羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

米流通に異変か?

2018年02月05日 15時41分29秒 | Weblog
 地元に古くからあるお米屋さんが、次々とお米屋さんが店をたたんで、貸し店にしたりワンルームマンションに建て替えたりした。
 15年以上も前のことだった。
 困っていると知人が紹介してくれた隣町のお米屋さんが配達してくれたが、その店も兄弟でやっていた精米所が閉鎖されたので廃業になった。

 再度、困って米屋を探して街を歩いていると、すぐ近くにチェーン店の米屋が見つかった。
 おかしなことだが、地元に関わらない雇われ米屋には、「さん」をつけなくなった。
 しかし、この店の良いところは、その場で精米してくれることだった。
 糠もいくらでもくれた。
 家まで抱えてくるとあったかくて嬉しかった。
 ここで買い物するようになって、3年、いや4年、5年にはならないかもしれないが・・・・・。

 実は、昨年の秋から新米が入ってくるのが遅くなった。
 入荷しても量は少ないようだった。
 さらに、食しているご飯の味が今ひとつになったのこの頃からだった。

 年末には、丁寧に研いでも糠くささが鼻について、炊きたての香りの良さと味がどんどん落ちていった。
 それを告げると、銘柄を変えることをすすめられて、その言葉に従ってみた。
 ところが炊きたてのご飯には芯があって、しばらく蒸らす時間を長くした。

 そんなことが繰り返されて、米屋を変えようか、と思うほどになっていた。
 それでも本日、米びつがからになってしまったために、慌てて飛んでいった。

「2月18日をもって閉店します」
 店のドアに紙が貼られていた。

 今日はまだ2月5日だ。
 中に入ってみる。
「いつものも、最近、変えてもらったのも、もうお米は入りません」
 残っている米袋を覗くと、どの袋も下の方に2、3キロくらいの玄米があるだけだった。
 いつも饒舌な店長は、早く帰ってくれ、と言わんばりの雰囲気を漂わせている。

 仕方なく駅前のスーパーに足を伸ばす。
 ところが、ここも、以前見た時とは様相が少し違っていた。
 お米の種類が減っている。 
 それでもその中から、銘柄を選んだ。
 5キロでは重いすぎるの3キロを探したが、一向に見当たらない。
 記憶では、3キロ詰めもあったのだが、2キロの袋しか置いていなかった。

 急に不安になった。
 一般商店や、スーパーへの流通に、何か異変がおこっているのだろうか。
 
 ご存知の方、教えてください。
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