めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

地震と戦争は突然に

2017-07-05 15:09:09 | 日本

日本周辺の緊張が益々高まっています。
遂に、北朝鮮は、ICBМの開発に成功したと高らかに宣言をし
アメリカも、これによって自国に対する危機感を強めています。
一発触発と言っても良い状態なのに、トランプは、ツイッターで
まるでゲームを楽しむかのような他人事の態度を示せば、
我が国のリーダー達は、都議会選挙の大敗を受けて、我が身を
守る事には必至と成るも、この非常事態の中で、国民は置き去り
遂に、日本丸は船長不在で、嵐の海を漂う事と成りました。

東日本大震災の前、何年も、大地震の警告が成されながらも、

我が国のリーダー達は、どこ吹く風と言った他人事でしたが、
いざ、起こると、想定外と言う言葉を並べて責任転嫁を計るも
対策は後手に周る一方で、いまだ、多くの人々が苦しい生活を
強いられているのです。

戦後70年になり、日本経済は長足の進歩を遂げたものの、

戦争の後遺症は、いまだ多く残り、その痛みは、諸外国からの
様々な日本バッシングにも表れています。
日本人の大半が戦争を知らない世代と成り、日本が、かつて
アメリカと戦ったという実感の有る人達は殆どいません。

その為、多くの国民は、日本が戦争をすると言う実感はほとんど無く

頭の中ではそれぞれ理解していても、実際に起った時、如何なる
想定外の事態と成るかはわかっていません。
自分が傷つき死ぬという事の具体性は無く、更には、目の前で
人が殺される事に依る、想像を絶する心の痛手は考える事すら
出来ないのです。

しかし、今や、その可能性が有るのです。

中東で行われている地獄絵図が、我が国の中で起こるかもしれない
緊急事態ともいえるのです。
その為にと、時折テレビで流れる政府広報のミサイル対策は、
如何に、リーダー達は、戦争に対して安穏と構えているかが
良く解り、自分達の命の安全確保が一番である事が伺えます。

戦争と地震の大きな違いは、リーダー達が準備できるか出来ないか

に有ります。
多くの戦争は、突然起こった様に思われる事が多いですが、実際は
様々な国際間のトラブルが頻発し、お互いの緊張の糸が切れた途端
どちらからと言わず、戦火を交えると言えます。

しかし、この間、何が成されているかと言えば、当然、戦争の準備を

お互いに行って行くのですが、最大の準備は、戦いが始まるまでに、
国の代表と成る方々やそれに関わる方と企業の安全を図る事です。
戦争は、要人の安全が確保されていなければ行われないのです。

つまり、国民が犠牲になるかならないかは二の次なのです。

この緊迫した東アジアの各国は、戦う以前に、自分達のリーダー達
そして国の経済を担う企業の安全存続を確保するのです。
トランプの東アジア諸国歴訪も、アメリカが戦争を起こしたとき、
その周辺国への安全宣言と協力を求める物であり、いざ戦いと成って
周辺国が敵国に寝返りをしない為の策とも言えます。

かつて、アメリカは、日本が第二次世界大戦に突入する何か月も前から、

周辺国や世界の列強と話し合いを重ね、もし、アメリカと日本が
戦争になった時の協力を仰いだのです。
北朝鮮を兵糧攻めにしたことも、周辺国に対する理解を求める行為も
次第にその日が近づいている可能性が高いと言えるのです。

しかし問題は、アメリカが北朝鮮と戦うと言う事は、韓国と日本は、

アメリカの同盟国として戦う事になる事です。
しかも、どちらも、アメリカの駐留基地が在り、当然、そこに真っ先に
ミサイルが飛んでくることは明らかです。
つまり、日本国土にミサイルが着弾すると言う事です。
しかも、アメリカ軍の基地だけを狙って攻撃すると言う事は考えられず、
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、と言う様に、日本はアメリカ同等に
標的と成ると考えられるのです。

と成れば、我が国が対抗できるのは、自衛隊とアメリカ軍の力だけと言えます。

しかし、日本国内は、戦争を想定した国創りを行って来ていません。
そんな状態で、日本全土を、どうやって守ろうと考えているのでしょうか。
そう考えると、あの政府広報は如何に国民をバカにしているとしか
言いようが無いのです。


とはいっても、今のリーダー達は、ミサイルが日本に着弾するかどうかと

考える以前に自分達の事で精一杯なのかもしれません。
と言うより、政治屋として、生き残る為に必至なのかも知れません。
残念ながら、今の日本は、民主主義国家とは言えないのです。
リーダー達は、この消費経済社会を円滑に運営して行く為に働くだけで、
目的は、あくまで個人的な地位と財産なのですから。

今の資本主義社会は、国民と社会を動かす企業達の橋渡しを担うのが

政治家の役割であり、その陰の報酬が時折マスコミに暴露されて問題となり
国民から非難を浴びるのであって、国民からより多くの収益を得られる
富裕層中心の社会を築くことが彼らの役割と成っているのです。

殆どの国民は、国への多額の税金に苦しみ、企業が提供する生活必需品の

出費で二重に苦しんでいるのです。
より、経済的に豊かになる事を将来の目的とさせる社会は、個人の事を
考えているというより、より豊かな納税者と出費者を育てる為と言えます。

ピラミッドの頂点にお金が流れる様に、末端の生活者まで全てから資金を集め

その頂点の富裕層への橋渡しが政治家の役割と成っているのです。
彼らは、自分達の地位を守るために、選挙が近づくと、急に国民の方を向き
満面の笑みで国民の幸せを訴えます。そしてその裏では、頂点の方々に向かい
媚び諂い報酬を要求するという構図が生まれてい来るのです。

選挙は、国民の気持ちを反映できる政治家を生むためと言うのは表向きで、

より経済的に豊かと言われる、多くのお金が企業に流れる社会を築ける人を
生む事と成り、何故政治家になりたいのか、と言う質問に対し、
国民の為にと言う建前で当選しようも、いつの間にか、美味しい話を持ち掛ける
人々に尻尾を振る政治屋を生む事と成るのです。

国民に対し、国民の思いを胸に当選した議員たちが、その後どれだけ初心を忘れず

常に国民に対して初心を忘れず努力をしてきたか、時は政治家を変えてしまう
という言葉が当てはまる議員がいかに多い事でしょう。
政治家としての巧みな弁舌は、国民を豊かに幸せにするために発せられず、
己の保身と誤魔化し言い訳に使われる様では、政治家としての資質どころか
人間としても、最低の部類に入るともいえるのです。

そんな人たちがリーダーシップを握り続ける日本の国民は、本当に不幸で

可哀想な国民と言えます。
外見を気にして、一生懸命、まともで余裕のある生活をしている様に見せますが、
街を歩く人達の多くが、日々の生活に苦しんでいる現状を、彼らは知りません。
何てったて、経済的に豊かな生活を送って来た坊ちゃんお嬢ちゃんが多いからです。

国民の事を第一に考えていると言う数々の弁舌は、頭の中で作られたものであり、

官僚が創り上げた文面に過ぎず、本人の心から出ているものでは有りません。
つまり、何不自由なく生きて来た人間は、不幸な人達を見ても、まるでテレビの
ニュースを見ている様なもので、しょせん他人事であり、それに対する言葉も
自分を取り繕うパフォーマンスに過ぎないのです。

今や、ミサイルが日本国土に着弾するかも知れない事態ですが、彼らにとって、

戦争になろうが自分達の安全が確保されていれば、どんなに犠牲が出ようと
心には何も感ぜず、またもや作られたお悔みの言葉を並べるだけなのです。
そして、それ以上の事態と成ると、お得意の、想定外という逃げ口上を述べ
自体の収拾を図るのです。

決して戦争になってはならないのですが、例えなったとしても、その後の日本が

今と同じような政治体制であるなら、戦争以上に不幸と言えます。
日本国民は、どんなに犠牲を払おうと、いつになっても、真綿で首を絞められる様な、
一部の人達だけが幸せな生活が出来る、今と変わらない生活を強いられるなら
選挙自体が必要でない、民主主義国家には程遠い国を棄て、新たなる自由の国を求め
難民と成らざるを得ないのかもしれません。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


日本の故郷が消えて行く

2016-12-27 13:44:59 | 日本

今年は、久し振りに会った大学時代の友達と
新宿で飲みながら、懐かしいあの頃を語り合いました。
彼は、長い教員生活を高校の校長先生と言う大役で終え
次なる人生へと夢を語っていましたが、いつも話に出る
故郷の自然の素晴らしさは、故郷を愛する気持ちがにじみ出て
私の生まれた地との違いにいつもながら羨ましく思いました。
大きな災害に合うことなく、海の幸山の幸に恵まれ、中でも
故郷の水は地下水を利用した水道水で、日本一美味いと
胸を張っていました。

そんな彼と楽しい酒を飲んだ後、一か月も経たずして、
突然、ニュースに思いがけない文字が並びました。
熊本大震災、それは、まさに、寝耳に水と言った感じで、
その画面に次々に現れる現地の震度、更に災害状況が
まるで夢を見ている様でした。

熊本は、九州でも割と地殻が安定していて、親友も、
地震だけは無いからね、といつも言っていました。
阿蘇山からエネルギーが放出されているから大丈夫と
学生の頃から言っていたものです。
しかし、現実は、地質学者も懸念していた断層が
幾つも重なっていて、彼の住む町も、その上に有りました。

幸い、家族や周囲でけがをした人は居なかった様なのですが、
住んでいたマンションのダメージは大きく、今後住み続け
られるか心配とのことでした。

大災害は、人々の人生をあっと言う間に変えてしまいます。
私の故郷も、伊勢湾台風以前は、素晴らしい水郷の街であり
街を流れる川は清く美しく、自然溢れる土地でした。
しかし、台風が去った後は、多くの人命が失われ、自然は
ことごとく破壊され、その後は、高いコンクリートの壁に
大きく囲まれた、土地改良を施された、何処にでもある
新興住宅地の様に成ってしまいました。

人は、生まれた地に生きることで、様々な環境からの影響を受け
その時の思いが、一生心に残って行くものです。
その為、例え故郷を去っても、戻ってくれば、同じ懐かしさを
感じられ、心は、遠いあの頃にフィードバックします。
しかし、災害で、街の様子が一変すると、途端に、心に大きな
言いようのない空しい穴が開いてしまい、まるで、自分の
ルーツを失ったかの様な寂しさを覚えます。


今や、日本中で毎年、様々な災害が頻発し、多くの人々が
家を追われ街を追われ、更には、故郷を失っています。
一時的とはいえ、他の地に住む事は、非常に心苦しく
その地に馴染むだけで大きなストレスを抱えてしまいます。
増して、最近ニュースに上る、イジメやシカトは、さらなる
心の苦しみを与え、被災者たちの未来をも閉ざしてしまいます。

しかしながら、故郷を離れても、いつか帰った時、あの時のままの
美しく優しい故郷が迎えて暮れたら、多くの苦しみも癒され
その後の、人生を心豊かに過ごせるものです。
所が、災害が起こった後の救済、更には復興計画は、余りにも
その土地の人々や自然の事を考えず、一方的な押し売りの様な
ただ、お金をかける事に重きを置いたものが多く、出来上がった街は
かつての故郷とは程遠い、その地に住んだことのない人の、勝手な
構想に基づいた、本当につまらない街と成っている事が多いです。


これまでの日本経済の有り方と同じく、経済的な観点からしか
日本の未来を考えられない人々が作る街は、単なるほかの土地の街の
コピーに過ぎず、その地に住む人々の心に根差した街とは言い難く
長い間借家住まいしていた被災者が、さらなる借家に住むと言う事に
政治家も計画をした方々も考えが及んでいないのが現状です。

親友の故郷も、地震後、日本中からの支援や政府からの援助により
着々と新たなる復興計画を推進している様です。
確かに、被災者たちだけの力で復興する事は不可能かと思えますが、
出来上がった街が、かつての人のぬくもりがある街となるか疑問です。
ただ、少なくとも、熊本城の再建には、石垣の石の一個一個に拘り
以前と同じ城を構築する計画とのことであり、この点だけは、本当に
復興されるのだと胸をなでおろします。

しかし、殆どの被災地は、莫大な資金が使われ、以前にも増して、
近代的な綺麗な街となると思われます。
しかし、そんな街を見て本当に喜ぶのは、その地に長く住んでいない
新参者の方達や、子供達でしょう。
多くの熊本県民は、新たに作られる知らない街より、以前の趣のある
落ち着いた街並みに郷愁を覚えるはずです。

もちろん、同じものを復活する事は、時間も資金も限界が有ります。

しかし、少なからず、その土地の大切な部分を生かした街を目指す事が
一番大切で有り、日本中の被災地に出来上がった、お金だけを掛けた
日本中どこにでもある、その地の素晴らしさを感じさせない街では
心の底から復興を喜べないのです。

経済的に豊かであるのが幸せと感じる時代は、もう過去のものであり、

指導者たちも、そろそろバブルから目覚める事が大切です。
自分が日本人である事、自分の故郷が一番と言える日本人が減りつつ
有る現状を、日本の危機と感じない様では、日本全体の復興は
何年たっても期待できないのです。


ポケモンと汚れた海

2016-10-10 19:44:59 | 日本

昨日は、午後から雨が上がった事も有って、横浜散歩に行ってきました。
夏場は暑くて、なかなか行こうとは思わないのですが、その他の季節は
我が家から一時間も掛からない事から、のんびりしたくなると出かけます。

もちろん、関東では一番の中華街もあり、食べる物には事欠かないのですが、
東京と違って、何処か異国情緒があり、大きく広がる横浜港は、いつ行っても
心を休めてくれるのです。

夕方までには帰る計画を立て、今回は、妻が最近凝っているポケモンGOの
モンスター探しを兼ねて出発しました。
今や、老いも若きもはまっているポケモンGOですが、批判していても、
体験しなければ解らないので、妻にソフトをインストールしてもらい、
電車に乗って出かける事と成りました。

社会問題になるほどの理由を知りたくて、妻にゲットの方法を習いながら、
最初の訪問地は、港の見える丘公園になりました。
いつもは、美しい港横浜を眺めるために訪れるのですが、この日ばかりは
勝手が違います。

モンスターが設定されている場所に来ると、盛んにスマホの警報が鳴ります。

画面上のその場所の地図の上に、見たことのないキャラクターの怪物が浮かびます。
それを、様々な道具を使って捕獲するのですが、同じように、ゲームをしに
この地を訪れているのでしょう、沢山の人が、不自然に歩き回ります。

景色を眺めるのではなく、視線はいつもスマホ画面の上です。

レアな怪獣が現れると、その周辺には、いつの間にか何人もの輪ができます。
次第に遊び方が解ってくると、いつの間にか、周囲が見えません。
これは確かに、交通量が多い道路や人混みでは危険です。

しかし、やってみると、なかなか面白いのは確かです。

私に言わせれば、釣りゲームをしているようで、様々なモンスターを
いろんな場所で釣りあげているようなものです。
ただ、捕まえたモンスターが様々な方法で成長し、新たなる強いモンスターに
変わっていくところが、これまで、様々なゲームで育って来た世代には
魅力的なのでしょう。

ゲーム世代とは程遠い、アナログ世代に育った私でも、やってみれば、なかなかの

面白さです。
そんなわけで、山下公園から大桟橋と、遊歩道をモンスター探しです。
しかしながら、どこに行っても、それらしき人達が歩いています。
一体どれだけの人がこのゲームにはまっているのかと思うと、恐ろしくなります。
ネットの力は、世界中の人々を瞬時に動かすことが出来るのです。

所で、海岸線をゆっくりと歩いていると、何故、これほどにものんびりとした気持ちに

なるのか、東京の街や公園を歩いている時と全く違っているのは何なのかと考えると
その答えは、やはり大きく広がる横浜港にあると思えます。
大きな建物やビルが有っても、圧倒的に広がる海が、都会の喧騒を忘れさせて
くれるのです。

新宿や渋谷を歩いている人よりも、山下公園を歩く人は、間違いなく遅いです。

のんびりと海辺の空気を楽しむかの様に、一人一人が、自らの思いを風情に託し
気持ち安らかに散歩しています。
横浜の魅力は、やはり海に尽きる様です。

しかし、今回も、護岸から波打ち際を眺めると、沢山のゴミが打ち寄せられ、

海とは言え、生き物たちの気配は有りません。
暗青色の海は相変わらず、東京湾の汚れた水質の色です。
この色は、高度成長期の色となんだ変わりは有りません。

油や浮遊ゴミは減ったと言いますが、そんなにきれいになったとは思えません。

4年後には、東京オリンピックが開催されます。
これからますます、沢山の関連施設が作られ、街は美しく変わって行く事でしょう。
しかし、その前に広がる海は、相変わらずの汚染で、その色は下水の延長です。

この海から私たちは命の糧を得ているのです。

東京湾が汚れていても、綺麗な外洋が有れば魚は沢山獲れると思っている方は、
日本が食糧危機に見舞われる可能性があるとは、思ってもみないと思いますが、
私たちが食べる魚たちの稚魚や、大型魚が食べる小魚の多くは、海岸に近い海で
成長しているのです。

その為、日本は、素晴らしい海を持ちながら、海岸に近い海を汚染する事に依り

自らの食料を減らしているのです。
近年の漁獲量の減少は、私たち日本人が、高度成長と言う名のもとに、
私たちの食の元を生む海を汚して来た結果でもあるのです。

素晴らしい施設を作り、世界に誇れるオリンピックを開催できるかもしれません。

しかし、そのお膝元に広がる海が、汚染され、多くの海洋生物の命が失われ
生き物たちにとって地獄の様な光景となっているとしたら、私たち日本人は、
決して手放しで喜んではいられないのではないでしょうか。


消費経済に翻弄される日本人

2016-09-20 13:52:15 | 日本


今年の前半は、まったく台風が発生せず、台風の存在すら
忘れていたのに、ここ2か月程で、その思いは打ち砕かれました。
発生するだけでなく、短期間に日本に幾つも上陸し、その被害は
毎週の如く起こっています。

風のみならず、前線を伴った大雨は、各地でかつて記録された事の無い
雨量を記録し、全国的に大きな被害を伴っています。
季節的に台風が日本に近づくのは、極めて普通の事なのですが、
近年の台風は、日本の四季の移り変わりと共に定期的に発生すると
言うものではなく、発生の仕方も、大きさも、その進むコースも
想定外であり、異常気象が益々身近なものとなって来た様です。

とは言うものの、この原因は、私達人類にある事は否定できません。
もし、人類が生まれ無ければ、地球の自然は保たれ、多くの種は
絶滅する事は無かったと言う学者もいます。
まさに、人類は、地球における最悪の生き物と言っても過言ではなく、
今や、私たちの犯した罪により、自らも裁かれる運命と成っている
のかも知れません。

しかし、かと言って、このまま、手を拱いて運命に従って滅びるのは
如何ともしがたい事であり、何とか、地球における人類の存在意味を
示したいものでもあります。

その為には、私達の欲を優先して来た現代社会を、地球の生物たちが
存在できる為の社会に変える必要が有ります。
便利で豊かな生活は、あくまで人間にとっての事であり、この為に
地球上の多くの生物が犠牲になり、大自然の多くが破壊されて来たのです。

その結果が、地球温暖化であり、世界的な資源不足で有り、食糧難なのです。
かつて、人口も少なく、自然を破壊する力も小さかった人類が、自然を変える
と言う事は、考えられなかったのですが、爆発的な人口増加に伴う、
自然界に対する破壊行為は、今の地球規模の大きな問題を生んでいるのです。

すでに、このまま行けばどうなるか、と言う事は、解っているのですが、
それでも、人々は、より資源食料を求める事を止めず、より一層多くの
自然破壊を生んでいます。

私達人類は、如何に進歩しても、動物である事から、水と空気、食料が必要です。
しかし、このどれをも将来的に不安な状態になっているのも事実です。
人類が地球で使える水は、地球上の水の数パーセントしかありません。
しかも、多くの地域で汚染が進んでいて、飲料水すら事欠く地域は少なく
ありません。

大気汚染は、地球温暖化を生んでいる二酸化炭素を代表として、今や、異常気象を
世界中で発生させ、現在、幾つも日本に襲来する台風もその一環と言えます。
更に、食料は、毎年深刻度を増し、穀物の収穫の減少に伴い、多くの国や地域で
食糧難が起こっています。
今や、日本にとっても、他山の石では有りません。
日本の食料自給率は、相変わらずの低さであり、ひとたび、海外からの食料が
手に入らなくなれば、飽食日本は、あっと言う間に食糧難に苦しむ事と成ります。

資源をどんどん消費して、要らなく成ったものは捨てると言った、消費社会で
創り上げられた日本は、美しい大自然は破壊され、大都会から生まれたゴミは、
身近な海を汚し、ゴミの土地を生み出しました。
これこそ、今の問題を生んだ元凶でもあるのです。

このまま、見てくれの美しい街、見てくれの自然を作り続けて
果たして、日本人は、幸せになれるのでしょうか。
いくら所得が増えても、今までと変わらない消費経済を続けて行けば
その先、私たちの子孫はどれ程苦しむかが解っているはずです。

膨大な資金をつぎ込み、高度成長を遂げたのなら、その後始末をすることが
私達、今を生きる人間の成すべき義務ともいえるのです。
過去を覆い隠し、どこまで嘘を国民にも世界にも突き通すのでしょうか。
ただ、働いて、消費していくだけの生活に、国民は満足するのでしょうか。

街には自然とは程遠い育てるのに便利なだけの植物を植え、コンクリートの川底に
下水を流し、定期的にヘドロを削り取り、ただ、透明度の有るだけのプールの様な
生き物の生活が見られない、底に危険な化学物質をたっぷり含んだヘドロで一杯の
海を、世界に美しい海とアピールする事で、私達日本人は、胸を張れるの
でしょうか。

地上には、摩天楼の様に高層ビルが立ち並び、日に日にに東京の街は変わって
行きます。
しかし、海も川も山も、高度成長期の頃と、ほとんど変わっていないのです。
単に、外見的に、美しく見せられているだけなのです。
豊洲干拓地は、たまたま、そのパンドラの箱を開けただけなのです。
今後、この手の負の遺産は、日本中から出てくると思われます。

トラブルが生じて、お互いに責任のなすり合いをしても、問題は解決しません。
また、高度成長期の様に、先進国になる為と言う鼻面に餌をぶら下げていた時の様な
簡単に国民をだませる時代ではありません。
汚い物には蓋をしてしまえば良いと言った考えは、国際的には全く通用せず、
単に問題を大きくしてしまうだけなのです。

何のために、莫大なる予算を掛けて施設を作ったのか、それは、そこを利用する人や
国民の幸せの為に他ならないはずです。
利権が渦巻く様な醜い欲の為に行ったことではないのです。
例え、見た目便利で美しい施設が出来たとして、そこを利用する人々や多くの国民が
更には海外の人々がその価値を認めなくなったら、それこそいったい誰が責任を摂る
のでしょうか。

老朽化したとはいえ、築地の世界的な価値はいったい何なのか。
何故、世界中の人々が訪れ、世界で一番の市場と言われているのか。
それは、人々が一番に願う、食の安全である事は言うまでもないのです。
安全で新鮮な食品が世界中から集まって来るからこその価値なのです。

例え、膨大な予算を掛け、立派な市場が出来たとしても、ひとたび
世界の人から信頼を失ったら、そこは単に巨大な役に立たない建物に過ぎず
それこそ、日本の信頼は地に落ちる事になるのです。

海も山も汚染し、多くの危険な物質は埋め立て、外見的に見えない様にして
これまで日本を近代化して来たかも知れませんが、その恥ずかしいやり方は
多くの国民を苦しめ、世界の人々を呆れさせているのです。
この上さらに、工業化を図り、経済を発展させ、隠し通そうとする考えは、
世界では通用しないのです。

日本は、外見的には近代国家となったかもしれませんが、一皮むけば
恥の上塗りをして作り上げて来た国家なのです。
何千年に渡って築き上げて来た自然との関係を、ほんの百年程で断ち切り
自分たちの都合の為に利用して来た事の反省をせず、更に、嘘を重ねて行けば
日本の自然も人も、世界に誇るものとは言えなくなってしまうのです。

資本主義経済における、自然は人類が利用するものと言う考えは、
日本人には、ストレスと成る事はあっても、幸せには導かないのです。
日本の美しく豊かな自然の中で育てられた私たち日本人の心は、
欧米の経済大国の荒っぽい国土開発には耐えられないのです。

便利さ豊かさは、日本の大自然と私たちの遠い古から培われた心と
呼応しなければ、単なる資源の消費としかならず、いずれ私たちは
自分たちの作り出したゴミの中で、十分な食料も得られずに
破滅していくしかないのです。

私たち日本人の生活は、自らの家の中を見ても、かつて興味を持った
多くの使われない便利商品で溢れています。
今や、どの家庭に於いても、如何に、粗大ごみや使われなくなった
多くの家具を処分するかで、頭を悩ましています。
二度と使われないものが、どれ程あるでしょう。
これらはすべて、地球の資源の浪費の結果でもあるのです。

使われない多くの物や食べられないで捨てられる多くの食品を
単に、もったいないと思うだけでなく、それらの要らないものが
本当に自分達の幸せの為に必要であったか考える事が大切です。
無駄なものを出さない様に、資源を大切にすることは重要ですが、
その前に、何故、捨てる事になったのか、本当に、必要であったか
考える習慣を持つことが大切なのです。

私たちの周りにある多くの物は、必要とされたから存在していたのです。
しかし、本当にそれらは必要であったのか、単に、流行やコマーシャルに
扇動されて求めたのではなかったか、検証する必要が有ります。
ゴミは、本当に必要であれば出る事は無いのです。
例え、生活をする上で最小限は出るものであっても、その量を決めるのは
私達なのです。

便利な消費経済に乗せられて、何も考えず、与えられたものを消費するだけでは
私たちの生活は幸せとはならないのです。
本当に、自分に必要のないものまで消費させる現代社会は、決して、私たちを
守る事も育てる事もしないのです。
無駄なものを多く消費させ、沢山のゴミを出し、自然環境を破壊していく事では
誰も幸せにはならないのです。

幸せとは、一体何なのか、より多くの資本を持ち、地球資源を浪費し、
沢山の無駄なものを消費する生活ではないのです。
日常的に多くの物を手に入れ、消費することが私たちの目的と成れば
この国の自然は、益々破壊され、人々の心はすさみ、更に一層過酷な
生活を強いられる国民が増える事に成るのです。


生きるために必要な事

2016-08-26 11:44:47 | 日本

東京に住んでいると、世界中からあらゆる物が集まって来て
お金さえあれば、何でも手に入る様に思ってしまいます。
衣食住に関わるものは町中に溢れ、特に、食料に関しては
どこに行っても、日本中から世界中からあらゆる食品が集められ
正に飽食日本と言った感じです。

しかし、世界に目を向けると、今や、多くの国や地域の人々が
日々の食料すら得られない状況にあります。
その事に依る争いも頻発し、各地の紛争は、基本的に資源と
食料の不足が原因となっている場合が多いものです。
この事は、ここ数十年の世界の紛争を見ても、食料を得るため
資源を得るための土地の奪い合いに依る場合が多いのです。
更には、現在問題になっている、領海侵犯、領海外進出も、
根本には、国内における将来的な食料資源不足を考えての
行動とみられます。

私たちの国は、先進国であり、何でも手に入ると思っている方が
多いかと思いますが、日本の立場は、非常に厳しく危うい状態です。
食料に関しても、自給率の悪さは相変わらずで、諸外国からの
輸入が途絶えれば、我が国の食は、すぐにパニックとなります。
もともと、資源の少ない国であり、輸入に頼っていたのですが、
近年の世界的な食糧危機や資源不足で、日本の未来は不穏な空気が
漂い始めているのです。

特に、食料に関しては、自給率の悪さは深刻で、大都会の店舗に
溢れる食料品は、正に砂上の楼閣の様なもので、もし、輸入が
途絶えれば、その様子は惨憺たるものになるのです。

私たちが、将来的に食を確保するには、自給率を上げるしかないのです。
その可能性が見いだせるのが、我が国の周りを取り囲む領海です。
本来、我が国は、世界的な漁業資源を持った国でした。
しかしながら、過去100年程の間に、資本主義国家を目指し、
ありとあらゆる我が国の資源を枯渇させてしまったのです。

この事は、特に、漁業生産高を見れば顕著であり、我が国の領海内で
私たちの食料の糧を得られなくなってきているのです。
原因は近海の汚染と乱獲に他なりません。
生き物たちが生まれ育つ浅い海をことごとく汚し、更には、食料となる
親魚を乱獲したため、著しい水産資源減少を招いたのです。

昔の日本の海は、豊穣の海と言われ、浅い海には、様々な海洋生物が
溢れていたものです。
夏に海水浴に行けば、波打ち際には、ヨコエビが足元で飛び跳ね、
膝程の波打ち際は、小魚がいたるところで群れていました。
腰ほどの深さで遊んでいると、頻繁に、砂に隠れたカレイの子供を
踏みつけたり、周囲を巡る魚の群れを普通に見たものです。

今では、サーファーでにぎわう砂浜には、ほとんど生き物は見られず、
例え潜ってみたとしても、サーファーの足とボードが見えるだけです。
少し岩の多い浜に行けば、沢山のタイドプールが有り、そこに居る
多くの生き物に驚かされたものです。
簡単に言えば、今、水族館で見られる多種類の生き物が泳ぐ水槽が
そのまま幾つもあるのです。

私たち人類は、多くの生き物と共に、食物連鎖の下で生きてきました。
生き物と言えば、目に見える魚や動物の様なものを思い浮かべるかも
知れませんが、あらゆる生き物の中には、私たちの体内で生きている
微生物もその一つなのです。
全てがバランスを取り合って生活できる事が、人類が健康に種を繋げる
要因でもあるのです。

今や、世界中の生き物が絶滅に向かっていると言われます。
100年前には、一年で一種類が絶滅していました。
しかし、現在、一日に100種類が絶滅しています。
その種類が、人類と深くかかわっている動植物にまで及び始めているのです。
そのスピードは、地球の歴史が始まって以来の速さと言われています。

何でも手に入ると思われる生活は、実は、幻想であり、目の前に
何も手に入らない生活が迫っているのかも知れません。
もう一度、自らの周囲を見渡し、自分にとって本当に必要なものか
しっかりと見極め、世界の人々とだけでなく、あらゆる生物と関わって
生活している事をあらためて考える必要がある様に思えます。