めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

自分が変わると周りが変わる

2019-03-26 10:21:02 | 社会

私達は、出来る事なら一生幸せでありたいと思うものです。
自分が望むものは何でも手に入り、自分の思う通りの生活を
送ることが出来れば、どんなに素敵かと思います。
しかし現実は、思いと裏腹の何をしても自分の思いに立ちはだかる
幾多の苦難に満ちていると言えるのです。

何をしても常に自由にならない、特に若い頃はこの行き詰る毎日に
耐えきれず自らの未来を捨ててしまう事すらあります。
しかし、例え、社会的に地位を成して、望むものを多く手に入れ
誰からも羨まれる生活を送っている人ですら、若者と同じく
自分の未来に不安を抱き、自分自身に自信を持てない方は多いです。

すべからく私たち人間は、いかなる環境に有っても満足する事無く
不満を抱くようになっている様で、日々の生活にも苦慮している
多くの人達が抱く、大金持ちになれば、幸せに成れると言うのは
憧れている時だけであり、実際は、どんな地位と成っても苦労と
不満は尽きないのです。

確かにこの満たされない感情は大きな欲求を呼び、人類の進歩に
多大なる貢献をしたと言えますが、その一方、心も身体も
非常に弱いもので、常に何かに守られていなければ生きて
行けない人類は、幾多の挫折によって自らの未来を見失って
しまう事も多いのです。
出来る事なら、余計なストレスを受けることなく、常に思いが
達成される方が、心と身体にとっては良いと言えます。

とは言え、現実の世界は、思いがそのまま達成されれる事は少なく
人其々の欲望が交錯する事に因って、常に、周囲と摩擦が生じ
生きる事は挫折の連続を体験する事ともなるのです。
思い通りにならない毎日が続けば、習慣性を持つ私達人類は、
夢を達成できない事をそのまま受け入れ、頑張って自分の
未来を切り開くと言うより、むしろ、現状を受け入れ、世の中の
流れに身を委ねる事を選択する事が多いのです。

しかしながら、そこそこの生活が出来たとしても、自分の本当の
夢が達成されない人生は、心の中にいつもくすぶりと不安を生じ
やりきれない日々を送らざるを得ないのです。
そんな思い通りにならない人生を受け入れる事で、単なるその場の
刹那的な満足をするのみの生き方は、いずれ大きな不安と不満を
生むことに成るのです。周囲にそして社会に不満を持ったとして
けっして問題は解決しないのです。自分以外の人達に不満を言っても
力任せに欲望を達成したとしても、現実が変わらないのも事実です。

大切な事は、私達が個人的にどのように思おうと、心の中でいかに
悩もうも、周囲の人達にとっては、単なる外見的な印象であり
どんなに親しい間柄で有っても、本当の気持ちを垣間見る事は
殆ど難しいのです。つまり、周囲の人達にとって、自分以外の人の
印象と言うのは、外見的な行動や言動でしか判断が出来ないのです。
と言う事は、どんなに頑張っても、外見でしか判断されず、自分の
努力が如何にあろうと結果しか見られない辛さがあるのです。

しかし、努力が認められない事で悩む必要は無いのです。
考え方を変えれば、外見的に変わりさえすれば、周囲の自分に対する
評価が簡単に変わってしまうと言う事なのです。
人は、自分の周りの環境や人々の外見に反射的に応じて生きる性質が
あるもので、その変化に応じて自分も合わせるようになるために、
常に変化して行く周囲の環境に引きずられる傾向があるのです。

上手く行かないのはあなたの努力が足りないのでも、能力が足りない
のでもなく、単に、外見的に周囲が関心を持たず、努力を認めたり
才能を認めることが出来ないのです。
簡単に言えば、自分が変われば周りが変わり、自分が求める夢や希望を
叶えやすく成るのです。
どんなに才能が有っても、自己満足の努力や表現では、誰も関心を持たず
人々の意識が自分に向かなくなるのです。

周囲の人達に助けてもらって成長することが出来なければ、自分の力では
排除されることは有っても、より多くの夢を達成することは難しいのです。
多くの方が地道な努力の元、何年何十年もかけて認められて社会的に
豊かな人生を歩めるのですが、殆どの人は多くの夢を諦めながら生きざる
を得ないともいえるのです。確かに、努力は必要ですが、道を究めるには
一人の努力よりも、周囲の多くの人の助けがあった方が断然成功率も
完成度も高まるものです。

その為には、自分の思いを周囲に解らせなければなりません。
誰もがある程度自分が納得できるまで仕上げて行かなければ認められない
と思いがちですが、例え未完成であっても、自分の思いが周囲に伝われば
その思いを達成すべく多くの人が手を差し伸べてくれることが多いのです。

中々思い通りにならないと苦しむより、その上手く行かない思いを
周囲に知らせる事で、短期間で目的を達成できることも多いのです。
簡単に言えば、自分が変われば周囲が変わるのです。
様々な経験が私達の人生を豊かにするのですが、経験だけでなく、自分の
望む生き方に思い切って乗り換えてみる事も大切です。

経験が自分の生活を豊かにするだけでなく、新たなチャレンジが
自分自身を成長させるのです。
特に未体験の分野は、対応する為に自分自身のあらゆる能力が発揮され
自分自身を変える絶好の場と言えるのです。
変って行く自分に対して、周囲の見方も反射的に変って行くのです。
この時、自分の行動言動が変って行く事で、周りの人達の見方も大きく
変って行くのです。

私達の人生は、自分自身が歩んでいるように見えて、この自分の変化に
周囲が反応して作られて行くと言えるのです。
自分自身が望む生き方や生活を行えば、おのずと周囲の人達も自分に
合わせて変わってくれるのです。つまり、望む行動や言動を行えば
それを周囲が助けてくれるのです。

どんな偉業も、本人の努力の結果の様に思われがちですが、本当は
本人の強い思いに周囲が反応して後押してくれた結果でもあるのです。
この周りの人をより多く作り自分の目的に進ませることが、一番、
夢を達成できる方法と言えるのです。

多くの人が、才能が無いから、努力が足りないとか、資金が足りないとか
夢が達成できなかった理由を並べますが、実は、自分を変えない事で
周囲の人がどの様に助けていいのかが解らないのです。
余程の資金や素晴らしい環境が無い限り、殆どの人は、自力で大きな夢を
達成することは出来ません。夢は、ひとりで叶えると言うのではなく
夢を周囲の人が叶えたくなるような新たな自分を見せる事が重要です。

人は、困っている人を見たり、苦しんでいる人を見たりすると、
本能的に手を差し伸べたくなります。同じように、何かの夢に向かって
努力している人には、手助けをしたくなるものなのです。
成長をし常に変化して行く者には、手を差し伸べエールを送りたいと
するのが人間の性でもあるのです。
いかに自分の夢に対する多くの人々からの援助が得られるかが、
人生に於いて成功できるかと言う事です。

 

 


浦島太郎となって

2019-03-19 09:01:20 | 東京

昨年12月、30年以上も続けて来た仕事を辞めて、
全く新しい仕事に就く事と成りました。
大学を卒業して以来、自分の好きな趣味が仕事と成り
自分自身で仕事を組み立て、自分の能力を高める事が
生活を豊かに安定させるものであったのが、多くの人が
仕事をリタイアして、残りの人生を終末に向けて
ゆっくりと歩もうとしている時に、私達夫婦は、まるで
学生が社会に放り出されたように、何も持たない状態で
再出発する事と成りました。

バブルが崩壊し、世の中が傾き始めた頃から、生活は
次第に苦しさを増し、同業者が次々に去っていく中
私達を支えてくれた方々の為にも、何とか仕事を維持し
家庭を崩壊させまいと、必至に頑張るものの、既に
世の中は大きく変わり、人々の価値観も求めるものも
大きく変わってしまいました。
不景気になるととともに、節約が当たり前の社会と成って
趣味に巨額の投資をする人達は激減し、私達の業界は
アマチュアの方の趣味の世界にとって代わられ、
多くの同業者は、いつの間にか消えて行きました。

私達も、ついに昨年の末をもって、ついに転業せざるを得ず
今や、これまで想像もした事のない、サラリーマンと成って
連日ラッシュアワーに翻弄されています。
妻は、主婦として一般社会の人達と繋がりのあった事から
何の抵抗も無く、新たなる仕事に馴染んで行けたものの
私は、自分の仕事にしか心が向いていなかったことも有って
現実の社会は知らない事ばかり、余りの酷さに、子供たちは
私を浦島太郎と呼びます。
何しろ、今年になって、初めての役所、銀行、会社勤めであり
タイムカードも初めて、コンビニのコピーは、今だ未知の世界と
一般社会の方々からすれば、まるで信じられない浦島太郎です。

数十年前に大学を卒業して以来、別世界にタイムスリップして
していたみたいで、何もかもが新しいことだらけです。
もちろん、普段から、外出することは好きで、休日には
東京都内を歩き回る事は普通であり、普通の都民よりも
東京については知っているつもりですが、その東京を作っている
社会システムについては、全くの無知であったのを実感する事
と成ったのです。

還暦を過ぎてから初めて区役所に行った人や銀行に行った人は
本当にまれであり、まさに過去から現在にやってきたかのようです。
もちろん、社会と隔絶して生きて来たのではなく、普通の都民として
時代と共に生活をして来たのですが、それは、単なる消費者として
社会の生産性のある仕事に関わって来たとは言えません。
仕事は、社会生活を営む人達が、憩いを求めて、自分の為に楽しむ
のを手伝う様な、いわゆるサービス業なのですが、来る人を待っていて
自らが様々な職業の方と関わって行かなかったことも有り、現実に
流れている世間の業務には、本当に無頓着であったと言えます。

とは言え、生きて行くためには、連日のラッシュアワーの荒波を
乗り越えて行かなければなりません。
これ程もの苦行を、文句も言わずじっと耐えている人々に、思わず
心から頭を下げたくなりました。
いわゆる自由業であり、しかも自分で仕事を創るような、極めて
個人的な道楽の延長のような仕事を何十年もしてきたことから
社会とは隔絶した世界で生きて来たようです。

まさに、過去から現代にタイムスリップしたかのように、
ラッシュアワーで身体を押し合いながらじっと耐える人たちを
見るにつけて、まるで異国の地で働いているかのような
錯覚に陥ってしまいます。
それにしても、東京のサラリーマンのすざまじいこと、私が
乗り換える東京の大手町の地下街は、まるでスーツを着た人達の
運動会の様です。途切れる事のない人の波は、決して逆行は
出来ないと悟る程の強い流れで、誰もが、自分の職場に向かって
歩いているとは言え、見た目、地上ののんびりとした闊歩ではなく
いわゆる競歩と言った風情です。

早朝のラッシュ時は、それこそ一分間隔で電車が走っていて、
一本発車したと思ったら、すぐに新たなる車両が滑り込み、
溢れんばかりのサラリーマンが入り乱れ列車とホームを行き来します。
扉の窓に押し付けられた変形した顔は、私がこれまで経験した事の無い
自分の意志ではどうにもならないサラリーマンの日常を示しています。
しかしながら、たった一か月程で閉口しているのに、何年も何十年も
この驚異の時間帯を連日繰り返していれば、どんなに苦しくとも
いつの間にか何の不満も疑問もなくなってくるのです。

日本社会が世界経済に君臨できるのは、彼らがいてこそと思われ、
東京の地下にこれ程もの人達がうごめいているとは思いもよらず、
あらためて勤勉な日本人の凄さに驚嘆しました。
確かに全国には、同じようなサラリーマンが無数存在するのですが
彼らの努力が日本経済を支え、日本を世界の経済大国に押し上げ
戦後長足の進歩を生んだと言えるのですが、果たして、この努力が
本当にサラリーマンの幸せにつながっているかと言えば、疑問です。

もちろん、経済大国として、世界的に見ても豊かな生活が出来ている
ともいえるのですが、経済的に豊かに成ったからと言って、日本人が
心から幸せと思っているとは言えないのです。
日本人は、昔から勤勉で努力家であり、終戦後の何もなかった国土が
現代の世界でもトップクラスの先進国になったのもうなずけるのですが
比較競争社会は、片時も国民の心を満足させることなく、経済的豊かさが
人の幸せとした日本社会の価値観が、常に人々の心を苦しめているのです。

どんなに豊かな生活をしていても、現実に満足しない事で、経済的には
需要が高まり社会の発展に繋がるのですが、現実に満足できない日本人は
人と争い自身の生活に確信を持てない事からいつまで経っても、本当の
喜びは得られないのです。
学校教育も、子供たちに高度で豊かな学力を身に付けるという口実の下
現実は将来の企業戦士を育て、経済大国を維持するための策と言えます。

戦後高度成長の頃から、日本人は、まじめで努力家な性格を上手く利用し
日本経済界は、日本人を確実に結果をもたらす労働者として、子供の頃から
お互いに競わせ、経済的に豊かな生活をすることが幸せに成る事と洗脳し
どんなに豊かな生活をしていても満足できない国民にしてしまったのです。
毎日、膨大な数のサラリーマンが仕事に向かいますが、彼らは、自分の
生活を豊かにするとするも、実際は、この社会を動かしている方々の
豊かな生活をより豊かにするために働いていると言えるのです。