めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

心の闇を持つ日本人

2018-03-19 14:07:46 | 日本人

メディアから次々に流される各界の不祥事、政界、角界、スポーツ界、財界と
止まる事を知りません。
日本を創り上げている世界が全て、疑惑の対象と言ってもよく、たまたま発覚した
氷山の一角が取り上げられているに過ぎません。
知名度の高い、国民が憧れたり目指したりする社会であるからこそ、問題となる
と言えるのでしょうが、パワハラ、セクハラ、贈収賄等、犯罪紛いの事は、
現代の日本社会に於いては、当たり前に存在していると言えます。
ただ、様々な理由で、表沙汰に成らないだけであって、例え、子供たちの間でも
日常茶飯事と言えるのです。

消費経済社会に於いて、より地位が有り、財を成している人が、絶対的権力を
荷っているのは今も昔も変わらず、自由平等な社会というのは、現実には有り得ません。
角界の不祥事が続き、力士は、番付により格差が生じ、一つ番付が違えば天と地の差
が有ると言うのは、単に地位や収益的な物だけでなく、精神的肉体的にも優位であり
上に立つ人間には、様々な我儘が許されるのです。
簡単に言えば、日本社会に於いてパワハラは日常的であり、泣き寝入りも当たり前
と言えるのです。

法治国家であり、精神的にも肉体的にも暴力は許されないとしていますが、
裁きの場に明るみにされる暴力は、万に一つも有りません。
日本社会で働くと言う事は、このあらゆる暴力に耐えなければならないと言う事です。
番付の様に、一般社会に於いても、少し地位が高ければ、その下の者に対して、
高圧的態度を取ったり、マウンティングをしたり、直接間接的に圧力を加える事は
珍しく有りません。

社会的に、地位や学歴、経済力などが優れば、自分より下とみなされる人に対しては
横柄な態度を取っても、理不尽な要求をしても許されるとする風潮が有って、
建前とし、社会人としての大人の態度を取っていたとしても、陰で、パワハラや
セクハラをしている人は少なくないのです。
しかしながら、人を蹴落としても、社会的地位を築いて来た人達にとっては、
その様な場面を見ても、黙認したり、力のある側を認めたりと、常に、利益を伴った
自己中心的な判断をする事が多く、例え、理不尽さやハラスメントを訴えたとて
かえって、自らの生活を失う事にもなりかねないのが日本社会の実情です。

政界の不祥事、角界、スポーツ界の暴力、社会に蔓延するパワハラ、セクハラは、
問題視する方々の中にも、加害者と成り得る環境や経験がある事が少なく有りません。
つまり、問題が発覚した時点で、善悪を決めたとて、どちらにも悪の要素が有り、
訴える側にも、すねに傷が有る場合が多いのです。
その為、社会全体の自浄作用が無く、単に、同じような社会で育って来た日本人が
内輪揉めしているに過ぎないのです。

しかしながら、少しでも、日本社会に内在する人の心の醜さと狡さを公にする事で
誰もが、自分の心に潜む善と悪を知る事が大切です。
車の運転と同じく、誰もが、加害者にも被害者にもなるのです。
今、日本社会で最も欠けているものは、モラル、つまり道徳と言えるでしょう。
単に、社会生活を円滑に行う為の方法というだけでなく、他人に対する深い理解と
尊厳を如何に考えるかの、一生を通じた学び舎が無いのが問題です。

自分自身の欲望を満たす術は多く学べても、人と如何に関わるか、自分とは違う
他人の心をどれだけ深く理解できるかの教育が有りません。
自由平等と言うのは、誰もが、同じレベルに有ると言うのではなく、人は、誰しも
全く平等な立場にあるのではなく、其々の与えられた環境で、個人としての判断で
社会を生きているのです。

一人として同じ考えの人は居なくて、周囲の人とうまくやって行く為に妥協をしたり
協力をしたりしているのです。
自分が思う事と同じ行動や考え方を示してくれているとはいえ、それが本心とは言えず、
人によって、心の中は様々に違っているのが事実です。
しかし、自分の事しか考えられないと、他人が自分に示す態度がその人の本心と思い
外見的態度をそのまま受け入れてしまいます。

その為、何でも自分の思い通りになると、ますます横柄で高圧的に成り易く、時に
パワハラや、暴力を平気で行う様になってしまうのです。
自分の言動や行動が如何に受け取られているかが、相手の心を知る力が有れば解るのです。
日本人は、昔から本音と建て前で生きている民族と言えます。
これは、本音で語らない動かないと言う事から、失礼な事と思われるかも知れませんが、
この建前とは、相手に不快に感じられない様、快く思われる様にする言葉の術であって、
お互いに、相手の気持ちを安らげる為に行います。

しかし、現代社会には、本来の本音と建前が存在せず、常に、利益を前提とした
駆け引きであり、トラップである事が少なく有りません。
自分の利益を増やしたり、相手の富を奪う為に、テクニックとしての媚び諂いが多く
どんなに丁寧な言葉であっても、その裏では、舌を出している事が珍しくないのです。

私達人類は、太古の昔から、一人で生きて行く事は出来ず、集団で協力し合って
進化してきました。
様々なトラブルに、多くの人々の知性が集まる事に依って、より的確な判断が成され
人類の発展に大きく貢献して来たのです。

しかし、地球の支配者となった現代に於いて、人々の欲望は留まる事を知らず、
お互いに協力すると言うより、個人的な利益を目指す社会と成りました。
限られた資源や食料を得る為にも、少しでも地位の高い経済力の高い事を望み
人類社会に、独占という、争いのシステムが生れました。

競争社会が作られ、より、多くの富を得る事を人生の目的とする人達が増え
世界的に貧富の差が大きくなりました。
日本社会に於いて、この格差社会は年々酷くなり、今では、日本人でありながら
様々な合い入れない社会が生まれています。

学校に於いても、企業に於いても、其々が独立した競争社会を生み出し、
利益の為に関わる以外は合い入れる事は有りません。
特に、富裕層と一般所得者層とは、別の国の様な存在となっています。
現代社会は、一部の富裕層の方々の作り上げた社会と言え、しかも、
富裕層の方々にお金が流れる様に成っています。

つまり、一生働き続けなければならない庶民と、思い通りい生きられる
一部の方々に分けられる社会と成っているのです。
問題は、多くの人々が、お互いに競い合い、傷つけ合わなければ
生きて行けない仕組みが現代社会に在る事です。

果てしない競争社会は、留まる事を知らず、自分以外の人を排除し、
より多くの利益を獲得する事でこの社会での自由が効くのです。
人の気持ちを感じるより、自分の欲望を満たす事が前提となり、
己の地位と財産をより多く得られた人間を認める社会と成っているのが
日本社会を歪め、人々を苦しめる結果となっているのです。

頻発するセクハラもパワハラも、暴力問題も、一部の人達にとっては
高みの見物に過ぎず、トラブルが起こる社会であっても、自分達の
利益が損なわれなければ、何の問題にもなりません。
例え、政治家であっても、頭を挿げ替えればいいだけの事であって、
日本中の利益が、自分達に流れる体制が無くならなければ良いのです。

競わせ、生産性を上げる、つまり、経済力を高めれば国民は幸せ異なる
と言うのは、真っ赤な嘘であり、その利益が自分達に回って来ることが
解っているからこその経済力強化なのです。
人々は日々の生活で大きなストレスを担う事と成り、そのうっ憤は
弱い物に向かいます。
人の気持ちを感じられないが故の事件が増えるのは当たり前と言えます。

パワハラ、セクハラ、暴力、イジメ、差別等、それらの根っこには
日本人の心が満たされず、苦しみが癒されない日常が有るのです。
結果しか求められない社会で生きて行くには、いかなる手段を使おうと
誰が苦しもうと悲しもうと関係ないのです。

日本社会が見失っているものは何か。日本人が本当に求めているのは
常に他人よりも優れる事ではない事を、リーダー達は知らなければ
なりません。
利益を伴わない事には関心を持たず、自分より地位や財産が上の人には
媚び諂う人が、人の上に立っても世の中の役には立ちません。

人としての道が世の中を動かす方々に見られなければ、国民や周囲の人々が
付いて来る事は有りません。
地位や財産と言った社会的な力でしか人間の価値を決められない人が多く、
人々の生活を殺伐としたものにしているのです。

人は、自らの人間としての価値を認められなければ、心安らかに生きる事は出来ず
例え、地位や財産やが多くとも、不安な毎日を送っている人は少なく有りません。
一体、自分は、何なのか、人間として認められていない事を感じた時、
人をおとしめたり、傷つけたりして、自分の存在を誇示する事が有ります。

また、より、経済的豊かな生活をして、人々に、自分の価値を感じさせようとします。
しかし、どちらも、自分の心が傷つき、より、寂しさが募るだけなのです。
セクハラ、パワハラ、更に暴力問題も、自分自身の存在価値を高めたいが為の行為
と言えます。
その事で、どれだけ相手が傷つくかが解らないのが問題です。

事件と成らないまでも、同じような行為が日常的に日本社会では起こっているのです。
国民の気持ちを考えられない、周りの人の気持ちを考えられない社会的地位の有る方が
問題を起こしているのです。
著名人の行為はメディアに登場しますが、一般社会の同じような事件は、殆どが
闇に葬られている事を知らなければなりません。
日本人が、個人的にも、国民としても、幸せになるには、少なくとも
経済的に豊かになるだけでは無い事を誰もが知り、自分が関わる人との関係を
もう一度考えてみる事が大切と言えます。