羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

あとの祭りのにぎやかさ

2014年05月08日 09時23分51秒 | Weblog
“祭りの後”、というのは、シーンと静まり返って寂しさがただようもの、と相場は決まっている。
 ところが、今回の「石を愛でる会」は、まったくちがう。
 会に出た人、出られなかった人たちが、SNS・Facebook上でにぎやかに、そして活発なやり取りをしている。
 
 当日は、もちろんだった。
 FBの写真を見ながらコメント読みながら、”あの活気はなんだった”のか、と連日のこと振り返っている。
 皆さんのウキウキ感の源を探っている。
 今、言葉にするとあの日の出来事が単なる「行事」で終わってしまいそう。
 行事の場合は、「祭りの後」で、ちょっと寂しいもの。

 実は、寂しさなんてない。
 皆さん、あとからも楽しくて、楽しくて、しかたがないようだ。

「これからの野口体操をどうしたらいいのか」とずっと悩んでいた。
 2014年5月5日を境に、その問いはどこかへすっ飛んでしまった。
 わかったような、わからないような言い方だけれど、“日々、ちゃんと生きていれば「何事も自然にそうなる」”ということ!
 活気が、アニマが、そこにあれば、それだけでいいとは言えないが、まず、それがなければはじまらない、ことを知った。
 
 あの場には、野口三千三先生と井上修美さんが鎮座し、お二人を知っている人も知らない人も、分け隔てなく石と人を双方向で結びつけてくれた。
 そして、半世紀以上、石と苦楽を共に生きていらした神保さんの人柄とレクチャーと現物の石、クリーングをする体験とラベリング。

「なんで体操に石なの?」
 そうした問いは、私も受ける。それに対して、理路整然とは説明はできない。
 しかし、である。
 会場の壁に展示した、体操教室や先生の自宅の写真たちが、体操と石を結びつけてくれていた。
「理屈じゃないんだ」
 皆そう思った。
「地球でつながっているんだ」そんな理屈もいらない。

 というわけで、気づくことはいろいろありますが、まとまった文章にはなりません。
「石を愛でる会」報告の第二弾。
《あとの祭りのにぎやかさ》でした。
コメント (1)
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