めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

若き頃の思い出を還す

2015-07-26 09:59:02 | 山登り

かつて30代後半から40代にかけて、盛んに山に登ったものです。
最初は、東京近辺の低山から始まり、次第に標高の高い山をめざし、40代後半には
毎年夏ともなると、3000mを超えるアルプスの山々に登るのが、恒例となりました。

登り始めた当初は、子供達も小さくて、今思えば、あんな小さな子供を危険な高山に

平気で連れて行ったのは、自分がそれだけ若かったからと思われます。
その当時は、いつか年をとって、子供達が大きくなり、私達が山に登らなくなった時
家族で登った山を写真を見ながら懐かしむだろうと、盛んに毎回大量の写真を撮り
山々の記念品を買い求めました。

その日は遠く先の事と思っていましたが、本当に月日の流れるのは早いもので、

子供達も自分の家族を持つことが出来る世代と成り、そう思った数々の想い出の
映った写真を眺める日がアッと言う間に訪れることになろうとは、夢にも思って
いませんでした。

気持はいつまでも若いつもりですが、世間的に言う年齢は、かつて想像した遠い

先の年と成ってしまいました。
毎日がゆっくり過ぎている様で、いつの間にかに沢山の年月が流れてしまう、
それが年を重ねるという事だと思いました。

想像もしないところが傷んだり、動かなくなったり、更には、活字を目から離すなんて

考えもしませんでした。
しかし、無理をして手元に近づけると、まるで魔法が掛ったように、その輪郭は
煙の様にぼやけてしまいます。

しかしながら、あの頃集めた記念品や写真は、あの頃のまま手元にあります。

中でも、登った山の石は、一つ一つが当時のその時を思い出させ、
手に取ると、その時の天気から、周辺の風景、そして、家族との語らいを
ハッキリと思い出させてくれます。

机の上にうず高く積まれた、日本を代表する高山の石は、どれをとっても

その時の光景が鮮明に思い出されます。
とは言え、この中には、国立公園の山も有ります。
つまり、公園内のものは植物も石も持ち出してはいけません。
当然、不法採集となるのですが、その事も当時考えていて
いずれ、もう一度同じ山に登って、元の場所に戻す予定でした。

しかしながら、今の体力では、そう簡単に行けるわけでは有りません。

中には、若かった頃の体力が有ったからこそ登れた山も有ります。
これから先、どれだけ返還できるか、緩んだ身体と心に鞭打って
何とか実現したいと思っています。


山の魅力は安全登山から

2014-08-16 14:21:34 | 山登り

今の時期、子どもたちがまだ小さい頃、毎年アルプスの山々を巡ったものでした。
最初は東京近郊の奥多摩や丹沢の、標高1500m前後の足慣らしを行ない、
次第に高い山へと挑戦していきました。

まだ、小学生にもならない末娘は、低い山とは言え、時に泣きの涙での登山となりました。

月日が経って、長男も次女も次第に体力が付き、夏のアルプスや八ヶ岳は毎年恒例の
ファミリーイベントとなりました。

私達夫婦も若かった事も有り、何度も登っていると、3000mを超える高山であっても

何処でも登れるような錯覚に陥り、いつの間にかに家族を危険なコースへ連れて行き
危険な目に合わせる事も有りました。

北アルプスの山にも少し慣れてきた頃、家族で岩山のやや上級のコースにチャレンジを

する様になりました。
尾根伝いの岩盤にしがみついて、道なき道を登る道は、見下ろせば足元から1000mの断崖です。
家族一人一人がゆっくり岩につかまり進みます。

そんな時、私の後をついてきた娘がコースを間違い、我々の頭の上の岩盤に登ってしまいました。

掴るところも無く、そのまま降りるのも難しく、娘は恐怖に泣き叫ぶばかりでした。
妻と私は娘の下まで行くと、励ましながらゆっくり元来た道をたどる様に促します。

しかし、岩にしがみついた状態で下を見ることも出来ず、動くことも出来ません。

私達のいる岩の棚の幅30センチ程の道は、足をかけているだけでやっとで
自分たちも片手を岩から離すので精一杯でした。

どうしたものか途方に暮れている時、突然娘が3mほど上から落ちてきました。

私達夫婦は、とっさの事で片手で落ちてくる娘を捕まえるのがやっとでした。
妻は娘の雨合羽を、私は娘のリュックをつかまえましたが、岩から身体を離すことが出来ず、
片手で落下する娘を必死で止めようとしました。

しかし、大人と変わらない体重の娘の勢いは止められません。

娘は目の高さから勢いよく下に落ちていきます。
その瞬間、私の頭は真っ白になり、とんでもないことをしてしまった後悔の念が渦巻きました。

とその直後です。娘の身体が私の膝の高さで止まりました。

妻と私の間に断崖へ飛び出ていた岩に娘がぶつかって止まったのです。
ちょうど尾てい骨に直撃したため、娘は落ちた事よりその痛さで泣き叫びました。
でも、絶体絶命の窮地から救われたのです。

その危険な岩場から急いで離れ、少し広い岩のテラスの上に上がると、真下に

山小屋がみえています。なだらかな滑り台の様な斜面が続いています。
その時、私の頭はその危険地帯から逃れる事しかありませんでした。
ここから下の山小屋まで下りよう!そう叫ぶと、家族を真下の小屋に向かう斜面に
リードしようとしました。
その直後、妻が私を強く引き止めました。そして、息子も私の異常な行動に
慌てて私の手をつかまえました。

そう、娘を死の淵に追いやった後悔で頭の中は正常に考えられなくなっていたのです。

しばらく休憩して落ち着くと、私の暴挙が自分でも解って来ました。
もし、その道を選んでいたら、家族全員が間違いなく遭難する所でした。
今になれば、懐かしい思い出でもありますが、その時を思うといまだに身体が
寒くなります。

富士山が世界遺産に登録されて、様々な人が世界中から頂上を目指します。

外見的に美しいと言っても3000mを超える高山です。
一つ間違えば大事に至ります。

また、日本一の山に登ったから、それよりも低い山には簡単に登れると思ったら

大間違いです。
沢山の山を登っていると、こんな低い所で、こんな安全な所でと思う場所で
慰霊塔を幾つも見かけます。

時には日帰りのピクニックで来れるような低山での遭難も有ります。

私達家族は幸い生かされることができました。
でも、ちょっとの違いで大怪我をしたり命を落としたりしたりします。
自然と対峙するときは、謙虚な気持ちで、最大限の準備と注意を払って
大自然の恵みを体感することが大切であると思われます。


山登りで得た次へのチャレンジ

2014-05-15 13:23:55 | 山登り

登山を終えて、ここ数日満身創痍の状態です。
皮がむけた右足が靴を履くたびに痛みが走り、ふくらはぎの張りと共に
日常生活が不自由な状態でしたが、昨日、以前から死んでいた?左足の
小指の爪までが抜けて、右足にも増して痛々しい状態です。

体力の衰えの実感と共に痛みに挫けそうになる自分にため息が出てしまいます。
そんな姿を見て、妻は優しく我がことの様に心配してくれますが、その事がまた
自分自信を落ち込ませています。

しかしながら、昨日深夜、もう家族が寝静まった頃、ふと、頭をよぎることがありました。
いったい俺は何をくよくよしているのだろう。
そう考えると、眠気もなくなり、ますます頭の中が何やら問答し始めました。

人生の後半に入ったとはいえ、自分の過去の歴史を考えると、
いつも逆境と怪我の連続でした。大学の友とは全く異なった畑違いの仕事に付き
何十年も身体を使って生きてきました。

怪我の連続でドクターストップがかかっても、痛みに耐え何年も過ごしたこともありました。
安定した生活を捨てて、家族の不安も考えず自らの道を突き進んだ時も、今思えば
毎日が綱渡りのようなものでした。

そんな日々がいつの間にか数十年となり、子供たちも立派に?社会人として成長し
私たちも孫を期待する世代となってしまいました。
こう考えると、すでに自分たちの時代は終わってしまい、残る余生を健康に楽しく生きると
誰でも思ってしまうのでしょう。

そんな中での身に起こった小さなアクシデント、かつて体験した苦しみから比べると
本当に些細で笑い話に過ぎない事です。
なのに、明日をも不安視する自分自身の心に本当の老化と弱体化が生まれていると
気が付きました。

よく考えれば、40代の頃よりも怪我もなく体力も上がっています。
息子たちや若者たちに負けない体力を、と何十年もトレーニングを重ねてきていたのに
心の中はどんどん弱っていたことに気付いていなかった様です。

若いころは何も怖いものは無いとよく言われますが、心に弾力があり挫けず進むから
そう思われるのあって、物理的な力では私たちの方がずっと強い場合があるのです。

最後の日が近づいてきたことをどこかに感じると、私たちは気にしないと思っていても
何処かに不安と恐怖を抱いてしまうのです。
でも、その日がいつ来るか、何十年も先とは限りません。たとえ若者であっても
運命のいたずらで数年で訪れる事さえあります。

なのに、長い間生かされてきた我々が心配する必要があるのでしょうか。
それは、単なる未練と甘えに過ぎません。
人は弱いもので、偉そうなことを言ってもすぐに心が萎えてしまいます。
沢山の人生経験があっても、不安におののき萎縮してしまいます。
しかし、そんな時、その経験が、こんなはずじゃなかった!と思わせ
ますますマイナス思考を生んでいるのかもしれません。

真夜中の思いは、目の前に起こる壁や苦しみは、生きているゆえの
消費税の様なもの。どんな生き方をしても付いてくるもの。
若いころの様に無視して突き進めば、時と運命が解決してくれる。
足の痛みもしばらくすれば笑い話になってしまいます。
足元を見て立ち止まらないで、たとえ人生の後半であろうと
若者以上に突っ走れば何か答えがでてくるはずだ。と
これが真夜中の私の結論となり、その後ようやく寝床に
もぐり込むこととなりました。 

 


美しい日本

2014-05-14 15:36:05 | 山登り

久し振りの登山を終えて、またいつもの日常が始まりました。
登るまでは期待と不安でワクワクした毎日でしたが、過ぎてしまうと
山に登ろうと登るまいと同じ日常がやって来ることに、祭りの後の様な
いささかの倦怠感と虚無感を感じてしまいす。

しかしながら、確実に登ってきたのだという実感が身体には残っているのです。
残念ながらチャレンジの代償としての身体の痛みは今だしっかりと自覚させられます。
新しい靴によるのか、それともやはり体力の不足が原因なのか、下半身の痛みは
無くならず、足にできた水泡の破れた後は普段の靴を履くのでさえ思わず顔を
歪めてしまいます。

さらに、階段を降りるときのふくらはぎの痛みは、以前アルプスを縦走していた頃でさえ
滅多に無く、日頃のトレーニング不足を実感しました。
特に登るのに厳しい山に行くと、自分の精神の弱さや肉体の不備がよく解るものですが、
時に、日頃トレーニングを積んでいる人や若い人の力を実感するものです。

今回も、決して私よりはるかに若いとは言えない中年の方が、私が危険を感じながら
必死によじ登ってきた急な登山道をまるで落ちていく様に駆け下りていきました。
更には山岳マラソンのトレーニングでしょう、陸上のトラック競技の様な出で立ちで
私の前を駆け抜けて行く人もいました。

確かに中高年の登山ブームもあって、高齢の登山者も多く見かけましたが、
最近は山ガールも多くて、昔では考えられなかったファッショナブルな服装で
まるで渋谷や新宿を歩くような驚きの姿で登っています。

山が誰をも受け入れてくれることはいいのですが、いつも穏やかな勝手知ったる道が
突然の天候異変で危険な死のロードとなることもあります。
優しく迎えてくれるだけでなく、時に命がけの山行となることもあります。

今年に入り3人の方が奥多摩で行方不明となり、捜索隊が駅前でビラを配っていました。
幸い連休に行方不明になった方が先日幸運にも発見されました。
奥多摩は東京都なのですが、山が深く野生動物も多く生息しています。
登山道にはクマの出没を注意する看板が幾つも設置されていました。
過去には何人も襲われて大怪我をしています。
クマよけの鈴を鳴らしながら登る登山者も見られました。

自然は私たちに夢と希望を与え、生きる喜びを教えてくれます。
しかし、私たちがほんの気軽な気持ちで分け入ると、時に大きな代償を
負わせることがあります。

山に登る時は最悪の場合を想定して準備することが大切です。
そして、ほんのちょっとお邪魔させてもらう位の気持ちで
自然を痛めつけたり汚したりしない様にしなければなりません。
でも、最近の登山道は、本当に綺麗になりました。
今回の山行では、ゴミは飴を包む小さなビニール一枚のみでした。 

世界から訪れる観光客の方々が驚くことの一つが
街にゴミが少ないことだそうです。
確かに街角でゴミが散乱していることは少なくなりました。
不法投棄の問題も多々ありますが、最近の山道の綺麗さも
驚かされます。
登山者がゴミを持ち帰るだけでなく、ゴミを拾っている登山者も
見かけます。
普段自宅の近くの遊歩道で早朝ゴミを拾う方々を見るのと同じです。
一人一人の美しい心が美しい日本を作っていくと思われます。
今は日本中が苦しい時代です。
でも、この苦境を乗り越えた時、日本中の全てが世界に誇る
美しい日本となることを願わずにはいられません。 

 

 

 



 


新たなる挑戦2

2014-05-12 16:45:24 | 山登り

昨日、20数年振りに奥多摩で登山をしてきました。
子供たちが幼いころに登っていた奥多摩の山の中で
奥多摩三大急登と言われる鷹巣山に出かけました。

登山口から頂上まで1100メートル以上ほとんど直登で

山道が急なこともあって、休む平らな場所がほとんどなく
岩や木の根に摑まりながら登る道が頂上まで続きます。

谷底から山頂まで、初めの内は肩幅程の登山道ですが、

急な斜面に作られているので、常に谷底が見えて
久し振りに歩くと緊張します。

3時間以上も登りが続くと、さすがに体力も気力も失せて

もうこれ以上登りたくないと思う頃、ぽっかりと青空に
頂上が現れます。

そこは、南に面して灌木がすっかりと切り取られた絶景の頂きで

真正面には富士山、囲むように中央線沿線の山々が絵の様です。

毎度お馴染みのインスタントラーメンを作り、ゆっくりとコーヒーを

味わうと、もう下山しなければなりません。
今度は、奥多摩の駅まで10キロ以上に及ぶ長い尾根が続きます。

素晴らしい眺望と美しい新緑で、どこを見ても感動するのですが、

駅までの道のりは、幾つもの山を越え、谷へ下りての連続で
登頂で体力を失った身体をジワジワト痛めつけます。

登りは自分の体重を上げるだけの苦しさですが、下りは

下りる加速が加わり、足腰への負担はかなりのものとなります。
下りも3時間以上になると、下半身はヘナヘナで、足元の悪さもあり
景色を眺める余裕すらなくなってしまいます。

写真を撮りながらの山行の為、以前よりもかなり時間を食いました。

奥多摩の駅に着いた頃はもう日没、予定の列車はすでに発車した後、
帰りは、各駅停車を乗り継いでの帰宅となりました。

それにしても、月日というものは、様々な想定外を生むものです。
登っている時の苦しさ、自由に動かない自分の身体、恐怖、不安
様々な思いが依然登った時とは大違いです。

帰りの電車の中で靴を脱ぎ棄て、ガラガラの車内で身体をマッサージ。

目の前で私の何倍ものリュックを前に談笑する若者のグループ。
かつては彼らと同じだったのに、、、、。

帰ってビールで自分を褒めながら途中で買った惣菜を食べていると

同じ頃私用で帰ってきた妻が、よく頑張ったね!って。
ああ! お使いから無事戻った子供を見るような笑顔に、
嬉しい反面自分自身としては頑張れなかった悔しさを感じました。

新たなる挑戦と書けば恰好よく見えますが、それに伴う失望や

リスクも毎年多くなっていくものです。
若い頃、何とも無かった事がだんだんできなくなっていく。
それを次の世代に任せて行くのが当たり前なのかも知れませんが、
山はその弱体化を何の慈悲も無く見せつけます。

山は何時出かけてもそこにあるだけでなく、私たちの無能ぶりと

自然の偉大さを教えてくれます。
でも、毎回、未来への希望を与えてくれるのも山の魅力です。
また機会を見つけて挑戦していきたいと思っています。


登山口から見上げる稲村岩

この岩峰を経由して鷹巣山に向かいます。


谷川を渡りながら稲村尾根を目指します。


急な斜面に細い登山道


見上げれば美しい新緑


今年の冬は記録的大雪
登山道のいたるところで倒木


頂上付近は未だに雪が残っています。


疲れ果てたころぽっかりと頂上が


快晴とは言え昼過ぎで富士が霞む


奥多摩駅への長い道のり


登山道の脇に美しいツツジ


尾根は新緑に囲まれ


山の下りは滑りやすい急坂


杉林は暗く下草もない


暗い杉林に不気味な花弁
毒草のマムシ草