めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

3人の名医と私

2012-01-18 18:25:50 | 日記
私は過去30年間関節痛と戦っています。
年を重ねると誰もが体の痛みに苦しむことが多くなりますが
私は長い間スポーツで生計を立ててきたため、若いころから
職業病ともいえる関節の怪我に泣かされてきました。

20代の半ばには激しいトレーニングと仕事によって
両膝の軟骨はすり減り、じん帯が伸びてしまいました。
その激痛はまるで両足に焼け火箸を突っ込んでいる様で
いかにトレーニングをつんでいるとはいえ、夜も眠れず
1日中苦痛に耐えるばかりでした。

東京都内の関節の名医3人に診てもらうといずれも手術
しか痛みは取れないとのこと。両足の半月板を切除して
歩けるようになるのに半年以上とのことでした。
その時は仕事も軌道に乗りようやく生活が上向いてきた頃
とても半年以上休職はできません。しかしながら1日中
痛みに耐える生活も限界がありました。
でも手術すれば今の仕事はできません。そのとき私は
こう決めました。痛い脚は自分の足ではないと。
仕事中や他人にあっている時はどんなに痛くても
自分の足でないから無視をするです。
いまではとても考えられない苦痛でしたが、家族の事
生活の事を考えるとこうするしかなかったのです。
この生活は3年に及びました。仕事が終わると一人では
自宅に帰れません。妻の肩に腕を掛け、引きずられるように
出勤の倍以上かけて帰宅です。

こう書くと非常に悲惨な過去と思われるかもしれませんが
これからが本題です。
医者にも匙を投げられた関節痛が3年目の秋に消えたのです。
多くの方が筋肉痛や関節痛に悩まされていると思いますが、
わたしも沢山の鎮痛剤にお世話になりました。
しかし一時的には痛みが引いてもすぐに薬も効かなくなります。
そんな中で私が突然回復したのが一番信用していなかった
日本酒による患部マッサージです。詳しいことは長くなるので
かけませんが、あんなに苦しんだ膝関節痛が1週間もしないうちに
嘘のように無くなったのです。あれから20年になりますが、
数か月に一度程やや痛むことはあっても1日で回復するように
なりました。これだけ医学が発達していて治せない病が
本当に安価な普通の日本酒で治るなんて未だに信じられません。

わたしは今も元気に仕事としてスポーツを頑張っています。

義母の死

2012-01-13 15:17:48 | 日記
日曜日、義母が亡くなりました。
あまりにも突然で、取るものもとりあえず翌日一番の飛行機に飛び乗り
悲しみの故郷に降り立ちました。

実家に着くと、数か月前姪っ子の結婚式で満面の笑顔を浮かべていた
家族親戚友達が、どうしようもない悲しさとやるせなさで義母を囲んでいました。
人は生まれた時からいずれ死を迎えることを運命つけられます。
でも、残された者たちにとって、その日は深い悲しみの時となります。
さけられないその日は誰にでも必ずやってきます。

太古の昔から人々は死を恐れ、生きるすべを求めてあらゆる努力を重ねてきました。
最新の医学の力を持ってしてもその運命から逃れることはできません。
ほとんどの人が自分が何時か死んでしまうとは日頃思ってもみません。
明日はやってくるし、恐らく一年後も自分は生きていると思っているはずです。
しかしながら、その日は突然にやってきます。
多くの人を悲しませるその日は、突然に確実にやってきます。

ならば、その日を恐れても悲しんでもどうしようもないのではないでしょうか。
もし自分がその日までしっかりと意思があるとしたら、どんな気持ちで死を
迎えたらいいのでしょうか。残された人たちの悲しみを拭い去ることはできません。
できることと言えば自分が心静かにその日を迎えることができるようにすること
なのかもしれません。

つまりはこの世に未練を残さないで自分自身の人生をしっかりと認めてあげること
なのかもしれません。
生きてきた自分自身をやさしく褒めてあげることかもしれません。
この世を去った義母も長い人生さまざまな出来事があったでしょう。
残った我々は二度と会えない悲しみはあるでしょう。しかし、大切なのは
義母の生きた人生を心から誇りに思い、その生きざまを認めてあげること
ではないでしょうか。
この世に生きている我々も去って行った人たちも、この世で生きてきた意味と
存在の価値を感じられる時、この世を去る日が来ても安らかに
旅立てるのではないでしょうか。

寒いけど寒くない冬

2012-01-06 15:58:00 | 日記
去年の夏は節電に我が家も何かと気を遣い、クーラーも使わず何とか暑さに耐えてきました。
あの夜中まで続く猛暑はいつの間にか気持ちの良い秋風に代わって、家族たちも毎日ぐっすりと
眠れるようになりました。   

しかしながら季節は冬、ちょっと前まで暖冬でコートも要らない季節感のない冬が多かったのに
今年はしっかりと冬らしい身に染みる寒さになりました。
とは言っても我が家は当初の予定通り節電。クーラーもストーブも活動していません。
家に帰ると部屋着に着替えてゆっくり寛ぐというのは昔のこと、今は帰るとジャンパーを一枚はおり
寝るときに使う毛布を膝にかけて熱いミルクを一杯飲みます。
夜中は部屋の中が10度近くに冷えるため頭が寒くてなかなか寝付けません。

そこまでやらなくてもと思うのですが、何故か家族は当たり前のように文句も言わず普通に生活
しています。慣れとは恐ろしいもので、暖冬の時でも使っていた暖房機器がこんなにも寒いのに
使う気にもなりません。別に震災に遭われた人たちに気を遣っている訳ではありません。
暖かい満たされた生活が本当に幸せだったのか少し考え始めているのです。
本当に今まで人として幸せだったのか、今までの便利な生活は自分の求めていたものか、
自問自答しているのです。

今まで必要と思っていた考えや道具を自分から引き離すと何故か心が落ち着くのです。
欲しいもので頭の中を一杯にしていると、いつもイライラして落ち着きません。
少しスペースを空けてあげると不思議と大切なものが入ってきます。
一番良いことは、人の話が最後まで聞けることができる様になってきたことです。
食べる量も以前の半分で十分満足できるようになりました。

今年は節電節約ということではなく、何が一番自分にとって大切なことか
しっかり考えて生きていきたいと思っています。