羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

野口三千三のレッスン

2018年02月07日 09時08分57秒 | Weblog
 このところ古今亭志ん朝の落語を、子守唄がわりにYouTube で聞いている。
 思い返せば、子供頃はラジオとテレビで落語や漫才を聞いていて、寄席には出かけたことはなかった。
 大人になってからは、国立演芸場に出かけたことはあった。
 また、朗読家・女優の幸田弘子さんが「大衆演劇部門」の芸術祭に参加されていらしたので落語を聴く機会があった。
 近年は、聞く機会もなくなっていた。

 昨年、思い切って新宿・末廣亭に出かけたことはこのブログにも書いた。
 その日は、お盆の期間中で、昼席に入ると夜席まで居られる、という特別デーだった。
 たった1日で、一生分ほど笑わせてもらった。
 不思議だったのは、長時間であったのにも関わらず、全く疲れなかったことだ。
 ここで、“笑いの効用”を実感したのだ。

 普段、理不尽に感じていること、不満に思っていること、苛立ちを隠して仕事をしなければないない、等々、負の要因を、高座にあがる芸人さんがかわりにぶちまけてそれを笑いに転化してくれる。
 コントであったり、漫才だったり、落語の枕であったり、手を変え品を変え演芸として成立している場。
 ある意味で、大衆のガス抜き場になっていることを感じた。

 実は、野口三千三のレッスンのおもしろさを解明するのに、近代の日本にお笑いが根付く過程をNHKの「わろてんか」で見せてもらっているのが参考になっていることに気づいた。
「感じていること、思っていること、会社や学校で、なかなかわかってもらえないけれど、間違っていなかったんだ!」
 一週間に一度土曜日に、体操のレッスンで野口先生の話を聞くことで、ホッとし、元気をもらえる人が多かった。
 面白いレッスンだった。
 体操だから、からだはほぐれる。同時に、頭もほぐされる。
 気持ちが楽になるわけだ。
 展開されるユーモアというか、「笑い」は、今にして思うと落語に近い。
 知的であり、下世話であり、エッチであり、高尚でもあり、ちょっと捻られた世話物、話芸と言ってよい。

 晩年は、ほとんど毎回といいていいほど、“めずらしきもの”がリュックに詰められて運ばれ、”見せびらかし”されるのだ。
 一つ一つのものたちに講釈がつく。
 そのものの価値は、まだまだ一般的に認知されてはいない。
「そうした見方があるんだー」
 価値観の転換のおもしろさに、体操そっちのけになってしまうことすらあった。
「野口三千三授業記録の会」で、ビデオ記録を撮っていたが、そのテーマは「もの・ことば・うごき」である。
 三位一体の融合から織り上げられていく野口の体操授業は、独特の世界を築き上げた。

 板書される「テキスト(台本)」に、そこに参加される皆さんが反応することに対して、野口の即興的な応答が加わった。
 生な時間を皆が楽しみ、共有する体操なのだ。
「臨場」こそが野口三千三の体操レッスンの真髄である。
 
 それを記録して、編集なしのものをみると、その場の空気を味わった人にはイメージで補いができるが、知らない人や、まして体操をしたことのない人にとっては、記録を見せられてもおもしろさが伝わってこない。
 誰にでもわかってもらえるように真意をつたえるには、当然、編集作業が必要なのである。

「わろてんか」に話を振り戻してみる。
 ラジオが始まって落語を放送にのせることで、置いてきぼりになったドタバタ身体表現を伴う万歳が変身し「話」中心の「しゃべくり漫才」になった。
 そして今日あたりの展開は、映画のトーキー化によって職を失う楽器演奏家を活かすために、「音楽入り」の演芸を生み出そうとする苦労話である。
 ドラマでは江戸から明治の古い演芸を残しつつ、大正・昭和へとつながる近代大衆演芸の黎明期が描かれている。
 
 で、話は絡まっていくことをお許しいただこう。
 野口三千三を芸人にたとえてみると、大看板の落語家、人気トップの漫才芸人、両者を併せ持っていらした。
 ここで、私たちが残した「野口の記録」を考えてみる。
 例えば、YouTubeに出すことを具体的に想像してみる。

 比べることには、無理があることを承知で書かせていただこう。
 古今亭志ん朝の話芸をYouTubeで見たり聞いたりして受け取れる、と同レベルの質を保つのは非常に難しい。
 なぜなら、第一に野口の即興性、第二に受講生参加型、第三にひとりひとりが同じ場で体験する「体操」といった三つの要素が、渾然一体となっているものだけに、記録をそのまま見せても「高座」の記録的な内容は残念ながら伝えきれない。
 編集は、非常に難しいことは言わずもがなである。
 
 唯一、成功しているのは、ガイヤ・シンフォニーの龍村仁監督による「セゾン3分CM人物映像ドキュメンタリー 野口三千三編」くらいだろうか。
 野口が立役者で、「もの・ことば・うごき」がうまく散りばめられて、そこに参加している受講生が、程よく先生を引き立て、ことばを発していなくても心の内に抱いていることばが映像に乗ってくる。
  
 ようやく、なぜ「わろてんか」を見続けられるのか、腑に落ちてきた。
 生のものを、生の良さを失わないで伝えるのは、至難の技。
 高座の芸人が芸を磨く、ということの凄さを思い知らされている。
 同じく野口が、日頃、たゆまなく行なっていた体操を伝えるための試み、とそれを磨く行為を近くで見てきた私としては、なんとか残していけないかという問いかけをしていることに気づかされた。

 昨年の新宿・末廣亭に出かけ、終日、そこにい続けられた秘密が解き明かされたように思える。
 映画・演劇・もろもろのエンターテーメントが華やかに、繰り広げられてる中で、寄席芸能が生き残っている意味もわかるような気がしてきた。
「野口体操の会」創刊号 『私家版「野口三千三伝」』名付け親の祖父の地芝居に関連して、野口体操は「おらが村の体操」という言い回しを思わずしてしまったことの理由が、今、つかめたようだ。
 実に、面白い!

 それが自分に戻ってくるから、おそろしや!なのであります。

 本日は、混乱したまま、終わります。
コメント
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