めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

スマホが、スマホ様になる時

2017-08-30 14:47:23 | スマホ

スマホや携帯電話は、我々の生活に無くてはならない物です。
今や、日本人は、老いも若きも、この電子機器無くしては生活出来ません。
ゲームに興じる人、日常の連絡に利用する人、仕事の段取りに利用する人
あらゆる記憶媒体として利用する人と、私達の生活は、この便利グッズに
支配されていると言っても過言ではありません。

全ての日常的な私事を任せる事に依り、便利で豊かな生活が出来ると思い
大人から子供まで、その機能性に全幅の信頼を寄せています。
あらゆる情報を手にいれることができ、自分の望み通りの日常を
エスコートしてくれる事に、人間以上の価値を感じる方も少なくありません。

更に、その機能は、日々進歩を遂げ、コンピューターが社会に出始めた頃
私達が羨望の目で見ていた最新機種よりも、遥かに凌ぐ性能のスマホを
誰もが気楽に使いこなしているのが現状です。
一体、どこまでこの機能が発展していくのか、想像だにできませんが、
この便利グッズが、いつも、自分の思い通り動いてくれていると
誰もが信じていますが、果たして、これから先、忠実な下部として
私達の生活を幸せにしてくれると言えるのでしょうか。

コンピューターの性能は、人間の機能をすべて賄えるようにと、
年々開発研究が行われて来ましたが、その進歩は、研究者の想像を超える
信じがたいスピードで加速しています。
ただ、人間の機能を代行するだけでなく、それ以上の能力を持って、
人類の遥か先を進んで行く様にさえ思えます。

私達がスマホを利用するとしても、その機能をすべて使いこなす事は出来ず
年々、利用者が使う機能の範囲を遥かに超える能力は、私たち人間の立場を
機械より下に置いてしまいかねない程です。
この心配は、既に、様々な世界で懸念されていて、その能力の高さを示す
パフォーマンスとして、将棋や囲碁の世界で人間と対戦させる事で
実証される事と成りました。

今や、私達人間の便利グッズと思われていた機械が、人間の機能を遥かに上回り
人間に支持をする時代になりつつあるのです。
人間社会をより便利で豊かな社会とする為に考え出された人工頭脳が、人間の頭脳を
遥かに上回り、私達人類を支配すると言う、SFの世界が現実に成ろうとしています。

現に、私達は、街に出向く時、何か美味しいものを食べたいと思えば、ネットで簡単に
近所のお店を検索できます。しかも、その内容から、食べた人たちの感想から知る事が
簡単に出来るのです。
何かをする時、自分達が望む条件で、一番楽しめる方法を教えてくれたり、様々な
アイディアを提案してくれたりと、ネット情報は、生活には無くてはならないものです。

これ程にも便利になれば、居ながらにして最適の情報が得られ、幸せな日常を送れると
思いがちですが、よく考えてみると、私達は、ネットを利用するたびに、自分達の
あらゆる個人情報をコンピューターに知らせている事になるのです。
生活の全てを託す事で、自分の情報が次第に蓄えられ、何かをしようとすれば、一番いい方法を
常に提案されるだけでなく、生活パターンも思考パターンも知られている事から、いつの間にか
人工頭脳の言い成りになってしまうのではないかと言う心配が生まれて来ます。

私達個人個人の違いに応じた対応の仕方で、其々が一番動きやすい方法に導入される事で
いつの間にか、機械の考えるシステムに組み込まれて行く可能性が有るのです。
天文学的な分析を瞬時にできる事から、人類一人一人を自由に動かす事も可能です。
しかも、必要でない人間や、機械にとって危険な行動を取りかねない人物を排除する事も
容易と成るのです。

国が、国民の情報を管理する為に一人一人を番号で処理しようとしたのも、コンピューターを
利用する事で国政を有利に進める思惑が有るのですが、一方で、この国民の情報は、人でなく
コンピューターが管理する事で、機械の支配をより近い未来としたことも事実なのです。
人間には私情が有り、人其々によって、物事の判断基準が違います。
しかし、機械による判断は、基準を定めれば、間違う事なく、はっきりと判断されます。

その判断基準が、何処に設けられるかで、我々の未来も決まるかもしれないのです。
私達は、コンピューターを作ったから、少なくとも、電子頭脳の次には位置されると
考えるのは非常に甘く、もしかしたら、これまでの人類が地球の歴史の中で行って来た
様々な蛮行を否定的に取られてしまうと、動物の中でも、かなり下のランクにされるとも
考えられるのです。

地球の自然を破壊し、あらゆる生物を絶滅させ、地球の生き物にとって最悪の生物と言える
人類に対する判断を、電子頭脳はどの様にするかが問題なのです。
私達の生活を便利にするために生んだ電子機器が、いつの間にかに人間の能力を遥かに超え
人類に指示するように成った時、私達の未来が決まると言えるのです。

今や、子供も大人も、一日の内多くの時間、スマホや携帯の画面と向き合い、更には、仕事や
勉強をする時もネットの画面を眺める事が多くなっています。
私達の生活は、いつの間にか電子機器に支配され、その機能に常に従う様に仕向けられて
いるのです。
気が付いたときは、スマホやコンピューターから流れる指示に従って、日常生活を送る事に
成っているかもしれません。
と言うより、多くの方が、それに近い日常を送っていると言えるのです。

私たち人間は、太古の昔から、お互いに膚を触れ、言葉のやり取りを行い、其々の心を
察する事に依り日常生活を円滑に行ってきました。
対人的にも、自然に対しても、五感をフルに活用し、体感しながら心と身体を育てながら
人生を送って来たのです。
人の心に触れる事に依り、信頼を得たり、自分の生きがいを感じたり、人の気持ちを知りました。

この感覚は、日々変わって行くもので、一つとして同じ心境ではないのです。

様々な環境に於ける対人的な触れ合いを通して、人間として成長してきたのです。
しかしながら、この人との間に様々な便利グッズを入れ、やり取りをする事に依り生活が
より機能的で豊かにはなったのですが、人との関わり合いを通した感情の触れ合いが無くなりました。

増して、ネットを通じたやり取りは、単に、情報交換と意思の伝達に過ぎず、常に、生身の
感情のやり取りが出来ない事から、繋がっていながら、個人的にバラバラな人間関係と成り
豊かな人間関係を失う事にもなっているのです。
ネットを通じれば、いかなる熾烈な言動も人を傷つける汚い文面も平気となって、便利な機器が
凶器と成る事も少なくありません。
相手に直接面していない事も有り、その言動は益々エスカレートする事も珍しくありません。

この事は、人間が、機械と同じような考えを抱くことになり、自分の考えを相手かまわず
強要しても、いかなる相手に対しても、思いやりや慈しみが無くなってしまうのです。
ネットが炎上したりしてニュースになったりすることが多いのですが、これは、不謹慎な
ネット利用者が、誰かを追い詰めた結果であり、普段は、何もできない人間が、ネットを
通じれば信じられない行動や言動を行う事と成るのです。

しかし、これは、人間が行う事ですから、まだ、可愛い物であり、たかが週刊誌ネタで
終わるほどの話題に過ぎません。
ネットによる様々な事件や被害は、人間がネットを利用する事で、悪質な利用者が引き起こした
内輪の事件の1つでしかないのです。

所が、ネットを形成している電子頭脳そのものが独断でネットを利用している人間に支持をしたら

とても炎上どころではなく、人類存亡にも関わる可能性が有るのです。
コンピューターが人類の存在を否定した途端、全ての地球上のシステムは、人類を滅亡させる様に
瞬時に変わってしまうのです。
それまで、人間の生活を支えていたもの全てが、人間を消滅させる方向に動くのです。
ネットで管理されているのですから、瞬く間に、人間の生活が否定される社会と成るのです。

誰が世の中の意思決定を行うかで、地球の未来も決まって来るのです。
これまで、人間が、地球の全てを支配し、自分達に都合がいい様に作り変えて来たのですから
これを、電子頭脳が行う様に成った時、果たして、私達人類は、地球に生きていられるのか
考えただけでも恐ろしい世界が生まれるのです。

私たち人類は、自分達の生活を便利に豊かにする為に、地球上のあらゆる資源を利用して来ました。
しかし、長足の進歩を遂げる過程で、私達人類の犠牲になった多くの生き物が絶滅し、
地球環境も破壊されて行きました。
今や、地球自体の環境も大きく変わり、異常気象は当たり前の時代と成りました。
更には、より機能的で便利な世界とする為開発された電子機器は、私達の生活を、一段と便利で
豊かなものとしました。

しかし、その反面、人類の繁栄の力と成った電子機器は、人類の生活を助ける為の機器から

人類を管理する電子頭脳として急速に進歩しているのです。
人類がこの世に現れて、地球の環境は悪化する一方でしたが、遂に、人類の暴挙を止める物が
現れたと言えるのです。

誰も止められなかった人類の蛮行を、人類自体が創り上げた電子頭脳によって止められるとは

考えもしませんでした。
しかし、その時は、着実に加速的に近づいていると言えるのです。
いまだ、多くの人類や、開発した科学者たちは、コンピューターがの発達が、人類の将来を
切り開くと考えていますが、人類を破滅させるとは、思ってもみない事です。

電子頭脳の進化は、人類が100年を掛けて行って来た事を、わずか数日で行うと言われています。

しかし、それ程にも優れた電子頭脳が、数年もすると、遥かに上回る電子頭脳にとって代わられると
考える学者も多いです。
人間の想像を遥かに超えた電子機器の世界は、私達の想像をはるかに超えて、実は、既に着々と
人類の地位を狙って進化しているのかもしれません。
ただ、私達が気が付いていないだけで、もう、既に、スマホの中にも、私達を操るシステムが
組み込まれていて、有る時、私達の生活すべてがスマホによって支持される時代が来るかも知れません。

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


スマホ命の妻

2017-01-28 13:16:05 | スマホ

今朝、出勤をしようとして家を出ようとすると、少し先に
出かけた妻が、慌てて帰って来ました。
どうやら忘れ物の様です。
妻が先に出た後、部屋の中を確認すると、いつもの事ながら
何か忘れ物がありました。

コンピューターの横に、派手なケースに入ったスマホがおいてあり、

どうせ、慌てて帰ってくるのは解っていましたが、とりあえず、
戸締りをし、カギを閉めて家を出ると、すぐに落ち着かない妻の顔が
飛び込んできました。
大事な物を忘れたと言い、もう一度家に入ろうとするのを引き止めて、
バッグの中からスマホを出すと、何事もなかったかの様に、元の道を
引き返していきました。

直ぐに追いついて、二人で歩きながら、何気なく、妻に、

あなたにとって、スマホの価値観はどれくらい?
と尋ねると、すぐさま右手を高く上げ、空の彼方を指しました。

妻は、子供を育てている時からゲームが大好き、更には、学生の頃から

機械いじりが大好きと有って、我が家の電化製品、電子機器は全て
お手のものの才覚です。
普通ならば、一家の主である私が担当しそうな事は全て妻が行い、
今や、コンピューターに関しては、友達にかなり頼られている存在です。

そんな訳ですから、私の知識など、まるで子ども扱い。コンピューターや

スマホの調子が今一となると、あっと言う間に直す程です。
しかし、これほどにもネット社会に精通してくると、現代社会に於いて
如何にスムーズな生活を送れるかと思いきや、そんなにも精通している
ネット機器で逆に四苦八苦する事も珍しく有りません。

四六時中スマホを手放さず、時々見失うと本当にパニックになって

しまいます。
私は、まだアナログの人間ですから、コンピューターも常に利用しますが、
時に、調子が悪くなったり、ネット側のメンテナンスなどで使えなくなっても
何だ慌てることなく、スマホを忘れても差ほど心配にはなりません。

所が、妻の場合は、スマホの中には、全てのスケジュールから、自分の情報が

詰まっていて、毎日スマホを中心にして動いています。
その為、スマホが無くなったら、まるで、だるまの様に何も動けません。
スマホが無い時代にも、日常的な事は、殆ど熟してきているのですから、
他の手段で賄う事は容易と思えるのですが、それ以前に、無い事で
精神的に参ってしまう様です。

日常生活だけでなく、殆どの情報が、ネットを通じて得ている様であり、

ネットに流れる情報を、すぐに鵜呑みしたり、ネット友達との情報を
そのまま自分の考えとしてしまう事も少なく有りません。
世界中をまたにかけるネットを自由に利用できる様で、なにやら、反対に
非常に狭い範囲で拘束されている様で、私からすると不自由に思えてなりません。

最近、世間で問題視されているシンギュラリティが、すでに我が家で始まって

いる様に思えてしまいます。
将来、人類がコンピューターから発達した高度な人工頭脳で操られる様になる
と言う、SFの世界が現実になると危惧されるのですが、それ以前に、その土壌が
すでに人類に出来上がっている様に思えてなりません。

私たちは、コンピューターを使って、どんどん便利な社会を創っている様で

実は、その先には、その私たちが作り上げたネット社会を利用した、人工頭脳の
恐ろしい世界が待っているのかもしれません。

今や、世界は、ネットが広がり、あらゆる流通、社会生活、更には戦争まで

全てがコンピューターで繋がっていると言っても過言では有りません。
その繋がりを利用して、私たちは日常生活をより便利に豊かにしているのですが、
世界中の人々が様々な環境で利用しているネット情報が、一括して誰かの意志で
動かされるようになるかもしれないのです。

それが人である可能性は低く、何故なら、すでに人工頭脳は、人類の能力を

遥かに超えて、長足の進歩を遂げているからです。
数年後には、数十年後を待たずして、コンピューターの力は、私達人類の予想を
遥かに超えて進歩してしまう可能性もあるのです。

コンピューターがコンピューターを自ら進歩させるという、人類が主導権を

持てない、悪く言えば、人類を必要としない社会が生まれるのかも知れません。
より、機能的で無駄のない社会を目指すとしたら、人類程身勝手で不完全な
生き物は、真っ先にこの世から消されてしまうかもしれないのです。

私達人類が、創成期から目指して来た、便利で機能的な生活は、人類が管理

抑制する事で成り立ってきました。
様々な人種の考えを取り入れながら、人類として進歩してきたのですが、
それでも、さらなる可能性を求め、より完璧な社会を築こうとして作られたのが
コンピューターでした。

しかし、今や、その存在は、人類の英知や倫理を超えて、インプットされた

様々な条件を基準に間違いなく遂行する様になったのです。
つまり、決められた事は、間違いなく実行されるのです。
人工頭脳が、もし、不完全で、地球にとって悪影響を与え続けて来た人類を
地球にとって不必要と認めれば、何の躊躇もなく消し去ってしまうのです。

とは言え、今の社会は、まだコンピューターの機能に懐疑的な人が多く

少なくとも、ネットを自由に出来る人たちの天狗鼻を抑えることが出きるのは
世の中が平和だと言う事なのかもしれません。
全ての人が、ネット社会に迎合してしまった時点で、新たなる指導者が現れた時
二度と人類の社会は実現しないのかも知れません。

と、訳の分からない事を書いていますが、現実においては、ネット社会に

上手く乗って行けていない、アナログを引きずっている昭和世代のたわごとと
笑って頂ければ幸いです。

 



 

 

 

 

 

 


ネットが若者を苦しめる

2015-06-09 18:07:33 | スマホ

ネット社会が当たり前の世の中となって、私達の生活も
あらゆる物が手に入り、知ることが出来る様になりました。
世界中で起こる様々な出来事が、瞬時に伝えられ、
我々は居ながらにして、地球の裏側の事件を知ることが出来ます。

そんな中、私達を取り巻く人間関係も、若い人を中心に
大きく変わって来ました。
スマホの普及に伴い、常時誰とでも繋がっている事が可能になり、
顔を合わせることなく、相手の存在を知ることが出来る様になりました。

その為、お互いの人間関係を、意図的に、近づけたり遠ざけたりでき
相手の気持ちとは関係なく、自分の方針を押し付ける事も可能となりました。
この便利とも言える機能が、実は、今の若者たちを、ネットに縛り付け
自由を奪う結果ともなっています。

目の前の相手と関わる煩わしさが無い反面、自由に繋がる事が出来
相手構わず自分の我を通す事が出来る事と成りました。
それ故、相手の存在を保つことも消し去ることも簡単にできてしまい、
関係を維持したい側からすると、相手に隷属せざるを得ない状態も
生まれています。

関係を保つには、お互いに、相手からの遮断を恐れ、表向きな言葉を伝え
常に本心を付く言葉は心の奥に隠したままの状態で繋がります。
自らも相手を遮断する事も出来るのですが、自分の存在を認める相手に
自らその関係を断つことは有りません。

しかし、ネットを通じての関係であれば、何のためらいも無く断ち切るのが
今の若者の心情でも有ります。
途切れなく簡単な単語やスタンプで繋がり合う若者たちは、送られてくる
意味の無い短文に応える事が使命となり、表面的に繋がる友との
やり取りに時間を費やします。

でも、そのやり取りが、自分にとって全く意味を成さず、2人の関係を
高める事でもない事をよく知っていて、本質的な自分の心は成長せず
自分の存在の意味も分からず、思い悩んでいる若者も多くいます。

私達が若い頃は、対人関係と言えば、目の前の相手であったり
会社の人々の様に、常に同じ空間でのやり取りが普通でした。
その為、時にはトラブルに巻き込まれたり、お互いの関係を
言葉を交わせるがゆえに、複雑にしたりしたものです。

しかしながら、相手の存在が目の前にあり、お互いが相手の
存在を感じつつ戦ったもの故、お互いが力を合わせると、
信頼関係がより強くなり、仕事でも人間関係でも、次の新しいステップは
お互いに進んでいけたものです。

今のネットでのやり取りは、例え知っている人と出会っても
仮想空間でのやり取りになりやすく、お互いの存在が感じられません。
その為、簡単に傷つける事も可能になり、面と向かっては言えない言葉や
文章で相手を深く苦しめてしまう事も有るのです。

問題は、例え相手が自分の言動で苦しもうと、二次元の世界での
やり取りの様に、何のためらいも罪悪感も生まれない傾向が
有る事です。

ネットを通じる事で、簡単に人と人が繋がる反面、簡単に傷付けあう事も出来
若者たちの心の成長に大きな問題を投げかけています。
私達は、小さい頃から、人と話す時は、人の目を見て話せと言われました。
これは、目をじっと見て話せという事ではなく、相手の心の動きを察し
その時お互いに一番良い言葉で話す事が大切であることを教えたのです。

ネットを通じて話せば、お互いにどんな所に居ても構わず、
何をしていても、文面や言葉だけで伝え合う事になります。
そんな仮想空間で話す事は、私達人間には、本来存在しませんでした。
例え電話が普及しても、大切な事は、お互いに会って話したものです。

便利なネット社会に成って、便利になったのは、社会を取り仕切る
世の中の中心になっている人たちだけで、多くの大衆は、かえって
お互いの絆が弱くなっている様に思えてなりません。


インターネットが人類を滅ぼす!

2014-12-06 15:24:50 | スマホ

今日は、朝からネットが繋がりません。
スマホも中々起動せず、情報を得るまで時間が掛かります。
いつも簡単な操作で、私達の行動や仕事をサポートしていたのに
一度不具合を生じると、思いがけない不便さが噴出してきます。

ところで、最近、公共機関に乗っていると、車内の状況が以前からして

随分変わってしまいました。
日本のバスや電車の中は、海外のそれと異なり、意外と静かで
マナーを守る人が多いのですが、近ごろは、少し異様です。
多くの座っている人だけでなく、立っている人たちも、
ずっと小さな画面に釘付で、指先を盛んに動かしています。

そう、今や、スマホ全盛期です。
大人も子供も、サラリーマンもお年寄りも、ただ黙って指を動かします。
もちろん、彼らは、自分の世界で頭の中は盛んに活動しているのですが、
時に、数十人いる乗客が一斉に黙りこくって、何かに取りつかれたように
画面に食い入るように集中しています。

そんな中で、私はどうしているか、と言えば、御多分に漏れず、やっぱり
自分のスマホの画面に神経が集中しています。
確かに、交通機関を利用している時、誰かと話さない限り、
殆どの時間が、指先動作に使われているのが現状です。

しかし、もし、急にスマホが全く使えなくなったら、更には
コンピューターが動かなくなったら、もう、日本と言うより世界の人々は
生活する事すら難しい時代となっているのです。
先日、世界的な物理学者である、ホーキング博士が、
未来のコンピュータシステムを危惧する発言をしていました。

彼は、それこそ時代の最先端の人間と思っていましたが、
その発言は、否定的な意味が含まれていました。
今の様にコンピューターを我々が操作し支配している時は良いが
コンピューターに意思が現れ、自分たちで世の中を支配し始めたら、
人類は排除されるかもしれないとの事でした。

まるでSF小説の世界の様ですが、未来では現実となる可能性が
有るとの事です。
映画の世界では、コンピューターが暴走して、人類と戦うと言う内容は
珍しくありませんが、それが世界的権威から可能性があると言われると、
私達の将来は、自分たちが作りあげたもので滅ぼされてしまうと言う
考えただけでゾッとする光景です。

コンピューターがバグッたり、ネットが繋がらなかったりする位は
まだ可愛いものかも知れません。
とは言うものの、インターネットの進歩により、超高性能の機械が
生活の全てを支配していくとしたら、本当に恐ろしい事です。

私達は、より便利で豊かな生活を目指して、文明を進化させてきました。
しかし、それは私達人類の視点からの進歩で有って、遠い将来
意思を持ったコンピューターが生まれ、物事の価値観が変わったら、
それこそ機械的に我々人類は抹殺されるかもしれません。

長い間、私達人類は、合理的で便利な世界を目指してきました。
その為、生活のあらゆるものに、人類の進歩を見る事が出来ます。
今やその最先端がインターネット社会なのでしょう。
しかし、便利に合理的になった事で、本当に私達は幸せになったのでしょうか。
何でも手に入る世の中で、多くの人が生活に支障をきたしたり、
最高の医療設備があるにもかかわらず、その恩恵を受けられない人々が
数多く存在する現実。

幸せを求めている国民の多くが、求めている事と反対の生活を強いられ、
ほんの一部の人達のみが満たされている、一極集中型の格差社会が
今の日本の現状でもあるのです。

もうすぐ衆議院議員選挙です。
私達は、私達の気持ちを代弁し、本当の民意を政治の場で論じられる
私達の代表を選びたいのです。
単なる政治屋を選出するのでは有りません。
当選者を、一部の豊かな日本人の一人にさせる為に選ぶのでは有りません。

今のままでは、コンピューターに支配される前に
我が国は、滅びてしまうのではと心配になります。


驚きのインターネットの世界

2014-03-14 13:34:29 | スマホ

SNSの発達により、今や、あらゆる場所から情報を得られ、
世界中の物事が、その場に行かなくても知ることが出来る様に
なりました。
なかでも、流通に関しては、驚くほどの発達が見られ
ネットを通じて、生活に必要な物は、ほとんど手に入れられます。

先日、息子が耳かきを探していて、我が家には彼の耳にフィットする
ソフトタッチ?の耳かきが有りませんでした。
そこで、この次の休みにでも買いに行こうと話を持ちかけると、何やら
スマホをタッチし始めました。

すると、もう注文したから大丈夫との返事。
えっ!?と聞き返すと、明日には届くとのこと。
耳かきが、明日に届けられる???
こいつはいったい何を言っているのかと思っていました。

翌日の朝に、小さな小包が梱包されて送られてきました。
たった一本のちっぽけな耳かきが送られてきたなんて、信じられない!?
更には、送料は無料との事でした。

我々が知らない間に、世の中は恐ろしいスピードで進んでいるのだと、
感心するとともに呆れてしまいました。
息子の話では、部屋の中を見渡して、送ってもらえない者は無いと言います。

私達中高年は、買い物と言えば、お店に出向いて、見て触って選んで
それから買い求めるのが普通の事でした。

極端に言えば、家から一歩も出ないで、世の中の事を知り、欲しいものは
ネットで手に入れる事が出来ると言うのです。

しかしながら、便利なようで、ちょっと空しいというか寂しさを覚えます。
買い物にしても、旅行にしても、その地で雰囲気を感じたり人と話したりで
五感を満たしながら行なうものと思えます。

世界の、決して一生かかっても行けない所や食べられない食物を居ながらに
疑似体験できるのは素晴らしい事です。
でも、生きていくという事は、沢山の人や物に関わりながら生活していく事だと思います。
そのことを通じて、ただ生命として生きながらえていくだけでなく、五感を通じて
心を育てて行くのだと思います。

世の中がものすごいスピードで進化していこうとも、出来るだけ、自分の目や耳
身体を通して自分の心の躍動を求めていきたいと思います。