羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

「石を愛でる会」後日談 明日は「母の日」

2014年05月10日 11時21分28秒 | Weblog
 皆さんから、「お母様、お疲れになったでしょう。大丈夫ですか』と言葉をいただいた。
 昨年の12月21日に、転んだことがキッカケで、平成19年に発症した「腰椎圧迫骨折」の後遺症、腰から脇腹の痛みが再発した。
 その後、痛みが薄らいでよくなってくると、一ヶ月ごとに転んで、再度・再々度、痛みが繰り返された。
 実は、5月5日の「石を愛でる会」を諦めないければならないか、と思ったこともあった。
 4月に入って新学期ははじまった頃から、動きもだんだんとよくなって、痛みを訴えなくなっていった。
 
 そして5日を前に髪を染めて、当日の朝には明るい色の新しいセーターと黒と白の水玉模様のネッカチーフを巻いて、誰に会うという当てがあったわけではなかったが身繕いをすませていた。
 この日、彼女は殆ど部屋から出ずにいたのだけれど、石の会がおわって荷物が自宅に戻ってきた頃、外の気配にただならぬものを感じたのだろう。自分で顔を出したのに相違ない。
 その時、荷をおろして私の帰りを待ってくれている間に、十人近くの方々が母と楽しく会話をしてもらったようだ。
 聞くところによると、昔の話をずいぶんと聞いていただいた、という。
 間違いなく、十年は若返ったのだろう。

 さて、その翌日の朝は、しっかりと一人で着替えをすませ、洗顔や歯磨きも行ってくれた。
 そして、更に、次の日の朝になって、ぽつりとこんなことつぶやいた。
「あたしは、ここにずっと住んでいたい!」
 殆ど記憶に残っていないようだが、皆さんと話が出来たことが嬉しかったのだろう。
 脳が活性化された!
 
「転ばないでね」
「そうね」
 はじめて転んではいけない、と自覚できたようだ。

 昨年末から欠かさず、毎晩、8時には母のからだ拭きを継続してきた。
 他にもそれなりに寄り添って、5ヶ月近く経過した。
 ここまで回復してくれたら、よしとしなければ。
 今回は、会の準備だけに集中できなかったこともあって、反省することばかり多い。
 お詫びすることばかりなのだけれど、母の回復度を見ていると、このことも含めて中止にしないでよかったとつくづく思っている。

 日々、老いる母だ。
 日々、記憶が定着しない母だ。
 老いの進行は緩やかだが確実に進んでいく。
 客観的には「認知症」と言えるかもしれない。ただ、かかりつけ医は「年相応の衰えです」とおっしゃる。
 要介護1とばかり思っていたら、”要支援1”でしかなかった母だ。
 三度の食事の後の食器洗いと片付け、なんと留守番をしてくれているのがから、要支援1なのかもしれない。

 野口三千三先生が何度も病に倒れた時、家を改築された時、そして日常的に食べ物をお届けしていた時、20年間、両親の支えと協力がなかったら……、今はない。そう思うと邪見に出来ない自分がいる。
 デイ・ケアサービスの場所や、ケア付き高齢者介護施設も見学した。いざとなったら、そうしたところにもお世話になりたい。それも時間の問題であることもわかっている。
 が、……。

 明日は、母の日。
 特別に何もしない。
 ただ、時に波風は立ちますが、おおむね穏やかな今の暮らしが維持されることだけが、望みだ。

 母を気遣ってくださった皆さん、この場を借りて、お一人おひとりに感謝です。

 そうそう、私の低周波振動敏感症は、揺れがなくなったわけではありませんが、封じ込めて寝付く要領をすっかり身につけて、殆ど考えなしに眠りについています。
 二重苦は、それなりに安定しているようです。
コメント
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