めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

春は桜!ではなく桜から

2016-04-12 14:01:16 | お花見

今年の桜は、本当に長く楽しませてくれました。
殆どの桜が、花芯を残して散ってしまったものの
場所によっては、まだ十分に見応えのある華やかさで
道行く人たちを楽しませてくれます。

しかしながら、さすがに、今までの様に桜並木に向けて

カメラを向けたり、見上げる人はほとんど居なくて、
あれ程にも賑やかだった目黒河畔も、いつの間にか、
静かな遊歩道と成りました。

とは言え、ソメイヨシノだけが桜では有りません。

東京都内だけでも、数十種類の桜が植えられていて、
私達の身近な所でも、かなり沢山の種類が見られます。

ソメイヨシノは散ってしまったものの、今盛りの桜は、

一回りも二回りも花弁が大きい山桜や八重桜が多いです。
特に、都内の公園などでは、花が大きい事もあって、
結構目に付き、その華やかさは、ソメイヨシノに勝るとも劣らず
ゆっくりと花を愛でると言うなら、本当は今の時期なのかも
知れません。

桜は、ピンクの花というイメージが有る方も多いかもしれませんが、

花弁が緑の桜も有り、今ちょうど都内の公園では、黄緑色をした
ウコンという品種が満開です。
葉の色に紛れて、遠くから見ると、花が咲いている様に思えず
近くで良く見て驚く方も多いです。

更に、花弁がふんわりと大きくメルヘンチックな一葉という種類は

見るからに可愛くて心が和みます。
また、桜だけでなく、これから五月に掛けては、様々な春の花が
一斉に咲き始め、お花を楽しむ為にピクニックを計画するには
絶好の期間です。

広い公園の芝生の上にシートを敷いて、美味しいお弁当を食べ、

友と語らったり、一人読書をしたり、お気に入りの音楽を聞いたりと、
目だけでなく心とお腹を十分に満足できる季節です。
世の中がネットを中心に物凄いスピードで動いている中で、
のんびりと自然の美しさに浸ることは、今の日本人にとって
一番大切な事かも知れません。

       

すっかり色を落とした桜並木           早朝は歩く人も無く

少し木陰では、今だソメイヨシノが咲いています  

    

ウコンは桜とは思えない緑の黄緑の花弁

   

一葉は、花弁がふんわりとしてとても可愛い



関山は、力強い枝としっかりとしたピンクの八重桜

          

サクラソウが咲き、紅白のヤマモモが青空に美しい


 

 

 


散って、なお美しく

2016-04-09 15:11:04 | お花見

週末になって、天気も回復し、暖かさが戻って来ました。
目黒川の方を眺めると、ビルの隙間から、少し褪せて
赤い花芯が目立つ桜がこんもりと空に浮いています。
さすがに、この時期ともなると、胸をときめかせて川まで
カメラ片手に急ぎ足と成るこ事も有りません。

出勤の前に、諸々の仕事を終え、ゆっくりと玄関先に出ると、
川の方から、人々の声が聞こえて来ます。
花弁も半分以上が散ってしまい、もう、以前ほどの盛況ではなく
人々も、ことのほかゆっくりと祭りの後を楽しんでいるかのような
雰囲気です。

いつもの場所までやって来ると、あれ程にも華やかに咲いていた
華やかな桜の花が、一つとして花弁が揃っている物が無く、
風が吹く度に、一斉に川の流れの様に空中を漂います。

今日の目黒川の様子を記録として撮っておこうと思い、
近くの橋の上まで来ると、何と、黒い川面に、ピンクの帯が
大きく蛇行して、次々に形を変えて行きます。

毎年、桜が散った時の最後の楽しみとして期待はしているのですが、
目黒川の水が無かったり、風が強すぎて、川に落ちる花弁が
少なかったりと、なかなか思ったような美しい帯は見られません。

今日は、思ったよりも美しい流れと成りました。
多少水量が少なく、川の流れも殆ど見られない事から、
水彩画の様な美しさとまでは成っていませんが、川の上流から下流まで
幾つもの桜のベールが、風と川の流れで、次々に形を変えながら
観ている人たちを感動させます。

橋のたもとで、数人の観光客が、仕事の関係で桜の満開の時に
来る事が出来ず、散ってしまった後に訪れた事を悔いていましたが、
彼女たちが橋の中央まで来た時、揃って歓声を上げた事に
思わず、心の中で、良かったね!と声を掛けました。
桜の花は殆ど散っているものの、美しいピンクの帯や、残された
桜の風情に満足げな顔は、目黒川の近くに住む私の心も
安らぎ、肩をなでおろしました。

しかしながら、美しいものは、一番見栄えの有る時だけでなく、
様々な時期に感動を与えるものです。
桜を愛でる人達の中には、桜が散り始めたら、もう興味を無くし
桜の地を訪れる事も無い方も多いと思いますが、散った後も
これ程にも感動を与えるものなのです。

私達が、思わず感動する大自然の光景は様々ありますが、
桜と同じく、終わってしまったと思った後に、新たなる感動を
見せてくれるものが有ります。
誰もが見入ってしまう美しい夕焼けの色も、実は、同じような
感動を得られる事が有るのです。

殆どの方が、太陽が西の山並みや水平線に沈んでしまうと、
直ぐに真っ暗になり、もう、美しい景色は見られないと思っていますが、
夕日も、時に、素晴らしい場面を隠している事が有るのです。
太陽が西の空から完全に沈んでしまうと、アタリは真っ暗になり
すでに、夕闇が訪れてくるのですが、時々、沈んだはずの西の空が
真っ赤に大きく色づく事が有ります。

大体日没から20~30分程して起こることが有り、その事を知ってたり

見た事のある人は、しばらくはそのまま暗い西空を見続けます。
天候によって、いつもと言う訳では有りませんが。いい条件に恵まれ
その場面の遭遇すると、夕日が落ちて行く時以上の感動を得られます。

桜は、何も言わず、そこに咲いているだけで、これ程にも
多くの人々に感動を与えるのです。
私達の生活も人生も、地球の自然が有ってこそ成り立っている事を
あらためて感じると共に、いかに、これまで失われた多くの自然を
未来の為に取り戻せるかが、私達に科せられた使命とも言えます。

 


華やかな春の喜びに水を差す目黒川

2016-04-06 13:30:38 | お花見

これまで、目黒川の桜の美しさを書いて来ましたが、
今回は、あえて、目黒川の問題を取り上げたいと思います。

私が、目黒河畔に住むようになって、早、30年を過ぎますが、

その間、目黒川は大きく変化を遂げました。
最初の頃は、護岸は水面近くまで土手と成っていて、春ともなると
野水仙に始まり、タンポポ、土筆、菜の花と、春の草花が咲き乱れ
都会の川とは言え、まだまだ多くの植物に溢れていました。
子供も、そんな環境が大好きで,土筆を沢山摘んで、お浸しにしたり
タンポポの花でネックレスを作ったりと、春の自然を楽しんでいました。

しかしながら、その後数年で、河川の大改修工事が始まり、土手の

緑は全て無くなり、垂直のコンクリートや鉄板の護岸と成りました。
更に、立派な枝を目黒川に広げていた桜は、ことごとく切り取られて
その後に、一握り程の太さの、見るからにキャシャな桜の木が植えられ
以前の河畔の風情は全く無くなってしまいました。

確かに、歩道は整備され、川の周りにはしっかりとした手すりが作られ

見た目清潔で快適な都会の公園と成っていました。
しかし、それから20年以上に渡っての目黒川は惨憺たるもので、
季節季節の桜の風情は有りますが、それも、街とも川ともマッチせず、
周辺の人々も、単に生活道路として利用しているに過ぎませんでした。

それから30年近くになると、ようやく、桜の幹も太くなり、大きく広がった

桜の枝が川面を覆う様になると、人々の目も次第に川の風情に引きつけられ
雑誌やメディアに取り上げられる様になって、急に全国的に有名になったのです。
特に、ここ4~5年の観光客の増加は著しく、桜の木が大きくなり
川面に掛る大きなピンクのトンネルは、日本だけでなく世界中に発信され
今では、様々な国から桜を見る為に日本を訪れる人達の観光コースに
取り入れられる様にまでなったのです。

と言うものの、様々な問題が出て来た事も事実です。
急激な観光客の増加に伴い、受け入れ態勢が整わず、ゴミ問題、騒音、
宴会によるトラブル等、許容量を超えた問題が噴出しているのです。
中でも、以前からの問題ですが、一番の問題が、目黒川なのです。
流域を大幅に改修して、災害が起こりにくい、流れが滞らず、安全な
川にしたと思ったのでしょうが、実際は、目黒川は、目黒下水道に
成ってしまったに過ぎないのです。

このことは、目黒川に限らず、全国の河川改修事業に共通の事であり

日本の近代化の中で、陰に隠れた問題でもあるのです。
観光客の方々の歓声の中に、頻繁に聴かれる、汚い~!!という言葉は
見た目表向きの利益ばかりを考えてきた日本の行政の汚点でもあります。

海外からも大勢の方達が目黒川を訪れています。

しかし、彼らの言葉の中にも、ビューティフルと言う言葉に混ざって、
水面を見つめ、ダーティと言う言葉が聞かれます。
桜と言う、日本人が愛して止まない日本の美と共に、見るからに汚く
頻繁に悪臭を漂わせる川を見せる事は、日本人にとって、恥でもあり、
悲しい事でもあります。

急速な近代化の代償とは言え、先祖から受け継いできた美しい日本を

これ程にも傷つけ汚している私達は、胸を張って世界におもてなしが
出来ると思えません。
今や、日本の成長を目指し、近隣の諸国が大幅な国家成長を
見せています。
私達が経験したバブルの状態が始まっている国も有ります。
案の定、山も川も海も、かなりの汚染が進んでいるのが現状です。

今こそ日本は、そんな国々に対して、美しい国を取り戻すお手本を

示さなければなりません。
近隣諸国の中には、我が国の高度成長に勝る国々も有ります。
かつて経済力を誇った日本は、新製品を次々に産み出し、
世界の産業をけん引してきました。
でも、今や日本に頼らなくても、優れた製品を作れる国々が増えました。
私達の国は、もはや、工業製品で優位に立つことは難しくなっているのです。

毎年、多くの海外の方々が日本を訪れ、日本を称賛しています。

彼らは、日本の優れた技術や工業力を求めて来るだけでなく、
日本にしかない、春夏秋冬の美しい自然と、日本人が育んできた文化を
学びに来ているのです。
桜を見る事も、日本の文化を知る上で、彼らの心に大きなインパクトを感じ
大自然と融合した素晴らしい日本人を褒め称えるのです。

しかし、そんな美しい大自然が、至る所で汚れ傷付いている事に

私達以上に心を痛めているのです。
私達日本人は、多くの海外の方に、素晴らしい日本を紹介したいだけでなく
彼らの心を癒す美しい自然を提供しなければならないのです。

毎年、ますます有名になって、多くの観光客を呼ぶ目黒川の桜並木は、

これから、多くの古木が寿命を迎え、その数は3割を超えています。
また、新たなる若木を植えて、目黒川の美しさを保ち続けなければ
成りません。
本当に美しい目黒川の桜風景は、私達日本人の心を癒すだけではなく
世界中から訪れる海外の方々の心も癒さなければなりません。
目黒川が、本当に清流と呼べる様、下水道から生き物たちの故郷と
変わって行く事を心から願いたいものです。


桜に目を奪われて見落としがちですが、目黒川は暗青色に汚れ
黒い汚物が頻繁に流れています。


散りゆく桜を憂えず

2016-04-05 13:44:37 | お花見

ここ数日の雨で、桜の様子も、すっかりと変わってしまいました。
満開になるまでは、ややピンクがかって、花の力も強かったのですが、
樹木全体を見れば美しいのですが、すでに、花弁の一部は抜け落ちていて
目黒川には、白い帯が至るとこで見られます。
川岸に続く白い帯は、桜の終わりを告げる色でもあり、折からの曇り空に
淡く変色してきた花弁が重なり、まるで春霞の様に空に溶け込んでいます。

黒い枝の小さな蕾が、次第に色を成し、日一日と膨らみゆく姿は、

新しい生命が生まれる様で、私達の心を次第に期待感で一杯にさせました。
一輪一輪と花弁の数が増えるに連れ、湧き上る幸せな感情は、私達日本人が
太古の昔から抱いてきた春の息吹でした。
桜の色が増すと共に、多くの人々が連日遊歩道を歩く様になり、毎年の事ながら
賑やかな日々が続いて行きました。

人の数は、桜への期待感と相まって、桜に負けない程の明るい笑顔が行き交います。

人々は、常に幸せを求めて行くものですが、桜の花は、訪れる人には誰にでも
幸せの笑顔を与えてくれます。
そんな楽しい日々も、あっという間に過ぎて、今では、まるで、祭りの後の様に
冷たく雨に打たれている花弁から、幾つもの滴が、まるで涙の様に流れています。

しかしながら、終りは始まりであり、また、新たなる季節がやって来ます。

桜の花が散った遊歩道には、次の出番を待つスターがすでにスタンバイしています。
丸く選定された緑の樹形は、ツツジの仲間たちです。
中を覗いてみると、すでに、幾つもの蕾が膨らみ始めています。

次第に太陽の光が強くなるにつれ、空の色も青みを帯びてきます。

そんな初夏の空にぴったりの花が、赤やピンクの原色が美しい、大きなツツジの花です。
桜が、寒い季節から春の陽気の暖かく包まれる様なのどかさを感じさせるのに対し
ツツジは、強い光と紫外線を感じさせる力強さを感じます。

日本の四季は、それぞれの特性を持って、私達日本人に様々な感情を育ててきました。

自然は、何も言わなくとも、私達がどの様に生きて行けば良いかをを教えてくれるのです。
無機質で人工的な都会に住んでいると、季節を肌で感じる事に疎くなりがちです。
毎日の生活や仕事に追われ、そのストレスに心も身体も疲れ切ってしまうと、
いったい自分はどうしたら良いのか、どの様に生きて行けばいいのかに悩んでしまいます。

そんな時、季節の移り変わりに、生き物としての生と死を感じ、自らの身体の中に

同じ生き物としての生きる道を教えてくれるのも大自然なのです。
私達は、ただそこにいて、命を全うする植物を見るだけでも、人生の流れを感じ、
何千年もの間、動くことなくその場で生き続けてきた老木に人生の意味を感じます。

人は、時に、御互いに生き物であることを忘れ、機械的な毎日に身を託し、合理的

機能的な日々を送ろうとします。
しかし、私達の身体は、機械でもコンピューターでもありません。
大自然のサイクルから片時も離れて生きて行く事は出来ないのです。
その大切な生物としての命の息吹を教えてくれる日本の自然が、
日本人の命の糧として、未来永劫失われない様に、守っていく事が
私達の心と身体を育てる大切な義務と思われます。

    


奇跡の鳥たち

2016-04-04 17:05:10 | お花見

昨日は、お天気が悪いものの、開花からの習慣で、
都内の桜の状況を観察に行きました。
開花から二週間が過ぎるも、今年の桜は、私達の目を
連日楽しませてくれ、ようやく満開となるも、今だ数日は
充分にその感動的な美しさを保っていると思われます。

朝早くから出かけようと、前日からしっかりと準備をしたものの

朝目が覚めると、何やら、嫌な物音がしてきます。
庭の草木に滴が落ちる音です。
カーテンを開けると、屋根から流れる様に、雨がしたたり落ちて
これから出かけようとする出鼻をくじきます。
しかし、天気予報を見ると、午後には曇りになり、雨も止むとの事、
少し遅れて出発する事と成りました。

先ず、いつもの通り目黒川周辺です。

日に日に観光客が増えて来るのは解っているのですが、朝から
止むことなく人の流れが続いています。
いつものポイントで写真を撮り始めると、肩が触れ合う程、誰もが
カメラやスマホを桜に向け、至る所から感嘆の声が上がります。
毎日している事とは言え、ちょっと夢中になると、時間が断つ事を
忘れてしまいます。

予定は、目黒川では有りません。

今日は、先ず新宿御苑に向かいます。
目黒川の写真を撮ることで思いのほか時間を使ってしまい、
すでにお昼近くと成ってしまいました。
人の少ない千駄木門から入場すると、深い森に大きなピンク枝を
一杯に広げ、幾重にも重なる桜並木が続きます。
目黒川の桜とはまた違った風情です。

歩くたびに広がる春の舞台に、シャッターを切り続けます。

門から100m程しか進まないのに、30分以上かかってしまいました。
少し雨が降っていた事もあって、人の出足は思ったより遅く、
満開の桜を見ながら広い芝生に到着すると、雨に煙った桜が
周囲の緑色の針葉樹に浮き上がり、とても幻想的です。
森越しに見える新宿の高層ビルも霞んでいます。

しばらくすると、新宿御苑の新宿口の方から、見るからに多くの人が

向かって来ます。
雨が止んだ事と、山手線や地下鉄を利用してきたのでしょう、見る見る
数百人の人が広場に向かって来ます。
こうなると、もう、のんびりと写真を撮っている場合では有りません。
早々に退出と思いきや、新宿口は大混乱、途中に作られた緊急脱出口から
街の方へ避難です。
予想はしていたのですが、出発が遅れた事から、花見集団と鉢合わせになり
新宿でのお花見は終わりました。

次の場所は、上野の不忍池です。

上野公園は、都内で有数のお花見場所ですから、宴会をしない限り、あまり
お薦めの場では有りません。
しかし、不忍池周辺は、桜も適度に有り、その桜が池に移る姿には風情が有り
のんびりと池の周りを散策すると非常にリラックスします。
少し雨が降っていたのですが、気にならない程で、ゆっくりと池を巡ります。
周囲には屋台が多く並び、沢山の観光客が春の水上公園を満喫しています。

そんな光景を楽しんでいると、突然、異様な空気が漂って来ます。

眼の前に道を大きく塞ぐ様に、沢山の人達が何か叫んでいます。
近づいてみると、それは、異常な光景でした。

数人の女性の方が、手のひらに乗せた餌を鳥達に与えている様です。

観光地では、ハトなどに餌をやる風景は普通に有るのですが、目の前の
鳥達は信じられない状態でした。
何十羽居るでしょう、桜の枝にも、道路の脇の生垣の上にも、見渡す限り
スズメだらけです。しかも、狂った様に鳴き叫びながら、手のひらに飛び乗り
一斉に餌を啄んでいます。

良く見ると、枝には、ハト、ムクドリ、カラス、ヒヨドリが多数止まっていて、

水際や観光客の足元には、カモやハトが入り乱れて動き回っています。
こんな光景は見た事が有りません。
鳥達は、人を恐れるどころか、手元まで次々に飛んできます。
餌を持っている人には、何羽も飛び移り、競って啄んでいます。

私の経験上、スズメがこれ程にも人を恐れないのは見た事も聞いた事も

有りません。
まして、ムクドリやヒヨドリが、数メートルの桜の木に何羽も集まって
逃げようとしないと言うのは考えられません。
ハトは餌付けすれば集まって来ますが、野生のスズメや野鳥の仲間が
集団で集まって来ると言うのは脅威です。

かつて、ヒッチコックの映画で、鳥、と言う恐怖映画が有って、沢山の鳥が

人を襲う恐ろしいものでしたが、この日の光景は、まるで、ディズニー映画で
動物や鳥達が、親しげに人間と遊んでいるような、本当に信じがたい光景です。
普通、ハトでも、餌を与えようとすると、慣れていても警戒しながら
寄って来るのが普通です。

増して、野生のスズメが、恐らく桜の枝には数百羽止まっているのでしょうが、

次々に、人の手の上に競う様に飛び乗って来ることなど、
例え餌が有ったとしても考えられない様な状況です。
私も、小さい頃から動物が大好きで、様々な動物を飼って来ましたが、
これ程人に懐いている野鳥は見た事も聞いた事も有りません。

野生の動物は、飼われている動物と、獣も鳥も、雰囲気と目の輝きが違います。

特に、スズメは、飼われていることは殆ど無い為、野鳥独特の雰囲気が有ります。
その為、いくら慣らしても、一定の距離以上は近づけず、常に、逃げられる様に
鋭く人間を観察しています。

しかし、昨日のスズメたちの目は、警戒心も恐れも無く、まるで

手乗り文鳥の様に、観光客の誰の手にも飛び乗って来ます。
誰かが、長い間、餌付けを行なったのかも知れませんが、数種類の鳥達が
全部同じように人間に近づいてくるのは異常としか言いようが有りません。

自然界には、私達人間には解からない事が数々ありますが、ひょっとしたら

動物たちは、私達の事を、私達が彼らを知っている以上に解っていて、
本当は、対等に生活できるのかも知れません。

いつもは、遠く距離を置いている鳥たちが、まるで、友達に会いに来るように

集まって来る事に誰もが驚き感動したと思われます。
私達と地球の動物たちが、御互いに助け合って生きて行ける様に、
私達人類は、もっと心を開いて行かなければならないのかも知れません。


桜の枝には、沢山のスズメの群れ


生垣の上で、餌を待つスズメ達


太い桜の幹の上で、ハトとムクドリが
じっと見ています


桜の枝に、ハトが止まっています


観光客が手を差し伸べると


我先に飛び移り


食べるのに夢中


海外の観光客もこの笑顔