羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

5月も終盤……乱読

2014年05月28日 13時06分28秒 | Weblog
 今週で、大学の授業ものこり半分となる。ここまでくるとすこしだけホッとする。新学期、当初の緊張感がすこしだけ緩み、授業そのものがやりやすくなってくる時期だ。
 あとは淡々と7月まで、何事もなくこなせるとよいのだが。

 今日は、久しぶりの休息日。部屋の掃除を終えて、中途になっている何冊かの本のページをめくったり、溜まっているメモの整理をしている。
 朝日新聞出版の『地球46億年の旅』週刊誌を土曜日に買い求めている。新宿朝日カルチャーに行く途中のブックファーストに立ち寄っているが、そのついでに他の本も購入している。
 
 一気に読み切れず、4冊を並行している状態だ。

 1冊目は『宗教改革の物語 近代、民族、国家の起源』佐藤優著 角川書店 まだ三分の一程度だが、なかなか手強い内容ではあるけれど、丁寧に読んでいる。殆どの日本人にとって、16世紀の宗教改革は理解しにくい暗闇の中にある。その時代を少しでもあかるく照らすべく書かれたらしいが、この物語は先立つ14世紀に生きたフス、火刑に処せられた人物の宗教改革の物語から解きほぐされていく。なんとか最後までページをめくりたいと、思っている。なぜ大学が治外法権なのか、とか、カレル大学とオックスフォード大学の関係。ネーション、民族意識はどこからきたのか。宗教と国家の関係等。

 二冊目は『運動部活動の戦後と現在 なぜスポーツは学校教育に結び付けられるのか』中澤篤史著 青弓社 ようやく半分まで読み進めた。こちらも手強い。専門書ではなく、できれば岩波新書版で読ませてもらいたい、と思う。日本に西欧のスポーツが導入されたのは、東京帝国大学が中心となっていたこと。
 それを読むと、ちょうど今、朝日新聞が掲載100年を記念して、月曜から金曜、朝刊に「こころ」を連載しているが、夏目漱石がスポーツマンであったということの経緯がわかってくる。

 そして、夏目漱石は文藝において超エリートであったが、時代はズレるが東京体育専門学校校長・東京教育大学体育学部初代学部長だった大谷武一は体育界のエリート中のエリートであって、この人物が日本の戦後(体育)教育と社会にどれほどの大きな影響力を持ったのかが見えてきた。
 文藝の世界と体育の世界・両極端の人物を追うことで日本の近現代が、あらたな見え方をするのだろうという予感がしている。
 そうしたなかで、野口三千三が、なぜ体育の世界でアウトサイダーとして生きざるを得なかったのか。演劇における身体訓練としての体操を目指すのではなく、「野口体操」と呼ばれる“純粋体操”に没入せざるを得なかったのか、という理由も“逆光線のなか”に、にわかに浮かび上がってきた。そして別件だが、NHKの朝ドラ「花子とアン」も、野口が生きた時代と社会を想像する上で貴重であることも付け加えたい。

 三冊目は『日本は戦争をするのか 集団的自衛権と自衛隊』半田滋著 岩波新書 まだ読みはじまったばかりだが、新聞だけではわからない、ひとつの方向の”まとめ”として、一応、目を通しておきたい。

 4冊目は『エピジェネティクス 新しい生命像をえがく』仲野徹著 岩波新書 帯によると「ゲノムに上書きされた情報から、生命現象の謎の糸口が見えてくる」とある。

 というわけで遅々として進まない読書だが、読み終わった時に見える世界が楽しみである。
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