めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

禍福は糾える縄の如し、とは、願望?

2018-09-02 20:20:28 | 人生

私たちの人生は、短いようでとても長いものであり、
出来る事なら、出来るだけ楽しく生きたいものです
しかしながら、思い通りいかないのが人生で有り
苦しい事が次々に起きて来るのです。

そもそも、生き物の中でも、人間は、極めて環境の
変化に弱く、何かに守られていなければ、すぐさま
くじけてしまう程です。
その為、いかに苦境を乗り越えるかが、生きていく上で
とても大切です。

先人が多く残した名言にも、試練をや苦難を前にした人々を
鼓舞する言葉が多く、私達は、どんな苦難も超えられると
信じて疑わないのです。
また、テレビや映画における主人公も、いかなる苦難に
遭遇しようも、必ず乗り越えると言う設定からも、
私達は、何事が有っても、いつか必ず明るい未来が
やって来ると信じて疑いません。

しかしながら、現実はどうでしょう。
日本の歴史を見ても、個人的な過去を振り返っても
良くない事の後は、良いことが有るとは言えないのです。
現実は、良く無い事は何度も続き、次こそはと
思っていても、自分の思い通りに事が進みません。
そう、人生は、客観的に見て、自分の思い通りにならない
良い事よりも、悪いことのほうが繰り返すことが多いのです。

次こそはと思いつつも、何度繰り返したとしても、
戦いに負け続ける事は珍しくなく、むしろ、勝利を得る事
更には、勝ち続ける事は、非常に難しいのです。
つまり、私たちの人生は、思い通りにならないのが普通であり
思い通りの人生を送っている人は、稀といえるのです。

とは言うものの、思い通りにならなければ、努力し無くなり
人間社会にとって不都合なことが多くなってしまいます。
本来、私達人類は、協力し合って、あらゆる難関を乗り越えて
文明を進歩させてきました。
例え、夢は叶わない可能性が高くとも、誰もが、前向きに
世の中を進めていかなければなりません。

その為には、常に、夢は叶うと言う思いを抱かなければ
あらゆる物事が進まなくなってしまうのです。
例え、上手くいかなくても、努力を続ける習慣を持てば
社会のシステムは動き続け、経済発展も保障されるのです。

しかしながら、大局的に見れば、努力は報われると言う考えを
国民に抱かせ続ける事は良いのですが、個人的なストレスを
考えると、報われない事に対する継続的な努力は、けっして
国民にとって良い訳はありません。
その為、経済的豊かさを考えると、先進国として進んでいると
思われるのですが、国民の多くが、慢性的な苦しみを抱き、
働けど働けど癒されないと言う、空虚感を味わうことと
なってしまうのです。

今や、日本人は、常に、この満たされない心で苦しんで
いると言えるのです。
どんなに所得を増やしても、満足することが出来ず、
人生の生きる目的が、経済社会に貢献する事となり、
自分の心を満たすことが出来ないのです。

常に答えは社会に有り、自分の目的も満足も、社会的に
豊かになる事とされるため、いつまで経っても心も
身体も癒されないのです。
子供たちは、成績を上げる事が目的となり、大人に取って
都合のいい子供となる事を求められ、大人になれば、
社会人として、より経済的に豊かになる事を求められます。

確かに、成績を上げたり仕事を頑張れば、認められますが
それは、社会貢献であって、個人を称えるものでは有りません。
どんなに優秀な成績を得ても、その価値は、他者との比較に
過ぎず、個人的人間的な価値を示すものではないのです。
消費経済社会と言うのは、いわゆる、比較社会でもあり
答えのない競争社会でもあるのです。

優れた功績を示しても、成績を収めても、それは一過性の
価値としか認められず、常にだれかと比較しながら、
頑張り続ける人生は、例え経済的に豊かになったにせよ
心は疲れ果て、癒されることは無いのです。

しかし、かといって、この社会から逃げ出すことは難しく
唯一、退職してからの余生を楽しむぐらいしかないのです。
ならば、仕事をリタイアしたら、素晴らしい人生が待っている
と言えるならいいのですが、現実は、実に厳しく、経済的にも
肉体的にも、精神的にも、もはや、疲れ果てている人が多く
自分の事だけ考えて、のんびりと生活できるとは言えないのです。

となると、私たち日本人は、一生、心を癒せる人生は送れない
と言う事になってしまうのですが、これでは、生きている意味も
価値も見出せません。
一体どうしたらいいのか、それには、やはり、つらい時の後は
必ず良いことが来るようにすれば良
いのです。

と言うよりも、辛い事を消してしまえば良いのです。
そもそも私たち日本人は、自分の事よりも人の事が気になり
常に比較をして生きる習慣が有ります。
つまり、自分の人生を、良い事悪い事、面白い事つまらない事と
言うように、分けて考える習慣が有ります。
しかし、この選別は、極めていい加減であり、殆どの場合
他人の意見や、メディアの情報に簡単に左右されます。
自分でしっかりと判断している様で、実は、常に誰かの考えに
左右されているのです。

何故、殆どの場合、上手くいかなかったり、苦労してしまうのか
自分のせいではなく、他人に決定権を与えているからです。
私達は、どんな状況に遭遇しようと、それを乗り越えていくように
太古の昔から生きてきました。
つまり、何をしても、乗り越えられる様になっているのです。
ならば、自分の考えで物事の最終決定を行い、自分の行動を
信じる事です。

そもそも、良い事悪い事と言うのは、主観で有って、他人によっては
その判断は様々と言えます。
幸不幸と言うのは、極めて曖昧な事であり、物事は、環境によって、
自分の立場によって、良くも悪くも感じられるのです。
つまり、その判断は、考え方次第で有り、どの様に思うかによって
自分の生き方が変わって来るのです。

ならば、自分の身の回りに起こる事、自分が遭遇する様々な体験は
全て自分にとっては良い事と考えても良いのです。
どんなに悲しい事辛い事も、生きていく上では、何の支障もなく
その都度、自分の生き方や考え方を変える事の方が、人生に於いては
マイナスになると考えた方が良いのです。




 

 

 

 

 


楽しい人生の送り方

2018-08-11 09:38:25 | 人生

しょせんこの世は住み辛く、苦しき事のみ多かりき
と言いたい所ですが、この苦しさと言うのは、あくまで
本人の主観であり、耐え難い苦しみであっても、
人によっては、苦痛と言うより喜びである場合もあり
生きると言う事は、いかなる思いを持つかによって
様々な人生を送る事となるのです。

とは言っても、私達は、楽しい人生を送りたいもので
出来るだけ苦痛からは逃れたいのが普通です。
その為、常に自分が楽しめるように、日常的な行動は
嫌なことを回避し、楽しいことを求めます。
出来る事なら、いつも美味しいものを食べて、楽しく
遊んで、欲しいものを手に入れ、素敵な仲間と一緒に
過ごしたいと考えます。

所が、現実はどうでしょう。
一番欲しいと思うお金は手に入らないし、美味しいものは
滅多に食べられないし、忙しく働くばかりで遊ぶ時間も
なかなか取れません。
そして、最大の問題は、楽しくしたいと思っても、対人的な
トラブルは、望んでもいないのに湧いてきます。

私達は、こうありたいと望んでも、なかなか思うように行かず
お金はどんどん減っていくのに、不満はたまる一方と成ります。
しかし、この、思うようにならないのが人生と、昔から、
多くの書籍で人生論が語られていますが、その一方で、
何の苦も無く、常に、楽しい人生を送っている人もいるのです。

多くの苦痛から逃れ、楽しい人生を送るには、まず、
何が有っても、心を苦痛で満たさない事です。苦しさは、
受け取り方でいくらでも軽減できるのです。
何事も、前向きに考える事で、どんな悲しみ苦しみも
必ず過去の出来事となるからです。
心に長く苦しみや悲しみを持ち続けると、心が萎えて
いつまで経っても楽しい日々はやって来ません。
苦しみ悲しみは、出来るだけ短い時間で心から消し去らないと
楽しい人生が少なくなってしまいます。

そして、幸せな人生を送りたいと思ったら、自分が
幸せになりたいと同じように、自分の周囲の人も
同じ感情を持っていると言う事を知る事です。
つまり、自分が求めているものを、他人も求めていて
簡単には手に入れられないのが現実なのです。

答えは一つ。自分が欲しいものを手に入れたかったら
持っている人を、自然に与えてくれるような心境にさせる事です。
そんな人が多くなれば、自分の欲しいものは、何でも
手に入る様になるのです。

しかし、誰もが欲しいものを求めているのに、自分だけに
求めるものが集まるようにするには、様々な努力が必要で
その力は、現代社会に於いて、社会的な地位をあげ、
経済的に豊かになると言う事なのです。
それ故、多くの人が、人を傷つけても蹴り落しても、
経済的に豊かな生活を手に入れようとするのです。

所が、このような生き方が、現代社会に於いて、連日
ワイドショーを賑わせている主人公達の考え方で
人間の欲望が呼び起こした事件や犯罪なのです。
例え、人も羨む生活を手にしたとしても、他人から恨まれては
心から幸せと成る事は出来ません。
人の上に立ったり、多くの人から称賛されるには、それ以上の
喜びや幸せを人に与えなければならず、この事は、人生を
楽しく生きる術でも有るのです。

幸せは、多くの人々の上に立たなくても、自分の周囲を取り巻く
心知れた仲間がいる事でも、十分得られるのです。
自分が、仲間たちの存在価値を感じ、彼らが望むものを与えれば
同じように喜びが還って来るのです。
ほんの小さなことでも、自分の為に喜びを与えられれば、人は、
同じように喜びを与えたくなるものです。

もし、自分の欲しいものが手に入らなかったり、人間関係が
上手くいかなかったら、その原因は自分に有ることが多く、
欲しいものを手に入れる事ばかりに気が行っているのかも
知れません。
誰もが、自分の欲しいものを手放したり、自分が苦労したり
努力しなければならない事、しかも、自分の為にならないと
感じる事には億くうになりがちです。

また、この事は、誰もが同じであり、自分が苦手な事や
面倒なことからは逃れたいものです。
所が、その障害を誰かが取り除いてくれたり、身代わりになって
片付けてくれたらどんなに嬉しい事でしょう。
これが、実は世の中の消費システムの基本でもあるのです。
誰かが欲しがるものを提供することで、経済社会が成り立っていて
その中で私達は生きているのです。

もし、お金が欲しかったら、多くの人が求めるものを提供すれば、
お金は自然に入ってくるのです。
このルールは、仕事と言わず、日常生活においても、恋人同士の
関係で有っても成り立つのです。
恋人同士は、互いに、相手が喜ぶことを常に考えているから
お互いに最高の喜びを手に入れられるのです。

自分は幸せになれない、お金が手に入らない、素敵な人に
巡り合わないと言って悩むなら、日頃の生活から、何かを常に
手に入れようとする気持ちから、誰かに何か喜ぶことを
してあげたいと思うだけで、人生の喜びは、劇的に増えるものです。


新たなる歴史となるのか、フェイクか

2018-04-30 17:29:27 | 人生

人の一生は、短くも有り長くも有り、人によって、おなじ年数を過ごしても
其々の感じ方で、その長さはまちまちです。
子供の頃の一年はとても長く、大人に成ると次第に短く感じられるのは
心の成長に伴い、時間の長さが、変わって来ることによると言われます。
しかし、誰しも、思い起こせば、時の移り変りを感じるものですが、
普段の生活に於いては、ただ、その瞬間に生きていると言っても良いのです。
見る物聞く物感じる物が、瞬時に過去のものと成り、まるで、時間と言う
乗り物に乗っている様です。

この乗り物は、一生を通じ走り続け、止まる時は、当然、あの世に召される時です。
そんなことは解り切っている事なのですが、その時がいつ来るのか、自らが
決める事はほとんどできません。
この世に未練がない限り、ずっと続いて行くものと、漠然と感じているのが
普通と言えます。

では、一体、どの様な立場で、この列車に乗って行けば良いのか、確信が持てず
たまたま現状に甘んじている事で、いつの間にか月日が過ぎて行ってしまいます。
未来には確信が持てないものの、過去の記憶は頭の中に長く残っているもので、
私たち人間は、過去に振り回され拘束されがちです。

人類の歴史は、その時々に起こされた様々な出来事の積み重ねと言えるのですが、
その過去の記憶が、現実に生きる人達の心に大きく影響を与えます。
対人関係も国と国との関係も、未来に向かって進んで行くものですが、実際には
過去の出来事に大きく影響を受け、中々、思った様に進まないのが現状です。

今や、歴史的な事態が起こっています。
これまで、一発触発の状態であった朝鮮半島情勢が、両首脳の劇的な歩み寄りで
驚く程の進展を見せています。
数か月前までは、正に、東アジアは、世界大戦への引き金に成らんとする程の
緊迫した事態となっていて、我が国に於いても、核ミサイルが飛んで来るのではと言う
恐怖が有りました。
これまで、何十年に渡る交渉も、ことごとく期待を裏切られ、残りは軍事行動しか
解決の余地は無いのではと思えるほどの事態となっていました。

しかし、韓国大統領と金正恩の固い握手は、世界中に衝撃を与えると共に
新たなる道を期待させ、東アジアの人々に大きな夢を与えました。
想像もしなかった平和へのかじ取りは、いまだに多くの人々にとっては疑心暗鬼で有り
思わず、その裏を考えたくなるほどの驚きです。

一体何が有ったのか、まるで180度の政策転換ともいえる北朝鮮の態度は、
これまでの過去の歴史を見ると、信じるより疑う方が先とも言えます。
何度も平和への道を提案しようもことごとく拒否され、年々勢いを増す軍事力強化、
中でも、核兵器製造への躊躇なき取り組みは、誰の目にも、暗い未来を想像させるに
十分な危険な道と考えられていました。


次なる手段は、経済制裁の包囲網を強め、それでも、屈しなければ、軍事的解決しかない
とする考えが一般的となり、我が国も、戦争に巻き込まれるのではないかと言う憶測が
流れる様に成っていました。
しかし、次なる歴史の一手は、想像もしない平和への決断でした。
そこには、独裁者の横顔は無く、両首脳の固く結ばれた手と笑顔が有りました。
この南北朝鮮の歩み寄りが、後に控える米朝首脳会議にどれだけの影響を与えるか
そこで交わされる其々が取り出すカードが、次なる世界への答えとなるかもしれません。

しかし、それにしても、私達庶民にとって、世界の動向は、自分たちの考えで
どうなることも無く、ただ、その行く末に従うだけしかないのです。
自分達とは直接的に全く関係無いと思える事であっても、どの様なカードが
示されるかによって、有無を言わさず、従わざるを得ないのです。

この事が、平和への導きであるならば良いのですが、前回の戦争の時の様に
日本政府と日本軍がアメリカと戦争すると決めた瞬間から、日本人に耐えがたい
不幸が襲って来た事は言うまでも有りません。
国際情勢と言うのは、国民の意思に関わらず、大きな歴史の汚点を作る事も有るのです。

とは言うものの、人生における様々な出来事は、自分の歴史となるものの、
過去の苦い思い出として現実の自分を不自由にするもので有ってはなりません。
私達も国も、まるで、足かせの様に過去に引きずられて、身動きが取れなくなることが多く
現実に不満や不平が有っても、何の解決の糸も掴めないでいる事が多いのです。
その為、何もできない歴史も築かれ、未来で悔いの残る日々を送る事も有るのです。

国と国との関わりあいだけでなく、私達の日常に於いても、自分自身には新たなる事態が
起こる可能性が有るのです。
予想もしない事態に、悲しみ苦しむ事も多く、その為に、日頃から心構えをする事が
現代人に多い生き方と言えます。
病に伏したり、思いがけない経済的破綻、更には、人間関係の悪化と、思ってもみない
苦しみを抱いてしまう事も珍しくないのです。

その為、現代人は、いつも不安と戦っていて、備えあれば患いなしと言われる様に、
未来への不安を払拭するために、様々な保険に手を出すのです。
今や、日本における保険業界は、不況知らずです。
人々の不安が高まれば高まる程、大きな収入が期待され、世の中が混とんとすればするほど
安心を求めて多くの人が加入するのです。

しかし、保険に加入したからと言って、惨事やアクシデントに見舞われないとも言えないのです。
その日は突然やって来るのです。ただ、その日の心のと経済的な負担から逃れたいだけなのです。
メディアも、不幸を想像させるコマーシャルを流す事で、国民の不安を高め、より多くの
加入を目指すのですが、安心を得た様に思えて、逆に、更なる不安を植え付けられるとも言え
様々な不安材料を心に植え付ける事になり、幸せな毎日を送れるとは言えないのです。

どんな対策をとっても、未来はどうなるか、誰も解らないのが事実なのです。
その未来に、不幸が起こると想像して保険を掛ける事は、既に心が怯えている状態であり
保険によって不安な人生を送る事にも成るのです。
人間は、幸不幸関係なく、起こった事には、従わざるを得ないのです。それが生きる事であり
人生を築き上げて行く事と成るのです。

問題は、起こった事に対して、いちいち一喜一憂する事です。事実に対して、
比較評価をしない事です。起こった事が良い事か良くない事かは、長い人生を終える頃に
ようやく解る事も少なくないのです。
ならば、どうしたら良いのか、それは、人生は、自分の判断で創り上げて行くものなのです。
次々に過ぎ去って行く現実に、自分でハンドルを握り運転をして行く事です。
列車に乗っている様に、周囲や社会の流れに任せない事です。

何もやらないで後悔するよりやって後悔した方が良い、様々な方々が口にしますが、
後悔と言うのはどちらにせよする必要は無いのです。後悔したところで現状が変わる訳ではなく
ただ、自分を納得させ落ち着かせようとしているの過ぎないのです。
人生における自分の判断は、いつも正しいのです。
それの良し悪しを決めるのは社会で有り、どりらの判断を付けられても、自分自身は変わらず、
自分の行いが自分の歴史となるだけなのです。

この世に、そもそも本当に正しいというものは無いのです。
人間が生きて行く都合で、損得を付けたり、良し悪しを決めているのであって、その判断も
時が立てば、全く逆転してしまう事も珍しくは無いのです。
その為にも、自分にとって正しいと思える事、未来への希望となる事をためらいも無く行う事です。

その時、他人に迷惑が掛からなければ何でも自信をもって行って良いのであり、結果の良し悪しは
自分の尺度で有り、社会の尺度と同じではないのです。多くの人とトラブルなく生きて行く為に
緩衝作用として様々な決め事や法律があるに過ぎないのです。

人生にとって一番の問題は、多くの知識や記憶をもって、現実の自分の判断を鈍らせる事です。
これこそ、生きていく上で一番の難敵で有り、自分の中に在る最大の敵と言えます。
どんなに博学で有っても、社会的に地位が有っても、世間が求める社会的な力を使って
自分の行動や考えを決めようとすると、自分にとって一番素晴らしい人生が送れないのです。

人は、十人十色と言われる様に、一人として同じ者は居ないのですから、当然判断の方法も
一人一人違っていて当たり前と言えるのです。
過去の記憶や歴史は、判断をする材料にはなりますが、未来への切符となるとは限らないのです。
現実を見極められる過去に囚われない判断が、自分の未来も国の未来も創ると言えるのです。

 


トランプに学ぶ

2017-01-23 16:02:51 | 人生

トランプ新大統領が生まれ、今や、世界経済は
先が見えない、戦々恐々とした状況です。
近年、世界に及ぼす影響が弱くなったと言われる
アメリカ合衆国の存在が、トランプの発言で
一気に注目を浴び、彼が言う様に、今後アメリカが
世界の流れを変える大きな力を持つかもしれません。

この事は、日本にも様々な影響を与え、今や、

政界、経済界共に、次なるトランプの言動行動に
目が離せない状態となっています。

とは言え、日本国内ではどうかと言うと、国民の

殆どの人達は、マスコミが連日伝える程危機感は無く
オバマからトランプに変わったとう事実を知るのみの
冷静な感覚と言えます。

むしろ、マスコミが伝える事に、恐々としているのは

一部の人達と、彼らに扇動された関係者であり、
日本のほんの一部の人達に過ぎません。
つまり、アメリカの対外政策に影響を受ける政府関係者と
アメリカとの関わり合いで利益を得ている人たちなのです。
騒いでいるのは、大商人であるトランプと彼と関わる
日本の商人たちの目論見なのです。

確かに、日米に於ける輸出入の関係性は非常に大きいものですが

殆どの日本の国民は、日本企業との関わり合いであり、
国と企業が今後体制を整え直し、今後の方針を変えて行く事で
自分達の将来が決まるのです。

トランプの発言が、直接日本の国民に影響が出ると言うのではなく、

彼の発言で、方針を変えた日本企業によって、国民の生活が
左右されてくるのです。
今や、巨大企業に依る独占で成り立っている日本人の生活は、
トランプの対外政策と言うより、一部の企業の国内政策に
大きな影響を受けるのです。

要は、トランプの政策から生じるリスクを、関わっている企業が

私達国民に負担を掛けるかどうかにかかっているのです。
トランプ以前に、私たち日本人は、すでに、一部の大企業と
彼らに操られる政府によって、生活負担を強いられているのです。

庶民の所得の多くは、国と企業に吸い上げられる様に成っていて、

リスクを負うのは、トランプ以前から日本の多くの国民なのです。
それ故、大統領が変わったとて、何の感動も危機感も無いのが
日本国民の心情であり、それをマスコミが煽り立てているだけです。
もし、今後、トランプの影響で、日本国民の生活が苦しくなるとしたら
企業の負担が国民に託されただけであり、富裕層は苦しまない様に
政治も行われるのですから。

私たちが、トランプ新政権から何かを学ぶとしたら、世界が恐々とする

彼の独断の実行力でしょう。
一国の大統領であろうが、一人の人間に変わりは有りません。
ただ、彼の影響力は、世界中に広がると言うだけの事です。

私達も、一人一人が、自分と周囲の環境の中で生きています。

自分の行動言動が、周囲の人々と関わって、日常が進んでいきます。
しかし、毎日が、猫の目の様に変わる事は無く、ほとんどの場合
同じことの繰り返しと言っても過言では有りません。
時たま、卒業、就職、冠婚葬祭と言った変化は有りますが、
日々、殆ど同じ生活が繰り返されれて行くのが現状です。

そんな中で、誰もが、満足しているとは限りません。

多くの方が、現実に不満を持ち、何とか、より豊かで満ち足りた
生活を送りたいと望んでいます。
いえ、その為に、毎日、頑張って仕事をしていると言う人もいます。

しかしながら、その不満を解消できる人は、ほんの一部の人達です。
新たな道に進むのは、そんな一部の人達であり、その結果、
多くの方々は、彼らを敬ったり、目標にしたり、はたまた、妬んだり
する様に成るのです。
その為、自分の思いを達成できる人は、ほんの一部の人達となり、
よく言えば、そんな人たちが夢を叶え、社会のリーダーともなって
国を引っ張て行く事となっているのです。

とは言え、殆どの人が自分を変えられないのに、そんな事は無理と

最初からあきらめている方が多いのです。
諦める人達の殆どが考える事は、自分がどんな頑張っても
世の中は、変えられないという考えです。
自分より遥かに優れている人達がいて、彼らを押しのけて上に立つなど
考えられないと思うのです。

しかし、この考えには、大きな間違いが有ります。

それは、勝手に、世の中の有り方を決めてしまい、自分自身の存在を
否定的に考えている事です。
人の存在価値は、その人の有り方、行いで決まります。
この事は、人が、環境によって変わって行く様に、人によって変わり
人によって、考え方を変えて行くからです。

つまり、これが、家族間であっても、会社であっても、社会であっても

自分以外の人々は、自分の考え行動で立場を変える様になっているのです。
全く変えられないと思われる事でも、自分が変わると、それに合わせて
周囲は変わる様になっているのです。

その為、世間からきめられた見方やレッテルは、容易には変えられません。

芸能人や有名人が、一度悪い事をすると、簡単には元の価値観を戻せず
非常に苦労する事からも解ります。
つまり、社会は、その人の行いに対し、柔軟性をもって変化をするもので
自分が思っている様な固定されたものではなく、まして、上下関係など
簡単にひっくり返るのが現状なのです。

トランプの発言の大きさは、その影響力と言うより、彼の発言で

簡単に世界中の政界や財界を動かしてしまう事です。
と言うより、大統領の発言に合わせて、世界経済が動くのです。
この事が、今後世界にとって良い方向に行くのか、悪い方向に行くかは
今後の問題であり、この発言で、トランプに対する世界の目は、大きく変わり
彼の存在価値は大きく変わったのです。

私達庶民とておなじです。

世界は動かせないものの、自分の周囲の環境を変える事は遥かに易しく、
それを難しくしているのが、自分自身の勝手な想像と考えなのです。
どんな形にせよ、自分の欲する新たなる自分を主張し実行すれば、
周囲も、家族も、環境も変わって来るのです。

一番の問題は、何事にも諦めて何もしない事です。

何もしない事は、現状が変わらない事であり、自分以外の変化に吸収され
思いもしない状況に置かれる事です。
どんなに小さなことでも、他人には見向き去れない事でも、自らが動き
新たなる存在となれば、後は、周囲が変わって行くものです。

トランプは、その意思が非常に強い人間です。

世界中の国々の関わり合いと言うより、自分が在りたい自分を主張します。
だから、世界中が従わざるを得ず、今や、日本のお偉い方々が慌てて
どの様に変化するか苦しんでいるのです。

日本や諸外国のリーダーたちがどんなに苦しもうと、トランプは

知った事ではないのです。
自分が言った事行動したことに、周囲が付いてきて、更には世界が
従ってくることを知っているからです。
ただ、彼の行いが、余りにも、世界に負担を与えるようでしたら、
当然、近い将来、強制的に辞めさせられるのですが。

 

 

 

 

 


輝ける人生を送る為に

2016-08-02 15:06:56 | 人生

都知事選で、小池さんが大勝して賑わっている頃、
昭和の大横綱である千代の富士がこの世を去りました。
昨年の北の海と共に、本当に若くして旅立ったことに
同じ時代を生きて来た者として、感慨深いものが有ります。

世界的に日本は長寿の国として知られていますが、

若くしてこの世に別れを告げる人も多いです。
著名人のみならず、身の回りにも、すでに学生時代に
あっという間に消えてしまった友もいますし、
バリバリの現役の時に、逝ってしまった仲間もいます。

とは言え、人間の寿命は、神のみぞ知る世界であり、

正直なところ、明日は我が身と言えるのかもしれません。
人はどんな生活を送ろうと、どんな偉業を果たそうと、
死んでしまえばすべて過去のものになってしまいます。
しかも、生きている時は本当に短く、悩んで解決しない内に
終末を迎える事も多いのです。

それほどにも短い生涯で、どれだけ自分の存在を示せるか

たとえ苦しみあえぎ努力したとしても、最後は夜露のような
はかない存在として消えていかねばなりません。
それが、早いか遅いかは、私たち生きている人間の思いに過ぎず
一体どういった人生を送れば一番いいかは、誰にとっても
難問であり愚問でもあるのです。

様々な壁にぶち当たり、先が見えない人生を送ろうとも、

生きている限り道は伸びていくものです。
その道は、必ずいつか途絶えるのですから、立ち止まって、
自らその道を断つ必要はないのです。

しかし、私たちには、未来を見る力が有りません。

その為、自分の前に壁が立ちはだかると、自らそれを越えられない
これ以上道を作れないと諦めてしまうのです。
自ら進むことを辞めてしまったとき、それは、人生を終える事です。
いずれその日はやってきます。
でも、その日までは、諦めさえしなければ、人は道を作る事が出来
新しい人生を歩めるのです。

人類が地球上で君臨できたのは、何事に対しても諦めないで前に進み

新たなる道を築いてきたからです。
人生は、本当に短いです。
気が付いたときは、後半となっています。
つまり、生まれた時から、すごいスピードで死に向かっているのです。
もし死ぬ時が運命ならば、それまでは何をしても道は続いていくのです。

太古の昔は情報がない事から、自分の存在を確認できず、簡単に死への

道を選んだ人も多かったのですが、現代は、余りにも多すぎる情報により
自分の存在価値が見いだせず死を早々と選んでしまう人が多いです。
いずれにせよ、自分の存在意味をいかに見出すかが、人生を充実して
送る術ともいえるのです。

存在意味は、自分で自分の中に見出すことは非常に難しい事です。

哲学者や心理学者の様に自己分析が出来る人はいいのですが、
一般的には不可能と言えます。
しかし、誰でも、自分の存在を見出すことはできるのです。

まず、自ら、自分の意思で行動し、周囲の人たちと関わる事です。

その関わり合いに対し、人々は、反応し、どのように自分を見ているかを
態度で示してくれます。
自分の中で悩み、何も行動に移さなければ、周囲の人も、気が付かず、
今の自分の状態を知らせてもらう事が出来ません。

素晴らしい偉業を成し遂げた人を惜しむのは、私たちがその人の行いに

反応してその行いの素晴らしさを伝えたからです。
多くの人の心が感動で動いたことを伝えたことにより、その人の存在が
はっきりとして、多くの人の注目を浴びるような人生を送ったのです。

でも、どんなに素晴らしい行動であっても、周囲の人々に伝わらなければ

単に独りよがりの終わってしまうのです。
つまり、人を感動させたり喜ばせたりする事が、自分の人生の生きがいを作り
人生を生きる意味を知ることになるのです。

私たちは、人生に於いて、人から何を得たかによって存在価値が決まって

いるのです。
しかし、得るためには、与えたくなるようなものを出さなければ得られません。
人に苦しみを与えれば、苦しみが帰ってきます。
喜びを与えれば、喜びが帰ってきます。

沢山の喜びを得られるには、どうしたら良いかと考えれば、

一体何をしたら良いのかが自然に解ってくると言えるのです。
選挙で当選した人たちが、自分たちの存在を私たちに認めさせるには、
これから何をすべきかは、分かり切っている事でもあるのです。
私たちは、一生を通じて、何をしたら良いのかが解れば、どんな時代を生きても
輝ける人生を送る事が出来るのです。