い。
しかし、それらの多くの過ちを反省し
これ以上地球が破壊されない様考え直すことも出来るはずだ。
来年も再来年も目黒川の桜が我々を楽しませてくれる環境を
考える事はそんなにも難しい事ではない。

身の回りの自然の美しさに感動し、その驚きを未来に伝えて行く事も
大切な一歩と成り得る。
海も川も山も、すべての自然が創りだす感動を未来に伝える努力が
我々が未来を創っていく使命なのかも知れない。



     ピンクのベールがやがて大地に



     錦の帯がやがて大地に

目黒川、一年の輝き

2013-11-27 15:18:21 | 日記
先日の嵐で今年の幕が下りた。
四月の美しいピンクのベールに始まり、
目に鮮やかな新緑の初夏。
寒さが増すにつれて次第に色づく錦織の世界。
八か月以上に渡って目を楽しませてくれた木々が
ようやく安らぎの時期になった。
春からどれだけこの美しい並木に癒されただろうか。



   春   新しい生命が芽吹き、ピンクの絨毯が目黒川を流れる



   夏   新緑の瑞々しさに心安らぐ



   秋   錦秋の鮮やかさが水辺に映える

 


   冬   華やかな舞台を終えた役者たちが寒風に身を任す 




  

突然の大嵐に散った桜の紅葉

2013-11-26 19:43:12 | 日記
本当に数日前の、最後の輝き、が最後になってしまった。
昨日の前線通過に伴った季節はずれの大嵐が、
あれだけ鮮やかに輝いていた多くの葉を振り落とし、
見るも無残な姿に変えてしまった。

今年の紅葉は、9月10月が暖かかったものの
11月に入って寒さが増し、例年に無いほどの
美しさと艶やかさに感動したものだった。

我々は美しいものを見ると、心が安らぎ
更には、その美しさがずっと続いてくれる事を
願いたくなるものだ。
今年の目黒川は、少なくとも後一週間程は
多くの方々に感動と安らぎを与えてくれると
一昨日までは思っていた。

しかしながら、こんなにも突然淡い夢は砕かれた。
人間の思惑なんか自然にとってはしょせんこんなもの。
美しさや豊かさを与えてくれると思いきや
突然悪魔のような所業をするのも自然の姿だ。

でも、我々の思う様に中々いかないものの
自然は太古の昔から人類を支えてきてくれた。
多くの生活の糧を与えてくれて、人類をここまで
成長させてくれたのもこの大自然の力だ。

ややもすれば、我々人類はその恩恵を忘れ
あたかも自分たちがこの地球を支配しているような
錯覚に陥ってしまう。

かつて日本人は海も山もあらゆる自然に神を感じ、
されには、家の中にも様々な神様を祭った。
神様を信じることにより自分たちを常に戒め
自然に感謝して生きてきた。

すなわち自然と共存することが自分たちを生かす
大切な教えであることを知っていた。

今や、世界中の自然が壊され、地球の隅々まで
人間が破壊している。
この事が自分たちの生きる道を閉ざしていくことを
刹那的な現代人は忘れているのかもしれない。

大嵐で散ってしまった桜の紅葉も、桜にとっては
次への成長への1ページに過ぎず、根絶やしにしてしまう
人類の悪行に比べたらごく、自然の事、なのかも知れない。

最後の輝き!

2013-11-22 13:19:28 | 日記
庭の緑の復活に驚いたが、今朝目黒川を覗いて見ると
朝日に輝いた華やかな景色が飛び込んできた。

斜めの光が差し込み、日中ではややくすんで見えていた
桜並木がライトアップされた様に美しい。

春の桜並木ならば多くの人が上を見上げたり、川面に
垂れるピンクの枝にため息を付くのであろうが、
何故か、ほとんどの道行く人が見向きもしないのが残念だ。

京都のお寺では、この時期古刹を包むように色づく紅葉を
沢山の観光客が愛でるのあろうが、桜も負けず劣らず
錦の色に輝き良いものだ。

桜が陽の光に浮かび上がり、まだ光が差し込まない
黒い目黒川が良いコントラストを生み、一段と華やかだ。

真冬の葉の無くなった黒い桜の枝になる前に
この美しい最後の美しい舞台を多くの方々に見て欲しいものだ。











庭からの復活宣言

2013-11-21 15:22:12 | 日記
寒さが増して来ると部屋の中に閉じこもりがちとなり、
庭に出る事も滅多になくなってしまう。

どんなに寒くなろうと、毎日洗濯をして、ごく当たり前に
朝から寒い庭で働く妻には頭が下がる。

そんな洗濯物を干す妻と窓を開けて話していると、
庭の隅から鮮やかな緑が飛び込んできた。

何気なく近づいてみると、秋から冬への寒さで
もうすでに枯れかけていたと思われた緑の一群があった。

先ず、茶色い種が九月頃から沢山付いて、一度その種を
収穫したバジルが綺麗な緑の葉を付け、更には
真っ白の花を沢山咲かせている。

そして、そのバジルの株の後ろでは、秋口に、
完全に葉を落としていた、和のハーブ、山椒が
見事にグリーンの葉を広げていた。

驚いたのはそれだけではない。
庭の隅に置いておいた、何も植えてなかった植木鉢から
緑の葉が風に揺れている。

そう、それは、何とバジルではないか。
花の咲いている鉢から有に2メートルは離れている。
秋口の頃、スズメ達が盛んにバジルの種を啄んでいた。
その一部が飛んだのだろうか。
たった一株だが、青々として柔らかい。
花の咲いたバジルはやや硬くて、サラダに入れると
少し口の中に残る感じだが、この新入りはとても柔らかい。

桜と同じく、時を過ぎると何か命の衰えを感じるものだが、
彼らの体の中には、次へのエネルギーが着々と息づいている。
人生長くなると、なんとなく下り坂を感じてしまう。
だが、いつまでも復活できるエネルギーを信じて
未来を前向きに生きて行こうと思った。