羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

「石を愛でる会」その後、「実は」を三回繰り返して、三回目に得心したこと

2014年05月13日 07時13分24秒 | Weblog
 5月5日の「石を愛でる会」の後、何人かの方からメールや手紙をいただいたり、感想を伺ったりしている。
 ブログやSNSによる交流も活発に行われた。
 実は、いちばんステキな石が入っている箱を、準備段階で新井さんにみせるのを忘れていた。その結果、会場に持っていかなかった。そのことに後から気づいたものの、まさしく「後の祭り」だった。謝るしかない不手際の一つ目。
 
 実は、私自身があれこれと動きまわって、会場にいて参加してくださった方と、あまり交流が出来なかった。今までこのような会を催す時にしっかりサポートしてくれていたMさんが、いなかったことは大きい。一人の存在がこれほどの意味を持っていたということに気づかされた。そのことを計算にいれて事前に自分の動きをイメージしておけばよかった。謝ることの不手際の二つ目。

 ところが参加した方からいただいたリアクションは好評だった。
 レクチャーーを受けて化石のクリーニングが出来たこと。
 なによりも野口体操を共通項として共有し、全く同じ価値観ではないにしても、安心感と人間関係の許しあえるあたたかさの中で、それぞれが会話と対話を深めることができたこと。
 そのことがあの「あとの祭りのにぎやかさ」、つまり活気を生み出していた。それぞれの脳がはっきり覚醒し、イキイキとした楽しさにつながった。その楽しさのお裾分けで、母が元気をもらったというおまけまでついてきた。
 それはそれとして、今後の反省点として、二つは肝に銘じておこう、と思う。

 ところで、最近になって2025年問題がクローズアップされている。
 認知症予防や介護保険の要支援からの卒業(クローズアップ現代5月12日放送)等々、問題解決に共通する大切なことが、先日の会ではすべて網羅されていたことに気づいた。

1つ目は、新しい知識を得ながら手を動かすこと。(この日は出来ませんでしたが、適度な運動をすること)。
2つ目には、老若男女、生きる環境が異なる人が集まって、これまで知らなかった人や、知っていても話す機会がなかった人と深いコミュニケーションを取り合うこと。
3つ目には、会の準備から片付けまでを手伝うことで「もの・ことば・うごき」が自然に野口体操とつながってくる経験をしつつ、他の人のために何かをすること。
 
 通常のレッスンを思い返してみても、高齢化問題解決に必要な条件を網羅しているのが、野口三千三先生が創発した野口体操の在り方・伝え方だと言える。
 からだを中心軸に「もの・ことば・うごき」を通して、そこに集った人がコミュニケーションを取り合って、2時間を共有する。
 年齢に関係なく、意味の深い体操の在り方、だと得心した。
 
 効果・目的を言わない野口体操だが、「体操とは、自然とは何か・人間とは何か・自分とは何かを探検する営み」とおっしゃった先生の言葉の意味が、ここにいたってようやくわかりはじめたような気がする。

 実は、これこそが「生涯教育」の真髄であるのに違いない。
コメント (2)
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